第7話 二人のヴァンパイア、二人のハンター
大陸の人間からは「呪われた島」と呼称される、アトエクリフ島。そこには、二つの領地があった。死の赤き花「ロチェスト」の群生地であるロチェスター。そして、生の白き花「フィルマ」が咲くフィルモア。名は体を表す、とはよく言ったもので、この島におけるその花の存在の大きさは、その領地の名前が指し示していた。
そしてロチェスター領内の北に位置する広大な森林地帯。その奥深くに、ロチェストの群生地はあった。花粉を吸いこむだけで幻覚を見て死に至るその死の花の花畑は、真の意味で幻想的ともいえるほど美しく、これまた別の意味で見た者の心を奪うほどの絶景であったが、その特性ゆえに、誰も入り込む者がいないよう、森の入り口の館によって監視されていた。
その人の住まない森林地帯を「ブラッドバーン男爵領」といった。そしてその森の管理者の館こそが、領民を持たない貴族アルクアード・ブラッドバーン男爵の屋敷だった。
今、そのブラッドバーン男爵家の屋敷に、招かれざる客がいた。確か名前は、シャロン・ハートフィールドとか言っていたか。彼女は自分をヴァンパイアハンターだと名乗った。そして、私が、元猫の使い魔メルにお使いを頼まれて行った、行きつけの酒場であるマクブライト亭から後をつけて来た、と言う訳だ。
昨日、森の途中でひと悶着あり、遊び半分で逃げ回ったのだが、彼女が足を滑らせ気を失ってしまったので、メルを呼んで、彼女を屋敷まで運び、手当を施した。
思ったより消耗していたのだろう。彼女は半日以上、目を覚まさなかった。そして、先程、ようやく、意識を取り戻したらしい、と言うのが、これまでのあらまし、なのだが……。
「な……何をしているんだ、あれは……。」
先刻、彼女が眠る客間の階下でお茶をしていたのだが、使い魔のメルからの「彼女が目を覚ましたようです」との言葉があった。さすがは元猫、気配を察知するのはお手の物と言う訳だ。
本当に目を覚ましてくれて良かった。
私はしばしの間を空けて、その部屋へと向かったのであったが……。
軽いノックをしてみたが反応はない。もしや窓から飛び降りたのでは、と思い、そっとドアノブを回し、扉を開けてみると、そこには理解しがたい景色があった。
「はぁぁぁーん。くふぅぅぅん。」
女が嬌声を上げている。
男としてはそれだけで見てはいけないものを見てしまった気になるが、奇異なのはその状況だ。
彼女は、床に敷かれた絨毯の上で転がりまわりながら、悦に入っていた。なかなかに長生きしてきたこのヴァンパイアの身ではあったが、うら若き女性が、床に転がりまわりながら、一人で嬌声を上げる、と言う状況は私の経験上お目にかかったことは無かった。
「な……何をしていたんだ、今のは。」
私は、見てはいけない息子のナニを発見してしまった母親のように、そっと扉を閉じ、もう一度呟いた。メルに相談しようとも思ったが、私で理解出来ない行動なのだ。元猫であるあいつに分かるはずも無かった。
「ああ、それは、絨毯が気持ちよかったのではないでしょうか? 私にも経験がありますが、あの部屋の絨毯はたまにそうなります。」
前言撤回。
一応部屋から少し離れた階段まで退避した際に様子を見に来たメルに状況を聞いてみたら、あっさりとそう返って来た。
ふうむ。何事も聞いてみるものである。
「そんなことよりも、若い女性の寝室を、ドアを少し開けて覗き見た。そのご主人様の行動の方に問題があると思いますが?」
なぜ私が怒られたのかはさておき、であれば、彼女が落ち着いたタイミングで部屋に入れば良いだけだ。
私がそう結論付けた瞬間に、メルが口を開いた。
「おや、収まったようですよ。ご主人様。」
流石は元猫。気配を察知するのはお手の物と言う訳だ。
私は「そうか」と一言返し、彼女の眠っていた部屋へ踵を返した。すると後ろからメルが訂正をした。
「ああ、すみません、間違えました。」
「ん? どう言うことだ?」
「彼女、収まったようですよ。アルクアード。」
おちょくっている。
確かに、先日ファリスと、伯爵、男爵として初めて会ったときに、「試しに呼び捨てで呼んでみろ」みたいな、そんな会話をしたけれど、あれは言葉の綾というか、その場のノリと言うか、そんな奴だ。それをいつまでも引っ張りやがって、全く。
