第16話 シャロンの心とアルクアード②

 思えば、こんなに他人と話したのはいつぶりだろう。


 この数日、予期せぬ来客が訪れて以来、久しぶりにこのブラッドバーン男爵邸は活気にあふれていた。

 正直に言えば、それは、私が望んだことでは無かった。

 あの日、レーリアがここを去ったあの日に、私は誓ったのだ。


 もう、二度と、ロチェスター伯爵家以外の人間とは深く関わるまいと。


 始めに彼女を、シャロン・ハートフィールドを助けたのは、あれは成り行きで仕方のない事だった。怪我をして気絶した彼女を森に放置は出来まい。

 それがまさか、この屋敷に泊まり込み、チェスのルールを教え込むことになろうとは。


 もはや認めざるを得なかった。

 私は、少し、彼女を気に入っていた。

 真っ直ぐな瞳と、嘘のない性格。そして多少野蛮なところと、擦れた物言い。そんな彼女との会話は、気楽だったし、とても楽しかった。


 きっと、だからなのだろう。

 私が、彼女に「最終戦」と釘を刺したのは。

 

 疲れてしまうから、などと言ったが、本当は心のどこかで、私は恐れていたのかもしれない。

 彼女と過ごす時間を重ねすぎると、その時間がかけがえのないものになればなるほど、きっとまた不幸なことが起こるだろう。それはヴァンパイアの宿命なのだ。


 そして、私のそんな思惑をよそに、ヴァンパイアの秘密を探るべく、我がブラッドバーン男爵邸に再び訪れたその予期せぬ来客、シャロン・ハートフィールドとの最終戦が始まった。


「確認するが、君が勝ったら、私はヴァンパイアの秘密を話す。私が勝ったら、何でも一つ、私の質問に答える。いいね。」

「ええ、いいわ。」

「よし、ではどうぞ。」


 私はシャロンに先行を促し、シャロンは、「騎士」の前の「兵士」を一コマ進めた。


 時に少し考え、時に止まり、時に唸りながら、お互いに駒を動かしあう。

 しばし無言のまま、盤面を見つめ合っていたが、なぜか私は不意に口を開いていた。


「聞いても良いかな?」

「まだ負けてないわ。」

「世間話さ。だから答えたくなかったら、別に答えなくてもいい。」

「……ええ。」


 いくら何でもこんな序盤で、勝ちを確信して、勝利報酬を受け取ろうなんてしない。シャロンも流石に冗談だったようで、盤面を見つめたまま、承諾の相槌をした。


「その恰好、嫌がっていると思ったが、どうして自分から?」


 単純な興味だった。ドレスアップしたシャロンはとても美しかったが、初めて無理やり着替えさせられたときは、かなり嫌がっていたようだった。だから、再び訪れた今回は、そういう提案はしなかったのだが、今度はメルに頼んで自分から着替えると言った。口では気分転換とは言って居たが、恐らくそれは建前だろう。気分転換の方法など、他にもいくらでもある。

 しかし、女心など全く分からない私には、彼女の真意は掴み取れなかった。


「……やっぱり、似合わないかな。私みたいな貧乏な田舎娘。」

「生まれた土地や境遇で、人の器量は決まらないだろう。」

「それはそうだけど。」


 お互いに芯を捉えない返しをしてしまい、黙りこくってしまったので、私は、少しためらいながらも、正直な感想を口にした。


「とても似合っている。美しいよ。どこぞのお姫様にしか見えない。」

「う……ありがと。」


 分かり易く照れた。結構照れる頻度が多い娘である。


「着替えた理由、よね。だって、ここは男爵様のお家でしょ。あんな小汚い格好でいる方が場にそぐわないじゃない。それに、あなたが言った通り、私みたいな田舎娘にはなかなかこんな機会ないし、勿体ないじゃない。」

