第15話 シャロンの心とアルクアード①

「待って! まだ負けてない! もう一勝負よ、アルクアード!」


 逃げ出すように、というか、実際に逃げ出して、二階の遊戯室から脱出した私に向かって、背中に怒号が投げかけられた。


「もう良いだろう。何度やっても同じことだ。朝から、私の十連勝じゃないか。」


 ひとまず階下にあるロビーに避難し、ソファに腰かけた私は、まだ見えない、二階の声の主に向かって声を掛ける。しばらくして、コツコツと言うヒールが床を叩く音と共に、その姿の主、シャロン・ハートフィールドが、チェス盤とチェスの駒が入った革袋を両手に、姿を現した。




 ――ひとまず、この状況に至るまでに何があったかを話すことにしよう。


 先日、シャロン・ハートフィールドが、彼女の仲間、確かカーティスと言ったか。彼と共にこの屋敷を後にした翌日。シャロンは再び、この場所に姿を現した。確かにまた来ても良い、とは言ったが、まさか翌日に来るとは思わなかった。まあ、そういう性分の娘であることは、先刻承知であったが。

 しかし、彼女が屋敷に来るなり言った言葉は、流石の私でも予想出来ない、驚愕の発言だった。


「アルクアード、私にチェスを教えて。どうせ暇なんでしょ?」


 当然、暇だった。

 しかし、私が驚愕したのは、それを見破られたからでは無い。

 仮にもヴァンパイアハンターを名乗る少女が、ヴァンパイアの屋敷に乗り込んできて、チェスを教えろとお願いしているのだ。もはや乱心としか思えない。


「う、うん。別に構わんが……。」


 こうして、私はシャロンに、チェスのルールを教える事になった。

 しかし、昼食前だったこともあり、ひとまず共に食事を済ませ、それから講義に移るため、遊戯室へと移動した。


 まずは駒の動かし方を教える。

 「兵士」は前に一歩、「戦車」は十字、「僧侶」は斜め、といった具合だ。大体初心者は「騎士」の動きで躓くが、私の教え方が良いのか、「上下左右前に二歩進んで、左右どちらでも一歩進む」で、一発で理解してくれた。

 問題はここからだった。


「兵士は初期位置からだけは二歩進めるんだ。」

「なんで?」


 いや、なんで、と言われても。ルールだから。

 しかし、彼女は「ルールだから」と言っても、きっと納得しないだろう。私はとっさにそれらしい理由を考えた。


「きっと、初めに考案されたときは、一歩だったんだと思うがな。このゲームは、マスも駒も少ない。序盤は、どうしても同じような動きになってしまう。それで、少しでも複雑な戦略が打てるように、こうなったわけだ。」

「ふうん、なるほど。確かに、そういうもんかも知れないわね。」


 我ながら惚れ惚れする説明である。ちなみに、これが本当かどうかは知らん。


「そして、兵士は、斜め前の相手しか倒せないんだ。」

「なんで?」


 いや、なんで、と言われても。ルールだから。

 しかし、彼女は「ルールだから」と言われてもきっと納得しないだろう。私はとっさにそれらしい理由を考えた。


「きっと、初めに考案されたときは、正面の敵を倒す駒だったんだと思う。このゲームは、マスも駒も少ない。だからどうしても似たような戦略になってしまう。それで、少しでも複雑な戦略が打てるように、こうなったわけだ。」

「ふうん、なるほど。確かに、そういうもんかも知れないわね。」


 凄い既視感。というか、完全に同じやり取りをしているぞ。

 しかし、私の適当な答えにシャロンは怒るかと思ったが、その表情は自分が同じ答えをしたことにすら気づいていないかのように、真剣な表情をしていた。


 シャロンが、一瞬間が生じた私の方を振り返った。当然のように目が合う。


「……なによ。」

「いや、真剣だな、と思ってな。今の答えで納得したのかい?」

「だって、確かに、兵士が一歩だけ、正面だけ、だったら、弱すぎるじゃない。直ぐに盤面から全部居なくなっちゃうだろうなって。」

「……ああ、そうだな。」


 的確な意見だった。実はこの娘は、かなり頭が切れるのかもしれない。

 そう思ったが、それよりも、この娘は、酔狂や冗談ではなく、本気で真摯にこのゲームに取り組もうとしていた。私にはなぜかそれが嬉しかった。別に、趣味が合う相手を見つけた喜び、などではない。われた事とはいえ、私が教えている事にこの上なく凛々しい瞳で、真剣に取り組んでくれている。それは私の人生で、初めての経験だった。