しかし、言い出しっぺが私である以上、撤回するわけにもいかず、とりあえずおちょくってくる猫娘を無視して今度こそ彼女の部屋へ向かった。
「やあ、目が覚めたかい?」
私は彼女の部屋の扉を開け、そう口にした。彼女は私の姿を見つけると、およそ好意的とは呼べないような視線を投げかけた。
「ヴァンパイア……。」
彼女はそう言うと腰に手を当てた。しかし、そこにあるはずの彼女の銃が無いことを知り、屈辱の表情で臨戦態勢を取る。
「おいおい、待ってくれ、私が君に何かしたかい?」
「……私の銃を返しなさい。武器を取り上げておいて、どの口が……。」
私は無言で彼女の後ろを指さした。眠ったまま暴発したりしたら危険だが、一応大切なものだったらいけないので、鏡台のテーブルに一式を置いておいたのだ。
彼女は、ゆっくり、私の指さした方向を目で追い、目を見開いた。そして少し恥ずかしそうにそそくさと鏡台に近寄り、ベルトを巻き、拳銃のホルダーを取り付けて、拳銃をしまった。当然、その間、私は待つしかなかった。
「取り上げておいてどの口が……なんだっけ?」
「うるさい!」
彼女の支度が一通り終わったところで声を掛けたが、顔を真っ赤にした彼女はそう叫び、拳銃をホルダーから抜き、銃口を私に向けた。銃を抜くんなら、初めからしまわなきゃいいのに、とも思ったが事態がややこしくなりそうなので口にするのはやめておいた。
「私は……。私の両親は私の目の前で……。私はその時、ウォーレンとアリスに救われた。だから彼らと一緒に……。あなたたちを絶対許さない!」
自分語りは結構だが、何を言っているのか理解できなかった。
例の大陸で起きているヴァンパイアの殺人事件とかいうでたらめなアレのことだろうか。彼女の両親はその被害者、とでもいうのだろうか。であれば、これは情報収集する甲斐がありそうだ。私はそう思った。
「何を訳の分からないことを言っている。それに……無駄な事は止めるべきだ。人の限られた時間を、無駄にすることは無い。」
「うるさい! この銀の銃弾があなたを永遠に葬り去るわ。」
「銀の銃弾……?」
ヴァンパイアの存在はあくまでも伝説やおとぎ話の中の話である。かといって、この島での存在をひた隠しにしているかと言われればそうでもない。
むしろ、私の事をヴァンパイアだと話す島の人間も少なくない。マックスを筆頭に。ヴァンパイア発祥の地ってことでこの島に訪れる人間は少なくはないが、「島の人間はヴァンパイアの貴族様と一緒に仲良く暮らしてます」と堂々と
事実、島に来た大陸の人間も、本気で「あの島にはヴァンパイアが本当に居るんだ」と大陸に戻って話しても誰も信じないし、そういう「設定」として楽しんで帰るのがほとんどであった。
そして一部、それらの商売に目をつけた
そして、彼女は銀の銃弾、と言った。今はそれが流行っているらしい。
「これさえ当たれば……お前なんて……。」
私に銃弾は効かない。多少の痛みはあるが、硬質化した肉体は、銃弾など通すことは無い。仮に「ヴァンパイアが設定」というのを貫き通すのならば、それを彼女に見せるのもどうかとは思ったが、そもそも彼女はヴァンパイアの存在を信じて疑わない。自らをヴァンパイアハンターなどと名乗っているのであるからなおさらである。
それに、先ほどの彼女の言葉、両親が云々、と言うのも気がかりだ。ひょっとしたら彼女は何か大きな思い違いをしているのかも、あるいはさせられているのかもしれない。
であれば、本物である証明をしたうえで、彼女には真実を知ってもらった方がよい。私はそう結論づけた。
「分かった。いいだろう。」
「え?」
両手を広げて立ちはだかる私に、さすがに
「私ここを動かない。君はその銃で好きにすると良い。」
「……ふっ、正気?」
「しかし……もしも、それでも私を倒せなかった場合、一つ言う事を聞いてもらう。どうだい?」
私はそう提案した。ただで撃たれてあげるのが
「……一体、私をどうするつもり?」
「どうもしないさ。君は今ここで、私を倒す。そうだろう? それに、こんな機会は滅多にないんじゃないか?」
「……いいわ。その賭け、受けて立つ。はったりだと思ってるなら大間違いよ! 父さんと母さんの仇! ヴァンパイア、覚悟!」
ドンッ!
