名前のない化け物 2
「だがな、怖いのはそこからだよ。山田は、相手の好みを瞬時に見抜くんだ。で、好みのタイプになりきり相手と接する。無論、顔は変えられない。だから、喋り方、細かい仕種、小さな気遣いなどといった部分を完璧にコピーしちまう。カメレオンみたいに、状況に応じて自分という人間をまるごと変えちまうのさ。そうなると、ターゲットになった男は、無意識のうちに山田のことが記憶に残っちまうんだよ」
大木の言葉に、康介は殴られるような衝撃を受けていた。何も言えず、ただただ目の前にいる男の顔を凝視している。
もちろん、康介とて裏の世界で飯を食ってきた男だ。今まで、様々な人間を見ている。だが、ここまで異様な人間は聞いたことがない。
愕然となっている康介に向かい、大木はなおも語り続ける。
「それだけじゃねえ。山田はな、男の中にある妙な気持ちをくすぐるんだよ。こいつの良さをわかるのは俺だけ、お前らにはわからねえだろ……選民意識にも似た気持ちだ。そういう部分を上手くくすぐり、自分に夢中にさせちまうんだよ。それが、あの女の得意技だ」
大木の言葉は、刃物のように康介の心に突き刺さった。彼の言う通りである。自分の中にも、そんな気持ちがあった。山田を理解できるのは、同じ地獄を味わった自分だけ……そんな意識があったのだ。
「しかも、山田は話を作るのも上手い。さっきも言った通り、奴は真顔でとんでもない嘘をつく。それも、ただの嘘じゃない。相手に合わせて、一瞬にして己の物語を作り上げちまうんだ。狙ったターゲットが気に入るような嘘の逸話を、瞬時に考えつく。考えついた直後に、ベラベラと語り出す。しかもだ、細部まで辻妻が合っているから始末に負えねえ」
ターゲットに合わせて、ということは……山田は康介に合わせて、父親にレイプされた挙げ句に、耐え切れなくなり殺した……という話を作り上げたのか。だとしたら、とんでもない奴だ。
すると大木は、康介の心を見抜いたかのような話を語り出した。
「お前はさっき、山田が義理の父親にレイプされたとか言ってたな。それも、お前に合わせて作られたストーリーだよ。目の前にいるターゲットの心に刺さるストーリーを、奴は瞬時に見抜いて作り上げる。詐欺師も顔負けだよ。作家にでもなればいいのにな」
苦笑を交えて大木は語ったが、康介は少しも笑えなかった。
実の父と姉を手にかけた康介。山田は、その地獄のごとき過去を一目で見抜いたのだ。誰も知らないはずの過去を……そう、あの事件は幸平の犯行としてマスコミに発表されている。誰も真相は知らない。にもかかわらず、山田は見抜いた。
そんな親殺しの自分を落とせるようなストーリーを、ほんの僅かな時間で作り上げる……ここまで来ると、もはや人間ではない。
あいつは、本物の化け物だ──
動揺を通り越し呆然となっている康介に、大木はなおも話し続ける。
「狙われた男は、気がつくと山田のことが忘れられなくなってるんだ。まあ当然だよ。あいつは、最初は完全に気配を消して近づいてくる。透明人間みたいにな。で、いつのまにか相手の心の奥底に入り込んでいる。ターゲットとなった男が奴の存在を意識するようになった時には、もう手遅れさ。男は、身も心も山田に支配されているんだよ」
その時になって康介は、初めて山田と会った時のことを思い出した。人間に化けたエイリアンが目の前に立っている、唐突にそんなバカな考えが頭に浮かんだのだ。当時は、アホらしいと思った。
だが、今ならわかる。康介の、裏の世界で培った勘は確かなものだった。ちゃんと告げていたのだ。山田が、本物の
「それだけなら、まだマシだよ。ところがだ、あいつは付き合った相手を殺すんだ。山田と付き合った男のうち、わかっているだけで四人が自殺した。さらに、十人近くが行方不明になってる。恐らく、全員あの女に消されたんだ」
消された、と聞いて思い出したのは、前に始末した死体だ。小川と近藤とかいう名前だった。あのふたりもまた、山田と付き合っていたのだろう。
死人のような顔色になっている康介を、大木は憐れむような目で見つめた。
ややあって、再び口を開く。
「お前も、こっちの世界の住人ならわかるだろう。今時、金目当ての殺人なんか割に合わないんだよ。何十億の金が絡むならともかく、数十万から数百万くらいの金で人を殺すなんてバカのやることだ。山田はバカではない。むしろ頭はキレる。しかし、あいつと深い仲になった男は次々と消えている。山田はな、目を付けた男を必ずものにする。その後に殺す……そういう異常者なんだよ」
「何のために?」
そこで、ようやく言葉が出た。
「わからねえよ。カマキリのメスは、交尾が終わった後にオスを食い殺すらしいけどな、あいつにとって男を殺すことは、真の意味で自分のものにした……そんな感覚なのかもしれねえよ」
熱に浮かされたような顔つきで、大木は語り続けている。もしかしたら、この男も山田と付き合ったことがあるのだろうか。
その時、若松の言葉を思い出した。
(ここだけの話だが、そいつはゲイだからな)
