いつつめ ニエ

竹中康平(仮名) 21歳男性


 小さいころ――大体小学一年生くらいの頃の話です。僕の家は母子家庭で、ボロボロのアパートに住んでいました。そのときに隣に住んでいたとある親子の様子がどうにも変だったのです。

 その親子は、無精髭を生やした猫背の父親、ボサボサの髪の毛で不潔な母親、ボロボロの服を着た僕と同級生のケンジ君、の三人暮らしでした。

 ケンジ君は学校には行っていませんでしたが、たまに公園などで遊んでいるところを見たことがありました。ケンジ君の父母は仕事をしているのかも分かりませんが、見かけるのはいつもパジャマのような全身灰色の服を着た姿でした。

 その親子は夜中は本当に住んでいるのか分からないくらい静かなのですが、昼間はいつも何かをヒステリックに叫んでいました。毎週月曜日は早く下校する日なのですが、月曜日になるとその声が苦痛で仕方ありませんでした。

 そんな苦痛のストレスからか、僕はその頃ずっと体の調子が悪く、頭もお腹も痛くて仕方ありませんでした。しかし母にそれを言うこともできず、ずっと我慢していました。

 

 ・・・

 

 ある月曜日の下校時間のことです。僕はあの親子の声を聞くのだと思うと帰りたくなくて、近くの公園で時間を潰していました。すると、ケンジ君とケンジ君のお母さんが公園にやってきました。どうやって見つけ出したのか、僕の方へと真っ直ぐに歩いてきます。

 ケンジ君のお母さんは、近付いてくるなり僕に向かって叫んできます。

 「なんで帰らないの!!!」

 僕は大声に怯んでしまって何も言い出せません。

 「なんで帰らないのかって聞いてんじゃない!!!答えなさいよ!!!」

 甲高い怒鳴り声に、頭がキンキンしました。それでも何も言い出せませんでした。

 ケンジ君のお母さんはギリギリと音が鳴るくらい歯ぎしりをして、僕を一発殴りました。口内を切ってしまったようで、血の味がしました。

 「ニエの癖に!!!大人しくしてなさいよ!!!」

 ケンジ君は僕を憐れむように見つめていました。ケンジ君のお母さんは、僕の手を無理やり引っ張って家まで連れていきます。僕は助けを求めることもできずにただ引っ張られていました。僕はその間ずっと何も考えられず、なすがままでした。

 ケンジ君のお母さんは僕の家の玄関の扉を乱暴に開き、僕を放り込みます。

 「そこで大人しく聞いときなさい!!!」

 そのままガシャンと扉を閉めました。最後にケンジ君と目が合いましたが、結局何もしてくれませんでした。

 それからいつものように騒ぎ出したのです。僕は何が何だか分かりませんでした。リビングで震えながら泣くしかできません。ずっと叫び声を聞きながら親が帰宅するのを待っていました。

 すると、突然吐き気が襲ってきます。僕はそのまま嘔吐してしまいました。一度嘔吐してからもずっと気持ち悪くて、吐くものがなくなるまで嘔吐を繰り返しました。胃の中が空っぽになっても気持ち悪くて、僕はそのまま気絶してしまったようでした。

 

 目を覚ますと、病院にいました。点滴をされていましたが、やはり体の調子は悪いままでした。隣を見ると、母が付き添ってくれていました。

 「大丈夫?」

 「うん」

 「この傷はなに?」

 母は優しく頬に触れます。

 「傷ってなに?」

 「気付いてないの?すごく青くなってるよ?喧嘩でもしたの?頭を殴られたの?」心配そうに聞いてきます。「なんでこんなに体がボロボロなの?ずっと我慢してたの?」

 母は泣きそうでした。僕には何が何だか分かりませんでした。

 そのあと医者が来て言うには、どうやら僕は体中に不調があって、もう数ヶ月遅かったら命の危険があるような状態だったそうです。

 僕は今まで、病院にかかると母に迷惑だと思って体の不調を隠してきていました。しかしもうすでにここは病院です。隠す意味はないと思って、ついに我慢せずに全てを話しました。これまでの体の不調と、隣の騒ぐ声、そしてケンジ君のお母さんに殴られたこと。母はそれを聞くと顔色を変えました。そして、「ちょっとだけ待っててね」と言い、どこかに行ってしまいました。

 しばらく経ってから母は戻ってきたのですが、その数時間後に警察がやってきました。そして色々と聞かれ、警察は帰っていきました。

 

 三日後、僕はすっかり元気に回復していました。医者は「ここまで回復が早いのは珍しい。あとは薬を飲んでいれば大丈夫ですよ」と淡々と言ってきました。

 家に帰ると、前と変わらないアパートが迎えてくれました。その夜、ケンジ君のお父さんがウチに尋ねてきました。

 「なんですか?」

 母は刺々しい物言いでケンジ君のお父さんに相対しました。僕には物々しい雰囲気は分かりましたが、状況はよく分かりませんでした。

 すると、「申し訳ありませんでした」とケンジ君のお父さんが謝ってきました。

 ケンジ君のお父さんは、そのまま説明を始めました。

 「私が1年前に大病をしてから、妻の様子がおかしくなりました。辺な宗教にはまって、呪いを始めたそうです。妻が呪いを初めてから私の体調がなまじ良くなってしまったものですから、『本当に効くんだ!』と調子に乗って昼間に騒ぎ立てたり、〇〇君を殴ったりしてしまったそうです。本当にすみませんでした」

 「呪いってどんなの?」

 僕がそう聞くと、ケンジ君のお父さんはかなり迷ってからこう答えました。

 「私の病気を〇〇君に移して治すというものだったらしいです。妻が警察に連れていかれる直前に初めてそれを聞きました。もっと前に詳しく聞いておけば止めたのに……本当にすみません」

 ケンジ君のお父さんはしおらしく言いました。僕は何だか気の毒になって「いいよ」と言いました。ケンジ君のお父さんは少しだけ微笑んでから、母に深く頭を下げて帰っていきました。

 ケンジ君親子にはお金が無いようで、引越しはしませんでした。しかし月曜日の昼間の騒ぎ声が無くなったことで、僕は随分快適に過ごすことができるようになりました。

 

 一ヶ月後、救急車のサイレンが家の前で止まり、驚いて外に出てみると、ケンジ君のお父さんが救急隊員に運ばれていくところでした。その顔色は青く、今にも死んでしまいそうです。ケンジ君は泣いていました。そして玄関から出てきた僕を見つけると、睨んでからお父さんに付いていきました。

 それからどうなったのか分かりませんが、ケンジ君親子はどこかへ引っ越したようでした。気付いたらいなくなっていたのです。

 

 それから十年と少しが経ち、そんな出来事のことをほとんど忘れていた今年のことです。

 ある日僕のもとにある一通の手紙が届きました。その差出人の名前をしばらく思い出せなかったのですが、とりあえず中身を見ることにします。そこにはこう書かれていました。

 『お前のせいで父さんは死んだ。母さんも首を吊った。お前が死ぬまで呪ってやる。』

 その文章を見て、差出人の名前を思い出しました。

 「これ、ケンジ君だ……!」

 あのとき、僕には呪いがかかっていたのでしょうか。だとしたら、僕は今度こそ死ぬのでしょうか?

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