チクリと痛い。いやはやマジで撃って来たか。
彼女の撃った銃弾は私の左肩に命中した、が、私は少し上体を揺らしただけだった。
ドンッ!
慌てて弾を装填しなおした彼女はもう一度撃ってくる。今度は左胸に命中する。私は肉体の表面に少しめり込んで止まっているその銃弾をつまみ上げた。
「確かに、純銀の銃弾だ。珍しいね。なかなかに高価なものだと思うのだが。」
冷静に口にする私に、彼女は驚愕の表情を禁じ得ないようだった。
「そ……そんな。弱点のはず……。」
彼女はそう茫然と言葉を漏らした。
残念ながら弱点などない。ヴァンパイアが滅ぶ方法は、たった一つしかないのだから。
「さて、賭けは私の勝ちのようだが?」
「……くっ。わ、分かったわよ。もうこうなりゃ
二発も撃たれて流石にほんの少しだけ痛かったが、それを悟られない様、涼しい顔と微笑みを浮かべて私は彼女に向き直った。彼女は少し
その時、廊下をかけてくる足音がした。もの凄い勢いである。一瞬メルかとも思ったが、響いてくる音や雰囲気から察するに、彼女の物のそれでは無かった。
やがてその足音の主が扉を開けて駆け込んできた。
「アルクアード! どうしました!? 屋敷に入った途端に何やら凄い物音が……。」
足音の主はファリス・ロチェスターのものだった。ファリスは私たちを見て、状況が呑み込めずに、交互に二人を見ながら黙りこくった。
「これは、どういう?」
「改めて、君の名前は?」
「……シャロン。シャロン・ハートフィールド。」
私はファリスの問いを無視した。言っても私も状況を完全に説明できるわけでもない。と言うか教えて貰えるのもなら、私が教えて欲しいくらいである。謎の美少女に後をつけられ、追いかけられ、助けたら助けたで急に銃を撃たれたのだ。よくよく考えてみれば散々な目にあっている。
「シャロンか、良い名だ。私はアルクアード・ブラッドバーン男爵。」
「だだだ男爵?! ちょ! う! だっ! ヴァ! そ……男爵!?」
「男爵!? ちょっと! 嘘でしょ! だって、ヴァンパイアなのに、そんな馬鹿な。男爵!?」とでも言いたかったのが
非常に不本意な驚愕ではあったが、これで分かったことは二つ。彼女は王侯貴族とは縁遠い生活圏の人間であるという事。そして、ヴァンパイアとそれらが結びつくという思考を持っていなかった、と言うことだ。
「落ち着いて。ではシャロン、森での鬼ごっこで髪の毛も泥だらけだろう。まずは湯あみをしてきなさい。着替えを用意させよう。その後で夕食でもどうかな?」
「なんで、私が。」
私の提案に、渋るシャロン。さっきの覚悟はどこへ?