それが本当なら、この男には山田の魔法が通じないということになる。大木なら、山田を仕留められるのかもしれない。
「なあ、協力してくれ。正直言って、俺も山田が何を考えているのか完全にはわからないよ。はっきりとわかっているのは、あいつは人間じゃないってことだ。見た目は、間違いなく人間だよ。でもな、あれの内側は違う。人間の皮をめくると、化け物が棲んでいるんだよ。俺も十年以上刑事をやってきたがな、あんな奴は初めてだ。恐らく、日本の犯罪史上でも最悪の怪物だろうよ」
康介は、無言のまま聞いていた。
正直に言うと、この期に及んでまだ迷ってもいた。大木の言うことは、嘘とは思えない。だが、全てを信じていいのかという気持ちがある。あまりにも突拍子もない話だ。
さらに、心のどこかに山田を信じたいという思いも僅かに残っている。康介は混乱し、何を信じていいのかわからなくなっていた。
そんな迷いを察したのか、大木の口調が穏やかなものになった。
「お前には、絶対に迷惑はかけない。だから教えてくれ。山田花子に関する情報なら、何でもいい。あいつを止めないと、大変なことになる」
そこから、大木の口調ががらりと変わる。
「はっきり言うぞ。お前、自分だけは特別だとか思ってるだろうけどな、あいつに騙されてるんだよ。山田はな、誰かに特別な感情を抱いたりしない。結婚詐欺師と同じく、全ての男はカモだと思っている。ただし、山田が奪うのは金だけじゃない。命も奪う。いや、人生そのものを奪われた奴だっているんだよ」
そういうと、大木は鞄からタブレットを取り出す。操作し、康介に画面を見せた。
化粧の濃い女が映っていた。顔は綺麗だが、まともでないのは一目でわかる。四方を鉄格子に囲まれた異様な部屋で、コンクリートの床の上にしゃがみ込んでいた。虚ろな眼差しで、床の上をじっと見ている。一糸まとわぬ姿だが、恥じる気配もない。口は半開きで、時おり声が漏れ出ている。
「こいつはな、もともと男だった。売れっ子のイケメンホストだった。ところが、山田と出会ったのが運の尽きさ。有り金をむしり取られた後、どっかの病院で性転換させられた挙げ句に、薬漬けにされてヤバい連中の経営するタコ部屋に売り飛ばされた。薬のやり過ぎで、頭もおかしくなっちまったらしい。今じゃ、労働者相手に体を売る毎日さ」
先ほどまでとうって変わり、淡々とした口調で大木は語っている。康介は画面を見ながら、ふと菅田について考えた。地獄を見せてやった、と山田は得意げに語っていた。菅田は今頃、どんな姿にされているのだろうか。
その前に……得意げに語っていた表情もまた、演技だったのだろうか。
康介がそんなことを思っていた時、大木の口調が変わる。
「頼む、山田について知っていることがあるなら話してくれ。あいつだけは放っておけない。もし奴の居場所を教えてくれたら、一千万出す」
その言葉は、熱を帯びていた。
一千万……ひとりの人間の情報としては破格だ。普通ならば、嘘をつくなと一喝しただろう。
しかし、嘘ではなかった。大木は、持ってきた鞄を開けて札束を取り出す。
その札束を、目の前のテーブルの上にどんと置いた。高さからして、確かに一千万はありそうだ。
「この金を見れば、どういう状況かわかるだろう。あいつの情報を得るためだけに、一千万払う人間がいる。山田は、それほどの危険人物なんだよ。それに、このままだとお前も間違いなく殺される。そうなる前に、あいつの情報を全て俺に教えろ」
「山田をどうするんですか?」
馬鹿げた質問であることは百も承知だ。にもかかわらず、聞かずにはいられなかった。
「特別に教えてやる。あいつに恨みを持ってる女は大勢いる。俺はな、その女たちに依頼されたんだよ。山田の身柄を押さえ、女たちに引き渡す。後のことは知らねえよ。たぶん、死んだ方がマシって目に遭わされるだろうな」
大木は、そこで言葉を止めた。康介の目を、じっと見つめる。
少しの間を置き、口を開いた。
「山田の情報を教えろ。これは、お前のためでもあるんだ。このままだと、お前は確実に殺される。あるいは、こんな目に遭うんだ」
言いながら、タブレットの画面を指差す。
そこに映っている者は、ずっと床の一点を見つめている。彼の目に、何が見えているのだろうか。
ひょっとしたら、そこに山田の顔が見えているのかもしれない──
無言のまま画面を見続ける康介に、大木が口を開いた。
「迷うことはないだろう。お前には、ふたつしか道はないんだ。俺の申し出を蹴れば、俺を敵に回すことになる。しかも、山田にさんざん利用された挙げ句に殺されるんだよ。あるいは、こんな目に遭わされるか」
言いながら、画面の男を指差す。
「ただし、俺に情報を流せば、金は入るし俺を敵に回すこともない。その上、山田との縁も切れる。何より、お前はこの先も無事に生きていけるんだよ」
その声は、うって変わって優しいものだった。
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