第8話 男爵と伯爵と平民の姫君

 ヴァンパイアの伝説の発祥の地とされる、大陸の南に位置する島「アトエクリフ島」。

 そこは、その不死の化け物を輩出したとされる不名誉の伝説から、「呪われた島」と呼ばれていた。

 勿論、そんな生物は大陸においては伝説でしかなく、見たことがある人間もいなかった。仮に、アトエクリフ島への旅行帰りで、「ヴァンパイアに会った」と言う人間がいても、ジョークや世迷言として本気で取り合う人間などいなかった。


 そして、その島の東に位置するロチェスター伯爵領、そこの片隅にあるブラッドバーン男爵家の館の主であり、正に先述した、伝説の存在ヴァンパイアである、私ことアルクアード・ブラッドバーン男爵は、そわそわしていた。


 「ヴァンパイアハンター」という驚くべき肩書を名乗った少女。確か、シャロンと言ったか。

 ヴァンパイアであるとはいえ、何故か初対面の彼女に殺意を向けられ、煙に巻くために、晩餐の席へなどと招待してしまったが、思えば、女性と晩餐を共に過ごすなど、数年ぶりである。一体どんな話し方をすればいいのか、すっかり忘れてしまった。


「なるほど、そう言うことでしたか。館に入るなり銃声が聞こえたので何事かと思いましたが。」


 一通りこれまでの説明を受けた目の前の若い男性、ファリス・ロチェスター伯爵は、深々と相槌を打った。

 まあ、シャロンについては、彼がいれば問題ないだろう。一応、彼がこのロチェスター領の領主であることは伝わっている様だったし、さすがに彼女が自称「ヴァンパイアハンター」とやらであったとしても、人間の、しかも貴族である領主に銃口は向けまい。

 そんなことよりも、だ。

 目下、私の問題は目の前の男の方にあった。


「ああ。ところで、今日はどうしてここへ?」


 白々しく聞いてみる。

 実は、伯爵としてのファリスと初めて会った先日の事、ファリスとはチェスの勝負をしたことは記憶に新しい。その結果を私は認められずにいた。

 5戦5敗。

 正直、もう少しで勝てそう、と言う試合もあったが、それすらも、あえて私の出方を分析するために、わざと危機的状況を作り出したのではないかと思えるほど、コイツは強かった。


(くそっ! ローガンめ!)


 私は、今は亡き、親友であり、目の前の強者の父親を呪った。それにしても私と同等の実力だったローガンが、一体どう教育すれば、こうなるのだろう。


「もちろん、チェスの勝負をするためです。だって早く知りたいですからね、景品の内容を。」


(でしょうね。)


 私は心の中で突っ込んだ。賭けの景品とは、代々のロチェスター伯爵との取り決め通り、「ヴァンパイアに関する秘密」である。そうそう語り尽くせるものでもないが、コイツの場合は別だ。もはや情報を掛けた勝負、などではない。拷問官と囚われの兵士くらい圧倒的な差がある。


「そ、そうか。しかし、アレだな。き、君があそこまでやるとは、正直思わなかったぞ。」

「声が震えていますよ、アルクアード。それに、先日のはまだ序の口。あなたが私の戦術を読み、私の裏をかこうとしたときこそ、面白くなるのですから。」


 くそ、なんてこった。天はこのアルクアードをこの世に産み落としながら、何故なにゆえファリスまで産まれさせたのだ。


「しかしなあ、そんなに本気を出されたら、『秘密と』言う景品が無くなってしまうよ。」


 別に教えるのは良い。いずれ勝負に負けて、ロチェスター伯爵にヴァンパイアの秘密を明かす。それは、代々のロチェスター伯爵との取り決めだ。

 しかし、出来る事ならば、時間をかけて、年月をかけて、少しづつ教えて行きたい。というか、そうしなくてはならないものだった。


 まさか、こんな神童が現るなどと、私の親友たちであった、代々のロチェスター家のご先祖たちも思ってもいなかったことだろう。


「だって、早く知りたいですから。それに、そうならないようにするためには、あなたが勝てばいいのです、アルクアード。」


 いけしゃあしゃあと言いやがって。

 私は心から、目の前の小僧の余裕の笑みを、焦りと絶望に変えてみたいという欲求にかられた。

 そして、当然そんなことが出来る実力は私には無かった。


「……時に、君は私のパンツの色に興味はあるかい?」

「賭けの景品にはなりませんね。」


 私が、自分自身に恥と情けなさをこれでもかと上塗りしたその時、二つの足音が近づいてきた。

 一つは、聞きなれたブーツの音。これはメルの物だ。そしてもう一つは、コツコツと言う聞きなれない音。恐らくこれがシャロンのものだろう。どうやらシャロンのサイズに合うヒールがあったようで良かった。