「んー?」
「……わ、分かったわよ。命令がそんなんで良いなら、儲けものだわ。」
指につまんだままだった銀の弾丸を彼女にちらつかせ、仕方ない、といった感じでシャロンは折れた。よしよし、これで良い。誤解を解き、彼女の欲しい情報もこちらの欲しい情報も、交換し合う。そのためには親睦を深め、落ち着ける話し合いの場を持つことが最優先だ。
「メル!」
「お呼びでしょうか、アルクアード。」
呼ぶや否や、うちの優秀な使い魔は即座に入って来た。そして付け加えるならば、うちの優秀な使い魔は、主である私の事を呼び捨てにする、という心の準備とその躊躇に、完全に勝利したようだった。
「あ……うん。」
「なにか?」
「……まあいい。メル、彼女を湯あみ所に案内して、その他もろもろ頼む。この後晩餐の席に同席するのでな。」
これ位の指示を出しておけば、ファッションにうるさいメルの事だ、完璧に仕上げてくるだろう。
「了解致しました。腕が鳴りますわ。ではお嬢様、こちらへ。」
「おおお、お嬢様?」
「主であるアルクアードのお客人であるならば、私の主も同様でございます。」
そう言ってかしこまり、膝を少し曲げ、スカートの裾をつまんで、貴族のご令嬢のようにうやうやしく礼をするメル。しかし、シャロンのその瞳は、彼女の頭から生えている、猫のそれを凝視していた、
「安心して、こいつは私の使い魔でメルという。元は猫だが。」
「どうぞよろしくお願いいたします。えっと?」
「シャロンだ。」
まだ口をパクパクさせているシャロンの代わりに答える。
「シャロン様。ではこちらへ。」
「え、あ、うん。」
何とかパニックから立ち直り、メルに促されるまま部屋を後にしようとするシャロン。しかし、部屋を出る前に、こちらを振り向いた。
「……あの、傷の手当て、ありがとう。」
思わず笑ってしまった。彼女の礼が、先ほどまでの行動と完全に矛盾していることに対してもだったが、目の前の少女が、実は優しい、良い娘なのではないか、とも思えるその言葉に嬉しくなってしまったからかもしれなかった。
「はっはっは。それは銃を乱射する前に言うのが普通ではないか?」
「う、だって……もういい!」
また顔を赤らめて再び出て行こうとするシャロンの背中に向かって、糸の切れた人形のような状態で硬直していたファリスが今度は口を開いた。
「えっと、私は、ファリス・ロチェスター……伯爵……なんすけど……。」
ファリスの自己紹介が終わる時には、既にシャロンとメルは退出した後だった。
が、しばらくして廊下から断末魔のような悲鳴が聞こえた。かろうじて聞き取れる「伯爵!!!」という言葉に、私とファリスと顔を見合わせ、肩をすくめるしか術はなかった。
―――
そのほぼ同時刻。
カーティス・レインはフィルモアの領内に建つ、一つの屋敷も前に居た。
その館の主人の名は、もう忘れることは出来ないくらい耳にした。
レーリア・クローデット。
あの後、馬車に飛び乗った彼は、大陸での出来事や、流行、世間話などを肴に、フィルモアまでの急ぎの陸路と、レーリア・クローデット子爵の屋敷の場所と、おおよその情報を同時に仕入れていた。
レーリア・クローデット子爵。数年前より、フィルモア領内の外れにある、フィルマの花の群生地、そこを管理する貴族として、やって来たそうだった。馬車の主人の感じでは、とても領民に慕われている、とても美しいお方、とのことだった。
あの時は恐怖で凍り付きそうではあったが、ああいう状況では無く、普通に出会っていたとしたら、確かに、美しい貴婦人、と言う感じだった。
「そして……。」
カーティスは息を飲んだ。別に彼が問いただしたわけでは無く、世間話の間に、何度も同じ言葉が飛び出したからだ。
(「レーリア様はヴァンパイアさ。あのヴァンパイア様も、本当に出来たお方だよ。」ってか。)
カーティスは、意を決して屋敷の前の鉄門のノッカーを鳴らした。
暫くして、音も無く、疾風のように扉の向こう側に影が現れた。
「何者だ?」
品定めするような口調で影はそう問いかける。