「そうか。ははは、勿体ない、か」

「なによ、そんなに可笑しい?」


 思わず笑ってしまった。馬鹿にしたわけでは無い。目の前の絶世の美姫の口から出て来た、所帯じみた言葉があまりにも不釣り合いだったためだ。


 お互い、表情に微笑みの残り香を携えながら、なんとなくの沈黙が訪れた。

 再び交互に駒を動かしあい、盤面に集中しかかったところで、今度はシャロンの方から口を開いた。


「ごめんなさい。」

「え?」


 突如、彼女の口から発せられた謝罪の言葉に、私は面食らった。


「出会ったとき、銃を乱射してしまって。」


 思えば数日前の出来事なのに、随分と昔の事のように感じる。

 それにしても、ヴァンパイアハンターがヴァンパイアに攻撃の謝罪をするなど、あっていい事なのだろうか。


 いや、逆か。


 ヴァンパイアハンターだからこそ、その肩書きが邪魔をして、本当は気にしていたのに、今まで謝れなかったのだろう。


「気にしなくていい。私には効かない。」

「そうじゃなくて。もしも効いてしまっていたら、あなたを殺していた。」


 乱暴者のように言っているが、本当は繊細で、心の優しい娘なのだ。それが良く分かる一言だった。

 しかし、彼女は気づいているのだろうか。先ほど私が心の中で指摘した通り、今のシャロンは矛盾してしまっている。シャロン・ハートフィールドの意志は、心は、今、どのようになっているのだろうか。


「ふふふ。」

「なに?」

「ヴァンパイアを殺すために来たのだろう? その君がおかしなことを言うのだな。」

「……そう、ね。おかしなことを言っている。」

「ああ。」


 私は、彼女の心を知りたくて、その矛盾を口に出して指摘した。


「あなたと出会って、こうして過ごしてみて、改めて思ったの。私は勝手に『ヴァンパイア』というもの、そのものに漠然と恨みを抱いていた。でも、あなたは私の追っているヴァンパイアじゃない。じゃあ、ヴァンパイアハンターとか名乗っていた私はなんなんだろうって。」

「存在意義が分からなくなった……と言うことかい?」

「存在意義……ってほどのものじゃないけど。随分と、盲目に旅してきたんだなって。」


 きっと彼女は、ヴァンパイアを見つけて倒せば、イコール仇討ちになると信じて疑わなかったのだろう。

 そしてようやくたどり着いたこの島で、初めて出会ったヴァンパイアが私だった。出会いこそ最悪だったが、今ではこうして友人として過ごしている。その時間が、楽しければ楽しいほど、安寧を感じれば感じるほど、今までの自分を否定してしまう。そんな気持ちなのだろう。


 しかし何故だろう。

 そんな彼女に、とても親近感を感じているのは。

 全く似ていない二人のはずなのに、近しいものを抱いているようなこの感覚は何なのだろう。

 私はそんなことを考えた。


「不思議だな。」

「え?」

「君と居ると落ち着くな……。」

「騒がしいって言ったり、落ち着くって言ったり、おかしな人ね。」


 思わず口にした私の言葉に対して、今度は、彼女が私の矛盾を指摘した。いや、正確には矛盾と言うほどのものではないが。なぜならばそれらの二つは、共存し得る感情だ。私は、ここ数日の彼女とのやり取りでそう感じていたのだから。


「そうだな、おかしなことを言っている。……本当は苦手でな、ロチェスター伯爵以外とはこうして過ごすことはほとんどないのだが。どうしてだろうな。」

「……それは、そうよ。あなたはきっと同じだから。」

「同じ?」


 シャロンの口から発せられた言葉に、私は驚いた。全く違う二人だと感じていたのは私だけだったのだろうか。この、得も言われぬ「切ない親近感」のような感情の意味を、彼女は知っているとでも言うのだろうか。


 私は視線を盤面からシャロンの目に移し、そしてその答えを待った。シャロンもその視線を感じで、一度、私と目を合わせたが、躊躇ちゅうちょするように再び視線を落とし、語りだした。


「気を悪くしたらごめんなさい。……紳士的で、明るくて、いつも飄々としていて。あなたはとても素敵な人よ。でも、あなたはどこか、何かに生かされている感じがする。ロチェスター伯との付き合いも、チェスの勝負も、まるで何かの義務のよう。まるで……幸せになることを放棄しているみたいに。」