「よし、じゃあ、実際に駒を並べて、動かしながら教えよう。」


 そして初日は、みっちりチェスの特訓で時間が過ぎてしまった。


 ルールを覚えたシャロンは、翌日も一人、チェスの特訓に明け暮れた。


 大陸に帰って、競技のプロにでもなるつもりなのだろうか。

 一応、大陸では、王国主催や、公爵家主催、他には道具を作っているディアラ商会主催の大会などが催されている。しかし、どれも、貴族か大商人クラスでないと参加は出来ない。どんなにシャロンが強くなったところで、その力を発揮する機会は無さそうであった。


 まあ、おためごかしにそんな感想を抱いてはみたが、実際の所、理由は分かっている。

 シャロンは、私に勝って、ヴァンパイアの秘密を聞き出すつもりなのだ。

 ファリスに任せておけば時間の問題だとは思うのだが、今、ファリスは少し忙しく、ここに来られるのは、来週の墓参り、その前日あたりが関の山だった。


 そして、居ても立っても居られなくなり、焦って、彼女が取った行動がこれだったのだろう。出会ってまだ間もない彼女ではあったが、真っ直ぐな彼女らしい、思考だった。


(まあ、猪突猛進なだけ、と言うのもあるが。)


 思わず笑みがこぼれてしまう。しかし、彼女の、学ぶときにあの眼差しは、一点の曇りもないほど真剣だった。


 私は少し、心配になった。

 彼女はあの瞳で、追いかけて来たのだ。追いかけているのだ。

 殺された両親の仇を取るために。

 「ヴァンパイアの殺人鬼」を。


 そんなものが存在していれば、の話だが。


 私の足は、自然と、シャロンが滞在している客間へと向かっていた。今日は、もう日も傾き始めるというのに、彼女は一向に部屋から出る気配がなかった。


 コンコン。

 ノックをする。

 どうぞ、と声がして、私は扉を開けた。


 ランプの灯りをもとに、一人盤面と睨めっこをしているシャロンがそこにはいた。


「やあ。」

「アルクアード、どうかしたの?」


 初対面の時の、銃を乱射した鬼の形相はどこへやら。まるで親しい友人に接するかのように、シャロンは優しく微笑んだ。

 ただでさえ美しいそのくっきりとした目鼻立ちが構成したその笑顔は、まるで花が咲いたように見えた。


「いやなに、あまり根を詰めすぎると良くないぞ。」

「……だって。」


 心配を口にした私に、シャロンは口ごもった。シャロンの言いたいことは分かっている。ヴァンパイアの秘密を聞き出したいのだろう。


「君に聞いても良いかな?」

「ええ。」

「ファリスに任せておけばヴァンパイアの秘密を明かすなど時間の問題だ。そんなに急ぐ事なのかい?」


 素直な疑問を口にした。別段、彼女がチェスを覚えても、覚えなくても、僅か数日、長くても数週間早まるだけの話だ。しかも、こう言っては何だが、素人のシャロンが私に勝つ可能性は限りなく低い。彼女の努力に費やす時間には見合わないだろう。


「確かに、ファリスに任せておけば、きっと、あなたの秘密は教えて貰えるんでしょうね。」


 シャロンは真っ直ぐに私を見据えて言った。


「でも、それは嫌なの。私は自分の意志で、自分の力でここまで来た。勿論、カーティスやウォーレンや、アリスに助けてもらったことも多かったけれど。でも、自分の足でここまで来たの。ヴァンパイアの秘密を知るための条件が、あなたをチェスで負かすことが条件だって言うなら、私もそれに挑むべきよ。」

