呼び出し

 窓から射してくる日の光で、康介は目覚めた。

 時計を見れば、二時五分前だ。当然ながら、午後の二時五分前である。つい二週間前までは、どんなに遅くとも午前九時には目が覚めていた。無論、仕事によっては徹夜を余儀なくされることもある。だが、その場合でも睡眠薬などで調整し、生活サイクルが乱れないように努めていたのだ。

 それが今では、こんな状態である。悪い習慣は、簡単に身も心も蝕んでいく。 ヤク中は、特にそうだ──

 その時、何者かの気配を感じた。振り向くと、父と母と姉が立っている。三人とも、それぞれ別の方向を見ていた。康介に視線を合わせない、という点だけは一致している。


(やっぱりね。そうじゃないかと思った。あたしも、初めて殺したのがオヤジだったからさ)


 昨日の山田花子との会話が脳裏に浮かんだ。あの女も、父親を殺していたとは……。

 これまでの人生で、両手の指でも数え切れないくらい人の命を奪ってきたが、それでも親だけは殺せない……こうしたタイプの殺し屋は存在する。裏の世界に生きてきた者たちでも、親殺しだけは別なのだ。

 眉ひとつ動かさず人を殺してのけるヤクザが、家に帰れば子煩悩なマイホームパパ……どこかの漫画の登場人物のようであるが、こういう者もまた実在する。彼らは、仕事の顔と家庭での顔をきっちりと分けており、そこに何の矛盾も感じていない。裏社会でも上に立つ人間ほど、その切り替えが上手い。

 裏の世界の住人たちの中でも、肉親を殺すのは特別なのだ。さらに、子殺しより親殺しの方が罪は重い。少年院や少年刑務所でも、親殺しをやった者だけは扱いが違ってくる。看守たちからは冷たくされ、周りの院生たちからは壮絶なイジメに遭うケースが少なくないのだ。

 もし、俺が親殺しとして逮捕されていたら、今頃どんな人生を歩んでいたのだろう……そんなことを思いつつ、声をかけてみた。


「お前ら、俺を恨んでるのか?」


 これまでとは、違う言葉だった。今まで、彼らに言うことは「うぜえな」「もう一度殺すぞ」といった罵詈雑言だけだった。

 今になって、なぜ彼らに問いかけるような言葉をかけたのか……それは、自分でもわからなかった。

 もっとも、家族の反応はいつも通りだった。何の反応も示さず、あらぬ方向を見ている。康介とは、目を合わせようとしない。

 彼らは、自分にしか見えないのだろうか? これは、今までにも何度か考えた疑問だ。もちろん答えはわからない。そもそも、この家に他人を上げたことはない。したがって、この「家族」と他人が接触したことはないのだ。

 

 山田を、この家に呼んだらどうなるのだろう?

 

 ふと、そんな考えが浮かんだ。山田なら、この家族を見ることが出来るかもしれない。仮に見えなかったとしても構わない。その場合、この家族が自分の見ている幻覚だということがはっきりする。

 そんなバカなことをぼんやり考えつつ、冷蔵庫を開けてみた。ろくなものが入っていない。

 ふと、空腹を感じた。ようやく、覚醒剤の影響から脱したらしい。考えてみれば、ここ数日間は本当におかしかった。今になって、ようやく当時の自分の異常さに気づく。あんな状態で外出して、万が一にもパトロール中の警官に職務質問など受けていたら……想像することもためらわれるくらいの事態だ。

 とにかく、覚醒剤とは二度とかかわらない……そんなことを思いつつ、服を着替えた。まずは、コンビニで食料品を買ってこよう。突っ立っている家族を無視し、康介は外に出た。




 目に付いた物を大量に買い込み、康介は家に帰る。中を見回したが、家族の姿は見えない。父も母も姉も消えてしまったようだ。

 その時になって、スマホにメッセージが届いているのに気づいた。

 もしかして、山田だろうか。淡い期待を抱いて、スマホを手に取る。だが、その期待はあっさりと打ち砕かれた。

 メッセージの送り主は、若松からだった。


(お前と会いたがっている男がいる。前にも話した奴だ。山田花子の話を詳しく聞きたいらしい。話すだけでギャラが出るそうだぜ。だから、今日中に連絡よこせ。でないと家に押しかけるぞ)


 康介は、思わず顔をしかめた。以前、若松が言っていたことを思い出す。


(実はな、山田花子についての情報が欲しいって奴がいたんだよ。あいつと直接顔を合わせたのは、俺の知り合いの中では、お前と小川だけだ。ちょっと会ってやってくれねえか?)


(そいつはマル暴の刑事だった男だ。悪さが過ぎて辞める羽目になり、今じゃあこっち側の人間だよ。ただし、あちこちの連中に顔が利く。役に立つ情報もくれる。俺としちゃあ、良好な関係でいたい相手なんだよ)


 元マル暴の刑事だった男が、山田に関する情報を欲しがっているというのか。

 あの女は、これまで何人もの人間を殺している。また、様々は犯罪にも手を染めているはずだ。したがって、警察に追われていると聞いても驚きはしない。

 しかし、件の男は刑事ではない。かつて刑事だったが、今では裏の世界の住人という話だ。いったい何者だろうか。

 なぜ、山田を追う?