 暫くしてその足音は、我々が居る食堂の扉の前で止まった。何故か心なしか緊張した。


「お待たせいたしました。」


 そう言って、食堂の扉を開けるメル。開いた扉からはその黒猫の使い魔した確認することは出来なかったが、メルが促すように身をかわすと、もう一人のその姿が、壁の影から恥じらうように現れた。


「おお……。」


 思わず、声が漏れ、そしてその後絶句した。私も、ファリスも。

 目の前にいた少女は、それくらい美しかった。


 凡そ《おおよ》手入れもされておらず、泥と汗にまみれカサカサだった金髪は、綺麗に洗われ、丁寧にくしかれ、程よい油分を含み、ランプと燭台の灯りに照らされ輝きを放っていた。垂らせば肩に届くであろうその髪は後頭部の上部で綺麗にまとめ上げられ、藍色の髪飾りが、より一層、彼女の髪の色を艶やかに際立たせた。

 金色の刺しゅうが施された、純白のドレスをまとったその少女は、まるで、妖精かと見紛みまごうほどの幻想的な美しさであり、顔を真っ赤にして、もじもじと歩くその姿は、深窓の姫君を思わせるほど、儚く、いじらしさをかもし出していた。


「凄いな、とても良く似合っているよ。どこかのお姫様かと思った。なあ、ファリス。」

「ええ、旅の冒険者なんかにしておくのは勿体ないですね。」


 私たちの忌憚きたんなき賛辞に、シャロンは更に顔を赤らめた。


「わ、私は別に……だって、これも、賭けのうちに入ってるんでしょ。」

「ああ、食事をとるところまでな。」

「き、着替えって、なんでこんな格好……。」

「忘れているかも知れんが、ここは領主ロチェスター伯爵とブラッドバーン男爵の晩餐の席だからな。」


 そう言うことにしておいた。性格上、シャロンはこうでも言わなくては大人しく着飾ったりはしなかっただろう。

 折角、女性と晩餐を共にするのだ。それに、女性を着飾らせるのは男の本懐であり、普段着られない様な美しいドレスを身に纏うのは多くの女性の憧れだ。まだ若い彼女なら尚更だろう。


 私は、ふと一人の女性の顔が浮かんだ。過去に、同じように、館に迷い込み、ドレスに着替えて晩餐を共にした一人の女性。あの時の彼女は真っ赤なドレスを着て現れた。その時も、その美しさに感嘆のため息をついたものだったが。 

 思い出がよみがえりそうになり、私はすぐにその思考を打ち消した。彼女は、もう考えてはいけない、思い出してはいけない女性ひとなのだから。


「う……あ、あんまりジロジロ見ないでよ。こんな格好したことないから……メル、変じゃ、ないかな?」

「いいえ、良くお似合いですよ。とてもお美しいですわ、お嬢様。」


 メルに褒められ、今度は嬉しそうに笑顔になる。既にメルを名前で呼んでいるところを見ると、完璧に仕上げたられている最中に色々と話をしたのであろう。


「では席について、メル彼女を座らせてあげて。その後、ワインを頼む。」

「はい。」


 まあ、いくら妖精のように美しくとも、中身は変わり様がない。ドレスの裾を踏まないように、よちよちと歩くその姿は、およそ姫君とは程遠かったが、何故だろう、私にとってはその姿はとても好感が持てた。


 こうして、メルの手伝いでシャロンが席につき、伯爵、男爵、そして姫の様な格好をしたゴロツキ娘の三人の晩餐が始まった。


「改めて、私はアルクアード・ブラッドバーン男爵。この館の主でヴァンパイアだ。よろしく。」

「私はファリス・ロチェスター伯爵。このロチェスターの領主です。よろしく。」

「……シャロン・ハートフィールド。旅の、ヴァ、ヴァンパイア……ハンター……です。」


 ひとまず自己紹介を各々行ったが、それ以上話が続かず、沈黙が訪れた。

 しかし、インパクトのある肩書の自己紹介と、この状況に圧倒されていたシャロンであったが、徐々に自分の気持ちが落ち着いて来たのか、あるいは覚悟が決まってか、口を開いた。