 恐ろしい娘だった。そんなことまで分かってしまうのか。本当に、女性と言う生物は、何故ここまで、見抜いてしまうのだろう。


 ヴァンパイアの三つのルール「ヴァンパイアは人を殺さない」「ヴァンパイアは人には殺せない」「ヴァンパイアは増えない」。

 しかし、我々ヴァンパイアが滅ぶことのない存在かと言われれば、実はそうではない。これは、代々のロチェスター伯爵に、最後に伝える事になっている秘密なのだが、ヴァンパイアはとある、たった一つの方法においてのみ「滅ぶ」ことがある。

 そして、それこそが我々ヴァンパイアの「存在意義」なのだ。


 つまり、その時が来るまで、私は、生き続ける。それは、義務だった。ヴァンパイアとしての存在意義を果たすための。そして、初代ロチェスター伯爵との約束を守るための。


「……そう、見えるのか。」

「ええ……なんとなく分かるの。生きる理由を自分で見つけられない、私と……同じだから。」


「生きる、理由……。」


 私は、一瞬分からなくなってしまった。

 私には、生きる理由はある。

 代々のロチェスター伯爵との約束を果たす事。いつか来たる滅びの時まで。それが存在意義で、生きる理由ではないか。

 でも、それは、目の前の彼女にすれば、「生きる理由」には当たらない、と言う事らしかった。


 それでは、シャロンの言う「生きる理由」とは何なのだろう。

 私には、見当もつかなかった。


 その場に沈黙が訪れた。

 私の順番だというのに、チェス以外の事で考え込んでしまった私を気遣ってかどうかは分からないが、シャロンが砂時計を横に倒した。これは、一時中断、或いは休憩の時の動作だ。

 そしておもむろに立ち上がると、フロアの広いスペースで、くるりと回転し、ドレスの裾をひらりと広げて見せた。


「ふふ。変なの。」


 シャロンは自らの装いを、体を捻って見回してそう言った。


「……小さいころにね、良くお父さんとお母さんにおとぎ話を読んでもらった……。私はお姫様で、素敵なドレスを着て、いつか王子様に迎えに来てもらう。それが憧れだった。おかしいでしょ。」

「女の子はみんなそういうものではないのか?」

「両親が殺されて……独りになって、同じ目的を持つ仲間は出来たけど、ずっと殺伐としていて。そんな憧れも、夢も忘れていたのに。貴方をつけて入り込んだ森の奥の館、ここはまるでおとぎ話のようだった。伯爵様と男爵様と私がいて。私も、少しでもお姫様になれたらって。そんな気持ち、忘れていたのに……。」


 私は、そう口にした彼女を、ただただ茫然と見ていた。


 一瞬、時間ときが戻ったのかと錯覚した。

 それは、二度と戻ることのない、過去に過ごした幸せだった時間。


 何の含みも無い、他愛のない会話。幼いころに抱いた少女の夢。それは、あの時レーリアが言った言葉と同じだった。


「だから、ね。勿体ないって言ったのは、嘘。」


 そう言ってシャロンは、太陽のように私に笑いかけ、そして、ゆっくりと席に戻った。しかし、私は、茫然と彼女を見つめる事しか出来なかった。


「アルクアード?」

「あ、ああ、いや、すまない。」


 シャロンに覗き込まれて、私は我に返り、慌てて砂時計を立て直し、盤面に目を落とす。


「ごめんなさい、変なこと言って。笑ってもいいのよ。」


 私の慌てた態度に、シャロンは変に勘違いをしたようだった。

 まさか、自分の何気ない発言が、私の心をこれ以上無いほど揺さぶっていたなどとは想像もつくまい。


「……そのドレスは気に入ったかい。」

「え?」

「勘違いしているようなので言っておくが……。」


 私は盤面に目を落としたままで言った。その口調があまりにも淡々としていたからだろう、シャロンが少し不安そうにおののいた


「な、なに?」

「……ここはおとぎ話じゃない。そしてそのドレスはもう君のもので、君が使っている部屋は君の部屋で、君のお気に入りの絨毯は君のものだ。少なくとも君がこの島にいる限りはな。」

