第一話

 菊池きくち真紘まひろ

 元真理の会所属。

 元構成員である彼との対談が行われる。インタビュアーは週刊雑誌のライター。菊池と言う男は大手の出版社を信用していないからか、中堅規模である事を条件に対談を許可した。

 

「初めまして。今回、インタビュアーを務める花形はながた新之助しんのすけです」


 新之助はペコリと頭を下げた。


「ああ、どうも。知ってるとは思いますが、菊池真紘です」

 

 金髪の彼は儚げに笑う。

 二人の間には透明な壁があり、直接触れ合う事はない。

 

「菊池さん、有名人ですからね」

 

 軽いジャブの様に新之助が冗談を打てば、真紘は困った様に眉を顰める。

 有名であると言う事を彼は喜ばしく思っていない。当然といえば当然だ。

 

「……それは置いておきまして」

 

 この話を広げるつもりはない。


「はい」


 新之助は桃色の髪の間から真剣な目つきで真紘の目を見る。

 

「ねえ、菊池さん。何で今回インタビューを受けてくれたんですか。しかも大手でもない僕らの週刊誌で」

「……大手は、真理の会の息が掛かってますから」

 

 続けて悔やむ様な表情で彼は吐き出す。

 

「俺……私は真理の会について話します。貴方にも責任の一端を負わせる事になります」

 

 真っ直ぐに。

 互いの目があって、捉えられる。どちらも逃げる気はない。真紘の口から吐き出される言葉は全て真実だ。嘘という逃げ道を彼は自ら閉ざす。許されざる罪の回顧。

 

「まず、真理の会の所属メンバーについてですが、私も完全には把握しておりません」

 

 ですが。

 彼は続けて「人数は四〇万人、日本全国にいます」と告げる。

 

「そ、そんなに……ですか」

 

 真理の会の構成員数を聞いたのは初めてで新之助に動揺が走る。まさか四〇万もの人間が真理の会に所属しているとは思わなかった。

 

「その四〇万人の内、どれ程が今も尚活動を続けていて貴方に恨みを持つことになるかは分かりません」

 

 彼はここで逃げるという事はまだ許されていた。

 しかし、だ。

 新之助の求めていた様な、世間の目を集める飛び切りのニュースが目の前の男から語られる。ならば週刊誌の記者として飛びつかない訳にも行かない。

 

「…………」

 

 光り輝く新之助の瞳を見た真紘は息を長く吐く。

 

「……お……私には幼馴染の年下の女の子がいました」

 

 何故、幼馴染の少女がと新之助は疑問を覚えたが、直ぐに彼が捕まった理由を思い出す。

 

「──彼女を殺したのは、俺でした」

 

 酷く冷たい目で、自らの傷口に触れていく様に語り出す。

 静寂が一〇秒間。

 静まり返った空間で新之助の唾を飲む音が響いた。

 

 

 

 

 

 季節は秋の半ば。

 十月の中旬。

 少女が一人、制服で街を歩いている。黒い髪は首裏を隠す程度に伸び、眼鏡を掛けた色白の肌の女子高生。

 名前は秋山あきやま紅葉もみじ

 鞄を右肩に掛けて夕暮れに包まれていく道を歩く。

 

「ん、今帰り?」

 

 紅葉が聞こえた声に顔を上げる。

 立っていたのは、朗らかに笑みを浮かべる両腕にビニール袋を持った金髪の青年。

 

「あ、マーちゃん」

 

 幼馴染の真紘だ。

 兄のいない紅葉は彼のことを実の兄の様に慕っている。トタトタと足早に彼の元へ近づく。

 

「大学は?」


 講義はないのだろうか。

 彼女の問いに彼は一度頷くと、


「もう終わったよ」

 

 と、答えた。

 現在、家族のいない紅葉は彼のことを本当の家族の様に慕い、頼っている。紅葉がはらりはらりと宙を落ちていく。

 夕暮れの中を二人で歩いていく。

 

「紅葉……ちゃんとご飯食べてる?」

「食べてるよ」

 

 むすっとした顔で紅葉は隣を歩く真紘を見上げる。

 

「……ちょっと心配だな〜。紅葉、細いからさ」

「食べても肉が付かないだけだし」

 