「……どういうつもり?」


 最初の質問にしては、範囲が広すぎる。が、まあ、ドレスのデザインや、ワインの質についての言及では無いことは流石の私でも分かった。


「何がかな?」

「いや、だから、この状況がよ。」

「美しい客人が居るのだから、もてなすのは貴族として当然だと思うのだが。」


 彼女の言いたいことがいまいち要領を得ない。

 いや、嘘だ。大体予想はついている。

 彼女はヴァンパイアハンターだ。まあ、そんな無意味な職業が存在していればの話だが。ともあれ、存在の有無はともかく、彼女は自称ヴァンパイアハンターだ。つまり、大陸でヴァンパイアについて何か大きな誤解をして、この島にやって来た。そして恐らくそれには、ここ数年大陸で起きている「ヴァンパイアの殺人事件」が関わっている。とまあ、そんなところだろう。

 正確な情報を聞き出すためには、はぐらかして話すのが一番だ。私はそう結論づけた。


「う、うつく……だって、あなた、ヴァンパイアでしょ!?」

「ああ。」

「じゃあ、そんなの変じゃない!」


 ……全く、どんな誤解を吹き込まれればこんな暴論になるのだろう。どうやら彼女の中では、ヴァンパイアは、女性を大切に扱ったり、もてなしてはいけないらしかった。


「分かった分かった、じゃあ君はどうして欲しいんだい? 一体どうされたら納得するんだ?」

「え? だって、ヴァンパイアに捕まったら、普通は、その……地下牢で鎖に繋がれて、ひどい事されたりして、最後には血を吸われて命を……。」

「え?」

「え?」


 この戸惑いは私とファリスのものだ。思わず二人で顔を見合わせる。と言うか、ファリスなんかは少しワイングラスがカタカタと震えている。

 いや、知ってはいた。人間の趣味趣向は千差万別。そう言う趣味の人間がいるのは聞き及んだことがある。しかし、目の前のドレスの姫様にそんなことを口走られては、さすがに動揺を隠しきれなかった。


「いや、まあ、そう言う趣味の人間が居るとは聞いていたが……。」

「人の趣味はそれぞれです、批判は良くないですよアルクアード。」

「そうだな……。それで君が納得するというのは理解した。しかし、すまん、君のご期待には……。」

「……え?」


 私たちの発言で、シャロンが何故か慌てて立ち上がった。流石に特殊なへきの暴露は照れたのだろう。


「ちょっと待って! 違う! なんか勘違いしてない? 別にそうして欲しいわけじゃ……ちょっと、そんな目で見ないで!」


 見れば、ファリスがシャロンを慈愛の神のような瞳で見つめていた。

 出た、この視線。こいつは、自分の中で勝利が確定しているのにも関わらず、私がああでもない、こうでもない、とチェスの次の手を悩んでいる時に良くこういう目をする。


「まあ、あなたの望みがそうであったとしても。それは無理な相談ですね。」

「え?」


 ファリスの言葉に、シャロンが聞き返す。そんなに鎖でつながれたかったのか。

 申し訳ない気持ちと安心した気持ちの私をよそに、ファリスは言葉を続ける。


「ヴァンパイアは人を殺さない。前半だけならまだしも……。」

「おいおいファリス、この館には地下牢なんてないぞ。」


 流石に慌てて、私も抗議の声を上げる。大陸の王城や、大貴族の屋敷ならともかく、そんな物騒な設備は整えていない。そもそも、この平和なアトエクリフ島ではそんなものは必要ないだろう。


「……どういうこと。」


 声を低くしたシャロンが再び椅子に体重を預け、少しうつむきながらそうこぼした

 なんてこった。これはあれだ、ショックを受けている、あるいは落ち込んでいる、と言う奴だろう。


「くっ、そんなに地下牢にこだわりが……。君の館はどうだい? 伯爵の館なんだから地下牢くらいあるだろう?」

「あるにはありますが、平和なご時世ですから、すでに物置になっています。お気に召されるかどうか……。」

「でも、この際仕方ない。それで……良いかな?」


 結論が出て、怯えたように同時にシャロンを見る私とファリス。

 しばしの沈黙が流れた後、シャロンは再び、先刻のものとは違う意味で顔を真っ赤にして怒鳴った。


「……なんの話をしてんのよ、あんたらは!!」



 ドレスを身に着けているとはいえ、異国の領主伯爵と男爵にむかって、あんたら呼ばわりする。シャロン・ハートフィールドは、とても肝の座った娘であった。




 その後我々は、というかシャロンは、ひとまず多少の時間を費やして、なんとかそのいかがわしい誤解は解くことが出来た。


 そのついでと言ってはなんだが、シャロンから様々な話を聞きだすことが出来た。大陸では、ヴァンパイアは、人を殺し、血を吸う化け物として、話されていること。勿論、存在そのものは信じられていないので、子供を脅かす親の良い道具、程度にしか語られていない様であったが。

