みっつめ よく笑う君は誰?
鈴木唯生(仮名) 30歳男性
この前、彼女の
これはそのときに千夏が話してくれた、「古い友人」の話です。
・・・
ある日の夜、その友人は犬の散歩に行ったそうです。
夜も更けていたのですが、犬がやたらと散歩に行きたがるので仕方なく外に出ました。
いつも通りのコースを歩き、とある公園に入りました。
すると視界の隅でチカチカと光るものがあります。
なんだろうと視線をやると、公園のトイレの隙間から僅かに光が漏れていました。
電球が悪くなっているのか、点滅しています。
何だか不気味に思えて、辺りの臭いを嗅ぎたがる犬を無理やり引っ張り、公園を出ました。
犬は少し歩くと満足したようで、帰路につきます。
しかしその帰り道には、またあの公園を通る必要があります。
彼は何とか迂回しようと思いましたが、迂回路に大きめの犬を散歩させている人がおり、犬が怖がってしまって公園を通らざるを得ませんでした。
今思えば、あのときの大きな犬はライトが当たっているわけでもないのに目が光っていたような気がします。
彼はできるだけ公園のトイレに目をやらないように隅の歩道を通ってそそくさと歩いていました。
しかし、突如犬が走り出します。
小型犬なのでいつもであれば簡単に止められるのですが、今回はやたらと力が強く止めることができませんでした。
犬はトイレの方向に向かっていました。
チカチカとしているのが気になったのかとも思いましたが、力が強すぎるところが不気味です。
リードを離してしまおうかとも思いましたが、やはり大切な家族ですから離すことはできませんでした。
やがてトイレの前につきます。
ジー……チカチカ……と嫌な音を出しながら不規則に点滅を繰り返します。
彼は犬を引っ張りながら離れようとします。
しかし犬はびくともしません。
それどころか、トイレの扉に近付いて爪でカリカリとし出すではありませんか。
家でよくやっている「開けてくれ」の合図です。
もちろん彼は断固拒否しました。
しばらくそのまま膠着状態でしたが、やがて犬の方が折れたのか公園の出口に向かって歩きだします。
彼は少し安心してイヌの後ろを歩き始めました。
すると、背後から、きぃーー……という音が聞こえます。
背筋が凍り、同時に驚くべき速さで走り出しました。
いつもであれば犬に翻弄されるはずの彼が、そのときばかりは犬よりも速く走ったそうです。
彼は無事に家にたどり着くことができました。
なぜか異常に息が切れている彼を見て家族は大層心配したそうですが、彼は何とか誤魔化してその日を終えたのだとか。
それから一週間ほど経ったある日、彼はそんなことがあったなんてすっかり忘れて日常生活を送っていました。
しかし異変が起こります。
初めの異変は、犬が家の中でもずっと興奮していることでした。
誰か大好きな人がいるかのように振る舞い、ずっと一匹であそんでいるのです。
最初は家族も、「テンションが高いなぁ…」くらいにしか思っていなかったそうです。
そんな状況でさらに異変が起こります。
犬がやたらと頭や体を家具にぶつけるようになったのです。
いつもなら遠くに犬が見えると吠えるはずなのに、遠くの犬に気付くことも無くなってしまいました。
それなのにテンションは高いままです。
彼は流石におかしいと思い、動物病院に連れていきました。
そこで下された診断は、「失明」でした。
突然目が見えなくなってしまっていたのです。
彼は悲しみ、失明の原因は分からないものの自責の念に囚われました。
そして彼は記憶を必死に洗い出し、あのときの公園を思い出しました。
「流石にあのときは何かおかしかったな」
繋がりが全くない出来事にも思えますが、どうしても何らかの因果があるように思えてならなかったのです。
彼は、その日の夜にもう一度その公園を訪れ、チカチカと点滅するトイレの前に立ちました。
「オカルトだろうと、家の犬の目がまた見えるようになるんならなんでもいい」
覚悟を決め、扉を開けます。
その途端、生臭い風が彼を通り過ぎました。
そこには点滅をやめ、一切音沙汰なくなった電球と汚れた便器があるだけでした。
扉を開けた途端点滅を止める電球は少し気味が悪かったのですが、他にはなんら異常がありませんでした。
彼は少し落胆しました。