 紅葉はプイと顔を逸らす。

 

「そうだ。今日、俺が作ってあげようか?」

 

 彼が右手に持っていたビニール袋を持ち上げて言う。

 

「マーちゃんが?」

「そ、俺が。お互い一人暮らしだしさ」

 

 大学生になった彼も一人暮らしを始めたのだと紅葉は思い出す。レジ袋の中身が気になりチラリと目を向ければ何やら茶色が見える。

 

「何作ってくれるの?」

「栗ご飯」

 

 彼が袋の中身を見せてくる。入っていたのは結構な量のある栗だ。どうやって手に入れたのかと、紅葉が疑問に思って首を傾げると真紘が「貰っちゃったんだよ」と失笑した。

 

「断るわけにも行かなくてさ。父さん達よりも、まだ高校生な紅葉に分けた方が良いかなって思ってね」

「でも、マーちゃんにって……」

「良いの良いの。貰ったなら俺の物だし。俺としてはまた紅葉とご飯食べる口実できたって感じだし」

 

 予定が合わず一緒に食事を取ることはない。だから、今回は偶然だと真紘が笑う。

 

「他にもね、色々買ってきたよ」

 

 もらった栗だけでは味気ないと考えたのか真紘はもう片方の袋を軽く掲げる。

 

「お、お金大丈夫なの?」

「ま、大学生と高校生だと色々違うのよ」

 

 真紘が得意げに笑って「じゃ、そう言うわけだから、紅葉の家のキッチン貸してよ」と告げる。

 

「え、私の家の……?」

「うん。あれ、ダメだった?」

「ちょ、ちょっと片付けなきゃいけないから!」

「え、大丈夫だって! 使わせもらうのキッチンだけだから!」

「でも、待ってて! 片付いたら教えるから!」

 

 流石に年頃だからか、家に男を招き入れると言うのは意識してしまうのだろう。紅葉は早足で歩いていく。

 

「あ、ちょっと……紅葉」

 

 名残惜しさを感じながら真紘が名前を呼ぶが届かない。仕方ないかと息を吐いて夕陽の沈みゆく空を眺めながらゆっくりと歩きだした。

 

「はあ……はあ……」

 

 真紘が突然に家に上がると言った為に紅葉は慌てていた。恋する乙女の心、と言う物が微塵もない訳ではない。

 しかし、今回ばかりは理由が違う。

 見られてはならない物がある。誰にも見られてはならない物だ。当然、真紘にも見つかるわけには行かない。

 

「隠さなきゃ……隠さなきゃ……」

 

 どこから漏れるかが分からない。

 だから、共犯者以外には見つかるわけにはいかない。鞄から鍵を取り出し家の扉を開く。鍵を取り出すとき、鞄の底でスマートフォンが震えているのが理解できた。

 相手は非通知設定。

 

「もう、何……!?」

 

 若干の苛立ちを覚えながら応答する。

 

『やっと出たか……フォール』

「パトロン! こっちだって忙しいの!」

『はは、学生は大変だな』

「黙れ、ニート!」

 

 声は機械音声。

 身元が分からないようにしている。

 

『……今夜の真理の会の行動についての予測地の連絡だ』


 先程までの怒りっぽい声は一瞬にして形を潜め、脳が冷えて行く。


「……何処?」

 

 彼は淡々と地点を紅葉に教えていく。

 線路沿いの住居地、街の中の裏路地が主になっている。

 

「──そう」

 

 彼女の声は冷たい物になっている。

 殺気立っている。

 

『さて、と。連絡は以上だ。だが、君に一つ言わせてもらいたいことがある』


 まだ何かあるのか。

 連絡ではなく言いたいこととは何か。


「……何?」


 若干の面倒臭さを覚えながら、早く話す様に催促する。


『ニートと言う言葉は取り消してもらおう。俺はニートじゃない』

 

 機械音声だと言うのに感情的にも聞こえる。

 

「暇人でしょ」


 呆れた様に言う。


『良いのか、フォール。協力してやらないぞ。俺がいなければ君は武器も手に入れられないんだぞ……分かっているのか?』

 

 彼は子供の様に熱くなっている。

 それほどニートと呼ばれるのが嫌と言うことだ。彼はなかなか、感情的な人間であった。

 

