第24話 友の帰還


「お勉強の復習をしよう。」


 そう呟いて、海沿いのベンチの上にちょこんと腰かける。

 海沿い、と行っても、ここはその海面からは数十メートル高い崖の上であるから、海に触れることは叶わないけれど。

 もしも空から見ることが出来るとすれば、きっと僕のいる位置は、手を伸ばせば海に触れられるかのように見えるはずだから、「海沿い」って言うのは間違ってない、と思う。


 まあ、そんな事はどうでもいい


 僕は、これまで教わった、色々な知識を頭に巡らせた。



『呪われた島』

 このアトエクリフ島を、大陸の人間はそう呼んでいるらしい。


 そう教わった。誰からって? 優しき我がご主人様からに決まっている。


 そして、ここには大きく分けて二つの領地が存在している。

 ロチェスター伯爵領と、フィルモア伯爵領である。


 人間をいとも簡単に死に至らしめる死の花、『ロチェスト』を管理するロチェスターと、そのロチェストの解毒の効果を持つ純白の聖なる花『フィルマ』を管理するフィルモア。

 その内容を一聞すれば、その二つは対立構図の様に見えるが、その二つの花は、一つでは毒薬と解毒剤でしかないが、合わされば無限のいろを生み出す神秘の染料となるため、正にその花のように、ロチェスターもフィルモアも、長い協力関係を築いてきた、のだという。


 そう教わった。誰からって? 麗しき我がご主人様からに決まっている。


 そして、先ほど「大きく分けて二つの領地」と言ったが、実は細かく分ければもう二つの領地が存在している。


 それが、ブラッドバーン男爵領と、クローデット子爵領である。

 とは言っても、そんな大層なものは無い。


 ブラッドバーン男爵は、ロチェスター伯爵領の最北端に位置する僅かな森林地帯を指す。村も無い、人も住まないその土地にあるものはたった一つだった。


 その美しさから、見たものを幻覚と死に誘う紅い絨毯。

 ロチェストの花畑である。


(まあ、実際には幻覚作用のある毒の花粉を吸いこんで、死に至る訳なんだけどね。)


 僕はそう思った。

 何故って?


 そう教わったから。

 ちなみに、前述の美しい形容は、僕が思いついたものではない。

 教えてくれた主がそう言ってたから、暗記しただけである。


 一方、クローデット子爵領は、フィルモア伯爵領の南端に位置する、崖の海岸地帯を指す。

 夕日の美しい景色と、質素ではあるが立派なお屋敷、そして、白い聖なる花の花畑。それしか存在しない、小さな領地だった。


訪れる者がいるとすれば、花の扱いの免許を持った業者と、たまに伯爵の使いが来るくらいだ。


(暇だな……。)


 僕は目の前に広がる美しい白い花畑をぼんやり眺めながらそう思った。


 やることと言えば、主であるレーリア・クローデット子爵様から教わった知識を頭の中で反芻して、忘れないようにすることくらいだ。


 以前、伯爵がこの屋敷に尋ねて来た時に、「せいじてきな話」とか言うのをお二人でしていて、あまりにチンプンカンプンだった僕は、少しでもレーリア様のお役に立てるように、と、「おべんきょう」を申し出たのだった。


 レーリア様の使い魔にして貰うまでは、島の名前も、花の事も何も知らなかった。それを思えばすごい進歩である。

 まあ、野良犬だったからね。


 今ではこうして、この島の成り立ちをざっくり話せるくらいにはなった。

 それもこれも、我が主、レーリア様の教え方が上手いからだろう。


 レーリア様はとてもお優しい。

 レーリア様に拾われて以来、野たれ死ぬだけだった僕が、ヴァンパイアの血を得て、喋れる、二本足で立てる、こんな立派な体にして貰った。

 あれ以来、このフィオの命はレーリア様の為だけにある。そう誓った。


 まあ、だからこそ、「おべんきょう」とやらを申し出たわけだ。


 そう言えば、そんな僕に、数週間前、初めて同胞が出来た。

 人間の言葉で言えば、「トモダチ」とか言うんだっけ。

 若い人間の男で、「ゔぁんぱいあはんたぁ」とかいう仕事をしているらしい。「はんたぁ」って意味が良く分からなかったけど、レーリア様に訊いても、クスっと笑うだけで教えてくれなかった。まあ、「トモダチ」、みたいなもんだろう。だって、あいつとレーリア様、とても仲良しだからさ。


