名前のない化け物 1

「はあ? 化け物?」


 思わず聞き返していた。それも当然だろう。化け物とは、あまりに突拍子もない言葉だ。

 その反応を見て、大木はクスリと笑った。おかしくて笑ったのではなさそうだ。お前もか、とでも言いたげな雰囲気が感じられた。


「大げさな、と思っているだろう。だがな、山田は本当にヤバいんだよ。ひょっとしたら、日本でも最悪の殺人鬼かもしれねえ。俺もこれまで、いろんな奴を見てきた。だがな、あの女は別格だよ」


 語る顔は真剣そのものだった。康介は何も言えず、ただただ聞いていることしか出来ない。


「あれは三年前のことだ。俺は、銀星会に所属するチンピラを追っていたんだ。こいつは、組員にもなれなかった半端者さ。いわゆる準構成員だよ。だがな、こいつの周りでふたりの人間が死んでる。片方は、川に落ちて溺死した。もう片方は、自宅で練炭による自殺だ。それだけなら、なんてことはないんだが……ふたりには、何千万て額の生命保険がかけられていやがった。で、受取人がそのチンピラだったんだよ」


 そこで、大木はタバコの箱をポケットから出した。一本抜いて口に咥え、火をつける。

 康介は喫煙者ではない。普段なら、露骨に嫌な顔をしていただろう。だが、今はそんなことはどうでもよかった。早く話の続きが聞きたい。

 煙を吐き出すと、大木は再び語り出した。


「半端者のチンピラに、そんな大それたことを出来るわけがねえ。絶対に銀星会の幹部が絵を描いている、俺はそう読んだ。で、よくよく調べてみたんだが、違ったんだよ。を描いていたのは、山田だったんだ」


 この場合の画を描いているとは、保険金殺人の計画を考えた者という意味である。つまり、山田が計画を立て、チンピラが実行したことになる。

 いや、殺人の方も山田が実行したのかもしれない。

 康介の考えを読んだかのように、大木は大きく頷いた。


「間違いないんだよ。当時、そのチンピラは山田と付き合っていた。しかも保険金を受け取った後、チンピラは林で首を吊りやがった。自殺として片付けられたが、俺は違うと踏んでいた。それから、徹底的に山田を調べてみたが……いやはや、信じられなかったね。あんな人間が存在するとはな。ヤクザなんか、あいつに比べりゃ原宿あたりをうろつくチャラ男みたいなもんだよ」


 いよいよ話が核心に入るらしい。康介は、固唾を飲んで聞いていた。果たして、どんな言葉が出てくるのか。

 次の瞬間、大木の口から出た言葉は完全に想定外だった。 


「あいつにはな、出生記録がないんだ」


 唖然となった。出生記録がないとは、どういうことだ? 木の股から生まれたとでも言うのか?

 その答えは、すぐにわかった。


「いわゆる無戸籍児って奴さ。親が役所に出生届を出さなかったため、戸籍が無かったんだよ。だから、奴の本名はわからない。誕生日も、いつなのかわからない。小学校にさえ、まともに行っていないんだ。両親が何者か、名前を付けてもらえていたのか、それすらわからないんだよ」


「本当ですか……」


 康介の口から出たのは、それだけだった。


「俺も徹底的に調べてみたんだがな、生まれてから十二歳までの記録がなかったのは確かだ。出生届けを出されないまま、成長しちまったんだろうな。これは俺の予想だが、どっかのモグリの売春婦が堕ろす間もなく産んじまって、そのまま捨てられたんじゃねえかな。その後、あいつはたったひとりで生きていたんだ」


 血の気が引いた。とんでもない女だ。ひとりで生きていたと言っているが、年端もいかぬ少女が、親のいない状態でどうやって生活していたのだろう?

 その疑問は、すぐに答えが出た。


「奴は十二歳の時、警察に補導されたそうだ。もっとも、当時の山田は字も読めず、数もよく数えられない状態だったからな。本当に十二歳だったのかすら、さだかじゃないんだよ。ただ、補導歴だけは警察にちゃんと残っている。山田の人生の記録は、そこから始まっているんだ。ちなみに、地元じゃ有名な娘だったぜ。ごみ箱漁り、万引き、引ったくり、空き巣、カツアゲ……そんなことやって食ってたんだよ。小学生はおろか、大人が相手でも不意打ちかまして金や食い物を奪ってたって話だ。完全に野生の獣だよ、俺は現地で話を聞いたが、十年以上経った今でも、山田のことを覚えている奴が大勢いたな」


 そこで、大木はまたしてもタバコに火をつける。その時、店員が注文のウーロン茶を運んできた。さらに、愛想よく挨拶しようとする。

 だが、大木はじろりと睨んだ。早く出ていけ、という意思表示なのはバカでもわかるだろう。その迫力に圧倒され、店員は引き攣った笑顔で去っていく。

 一方、康介もまた大木に圧倒されていた。何も言えず、じっと聴き入っている。予想外どころの話ではなかった。あの華奢な体で、とんでもないサバイバル人生を生き抜いてきたのか。

 だが、話はまだ始まったばかりだった。


「補導された後、山田は教護院に預けられた。中では、手酷い洗礼に遭ったらしい。聞いた話だが、院生のリーダー格の女を怒らせたため、集団でボコられた挙げ句にガキどもからレイプされたって話だよ。それから、山田はおとなしくなった。集団の中でうまくやっていく術も、そこで学んだらしい。最低限の教養も、教護院で身につけたって話だ」

 

 わかる気がした。実のところ、康介も僅かな期間ではあるが施設で暮らしたことがある。閉鎖的な空間での人間関係は大変だった。幸い、康介は無事に過ごせたが、ひどいイジメを目撃したこともある。山田も、同じ目に遭ったのだろう。憐れな話だ。