「ルールも知らないのにかい?」

「今はもう知っているわ。」


 そう。

 シャロン・ハートフィールドという娘は、そういう娘だった。


 彼女の放つ一言一言が、私の、一度は閉ざした、心の開かずの扉をこじ開けようとしているようだった。

 何故、真っ直ぐな女性ひとの言葉は、かくも、凛々しく、雄々しく、そして美しく、男の瞳に映るのだろうか。


 私は、焦っている、などと彼女の心を形容したことを恥じた。

 いや寧ろ、彼女の意志に応えるためにも、ファリスとシャロンの勝負は別にした方が良いのかもしれない。


「そうか。では、ファリスが勝っても、君が勝つまで、秘密は明かさない方が良いかな?」

「はあ? なんでそうなるのよ。きっちりおこぼれを頂くに決まっているじゃない。」


 おっと、予想外の答えである。


「いや、矛盾しているぞ。私に勝つのが条件なら、君が勝つまでやるのではないのか?」

「勝つ、なんて言ってないわ。挑むべき、って言ったのよ。私の気持ちの問題。大体、何百年もやって来たあなたに、一日二日でルールを覚えたような私が勝つなんてありえないでしょ。」


 ごもっともである。それにしてもしたたかかと言うか何と言うか。


「でも、気持ちの問題だからこそ、本気で挑みたいの。負けても、届かなくても、自分の力で手を伸ばした、って思いたいから。結局、横から出て来た最強の伯爵が倒しちゃうだろうけど、それはあくまでも結果よ。」

「言わせてもらうとするならば、横から出て来たのは君の方だと思うがね。」

「あはは、痛いとこ突くわね。」


 シャロンは、また、花が開くように笑った。本当は止めるために来たのだが、こうと決めたら、きっと彼女はてこでも動かないだろう。結局私は、最低限の心配だけを伝えて、その場を去ることにした。


「シャロン。正式な勝負はいつでも、何度でも受けよう。しかし、何事も根を詰めすぎるのも良くない。少しは気分転換も大事だ。まあ、邪魔をするつもりはないので、何かあったら遠慮なく言ってくれ。ではな。」


 そう言って私はシャロンの部屋を去ろうとした。すると、意外にも彼女に「待って」と呼び止められた。


「気分……転換か。そうね。」

「何か、要望が見つかったかい?」


 そう聞き返した私に、シャロンはどこか言いにくそうに、私に応えた。


「あの、その、メルに、お願いがあるんだけど。」




――それから。


 私はメルを彼女のもとにやり、一人、部屋でくつろいだ。こういう時に、いつも思い浮かべてしまうのは、初代ロチェスター伯爵のアーサーから、前伯爵ローガンまでの歴代の思い出、そして、私がただ一人愛したあの女性ひとの事だ。

 しかし、今日は意外にも、そうでは無かった。私が思いを馳せていたのは、客間で唸っていたあの金髪の美少女の事であった。


 正直今まで出会ったことのないような人間だった。

 両親を殺され、それまで持ったことの無いような銃やナイフを片手に、仲間たちといつ終わるとも分からない旅を続けて来た少女。突然、安定した生活も、家族との幸せな時間も奪われ、自分の力だけで生きて来た彼女。きっと、辛く苦しい事の方が多かったはずだ。でも、彼女は今も、こうして、いつでも強くあろうとしていた。


 そして、その強さは、あの人と似ていた。

 まあ、口調や行動など、表に出てくるものは全く違ったが。


 認めざるを得ない。

 私は、彼女に興味を持っていた、のかも知れない。


「ふん。馬鹿馬鹿しい。たまの客人が珍しいだけさ。」


 私はそう自分に言い聞かせた。

 あの時、もう決めたのだから。ロチェスター伯爵以外の人間とは、極力関わらないと。


「ご主人様。お食事の準備が整いました。」


 扉越しに声が聞こえた。どうやらメルが呼びに来たらしい。もうそんな時間か。シャロンの部屋を出てから、かれこれ4時間近くが経っていた。随分と考え事に没頭してしまっていたようだ。


「ああ、わかった、すぐに行く。」


 私はぼんやりする頭を叩き起こし、食堂へと向かった。


 

 食堂の扉を開けると、そこには、驚くべき人影があった。


「男爵様。本日も、晩餐、ご一緒させて頂きますわ。」


 食堂につくや否や、そう挨拶してくる女性。髪の色に合わせたかのような鮮やかな黄色のドレスを身に纏い、その髪には逆に映えるように、銀と緑の髪飾りをきらめかせた美しい姫が、そこにはいた。