 あいつが来てから、レーリア様は少し明るくなった。

 良く笑うようになった。


 レーリア様はいつも悲しそうに、海岸か、屋敷の窓辺から、沈む夕日を眺めていた。

 前に、「どうして夕日をいつも見ているんですか?」って聞いたら、レーリア様は「夕日を見れば、思い出に背を向けられるからよ」って言った。

 僕にはその意味は分からなかった。


 でも、あいつに訊いたんだ。どういう意味かなって。

 そしたらあいつ、「そうか……」って悲しそうな顔をしたんだ。

 まるでレーリア様と同じような顔を。


 その時の僕には分からなかった。


 でも、あの事件が起きた。

 アルクアード男爵とレーリア様の「ブラッドバーン」。

 あっちの使い魔のクソ猫に怒鳴られたから、って訳じゃないけど、あの後、レーリア様から教わった。


 それは、今まで「教わったこと」とは、まるで違う「教わったこと」だった。


 どうしてレーリア様がここに来たのか。

 どうしてレーリア様はここにいるのか。

 どうして僕がここに居るのか。


 そんな色んな「こと」を教わった。


 今ならわかる。


 夕日はアルクアード男爵領とは逆の方角の空に輝いているのだ、と。


「はぁ……。」


 そこまで考えてため息をついた。


 なんか最近は、僕も暗い表情を浮かべることが多い気がする。


 毎日、こんな大変な、いろんな「こと」を頭の中で考えて、巡らせているなんて。それがこんなにももやもやするなんて考えもしなかった。そう思うと、人間ってのも難儀なものなんだな、と思ってしまう。


 ふと、屋敷の方を振りかえる。

 海岸が最も良く見えるあの窓。

 そこにいつもいるはずのレーリア様の姿は無かった。


 いや、「いつもいた」と言った方が正しいかもしれない。

 あの日以来、レーリア様が外を臨む、その窓の場所が変わったのを僕は知っていた。


 夕日を右頬に受ける、廊下の途中の窓。

 レーリア様はそこにいつもいる。

 あの日以来。

 戻ると約束したあいつと別れて以来。

 レーリア様はずっと眺めていた。


 いや、違う。待っているんだ。

 あいつが戻ってくるのを。

 この屋敷に続く、街道を見つめながら。



(くそ、早く帰って来いよ、カーティス! いつまでレーリア様を待たせる気だ!)


 この数日、何度も何度も頭の中でついた悪態を、今日も変わらずに思い浮かべた。

でも、きっと大丈夫。あいつは約束を破るような奴じゃない。確証は無いけど、きっとそんな気がした。


(もしかしたら今まさにここに向かっていて、もうあの道の向こうまで着ているのかも……。)


 そう思い何度も街道の先に目を凝らして、落胆する。そんな日課にも飽きようとしていた。


 が、今日は違った。


 何か見える。


(あれは……土煙? 馬車じゃない、馬だ。恐らく、一頭か二頭くらいか?)