 少し迷ったが、会うことにした。まずは、山田を追う理由を聞かねばならない。さらに、自分の知らない山田の裏の顔を教えてくれるかもしれない。


(わかりました。明日会いますよ。場所と時間を教えてください)


 そんなメッセージを送信する。

 しばらくして、若松から返信がきた。


(明日の三時、真幌駅前のカラオケボックスで待ち合わせるとよ。相手の名前は大木オオキだ。お前よりデカくてゴツい髭面のオッサンだから一目でわかる。あとな、ここだけの話だが、そいつはゲイだからな。刑事をクビになったのも、そっち関係で派手にやり過ぎたのが警視庁のお偉方にバレたからだって話だ。一応は、ケツに気をつけておけ)


 なるほど、と思った。

 実のところ、日本の警察組織は未だに昭和の価値観が支配している。一昔前は、いい年齢でありながら独身だと、昇進試験すら受けさせてもらえなかったという話だ。多様性などと言ってはいるが、こうした世界では古い価値観が全てを支配している。

 まあいい。ゲイであろうがなかろうが関係ない。康介が知りたいのは、山田の情報だ。適当な受け答えをして、逆にこっちが情報を聞き出してやる。




 その翌日、康介はカラオケボックスの一室にいた。

 目の前には、ひとりの男が座っている。年齢は、三十代後半から四十代だろう。若松よりは、確実に若く見える。背は高く、百八十センチは優に超えているだろう。短髪で、口の周りは綺麗に切り揃えられた髭が覆っている。

 その上、体格はがっしりしていた。スーツ姿の上からでも、胸板の分厚さや腕の太さがわかる。康介も一般人から見れば大きいが、この男に比べると見劣りする。餃子のような形の耳たぶは、かつて柔道かレスリングに打ち込んでいた時の名残だろう。今もトレーニングは欠かしていないのは間違いない。

 この男こそ、かつてマル暴の刑事だった大木である。マル暴に所属していると、どちらがヤクザか見分けがつかないくらい人相が悪くなっていくケースが多い。大木もまた、例にもれず人相が悪い。気の弱い男なら、すれ違っただけで謝ってしまうかもしれない。警察を辞めてから、裏社会の住人になったと聞いていた。そのため、人相の悪さにさらに磨きかかかった可能性もある。


「あいつとは、会っているのか?」


 大木は前置きもなしに、静かな口調で聞いてきた。


「あいつって誰です?」


 とぼけた表情で、康介は聞き返す康介。両者は今、カラオケボックスの一室にて向き合っている。言うまでもなく、ふたりの他には誰もいない。したがって、少々ヤバい内容の話をしても、他人に聞かれる心配はない。その代わり、何かトラブルが起きても止める者はいない。


「あの女に決まってるだろうが。お前らには、山田花子とか名乗ってたらしいな。ふざけた名前使いやがって……」


 その言葉の奥には、深い憎しみがあった。山田をよほど恨んでいるらしい。


「いいえ、一回会っただけですよ」


 すました顔で答えた。すると、大木の表情が変わる。鬼瓦のごとき形相で睨んできた。


「このガキが。しょうもねえ嘘つくんじゃねえ。お前、何度も会ってるだろうが。俺にはわかるんだよ」


 言いながら、さらに顔を近づけてきた。だが、康介はすっと目を逸らす。彼の勘が、この男は危険だと言っていた。

 大木は、交渉に関しては自分より上だ。荒事に関しても、自分より上だろう。元マル暴刑事の経歴は伊達ではない。自分のような口下手な人間が、情報を引き出せる相手でないのは明らかだ。

 このまま話を続けると、向こうのペースに巻き込まれる。話を打ち切り、帰った方がいい。


「あなたのために、わざわざ時間を割いたというのに嘘つき呼ばわりですか。話にならないですね。俺は帰らせてもらいますよ」


 そう言うと、康介は立ち上がった。ドアの方に歩きかける。が、大木が声を発した。


「山田の素顔、知りたくねえのか? あいつの本性を知っているのは俺だけだぜ。このまま帰ったら、お前は間違いなく山田に殺される」


 康介の動きは止まった。すると、大木はさらに追い打ちをかけて来る。


「お前は、何もわかってねえんだな。俺は、あいつのせいで警察をクビになった。だがな、俺なんかまだマシな方なんだよ。あいつに目を付けられ、命を奪われた人間は数知れない。お前、自分だけは別だとか思っているんだろう。そうさ、あいつと付き合った男は、みんな自分だけは特別だと思っていたんだ。結果、その全員が死んでいるんだよ」


 ドキリとした。確かに、山田は何人も殺している。知っているだけでも三人だ。それに、小川と近藤のふたりとは、確実に関係があった。

 それでも、自分だけは別だ、という意識が康介の中で芽生えていたのも間違いない。そこを、この男は見抜いているのだ──

 康介の動揺を悟ったのだろう。大木の表情が変わっていた。憐れむような顔つきで口を開く。


「お前の気持ちもわかるよ。あいつが相手じゃ仕方ない。だがな、命が惜しいなら奴のことは諦めろ。いいか、あの山田は人間じゃねえんだ。化け物なんだよ」





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