「おお。」


思わず感嘆の声が漏れた。

私のその声を聞き洩らさなかった、地獄耳の使い魔が、私に耳打ちしてくる。


「おお、って言いましたね、おお、って。」

「なるほど、メルに頼み、と言ってたのはこれか。」


 私は横に居るニヤニヤした猫娘を無視して、その姫、いや、着飾っていたシャロンに問いかけた。


「う、うん。どうかな。」

「ああ、とても似合っているよ。前回のあの時も思ったが、素晴らしい器量だ。」

「あ、ありがと。」


 まさか、初めて会ったときはあれほど嫌がっていた彼女が、自ら進んでドレスアップを申し出るとは思わなかった。しかし、まあ、彼女も女の子である。彼女の人生を変えてしまった不幸な事件さえなければ、きっと、お姫様を夢見る一人の少女だったはずだ。その大昔に捨ててしまったささやかな憧れを体験してみるというのも、きっといい気分転換になったのだろう。


「あ、ありがと。ではないぞ、シャロン。貴族の令嬢なら『お褒めのお言葉、感謝いたしますわ、男爵』だ。」


 ニヤリと笑う私に、一瞬、ピクッと血管を浮き立たせたシャロンだったが、その姿で怒っては、負けだと察したのだろう。直ぐに、笑顔を張り付かせて、私の言葉を復唱した。


「これは失敬。お褒めのお言葉、感謝いたしますわ、男爵。」


一瞬の沈黙、そして私たちは顔を見合わせた後。


「あっはっはっは。」


何故か二人で笑ってしまった。


 それからの食事はとても楽しいものだった。

 メルは、シャロンに作法を教えたり、汚れないように気を使ったりといろいろ世話を焼いていた。同性の友達が出来たようでとても楽しそうだった。表現が一見逆な気もするが、シャロンも随分とメルに懐いている様だった。

 私はそんなメルの様子を見て、シャロンに感謝をした。思えばメルも、今では人の言葉を介する女の子である。私が失念していたのではあったが、思えばメルにもそういう楽しみがあっても良いはずだった。


 そして、その晩餐の後、食後のお茶を嗜んでいた時の事だ。

 改まって、シャロンから、正式に挑戦を申し込まれたのだった。


「男爵。明日、私と勝負してくださいませ。今の私なら、あなたにも負ける気がしませんの。」


 剣豪の父に育てられた、勝気な貴族の一人娘。そんな雰囲気さえ漂わせた、彼女のその真っ直ぐな瞳に、私は少し気圧された。

 もしかしたら、これはきっと、なかなか苦戦するかもしれないな。

 そんな事を思いながら、私は、彼女の挑戦を快く承諾したのだった。



 ――そして……翌日。



「くっ。もう一回。」


 ああ、ひとまず、訂正はしておこう。

 全く持って勝負にならなかった。

 苦戦の「く」の字も無かった。

 そりゃそうだ。昨日、シャロン自身が言っていたように、数百年も伯爵と勝負をして来た私と、数日前にルールを覚えたばかりの娘っ子とでは、雲泥の差があった。


「『今の私なら、あなたに負ける気がしませんの』では無かったのか?」


 初めのうちはそんな軽口を叩いていた私も、彼女の「もう一回」が十回目に達した時には、乾いた笑いしか出なかった。


(まさか、私に忍耐の限界が来て降参するまでやる気では無かろうな!?)


 その悪魔的、逆転の発想が脳裏によぎった瞬間、逃げ出してしまった、と言う訳だった。




――こうして、話は今に戻る。

 

 二階の踊り場から、チェス盤と駒を持ったシャロンが身を乗り出した。


「何度でも受けて立つって言ったのはあなたじゃない、アルクアード!」


 そう私を非難しながらも、その勢いとは裏腹に、ゆっくりと慎重に階段を降り始めるシャロン。今日も、昨日とは違う白のドレスをメルに着させてもらっていた。慣れないヒールの感触を一歩ずつ確かめながら、たどたどしく降っていたが、流石に両手が塞がっている姫の階段下りを放っておくわけにもいくまい。私はシャロンにその場で止まるように言い、先に荷物を受け取り下に降ろした。そして、再び彼女の元まで駆け寄り、階下までエスコートした。