今自分は子爵様の屋敷の前に居るのだ。大陸ではこんな事はありえない。相手の虫の居所が悪ければその場で斬られても文句は言えないのだ。カーティスはそんな不安と恐怖で押しつぶされそうになったが、ここで引き下がるわけにもいかない。しかし、交渉に持ち込めれば何とかなる。カーティスはそう自分に言い聞かせた。
「すまない、怪しいものじゃない。ここはレーリア様のお屋敷で間違いないか?」
「間違いはないが、僕の質問に答えろ。」
「これは失礼した。私はカーティス・レイン。昨日レーリア様にお会いして、お話したいことがあって来た。」
「話したいこと? それは何だ? 曲がりなりにも貴族の屋敷だ。怪しい人間を入れることはできない。」
「いや、本当に、お話がしたいだけだ。」
「ふうん……。」
無下にされ断られている。そんな感覚はカーティスには無かった。自分の申し出自体が無茶苦茶なのだ。なのに、ここまで話に付き合ってくれている。この目の前の相手さえ篭絡すれば、勝ち目がある。そういう確信すら芽生えていた。
さらに言えば、このカーティスの目の前の彼は、どうやら交渉事には向いてなさそうな感じだった。主の命には従うが、自分で判断する裁量を任されていない、そんなイメージだった。甘いマスクとハッタリと交渉術だけでこの世界を渡って来たカーティスは、この数秒のやり取りでそこまでを見抜いていた。
であれば、つまり、目の前の人間が主にのみ忠実であるならば、主にお伺いを立てる方向に持って行けば良い。カーティスにとってはこの交渉は児戯にも等しかった。
「いや、その、実は先日お命を助けて頂いたんだ。だから、その、お慕い申し上げているレーリア様に、一言、直接お礼を申し上げたくて。」
「ほほう。お優しいレーリア様のお心遣いに心打たれて、お礼に来たと言う訳か。なかなか殊勝な心を持っているじゃないか、人間。そういうことなら、取り次いでやらないこともない。しばし待つが良い。」
そう言い残して、影は疾風のように屋敷に消えた。
ミッションコンプリート。
しかし、カーティスは一つ引っかかっていた。彼は、なんかおかしな単語を言っていた。
「なかなか殊勝な心を持っているじゃないか、『人間』と」
つまり、自分は人間じゃない、と言うことでなないのか。
もしかしたら、あの彼もヴァンパイアなのか?
ここに来たのは早計だったかもしれない。
カーティスの頭の中で、そんな考えがぐるぐる回り始めた時に、再び音も無く、先ほどの影が現れた。
「レーリア様がお会いになる。良かったな、人間。」
また言った。
不安は募るばかりだが、もう後には引き下がれない。カーティスは覚悟を決めて、ヴァンパイアの巣窟へと足を踏み入れた。
レーリア・クローデットは満足していた。
昨晩、出会ったあの男の恐怖に歪んだ顔が忘れられない。
この平和なアトエクリフ島には、時々大陸から、ヴァンパイアの謎を探る、などと言うよからぬ輩が来入ってくる。
愛するこの島の住人として、そして愛するこのフィルモアの子爵として、島を守るには、ヴァンパイアの恐怖を植え付けて大陸に返す。それが一番だ。
大陸に戻った人間は、アトエクリフ島の、死の花の、ヴァンパイアの恐ろしさを吹聴する。しかし、ヴァンパイアを見た、殺されかけた、と言っても相手にされないだろう。肝心なところは忘れられて、この言葉だけが残る。
「あんな島には行くもんじゃない」と。
これが、この島の平和の源である。
自分の、一人のヴァンパイアとして、その役目を果たせた。カーティス、とか名乗っていたあの男も、きっと大陸に帰り、あんな島には行くな。と島の為の防波堤の役目を買って出てくれることだろう。
そう思っていたのに……。
「フィオ、今なんて?」
「なんか前にレーリア様に命を助けられたって人間が、レーリア様に会いたい、って言ってます。カーティス・レイン、とか名乗ってました。」
門番に出ていた使い魔にそう告げられて、慌てて、窓越しに入口の方を覗いてみる。確かに、そこにはカーティス・レインと名乗っていた、あの時の男が立っていた。
(命を助けた……? どういうつもり? 「次に会ったら命は無い」って言われて「命を助けられた」って思う、普通? しかもそれで会いに来るなんて。頭が弱いのかしら。それとも私の凄みが弱かったのかしら?)