試しに扉を閉めてみますが、もう点滅することはありませんでした。
彼は家に帰ることにしました。
玄関扉を開け、リビングに入ると犬が出迎えてくれます。
奥で家族の「おかえり」が聞こえました。しかし彼の耳にはそんな声は届いていませんでした。
なぜなら犬の目が彼をしっかり捉えていたからです。
彼は次の日、急いで動物病院に連絡して一刻も早く診てほしいと頼みました。
数日後、医者が犬を見て驚きながら「目が見えている」と言ったとき、彼は喜びの渦に包まれたそうです。
それで終われば良かったのですが、彼はその日から目に違和感を感じるようになりました。
目がかすみ、本を読むのに苦労するようになりました。
あのときの公園のトイレと何らかの関係を疑い、もう一度行ってみたりもしたのですがどんどん悪化していくばかりでした。
それから彼は眼科の病院に行くことになりました。
その道中に、突然女性が話しかけてきました。
「すみません。〇〇公園はどこですか?」
彼は女性の顔を見て驚きました。
霞んでいたはずの世界で、その女性の顔だけがしっかりと見えるのです。
他の人と何が違うか分かりませんでしたが、彼は何か惹かれるものをその女性に感じたそうです。
女性が聞いてきた公園は、あのときの公園でした。
彼は一瞬女性に見蕩れていましたが、すぐに持ち直して「あっちです」と教えたそうです。
女性はそのままお礼を言って去っていきました。
その翌日、彼は大学に行く道中であの公園を覗いていくことにしました。
あの女性のことが気になったのです。
いるはずがないと思いながらも期待するのを辞められなかった彼は、意気揚々と公園に向かいました。
すると、ベンチに座る人影があるではありませんか。
それも、掠れた中でもしっかりと見えます。
そこにはあの除籍がいました。
彼は女性に話しかけることにしました。
「あの、すみません」
「あっ、昨日の!あのときはありがとうございました!」
女性はにっこりと笑いました。彼はその笑顔をもっと見たいという気持ちになりました。
「いえいえ、ここに着けて良かったです。ところで、こんなところで何をしているんですか?」
「小さい頃よく遊んでいた公園で、思い出の地を巡ろうと思ってここに来たんです」
「そうだったんですか」
「失礼ですが、名前をお聞きしてもいいですか?」
「ええ。私、チカっていいます」
チカはニコニコと笑ったまま答えました。
彼はどんどんと惹かれていきました。
それからチカと彼は、公園で時々合う仲になりました。
犬の散歩中や通学中、果てにはチカに会うためだけに出かけるようになりました。
そんな中でも彼の目はどんどんと悪くなっていき、遂にはほとんど見えなくなってしまいます。
しかし、それでもチカだけはしっかりと見えていたのです。
ある日、彼は耳の聞こえまでが悪いことに気付きました。
しかしそれでも、チカの声だけは聞こえました。
ある日、彼は鼻がきかないことに気付きました。
しかしそれでも、チカの匂いだけは分かりました。
ある日、彼は触られる感覚がないことに気付きました。
しかしそれでも、チカに触られた感覚だけは感じました。
ある日、彼は味を感じないことに気付きました。
しかしそれでも、チカとのキスの味だけは忘れませんでした。
彼は色々な感覚を失ってからも毎日外出を欠かしませんでした。
そしてある日、公園で倒れているところを発見され、そのまま意識を取り戻すことはありませんでした。
入院から約一年後、彼は病院のベッドで一人で亡くなりました。
後に彼の部屋から見つかった日記には、「チカ」という女性への思いが汚い文字で何ページにも渡って綴られていました。
その日記の日付は、彼が意識を失った日から始まっていました。
彼の家族は「チカ」という女性のことは見た事も聞いた事もなかったそうです。
・・・
ここまでが、千夏が話してくれた「古い友人」の話です。
私は、「なんで死んだ人の話なんて分かるんだよ」とツッコミました。
しかし千夏は微笑むだけでした。
いつも通りの笑顔が一瞬だけ、何か違う気がしました。
しかし何が違うのか、何処が違うのかは分かりませんでした。
そういえば最近、目が悪くなってきた気がします。
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