 だが次の瞬間、同情の気持ちは吹き飛んだ──


「ただし、山田もやられっぱなしで引っ込んではいなかった。奴へのリンチやレイプに参加した連中は、全員が事故に遭ったり行方不明になっちまったんだよ。調べたところ、生きている奴らは事故で寝たきりか、あるいは性的不能の体にさせられてる。ちなみに、リーダー格の女は顔に硫酸ぶっかけられてたよ。顔にはひどい火傷やけど、両目は失明、両耳たぶは削ぎ落とされてた。精神の方も完全に病んでいて、話を聞くのに苦労したよ。ったく、中学生がどうやって硫酸なんか手に入れたんだろうな。恐ろしい話だよ」


「やったのは、山田で間違いないんですか?」


 ようやく、康介の口から言葉が出た。すると、大木は頷く。


「証拠はないが、山田に間違いない。警察は通り魔の犯行と断定したようだがな、あいつ以外にそんなことする奴いねえだろ。それからしばらくして、山田はどこかの家に養子としてもらわれていったんだよ。それから三年後、義理の両親は事故死した」


 義理の両親と聞いて、思い出したことがあった。そっと聞いてみる。


「あのう、山田から義理の父親にレイプされた、って話を聞いたんですが……」


 そう、山田はそんなことを言っていた。だから、義理の父親を殺したのだ……とも言っていた。それが本当なら、彼女にも同情の余地がある。

 しかし、大木の答えは非情なものだった。 


「たぶん嘘だよ。あいつはな、そういう嘘を瞬時に思いつけるんだ。まあ断定は出来ないが、その父親は六十歳近い年齢だったんだぜ。しかも、信号無視すらしないようなタイプの男だったって話だ。義理の娘をレイプするとは思えないな」


「ほ、本当ですか!?」


 顔を歪めながら声を搾り出す康介を、大木は気の毒そうな表情で見つめる。

 少しの間を置き、語り出した。


「あいつの恐ろしさを、お前は全然わかっていない。山田はな、とんでもない嘘を真顔でつける。しかも、自分のついた嘘を完璧に覚えてる。いつ、どこで、誰に、どんな嘘をついた……全て記憶してる。だから、あいつの嘘には綻びがない」


 そこで、大木は言葉を切った。康介はというと、呆然となっている。山田が義理の父親にレイプされたと聞き、心底から同情した。ある意味、共感すらしていた。

 それが、嘘だったとは──

 康介を気の毒そうに見ながら、大木は再び語り出した。


「ちょっと考えてみてくれ。あいつは、絶世の美女って顔じゃない。はっきり言うなら、顔もスタイルも十人並だ。にもかかわらず、男に不自由したことはない。それどころか、付き合った男を狂わせちまう。なんでだかわかるか?」


 わかるわけがない。康介はかぶりを振り、次の言葉を待った。


「あのな、ハリウッド女優みたいな顔の女が必ずしもモテるとは限らない。むしろ、美女が苦手だって男も少なからずいる。綺麗すぎる顔が目の前にいたら、ほとんどの男が萎縮し話しかけることすら出来ない。あとな、女に免疫ゼロのモテない男なんかは、綺麗な女に反発し敵視することもあるんだよ」


 言われてみれば、その通りだ。康介自身、あまりに綺麗すぎる女には気後れし、話しかけづらいものを感じる。

 大木の方は、憑かれたかのような表情で語り続けた。


「何ちゃらBとか、何とか坂みたいなアイドルグループ見ればわかるだろ。一番の美女が、必ずしもナンバー1になるわけじゃない。むしろ、ほどほどのレベルの女が上位になったりするんだよ。あのプロデューサーは、本当に商売が上手いよな。女に免疫のないこじらせ男ほど、一度キャバクラにハマったら破産するまで貢ぎ続けたりする。そういう男をファンにするには、美人すぎるとダメだったりするんだよ」


 異様な目で語る大木の解説に、康介も異様な顔つきで聞いていた。


「山田には、男に警戒心を起こさせる要素がない。あいつの顔は平凡だよ。これという特徴もなく、男を引き付ける強烈な魅力があるわけでもない。かといって、嫌悪感を起こさせるわけでもない。特に好かれもしないが、かといって嫌われもしない」


 確かに、大木の言う通りだ。山田の顔を見て、萎縮し言葉が出なくなる……そんな男はいない。むしろ、どちらかというと親しみやすい顔だ。

 ただ、自分は初めて会った瞬間に嫌なものを感じた。この女はヤバい、という異様な感覚を覚えたのだ。

 にもかかわらず、会って話すうちに、その感覚は消えていた──


「だから、九割方の……いや、全ての男は山田を警戒しないんだ。これまでの人生で女と付き合ったことがないような拗らせ男も、山田となら普通に会話できる。心にバリケードを築いてるような男も、山田のことは簡単に入れちまう。それなりに女と遊んできた男にいたっては、警戒すらしない。たぶん、視界にさえ入らないだろうな」


 淡々と語っていた大木だったが、次の瞬間に表情が変わる。


「だがな、怖いのはそこからだよ。山田は、相手の好みを瞬時に見抜くんだ。で、好みのタイプになりきり相手と接する。無論、顔は変えられない。だから、喋り方、細かい仕種、小さな気遣いなどといった部分を完璧にコピーしちまう。カメレオンみたいに、状況に応じて自分という人間をまるごと変えちまうのさ。そうなると、ターゲットになった男は、無意識のうちに山田のことが記憶に残っちまうんだよ」




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