「……アルクアード。」


 勿論、照れ隠しだった。淡々とした口調も、落とした目線も。

 感情も言葉も直球の彼女には、こういう回りくどい言い方の方が効果的である。私はこの数日で、それくらいには彼女の事を理解していた。


「それでは不服かな? シャロン姫。」


 そう言って彼女の顔を見る。

 その表情は、嬉しさと恥ずかしさが混在したような、今までに見せたことのない表情だった。

 しかし、そこは、誇り高い彼女である。

 そんな感情に振り回されることをよしとせず、直ぐに平静を装って、


「いいえ、感謝いたしますわ、アルクアード・ブラッドバーン男爵。」

と、のたまった。


 その姿は美しく、まるで本物の姫のようだった。



 結局、お互いその口調のまま、その設定のまま勝負をつづけた。

 そしてしばらくの後。


「残念ながら勝負は勝負だ、姫。これでチェックメイト。」

「あ……。やはりお強いですわね、男爵。」


 やはり結果は下馬評通り。私のクイーンが、シャロンのキングにとどめを刺した。


「なに、姫の筋もなかなかだ、いずれは良い勝負になるさ。」

「私、負けず嫌いですの。今回は約束通り、伯爵がいらっしゃるまでの期間の勝負は預けますが、いつか必ず男爵に勝って見せますわ。」


 この口調のおかげなのか、シャロンはそんなに悔しがっていない様だった。


(そうだな、いつか、そんな日が来れば楽しいかもしれない。)


 私はそう思った。そう思って驚いた。

 正直、この最終戦が始まるまでは、シャロンとの勝負をとっとと終えたくて仕方がなかったのに。

 この最終戦を終えてしまえば、しばらくは対戦しなくて済む、と胸をなでおろしていたのに。


 たった、チェスの一局で、こんなにも人の気持ちは変わるものか。

 

 いや、そうではない。

 変えたのは、シャロン・ハートフィールドという娘の言葉だ。

 しかも、本人には自覚は無いのだきっと。

 それが、このシャロンと言う娘の、魅力でもあり、計り知れない所でもあった。


「ははは、次回の勝負、楽しみにしているよ。それまでは何年でもお付き合いしよう。」


 私は素直にそう返した。シャロンの腕では、流石に一朝一夕で私に勝つのは不可能である。しかし、あまりに素直に返し過ぎて、今度はその言葉にシャロンが面食らってしまった。


「……え?」

「なに、時間はたっぷりあるさ。そうだろう?」


 一方、これも本心だった。

 聞いた話では、彼女は帰るあてのない根無し草である。仮に復讐を果たしたところで、その先には何もない。それならば、無駄な復讐などやめて、この島に住んでしまえばいい。仕事も紹介できるだろうし、当面は住むところに困らないように、ここに居候させてあげても良い。


「……うん。」


 私の真意を察してかどうかは分からないが、シャロンは少し間を空けてから、そう頷いた。

 ともあれ、この一件が片付いたら、シャロンにそう提案してみるとしよう。


 その時、奥の扉が開き、召使いの黒猫娘が入って来た。


「終わりましたかぁ~?」


 耳が垂れて、目が座っている。口調もいつになく乱暴だ。まさか、終わるまでずっと待っていたのか。


「ひょっとして待っていたのか、すまない。」

「い~え~。」


 やばい、相当待たせてしまったようだ。よくよく考えれば、この玄関ホールは、奥のキッチンと食堂から移動する際には必ず通らなくてはいけない場所。しかも、メルの聴力では会話は筒抜けだろう。邪魔しづらい雰囲気に辟易しつつ、途方に暮れていたのが目に浮かんだ。