 仕方なくソファまで彼女を連れて行き、そこに腰を落ち着かせた。


「くそぅ、何度でも受けて立つって言ったのに。」


 口をとんがらせて、文句をぶー垂れる、絶世の美しさを誇る姫君。表情と恰好がここまで合っていないのはある意味面白い。


「このままでは、私が疲れて降参してしまうよ。それに、そもそも君が勝ったら、ヴァンパイアの秘密を話すわけだろう? 私が勝っても君が何も賭けていないのだから、私にメリットがないじゃないか。」


 隙のない完璧な正論を放ったつもりだったが、シャロンは間髪入れずに、それを跳ね返してきた。


「『はっはっは。勝つと分かっている勝負に何かを貰うのは忍びないなあ』と言ったのはあなたよ、アルクアード。」


 うん、確かに、一回目の勝負が始まる時に、そんなことを口走ってしまったような気がする。これは墓穴を掘った。保険で「10回勝ったら魂を貰う」とでも言えばよかっただろうか。勿論、そんなもの要らないし、そもそも魂なんて取り出し方も分からんが。


「こんなに永遠と挑まれると知ってたら、そんな約束はしなかったさ。」

「あら、あなたは勝負の回数が増えたら、何かを要求するような人だったの?」


 綺麗に反論してくる。やはり、この娘はかなり頭が切れるのではないだろうか。

 共に旅をして来た仲間に、こういうところを学んだのか、それとも着飾っているがゆえに、学を学んだ貴族の令嬢の力まで宿ってしまったのか定かではないが、どこでこんな口論を学んだのだろう。


 しかし……。


「いや、無限に挑まれると知っていたら、そもそも『何度でも受ける』と言わなかった。」

「ぐっ……。」


 これで詰みである。

 チェスも、であるが、口論での論戦勝負も私はとても好きだった。これも歴代の伯爵達と培ってきた技術の一つである。まあ、ローガンにはいつも言い負かされてばかりだったが。

 それにしても、姫君が、そんな腹を殴られたようなくぐもった声を出さないで欲しいものである。


「……こうなったら、仕方ないわね。」


 すると、シャロンが低い声を出した。そして、左手で拳を握り、自身の顔の前に持って来る。


 なんだ、何かの技でも繰り出すつもりなのだろうか。物理的な攻撃はヴァンパイアである私には通用しないことはもう知っているはずであるが。


 続いて彼女は、右手で、その左手の拳を包むこむ。そしてそれを自分の額に移動させ、シャロンは目を瞑った。


「お願いします。男爵様。もう一回、もう一回だけ。お願い!」

「……え、と。」


 いやいやいや。

 仮にも自称「ヴァンパイアハンター」だろう。それが、目の前のヴァンパイアに対して、祈りを掲げる姿勢になり懇願するなど、あってよいものだろうか。


「おい、シャロン。」

「お願いします、あと一回。」

「……いや、あの。」

「おねしゃす。」

「……。」

「しゃす。」


 気のせいか、頼み方が徐々に雑になってきている気もしたが、プライドをかなぐり捨てて、ここまでの行動を取ったのだ。その覚悟には応えてやらなければなるまい。というか、勝負に応じなかったら、後が怖そうだった。


「分かった。じゃあ、最後の一回だ。それでも良いな?」

「……ええ。」


 シャロンはしぶしぶ了承した。何故かしぶしぶなのが気にかかったが、永遠に勝負を挑めると思っていた矢先にあと一回にされてしまったのだから、気持ちは分からなくも無かった。まあ、約束を守らない娘ではないだろうからそこはあまり心配していないが。

 しかし一応、なし崩しに、無限に勝負を挑めない様に、保険を掛けさせてもらう事にした。


「そうだ、最後の一戦は私も賭けの景品を設定させてもらうぞ。」

「え?」


 一瞬、不安そうな顔をするシャロン。それはそうだろう。これまでの戦績を考えれば、その景品はほぼ確実に彼女が支払うのだから。正直何も考えてはいなかったが、流石に「何でも一つ言うことを聞け」などとは言えない。


「そうだな……私が勝ったら、『何でも一つ、私の質問に答える』と言うのはどうだろう。」


 ここまで限定すれば、不安がることも無いだろう。

 案の定、私の言葉を聞いたシャロンは、少し安心したような表情を浮かべた。


「う、うん、まあ、質問に答えるくらいなら。」

「よし、では、最終戦だ。」


 こうして、私とシャロンの、景品は賭けたものの勝敗の見える勝負の火ぶたが、切って落とされたのであった。



(つづく)

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