レーリアは必死に思案したが、どう考えても答えを導き出せそうになかった。しかし確認しなくてはいけない事が出来てしまった。
これで、もしも「あの時、怖くなかった」なんて言われてしまったら、もうヴァンパイアとしてのアイデンティティ崩壊である。これはレーリアにとって由々しき事態だった。
「……フィオ、良いわ、通しなさい。」
「はい、分かりました!」
フィオと呼ばれた少年は、頭から生えている耳をピクっと動かして、再び外に消えていった。
使い魔の愛犬が姿を消して、レーリアは思案した。
自分は気の弱い一面がある。と言うか、気が強い弱いに関わらず、そもそも「この島の伝説である恐怖のヴァンパイア」像からは程遠い。
だから昨日は、頑張ってみたのだ。本来ならば、あそこで悲鳴を上げてしまいたかった。それに、あの日の殺人事件の被害者の身元と事件の原因を明らかにするためにすぐにでもフィルモア伯に連絡を入れるよう、誰かに指示を出さなくてはいけなかった。あんなザ・悪役みたいなセリフを吐いて、颯爽と去るなんて。
ちなみに、あの後すぐに、フィルモア伯と、街の自警団には連絡を入れたのではあるが。そして、あの被害者の身元は、現在目下捜索中であった。
ともあれ、そんなこんなで必死に頑張ったにもかかわらず、いけしゃあしゃあと、当の脅された本人が会いに来てしまったのだ。一体どんな顔をして会えばいいというのやら。
「あ、ああ。すまない、ありがとう。あの君は?」
「俺様はフィオ。昔は犬だったが、今ではレーリア様の一番の使い魔さ。」
「つか?! ……へ、へえ。凄いな。」
「だろ?」
こちらには気づいていないようだが、窓の外のすぐ下では、あの男、何やら楽しそうに、もううちの愛犬を
(自分で招き入れる事を承諾しておいて、何を慌てているのやら。)
レーリアは自分に突っ込んだ。でも、あの時のあの男の恐怖に歪んだ眼は確かだった。もうこうなったら、堂々と聞くしかない。
レーリアが覚悟を決めた時、廊下を歩く音が近づいてきた。
おとぎ話でしか知らないような大きな玄関の扉をくぐり、おとぎ話でしか知らないような螺旋階段を上がり、これまたおとぎ話にしか存在しないような、「使い魔」という自己紹介をして来た少年、フィオに促され、カーティスは意を決して、大きなドアの扉を開いた。
窓から外を見る、赤いドレスの美しい女性。それは極めて幻想的に見えたことだろう。しかし、飛び込んできたその光景は幻想的過ぎて、今のカーティスには、先日の出会いと恐怖を思い起こすだけであった。
「いらっしゃい。あの時のお兄さんね。」
「レ、レーリア様。この度のご無礼、お許しください。」
「……フィオ、お茶を入れてきてくれるかしら?」
「うん!」
しかしながら、話してみると、目の前の淑女からは、先日のような恐怖は感じなかった。目線を合わせていないからかもしれないが、背中で語る彼女からは、柔らかい雰囲気さえ漂っていた。
「それで、どういうつもり? あの時、かなり強めの言葉で忠告しておいたはずだけど? えっと……そんなに私は怖くなかったかしら?」
「正直、気を失うほど恐ろしかった。」
「そう。」
グッ!