 僕は立ち上がり、屋敷に向かって走り出した。いや、走り出そうとした。

その時。

 屋敷の二階から、何かが飛び出した。


 深紅のドレスをはためかせて、それは華麗に地面に着地した。


 そうか、レーリア様の方が先に気づくはずだよな。


 至極当たり前であった。

 ずっと見ていたんだから。


「レーリア様!」


 慌てて主の元に駆け寄る。


「フィオ! 怪我をしているわ。急いで、玄関ホールに包帯と治療具を!」

「え? は、はい!」


 一瞬何のことか分からなかったが、僕は反射的に走り出していた。

 レーリア様が飛び降りるくらいだから、カーティスが戻って来たのは間違いない。そして怪我をしているのはカーティスなのだろう。


 走り出した数秒後にはそれくらいの理解が追い付くことは出来た。




「カーティス! マックス、一体何があったの!?」


 包帯と、治療具一式を持って戻ると、レーリア様がそう男に詰め寄っていた。

見たことのない男だ。

 でも、マックスって名前は聞き覚えがある。レーリア様から教わった話の中に度々出てきていた。

 確か、昔の同胞、じゃなかった、トモダチ、だったはずだ。


「いや、レイミュの村までは馬車だったんだがな、そっから馬で飛ばしてきてよ、傷が開いちまった。なに、命に別状はねえ、多分な。」


 マックスって男がそう答える、が、これは流石に僕でも分かった。

 聞いているのはそう言う事じゃない。と。


 しかし、レーリア様が口を開くより先に、玄関ホールで横たわったカーティスが、苦しそうに口を開いた。


「レーリア様……男爵と、シャロンが……危ない。アリスとウォーレンが、二人を……。」

「落ち着いて、カーティス。ゆっくりとお話しなさい。」

「あいつらの……目的は……。俺の姉さんも、あいつらに……頼む。」



 そうして。

 暫く、耳をカーティスに近づけていたレーリア様は、話を聞き終えると、ゆっくりとカーティスを床に横たえた。そして、少しの間その表情を見ていたレーリア様が、拳を強く握った。


 そして、僕は、初めて、レーリア様のその表情を見た。


(……怒っている。)


 その赤い瞳は、より一層激しく深い赤色にきらめいていた。


「マックス、馬を借りるわね。」


 レーリア様は、カーティスに視線を落としたまま、淡々とした口調でそう言った。


「乗れんのかい?」

「こっちに来てから、伯爵に教わったわ。そこのフィオもね。」


 急に名前を呼ばれて、反射的に少し「気を付け」をしてしまった。


「そうか。早駆け用の馬だからな、気を付けて乗れよ。あ、後、流石に少し休ませてやってくれ。」

「ええ、こちらも準備があるから。その間に、お水と餌をあげましょう。」

「ああ、そうしてやってくれ。」


 じゃあ、馬のお水と餌を用意するのは僕の仕事だな。そう思って歩き出そうとしたが、止めた。カーティスをここに転がしておくのは、流石にトモダチとしては無しなんじゃないだろうか。


「フィオ、お馬さんのお世話をお願い。」

「はい、分かりました!」


 ほらね、僕の仕事だって言ったでしょ。僕は、前言を翻したことも忘れて、屋敷の外に走っていった。


 それにしても、カーティスが来てくれて良かった。心からそう思った。


 人間は簡単に死ぬ。誰が待っていても、誰が想っていても。僕は、ずっとずっと見て来た。愛すべき僕の主人、レーリア様はずっとずっといつも、誰かを、何かを待っていた。そして、誰も来なかった。

 でも、カーティスは、俺の初めてのトモダチは、約束を守って、怪我をしながらでも、無事に帰還した。

 そう、僕の中で、あいつは、人類で一番信用できる人間に、僕の中で勝手に決定したのだった。



******



「なるほど、やはり、そうだったのね。」


 マックスからの話を聞いて、私はそう思った。

 人間がヴァンパイアを追い求めるとすれば、それは、『探求の為』か、あるいは、『ヴァンパイアになる為』しかない。カーティスの仲間たちは、カーティスを騙して、利用して、最終的にヴァンパイアになろうと画策したのだ。


「愚かな。そんな事出来る訳ないのに。」


 しかし、そいつらが実際どこまで情報を知っているのかは分からない。最悪、ブラッドバーンでアルクアードを滅ぼして、大陸に逃げられる可能性も無いわけでは無い。かといって、ヴァンパイアである私がおいそれと向かっても、危険が増すばかりであった。

 しかし、行かないわけにはいかなかった。

 彼が、カーティスが私に託したのだから。仲間の娘の事を。アルクアードの事を。

彼は、約束を守って、ここに戻って来た。

 私には、私を頼った彼の望みを叶える。それ以外の選択肢は無かった。



「レーリア様、準備出来ました。」


 暫くして、フィオが報告に戻って来た。

 別に信用していないわけじゃないが、念のため、中身を調べてみる。うん、問題ない。全て揃っている。


「ありがとう、フィオ。では行きましょう。マックス、この屋敷にあるものは、何を使っても構わないわ。戻るまで、カーティスをお願い。」


 私はマックスにそう言い残して、扉に向かった。


「ああ任せとけ。時間は経ったが、変わっていないようで安心したよ。レーリアちゃんはレーリアちゃんだな。」


 背中に投げかけられた、ロチェスター領時代の旧友の言葉に、少し懐かしさと嬉しさを覚えつつ、私は、彼の言葉を否定した。


「いいえ、変わったわ。成長したの、私。」


 私のその言葉を聞いて、きっと彼はニヒルな笑いを浮かべているに違いない。そう思ったけど、私はそれを確認することなく、屋敷を後にした。




(つづく)

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宿命のブラッドバーン 稲妻仔猫 @youayase

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