「……ごめんなさい」

 

 関係を終わらせると持ち出されては敵わない。彼との関係は紅葉の目的の為には必要不可欠だ。

 大人しく引き下がるしかない。紅葉が謝罪の言葉を述べると、パトロンは『……そういえば、君は何か慌てていたんじゃないか?』と言う。

 

「あ」

『では後日』

「はい。さよなら」

 

 通話を切って彼女は自室に向かう。

 見られてはならない物を片っ端から仕舞い込んでいく。スタンガン、法律違反の刃渡りのナイフ。防刃服。フルフェイスの仮面。

 フルフェイスの仮面を金庫に入れる為に持ち上げて自嘲する。

 

「……何だか、ミイラ取りがミイラになったって感じだ」

 

 真理の会は皆、顔を隠す仮面をしている。顔を見られぬ様に。そして、紅葉もまた同様に真理の会の人間に顔を見られぬ様に仮面を被る。

 どちらだって同じだ。

 顔を見られてはならない。

 殺されてしまうから。

 差があるとするならば紅葉は本当に殺されてしまうかもしれないが、彼らのほとんどは思い込みでしかないと言う点だ。

 

「……ま、こんなモンかな?」

 

 彼女は部屋を出る直前に本棚の上に置いてある写真にでを伸ばして、ふと止める。

 隠す必要はない。

 

「──ごめんね」

 

 彼らはこんな事を望んではいないのかもしれない。だが、紅葉は止まらない。これが誰に望まれた物で無くとも、彼女の生きる理由はここにある。

 あの日の事も、家族のことも。

 彼女は忘れられないのだ。

 

「……マーちゃん」

 

 彼もきっと心配するだろう。

 こんな内心を知って仕舞えば、止めるべきだと説得するかもしれない。要らぬ心配を掛けない為に隠し通すのだ。

 また身近の人間を失わない様に、彼女は動かなければならない。

 部屋を振り返り、怪しいものは見当たらない。これならば何かがあったとしても問題ない。真紘の名前を確認してメッセージを送る。

 

『入っても良いよ』

 

 と。

 少しの茶目っ気でスタンプを送信する。OKと書かれた抱き枕を抱えたパジャマを着た熊のイラストだ。

 直ぐに既読がつき『了解』と返ってくる。

 心臓が跳ねる。

 緊張している。

 

「お邪魔しまーす」

 

 階下から聞こえてくる真紘の声にドタドタと忙しなさを感じさせる足音で階段を駆け降りる。

 

「片付いた?」


 確認のために彼は問う。


「あ、うん。ほら、上がって上がって」

 

 幼い頃、一緒に遊んでいた記憶がある。この家でも遊んでいた。真紘も間取りは朧げでも覚えているだろうが、紅葉はリビングに案内する。

 椅子の数は五つ。

 家族が居た時と同じだ。今は一人暮らしだと言うのに。

 

「よいしょっと……」

 

 栗の入った袋と飲み物や他の具材が入った袋をリビングのテーブルに置く。

 

「飲み物は置いてくから」

「あ、ありがと」

 

 冷蔵庫を開けて彼は買ってきた飲み物のペットボトルを入れていく。買ってきたのはコーラと緑茶、オレンジジュースとバラエティに富んでいる。

 

「胡麻塩は……使わないよね?」

 

 一応、栗ご飯ということで買ってきたのだが、置いて行っても紅葉は使わないだろうと確認を取れば、彼女も頷く。

 

「じゃ、これは持って帰るよ」

 

 レジ袋の中身をドンドンとテーブルの上に出していく。

 買ってきたのは秋刀魚、大根、豆腐、葱。メニューは栗ご飯に味噌汁と秋刀魚の塩焼きと随分、豪勢な様だ。

 何か手伝うべきかと「マーちゃん」と紅葉が名前を呼ぶと彼は笑って、じゃあ「大根をおろしてくれる?」と切った大根の上の方を渡してくる。

 米を研ぎ、栗を湯にさらし放置。間に秋刀魚の下処理を始める。手際の良さは一人暮らしで料理に慣れているからか。

 

「…………」

 

 女子力で負けた様な気がして紅葉は何とも言えない気分になる。

 