もしも仮に効果音にしたら、こんな感じだろうか。それくらい、レーリアは、カーティスに見えないところで、思い切り、勝利の拳を握り込んだ。
しかし、当のカーティスには、目の前の恐ろしい存在がそんな可愛らしいことを考えているなど微塵も思わずに、ひたすら彼女とのやり取りに全神経を研ぎ澄まさせていた
「では、あなたは、どうしてここへ?」
「レーリア様は……ヴァンパイアは人を殺さない、そう仰いました。」
「ええ、そうね。」
「それはおかしい。」
「何が?」
「俺は、姉さんを……ヴァンパイアに殺された。今でも……駆けつけた時の、姉さんの亡骸が目に浮かぶ。」
なるほどそういうことか、レーリアは思った。
ここ数年起きている、大陸のヴァンパイアの殺人事件。彼はその被害者なのだ。当然この島にも辿り着くだろう。それで、偶然出会ってしまったのがあの時の私、と言う訳だ。
彼は、恐らく犯人の目星はついていないのだろう。「ヴァンパイアらしい」と言うことしか。だから、手あたり次第、ヴァンパイアらしきものを憎むしかないのだ。そんな事あるはずもないのに。
「……そう。それは、辛かったでしょうね。」
「絶対に許せない。絶対に犯人を見つけ出して、復讐してやる……。」
「……それで? ヴァンパイアの私に会いに来てどうするつもり?」
レーリアは、正面からカーティスに向き直った。もしも彼が手あたり次第ヴァンパイアを憎むくだらない人間ならば、この場で気絶でもさせて放り出すだけだ。しかし、レーリアには、姉思いのこの青年が、そんな短絡的な人間に思えなかった。そしてその彼女の予想は的中した。
一瞬、レーリアの赤い瞳に
「ヴァンパイアの事を知りたい。大陸では会うことも出来なかったし、情報がなさ過ぎた。貴女に会ってみて、なんというか、こう、俺が思ってたヴァンパイアと大きく違っていて……。それに、あなたは犯人ではないだろうし。」
「どうしてそう言い切れるの?」
「犯人なのか?」
「ふふ、まさか。」
「もしそうなら、俺はあの時に殺されているだろうからな。」
「なるほど。」
彼は真実に触れようとしている。そう願っている。
それは、ただ単純に「ヴァンパイアは人を殺さない」という、自分の存在意義と矛盾するルールを聞いてしまったからに過ぎないかもしれない。しかし、盲目的にならず、流されず、自分の道を自分で確かめようとする。その姿勢に、僅かながらに憧れた。昔の、人間だった頃の自分とは大違いだったから。彼の瞳は、今の、流されて生きてきたなれの果ての姿の自分には、苦しい輝きだった。
「……頼む。」
「良いでしょう。貴方のお姉さんに免じて、教えてあげましょう。それに、私が怖くなかったわけじゃなかったみたいだし。」
「え?」
目の前の青年を好意的に見てしまった油断からなのか、思わず口が滑ってしまった。いけない、いけない。
レーリアはそう思ったが、当のカーティスは目の前の美しいヴァンパイアがそんな可愛らしいことを考えているなど知る由も無かった。
「いいのよ、こちらの話。では、本題に入りましょう。でも、教えたとして、あなたは信じるかしら。」
「なんでもいい、今は情報が欲しい。」
「……わかったわ。立ち話もなんだし、詳しい話はお茶が来てからにしましょう。」
そう言って、テーブルと椅子を勧めるレーリアに従い、カーティスは恐る恐る腰かけた。
「そんなに警戒することでも無いでしょうに。」
「い、いや、その、マナーとかが、良く分からなくて、さ。レーリア様より先に座ってしまって、その、不敬罪とか、言われないか、とか。」
レーリアは思わず吹き出してしまった。彼の言っている内容に、では無く、少し好印象を持った目の前の青年が、ごまかしのない正直な人間であることが分かり、嬉しかったからかもしれない。
「わ、笑うなよ。いや、笑わないでください。」
「いいのよ、いつも通りの口調でお話なさいな。その方があなたもやりやすいでしょう。その代わり……」
「その代わり?」
「私も、あなたを、カーティスと呼ばせて頂戴。」
「あ、ああ。もちろんだ、です。あ、いや、わかった、りました。」
二人で異性と、顔を見合わせて、ぎこちなく笑いあう。こんな事何年ぶりだろう。
その気持ちが通じたかどうかは定かではないが、同時に、二人は同じことを考えていた。
空気が和み、お互いに改めて自己紹介などをする。
暫くしてフィオが運んで来た、そのお茶をすすりながら、世間話でも始まるようなその空気で、「さて」とレーリアは話し始めた。
しかし、残念ながら、と言うか、予想通りと言うか。その初めの一言が、和んだ空気を、そして、カーティスを凍り付かせたのは言うまでも無かった。
「ヴァンパイアには三つのルールがある。あなたが聞いたのはその一つよ。『ヴァンパイアは人を殺さない』『ヴァンパイアは人には殺せない』『ヴァンパイアは増えない』。これが私たちヴァンパイアのルールよ。」
「なんだって……。」
つづく。
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