 しかし、それもここ数年で大きく変わって来た。そう、大陸でヴァンパイアが原因とみられる殺人事件が起こり始めてからだ。そしてシャロンは、彼女を含めた四人のパーティーでその犯人であるヴァンパイアを追っている、と言うことであった。


 そこまで聞いて、私とファリスは顔を見合わせた。若干の戸惑いを含ませたファリスの顔には、「どういうことでしょうか?」と書いてあった。

 若干困ったことになった。そう私は考えていた。

 確かに、チェスにおいては悪鬼羅刹の如き強さを誇るファリスではあったが、まだヴァンパイアの秘密を明かすまでには至っていない。その回数も時間も足りていなかった。しかし、こうなってはある程度は話さないわけにはいかなそうだ。


 三人がそれぞれ違う思惑で、場を沈黙が支配していたその時、再びワインと料理を運んで来たメルが入って来た。この、場の停滞を見越したタイミングで入って来たのだろう。本当にこの猫の空気察知能力は恐ろしいものがある。


「それにしても伯爵は流石ですね。チェスの腕は前伯爵のローガン様以上かもしれません。」

「以上に決まってるだろう。一度も勝てないんだぞ!」

 

 メルの言葉に食いつく。ひとまず、話の流れを反らしておきたかった。その私の微妙な気配を察知してか、は分からないが、ファリスが話に乗っかって来てくれた。


「父上に『チェスの腕だけは磨いておくように』と言って育てられましたのでね。」


 やはりそうか。全く、ローガンも、いやらしい置き土産をしてくれたものだ。

 しかし、改めて考えてみると、私と実力の拮抗していたローガンが教えたところで、それ以上の強さになるとは思えない。となると、ファリスのこの強さは、独学によるものだ。


「ふん、君の息子は、チェスばかりやっている根暗にならないように注意するんだな。」

「負けている腹いせとはあなたらしくない。」


 軽口を叩き合うが、こちらを凝視しながら黙りこくってしまっているシャロンと、話を深掘りしたいが、こちらに合わせてくれているファリス、という何とも微妙なこの立ち位置。ここは、この有能な黒猫に話の流れを委ねるしかなさそうだ。


「こちらフォワールの20年物です。」

「良いものを仕入れていますね。」

「マックスの仕入れは間違いありませんから。今日はご主人さ……アルクアードにお使いをお願いしてしまいましたが。」


 実に自然である、流石はメル。ついでに言えば、わざわざ言い直すところも流石である。ここで自然に話をシャロンに振っていこう。


「そこで彼女と遭遇したわけだ。」

「なるほど。」

「酒場から森の入口までついて来てしまってね。さすがにこの森は男爵家の管轄だし、やみくもに入られては危険だ。どうしたものかと思案したわけだが……。」

「こちら、付け合わせに、ガーリックトーストをどうぞ。」


 おい、折角主人が饒舌に本日の事の成り行きを説明しているのに、付け合わせの紹介で遮る使用人がいるか。

 私はメルの言葉にそう思ったが、確かに使用人の仕事を阻害していたのは事実なので、声を上げるのは堪えておいた。しかし、そのメルの変哲の無い言葉にあらぬ方向から驚愕の声が投げかけられた。


「ガッ……何ですって!?」

「ん? どうしたんだ?」


 シャロンが、信じられないものを見るようなもの凄い表情で、立ち上がっている。例えるならば、交際を申し込もうと告白した美少女に「実は私、男なんです」と告げられ胸板を見せられた思春期の青年、くらいには驚いている。それにしても、そんなに驚くところがあっただろうか?

 シャロンは、おずおずと、自分の横の座席に置かれていた自分の鞄を漁りだした。そして、何かを手に持ちながら、こちらを振り向こうとして止めたり、何かを言おうとして止めたり、と、「これぞ躊躇」の典型例のような行動をし始めた。


 なんだ、私に告白でもするのだろうか? いや、流石に話の流れからはそれはありえないだろう。では、ファリスに告白でもするのだろうか?