「あと一時間長ければ、今日のお食事は、焦げたものと冷めたもののみの構成になるところでしたが、まあ許容範囲です。ご主人様アルクアード、姫様、食堂へお越しください。」


 わざわざ「姫様」と呼ぶ当たり、なかなかおつな奴であるが、多分、本人的には、待たされすぎて、「話、ぜーんぶ聞いてましたよ」という当てつけのつもりなのだろう。まあ、それでも、気を使ってくれたことには変わらないので、感謝ではあるが。


「そうか、ありがとう。ではシャロン、行こうか。」


 そう言って歩き出した私の背中に、目にもとまらぬ速さで黒い影が走った。


 ひゅん! ぼぐっ!


 鈍い音がし、私は衝撃につんのめった。

 メルが飛び回し蹴りを放ってきたのだった。


「ぐあっ!」


 なんだ、どうした!

 慌てて起き上がり振り向くと、片足立ちで着地した、ゴスロリ猫が怒りの形相でシャロンを指さしている


「ひ、め!」


 ああ、エスコートしろと。わざわざ待ってやっていたのに、それくらいの甲斐性も発揮しないのか、このクソ朴念仁は、と。そう言うことか。


 場の空気を読んだり、主人の甲斐性の無さをフォローしたり、たったの二文字で全ての情報を説明したり、と。いやはや、全く、本当に優秀な猫である。


「そういえば、賭けの景品を渡さなくちゃね。質問は何?」


 シャロンをエスコートして、食事に向かう途中、シャロンはそう私に問いかけてきた。

 正直、なんとなく決めた景品であったため、特に聞きたいことは、今すぐには思いつかなかった。


「ははは、つけにしておこう。」


 そう言った私の言葉に、シャロンは頷いた。まぁ、聞きたいことなど、そのうち見つかるだろう。



 ともあれ、こうして、私とシャロンとの十一番勝負は、私の十一勝〇敗で幕を閉じたのだった。





――その後。


 夕食後、メルからの報告で、ファリスが予定通り、つちの日の前日に、男爵家に泊りに来ることになった事を告げられた。どうやら追われていたごたごたが片付いたらしい。


「ところで、ファリスは、なんでそんなに忙しかったの?」


 食後のお茶を美味しそうにすすりながらシャロンがのんきに訊いてくる。別に極秘事項と言う訳でも無かったので、シャロンの問いに私は答えてあげる事にした。


「アトエクリフ島では珍しいんだがな、フィルモアで殺人事件があったんだ。」

「殺人事件。珍しいんだ。」

「ああ、大陸ではそうでもないのか?」

「ええ、強盗やら盗賊やら、日常茶飯事だったよ。」


 皮肉なものである。「呪われた島」と言う忌まわしき呼称は、外敵を寄せ付けない盾になる。裕福で、争いを好まないこの島は、大陸なんかよりよほど平和な自治が行われているらしかった。


「その被害者が、ロチェストの花の取引免許を持つ、我が領地ロチェスターの業者だったのです。彼が所持していた、取引するはずだったロチェストの花の原液は行方知れず。更には、新たな免許の発行と、ファリス伯に仕事が押し寄せた、と言う訳です。」


 メルが追加で補足する。要点を綺麗にとらえたメルの説明に、シャロンはうんうんと頷いた。


「そうか、高価な染料でも、原液は猛毒だもんね。」

「メル、原液は結局見つからなかったのか?」

「はい、残念ながら、そう報告を受けています。各町の治安官と自警団に、伯爵の名で捜査と捜索の命令を出したと。」


 ロチェストの業者が襲われ、その猛毒の原液を強奪された。この島では滅多にない物騒な事件だ。犯人が見つかり、その原液が無事に確保できるまで、島は不穏な空気に包まれるだろう。