「よし」

 

 紅葉が大根を下ろし終わり十数分。

 いよいよとまな板に付いた汚れを一度水で流してから、栗の皮を剥き始める。

 

「…………」

 

 彼の調理風景をぼうっと眺める。

 悪くない。

 何となくの幸せに浸っていれば、平穏無事に生きていられる。復讐のことなど忘れてしまえば、楽になれるのかもしれない。

 過去の事など。

 

「紅葉〜」


 突然に名前を呼ばれて大きく体を揺らす。授業中に居眠りをし、先生に名前を呼ばれた様な感覚に近かった。


「あ、え、え? な、何?」

「お皿、用意しておいて」

 

 しばらくぼうっとしていたのか調理がかなり進んでいる。紅葉は食器棚から食器を取り出す。秋刀魚を乗せる為の長方形の皿を二枚運ぶ。

 

「ありがとう」


 用意した皿を真紘に手渡す。


「うん」

 

 幸せに流されれば、家族のことを忘れてしまう。花のついた長方形の皿は紅葉と彼女の弟が父親に強請って買ってもらった物だ。

 家族で旅行をした先で皿への興味が一際強かったわけでもないのに買ってもらった物。仕方ないと溜息を吐きながらも父が購入した姿は忘れていない。

 忘れてしまえば、紅葉の中にある過去の幸せだった時もなかった事になる。

 

「…………」

 

 これ以上の喪失は許されないのだ。

 紅葉の精神的にも、彼女の理想の為にも。

 

「出来たよ」


 キッチンから真紘が笑顔を見せた。


「ありがと、マーちゃん」

 

 今日のことも、これまでの事も。

 一人でも生きてこられたのは真紘の優しさがあったからだと。

 

「片付けは私がやるから」

「……そっか。最後までやるつもりだったけど」

「流石にここまでやってもらったらさ」

 

 こんな豪勢な食事は久しぶりだ。

 準備も片付けもやってもらったら感謝よりも申し訳なさの方が勝ってしまう。

 

「じゃ」

 

 食卓の上にメニューが並べられる。

 二人は席に着く。

 対面する様に座る。真紘の座る場所はいつも母親が座っていた場所だ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 二人の声が重なった。

 母親もキッチンから近い場所に座っていた。料理をするのはいつも母親だった。真紘の行動が思い出させる。

 

「……おかわり、食べる?」

 

 たった一つの確認すらも。

 家族を感じさせる。胸の奥に響いてきて、紅葉の目に薄らと涙が浮かんでくる。

 

「うん」

「美味しい?」

「美味しい」

「良かった」

 

 正面に座る真紘は柔和に笑い、彼女の空になった茶碗を受け取って炊飯器から栗ご飯をよそう。

 

「はい」

 

 甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼に本日、何度目かも覚えていない「ありがとう」を告げて箸に栗を持つ。

 

「ご馳走様。美味しかった!」


 紅葉が元気よく感想を言う。

 湿っぽい感情を隠す為だった。


「ん、ありがと。良い食べっぷりだった。作ったこっちも嬉しくなるよ」

 

 皿を流しに運んで嬉しそうに真紘がはにかむ。

 

「後は大丈夫?」


 片付けは紅葉がすると言ったのに不安そうな顔をする彼に、困った様に笑った。


「うん。またね、マーちゃん」

 

 玄関まで見送ってから後片付けを始めて、二〇分が経過。皿を拭き終わり食器棚にカチャカチャと戻していく。

 食器はしまい終わった。

 

「──そろそろ行こっか」

 

 リビングの電気を消し、廊下に出る。

 階段の明かりを灯し上っていく。自室に入り、動きやすい服に着替える。下はスウェットに上は防刃服を着込み、その上からフード付きの黒いパーカー。金庫を開けフルフェイスヘルメットで顔を隠す。

 

「行ってきます」

 

 真っ暗な廊下に向かって言う。誰がいる訳でもない。

 扉を開き上を見る。すっかりと空は暗い。

 彼女の姿は闇に溶けていく。

 彼女が真理の会の構成員の情報を掴むのが先か、真理の会に捕まり殺されてしまうのが先か。

 いつまでもこの状態が続く訳ではない。

 情報を吐き出させる。

 