 すると、小動物のようにくるくる回っていたシャロンは最終的に私の方に向き直った。


「ア、アルクアード!」

「う、うん、何だい?」


 流石に緊張した。急に何かを言おうか言うまいかとためらいだした美少女が、意を決し、真剣な表情で、ドレスの裾を翻して私に向き直ったのだ。本当にこの数十秒の絵面だけを切り取れば、どう見ても貴族のご令嬢が、意中の男性に告白するようにしか見えない。

 そして、シャロンは、私に告白……では当然無く、意外な行動を取って来た。


「その、こ、これ、あげるわ。」

「え?」


 彼女は不意に、その手に持っていた「何か」を投げてよこしたのだ。良く落とさなかったものである。


「おっと……あ、ありがとう。にんにく? 良いのかい?」

「最近なぜか大陸で品薄らしく、手に入りにくいのですよ。今日ようやく仕入れたのですが、お嬢様、頂いてもよろしいのですか?」

「え、ええ……気にしないで。」


 彼女が投げたそれは、生のにんにくだった。

 なんでこんなものをくれたのだろう。というか、何をそんなに悩んでいたのだろう。いや、それ以前に彼女は鞄にいつもこんなものを入れて持ち歩いているのか? そして何の疑問も持たずに食いついたメルを見る限り、それほどまでに今市場では品薄なのだろうか。


 脳内で疑問の波に溺れていた私だったが、ふと当のシャロンを見ると……。


 何故か膝から崩れ落ちていた。

 なんだ、なんだ、一体。私にどうして欲しかったんだ。

 その様子を見たメルが慌ててシャロンに駆け寄る。


「どうされました? どこか具合が?」

「……う、あ、ごめんなさい大丈夫……うおっと!??」

「え、ちょ、お嬢様?!」


 流石にその恰好では、床に突っ伏していては、上手く一人で立ち上がるのは困難である。そう思い、メルに差し伸べてもらった手を取ったシャロンだったが、今度はそのメルの服にしがみついていた。よろけたわけでは無い。不可抗力ではなく、自分の意志でメルのスカートの裾を握りしめている。


「メ、メル。この模様は。」

「え? ええ、良いでしょう。このワンポイントがお気に入りなんです。」


 そこにはメルのお気に入りの黒い衣装に刺しゅうで施された、白の十字架の模様があった。私も良く知っている、メルのお気に入りの刺しゅうだ。


「そ、そう、素敵ね……。」


 全く素敵と思っていない様なテンションでそう呟いたシャロンは、そのままよろよろと立ち上がり、自分の席に向かった。座る瞬間にメルがフォローに入ったが、それすらも気づいていない様子だった

 シャロンが椅子に腰かけたのを見て、立ち上がっていた私もおずおずと自分の席についたが、長年生きてきた私にとっても、なかなかに理解不能な目の前の彼女の行動に、メルと顔を見合わせ、お互いに首をかしげるしかなかった。


 そしてその疑問を打ち破ったのは、その一連のやり取りを、椅子に座ったまま注視していた若き伯爵様であった


「やはり、そういうことですか。」


 今の一連の流れで、そんなセリフを放てるような要素、あったか?

 私はそう思ったが、今はこの頭脳明晰な若き友人が頼みの綱だった。


「ファリス、何がだい?」


 ファリスに次の言葉を促した。ファリスは、少し考え、脳内を整理した後に、目の前で意気消沈している純白の妖精に向かって切り出した。


「シャロン、君はヴァンパイアハンターだと名乗ったらしいね。」

「……ええ。」

「君は、どこから来たんだい?」

「……どうしてですか?」

「私の予想では、大陸の、しかも、ミランポール、カサンデル、あるいはノースランド辺りじゃないですか?」


 どういうことだ。あの一連の流れで、彼女の出身地が分かりそうな何かの情報が含まれていたのだろうか。いやしかし、今言った地名は全て大陸のものだが、現実的では無かった。


「バカな、どこもここからはどんなに急いでも一年以上はかかる。そんな遠路はるばるこの島に……。」

「私は……ノースランドから来ました。」

「なんだって?」


 私が思わず口にした当然の疑問は、当の本人によって遮られた。何故そんな遠くからこんな辺鄙なところに。そもそも、何故そんなことが、目の前の伯爵には分かったのだろうか。