「え、そう言えば、その殺人事件、それって、ヴァンパイアの?」


 何か心当たりがあるのだろうか。シャロンが思った急に食いついてきた。しかし、ヴァンパイアの、とはどういうことだろうか。


「いや、それは無い、はずだ。」

「そうか、ヴァンパイアは人を殺さない、んだもんね。」

「ああ。何か思い当たることがあるのか?」


 チェスで次の手を考えている時の数倍深刻な表情で考え込むシャロンに、私は訊いた。シャロンはしばし考え込んだ後、話し始めた。


「私たちがこの島に来た日の夜、フィルモアで殺された遺体を見つけたの。もしかしたらその人が……。」


 シャロン達が到着した日を聞くに、恐らく同一の事件だろうと思われた。

 シャロンに、その時の状況や犯人の手がかり、気づいた点などを尋ねてみたが、残念ながら手掛かりは得られなかった。



 その日の深夜。

 珍しく、メルが部屋に来た。


「例の事件の件で、お伝えし忘れていた事、というか、あの場でお伝えしなかった事がございましたので。」


 そう言ってメルは、私に近づき、小声で言った。


「被害者は首に、二つの牙の跡のようなものがついていたようです。」

「なに?」

「シャロンお嬢様が、ヴァンパイアの、と仰ったのは、その時に傷を見たからではないかと。」


 なるほど、あのシャロンの言葉はそう言うことか。

 私の中で、少しずつ、ピースがはまって来た気がした。

 ヴァンパイアの秘密を知っている者からすれば、その遺体はありえないのだから。

 

 しかし、だとすると、この島に最悪な事態が起こりえる事もあり得た。パッと思い浮かんだのは二つである。


「被害者には、他の外傷は?」

「はい、腹部に、短剣による刺し傷があったようです。恐らくそれが死因だろうと伺っております。」


 やはりそうか。直接の死因は首の傷によるものではない。


「犯人は、犯行をヴァンパイアになすり付けたかった、と言うことかな。」

「はい。しかし、何のためでしょう?」


 流石のメルでも、思い当たらない様だった。


「大陸の各地で殺人事件が起きていた。あれもヴァンパイアのせいにしていたな。」

「確かに、無関係とは思えませんね。」


 大陸ではあちこちで、連続的に事件が起こっていた。つまり、同様の犯人によるものであれば、まだ第二第三の殺人事件が起こる可能性がある。これが最悪の事態、その一。


 そして、最悪の事態その二。大陸の事件を、ヴァンパイアを犯人にすることで、「ヴァンパイア発祥の地」とされているこの呪われた島が原因、と考える人間が出始めてもおかしくはない。島の利権か領土か、何が目的かは知らないが、大陸の貴族あるいは他国がこの島に攻め込む陰謀を巡らせているかもしれない。だとすると、最悪、戦争に発展する可能性もある。


「なんにせよ、犯人を捕まえて聞き出すしかないか。」


ファリスが戻り次第、作戦を練る必要がありそうだった。


「しかし、その前に、ローガンに会いに行かなくてはな。」



 ロチェスター伯爵との取り決めにより、私は、伯爵を看取ることを許されていなかった。彼に、いや代々の伯爵の事も考えると、彼らに、か。彼らに死の兆候が見え始めたら、私は、伯爵とは会えなくなる。それが決まりだ。

 最高の親友であったローガン・ロチェスターと最後にあったのはいつだったか。


「また来るぞ、アルクアード。」


 そう言って、がははと笑って去ったのが最後だった気がした。

 それから数日後に、体調を崩した、という報告を、伯爵家からの使いから受けた。

 そして数か月後。ローガンが亡くなるまで、一度も会うことは無かった。


 全く、さっさと亡くなりやがって。

 言ってやらないと気が済まない文句も不満も溜まりに溜まっていた。

 そして……。

 伝えられなかった別れの言葉が、伝えないと気が済まない、お礼と感謝が、その数十倍、心に積もっていた。

 私、アルクアード・ブラッドバーンにとって、墓に入ってしまった友との再会は、どんな事件よりも優先される、大切な行事だった。


 こうして、更に数日後、ファリスが戻って来た。

 勿論、その日は、勝負はせず、亡きローガンに盃を捧げた。

 そして、翌日、私達は、故ローガン・ロチェスター前伯爵の墓参りに向かったのであった。



(つづく)

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