「居るといいな、お偉いさん」

 

 いつか辿り着けると信じて、今日も彼女は戦う。パトロンは彼女を支援するが行動を共にはしない。

 

「…………」

 

 踏切に差し掛かり、動物の覆面を被った集団の背中を見つけた。足止めを食らう。パーカーの内に仕舞い込んでいたスタンガンに手を伸ばす。

 威力は抜群。違法改造により一瞬で意識を奪う事が可能。

 

「ふー……」

 

 何度やっても緊張する。

 基本は奇襲で仕掛ける。気がつかれない様に静かに、しかし迅速に。

 電車が通り過ぎて行くのを待ち、踏切の遮断機が上がるのを待たずに紅葉は走り出す。彼女が踏切を越えてから漸く遮断機は上がる。覆面の集団の姿は見失っていない。

 住宅地に入って行く。

 同じだ。

 

「私の時と……」

 

 いきなり家に上がり込み、全てが壊された。最悪の過去が、未来になる。

 血みどろに染まる。世界が崩れる。

 思い出して、止まってはならないのだと再確認。

 

「……よし」

 

 覚悟を決め、最後尾にいる猿の覆面を被った男の身体に忍び寄りスタンガンを押し当て電流を走らせる。


「ぎっ……ぁ」


 焼ける様な臭いが周囲に漂う。

 死んではいないはずだ。火傷はしたかもしれないが、仕方がない。


「まず、一人」


 しっかりと意識を奪う事ができたらしい。残りの人数は二人。猿の覆面を奪い取り放置する。覆面がなければ真理の会も流石に動かないだろう。

 

「捕まえるのは一人でいい……」

 

 残りの二人は猫と鯉。

 統一感はない。

 合理的に判断するならば。

 別に、この二人は無視しても良かったのかもしれない。しかし、彼女の正義感は彼らの行為を許してはならないと叫んでいる。

 

「おい、猿はどこに行ったんだ?」

 

 鯉が猫に聞く。

 流石に勘付かれた。紅葉が気を引き締めスタンガンを握る右手の力をより一層強くする。

 

「……さあ。……いや」

 

 ラウンド・ツーだ。

 愛らしい猫の覆面の奥にある目はフルフェイスで闇に溶け込む紅葉の輪郭を理解した。何者かがこの空間に居て、猿が襲われた。

 

「誰だ、お前」

 

 猫の声に鯉も構えをとる。

 覆面のせいでサマにはなっていないが、顔を隠し、お互いを記号化するという理に適った考え方だ。

 何より真剣なこの場面で口に出す者はいない。

 

「…………フッ────!」

 

 紅葉が無言でスタンガンを振るう。

 

 ブンッ。

 

 空振り、避けられた。

 一瞬の紫電を猫は捉えたのか。

 

「スタンガン……か」

「おいおい、下手に近づけねぇな」

 

 鯉がヒクヒクと笑う。

 覆面の奥は苦笑いが浮かんでいる。

 

「猿は多分一撃でやられた」

 

 悲鳴がなかったのはそう言うことだ。

 当たれば負け。

 

「殺るか?」

 

 鯉が確認をして懐に手を伸ばす。

 

「流石に敵意があんなら良いだろうぜ。それにどうせ邪魔するってんなら怪人だ」

 

 持ち出したのは短刀。

 俗に言う、ドスという物だ。紅葉の背中に冷や汗が噴き出す。幾ら防刃服を中に着ているとはいえ、殺意を持って刃物を向けられると言うのは恐ろしい。

 

「……良かった」

 

 パトロンに注文しておいて。

 武器は一種類だけではない。こんなコトをしておいて、一つだけでは心もとない。

 警戒を示す鯉は踏み出すまでに躊躇いがある。懐に手を伸ばした紅葉に対しびくりと身体を震わせ、構える。

 殺しをしている人間ではありながら、真理の会は戦闘をする集団ではない。

 

「……っ」

 

 懐から取り出した銃を躊躇いなく鯉に向けて撃ち放つ。

 

「あっ……がっ……」

 

 しっかりと身体に当たった。剥き出しの短刀がカランカランと地面に落ちて転がる。同時に鯉の意識が落ちる。

 血は溢れていない。変わらずに焦げ臭いにおいが広がる。

 