 私が、事の説明を懇願した目線をファリスに送ると、ファリスは一つため息をついた。そしてテーブルに肘をつき、手を顎の前で組んだ姿勢で、ゆっくりと語りだした。


「やはりそうですか。先日そちらの方面に出していた使いが帰って来たのですが、大陸では、謎のヴァンパイアの殺人騒ぎ。そして、ヴァンパイアの弱点はニンニクや銀の銃弾である、といったデマが出回っているという報告を受けました。」


 なるほど、そう言うことか。私はいささか合点がいった。

 ヴァンパイアの伝説についてはその時代時代で、語られ方や扱いが若干異なる。当然、地方の伝説的に流されるヴァンパイアの目的や弱点なども異なる。百年前には、ヴァンパイアは陽の光に当たると死ぬとか、木の杭で固定されると動けない、などと言うデマもあったものである。


「今はそういう感じか。まあ、大昔に比べると物騒ではないがな」

「その地方が例の事件の件数が最も多かったようです。あなたがそこの出身であれば、存在しないはずの職業を名乗る理由も分かります。」

「デマ……存在しない……。」


 シャロンはこともなげに私は感想を述べたが、シャロンは、ファリスの「デマ」という一言に随分とショックを受けた様子だった。


「ええそうです、これは父ローガンからの受け売りですが。父は、『ヴァンパイアは人には殺せない。だから大陸で流行るヴァンパイアの弱点や噂はすべてデマだ。将来、余計な情報に惑わされないように』と。勿論、その理由までは教えて貰えませんでしたが。」


 含みを持たせた表情でこちらを見るファリス。今度はあなたの番ですよ、とその眼は告げていた。

 私は観念してため息をついた。流石にこの状況では何も語らないわけにはいくまい。先程のファリスと同様、しばし頭の中で伝える情報を整理する。そして、しばしの沈黙の後、私は話し出した。


「ヴァンパイアを貴族として迎えて、秘密にしているのはこの島の領地だけだ。大陸からすれば、我々は伝説そのものだ。ファリス、人間がその伝説のヴァンパイアを追うとしたら、その目的は二つしかない。」

「二つ、ですか。」

「ああ、一つは、伝説の研究や探求のため。まあ、平たく言うと好奇心って奴だな。観光なんかもこれに含まれる。」

「なるほど、もう一つは?」


 急いて尋ねてくるファリス。しかしその前に確認しておかなくてはいけないことがあった。


「……シャロン、君は何故ヴァンパイアを追っているんだい?」

「私は……お父さんとお母さんの……。」



 シャロンはこの先を答えなかった。

 恐らくこの答えは、彼女の存在意義に等しい。

 だからこそ、彼女は恐れたのだ。

 伯爵の「デマ」という言葉通り、銀の銃弾もにんにくも確かに通用しなかった。更に、「存在しない職業」と言われたのだ。

 両親の復讐のために全てを捨てて生きてきたシャロン。しかし、もしも「人がヴァンパイアを追い求めるもう一つの理由」が自分のそれに該当しなかったとしたら。

 自分の知らない真実が、一つ一つ目の前で積み重なっていく。その最後の答えが、自分の存在意義を脅かすかもしれない。その僅かな可能性に、彼女は恐れたのだろう。


 しばしの沈黙の後、彼女は決意に満ちた瞳で、顔を上げた。


「ねえ、アルクアード、ファリス。教えて。ヴァンパイアについて、詳しく。」


 美しく、凛々しい目だ。そう思った。

 恐らくこれが彼女の本当の瞳なのだろう。自分自身で自分の運命を選択できる人間はえてしてこのような美しい瞳をしているものだ。私には到底出来ようもない力だが。

 そして、こんな瞳を持つ女性を、私は過去に一人しか知らなかった。

 とうに忘れていた女性ひと。いや、忘れなくてはいけない、忘れようとしていた人だ。私は、目の前の彼女の瞳を見て、奇しくもその存在を口にしていた。


「はは……私と、ロチェスター伯、そして女性が一人。懐かしいな。まるであの頃の様だ。」


 私は、自分の発言を訂正するかのように、咳払いをした。それは過去の全ての事情を知っていて、私を心配する視線を後ろから送っているであろうメルに向けてのものだったかもしれない。


「良いだろう。折角だ、ファリス。君にも昔話を聞いてもらいたい。君の御父上、ローガンとの昔話だ……。」



  つづく

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