「遠距離用も、か……」

 

 猫は更に彼女を警戒する。

 一箇所に留まっていれば当然、攻撃される。良い的にしかならない。ならば近づいた方がいい。

 狙いが定まらないように。

 

「……くっ」

 

 左右に動かれては的が絞れない。

 揺さぶりをかけながらも猫が詰め寄ってくる。直ぐ目の前。咄嗟に腕を立てて蹴りを防ぐ。

 

「ぎっ……グ」

 

 ミシミシと骨まで響く衝撃。

 呻き声を上げながらも紅葉は耐える。確かにパトロンは予測地点を教えてくれている。武器も貰っている。

 これで取り逃がすのであれば紅葉の失態だ。

 

「……ふっ……うっ」

 

 どうする。

 

「お前……女か」

「…………」

 

 猫の確認に対し荒れる息を無理矢理に殺す。

 

「いや、怪人に雄雌があっても大差ないけどな」


 怪人に見えるならば当然か。


「…………」

 

 どっちが怪人なんだか。

 紅葉は眉間に皺を寄せて内心で吐き捨てる。この男の攻撃を避けることは紅葉には出来ない。機敏さでは猫に軍配が上がる。

 攻撃を受ける事を前提としたカウンターが最も望ましい。

 

「…………」

 

 カチャリ。

 遠距離用スタンガンを再度構える。当てる事ができると言う認識はない。誘い込む為の一手だ。

 

「変わらないな」


 何が。

 紅葉はそう吐きたくなるのを堪えた。


「怪人はいつも同じだ。命乞いに、同じ手段」

 

 言葉に腹が立つ。

 同じなのはお前らだと叫び立てたくなる。だが、紅葉は下唇を噛み締め必死に感情を押し殺す。

 

「下衆なんだよ。命乞いをして、背中から襲うつもりなんだろ? 分かってる」

 

 この正義感が嫌いだ。

 決めつけだ。お前の思い込みだ。

 紅葉には許せない。

 どの道彼らには潔癖じみた正義感があり、少しの悪も汚れに見えてくるのだ。

 だから、紅葉の家族は殺された。

 

「ほら」

 

 目の前に猫がいる。声に似合わない可愛らしい顔が直ぐ近くにある。

 次に腹に衝撃が走る。

 

「うっ……!」

 

 ここで痛みに蹲ってはならない。必死に込み上げてくる物に耐え、左手に持っていたスタンガンを猫の太腿に押し当て電気を流す。

 

「ゲホッ、ゲホッ……」

 

 咳き込み、猫が気絶したのを確認して蹲る。

 

「──黙れよ、人殺し」

 

 彼女の目尻には涙が浮かんでいた。

 痛みが引くまで約二分。漸く立ち上がり鯉の覆面と猫の覆面を剥ぎ取り写真に収め、来た道を戻って猿の中身を撮る。

 

「誰にしようか……」

 

 縄を用意して連れて行く誰かを選ぶ。

 違いなど分からない。誰が何を知っているのかも。適当に一番苦労させられたからと猫を選び、縛り付ける。

 一人分の縄しかない。

 三人も連れて行くつもりなどない。

 

「クソ……重いぃ……」

 

 運ぶのは結局、彼女自身の力なのだから。

 縄を引きながら人目につかぬようにズルズルと歩き回り、使われていない場所に。


「目を覚ませ」


 廃墟。

 とするのが正しい場所だ。人気はない。周囲にも、今いる建物の中にも。


「……う、ぐっ」


 仮面を剥ぎ取られた猫の男が目を覚ます。


「さあ、キリキリ話してもらうよ」


 柱に括り付けた彼の前で紅葉はパーカーのポケットに手を突っ込んで立っている。


「……お前。はっ、誰が話すか」


 悪には屈しない。

 などと自信ありげに語ってみせる。どうにも正義に酔って状況を正しく認識出来ていないのだと紅葉は判断する。


「さっさと話せよ。死にたくないだろ」


 全力で彼の精巣のある位置を蹴りつける。


「──〜〜っっっ!!!!」


 声にならない悲鳴が上がった。

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④怪人症候群 ヘイ @Hei767

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