山田とのデート 2

「あいつって、菅田だよな?」


 康介は、思わず聞き返していた。しかし山田は、その問いを無視して語り続ける。


「実はさ、あたしと菅田ってほぼ無関係なんだよね。完全なる赤の他人。顔を見たのも、あん時が初めて」


 あん時? どういうことだ? と聞こうとした。だが、すぐに閃く。


「あん時って、俺があんたの部屋に奴を運んだ時のことか?」


「うん、そだよ。それまで会ったことも話したとこもないし、ネットで絡んだことさえない。本当に、あん時が最初の顔合わせだよ」


「じゃあ、なんで──」


 さらわせた? という言葉が出る前に、山田が答えてくれた。


「あたしの知り合いが、菅田に騙されたんだよね。貯めといた二百万を騙し取られたんだって。でさ、そのが言ったわけ。あいつに、この世の地獄を見せてやりたいって」


 二百万は、若い女にとって大金だ。そんな大金を、菅田のような男に貢いでしまうとは……世間一般の評価なら、騙される方もバカ、となるだろう。

 しかし康介は、その娘を責める気にはなれなかった。騙される方もバカ、というのは容易たやすい。しかし、そんなことを言えるのは詐欺師の恐さを知らない者だけである。プロの詐欺師は、あらゆる手段を用いる。中には、標的が正常な判断が出来なくなる状態にまで追い込む者もいるのだ。

 あの菅田も、そうした手段を用いたのかもしれない……そんなことを思いつつ、山田の話に耳を傾けていた。


「それで、あたしも調べてみたわけ。そしたら、出るわ出るわ。菅田の奴、あっちこっちで女の子を騙して金巻き上げてるって言うじゃない。だからさ、どんな奴なのかと思ってあんたに依頼したわけ。ものすごい趙絶イケメンな上、話してみたらスッゴく面白いんじゃないかと思ってさ」


 そこで山田は言葉を切り、ため息を吐いてみせた。


「がっかりだったよ。顔は、上の中ってレベルかな。話しても、面白くもなんともない。バカなチンピラの見本みたいな話題しかなくてさ。コーぢゃんと話してる方が、一万倍くらい面白いよ。あまりにもつまらないから、菅田に地獄を見せてやった。今のあいつ見たら、ホント笑えるから」


 笑えるとは、どういうことなのだろう。気がつくと、言葉が飛び出していた。


「あいつは……菅田はどうなったんだ?」


「だからぁ、地獄を見せてやったの。あんたにも、そのうち見せてあげるから。下手な芸人のつまらないコントより、よっぽど笑えるよ」


 クスクス笑う山田を見て、康介は心底からぞっとなっていた。

 この女は、人を殺すことすら何とも思っていない。そんな山田が、地獄を見せてやったと言っているのだ。

 今の菅田がどんな状態なのか、もはや想像すらしたくない。康介は、思わず顔をしかめていた。

 すると、山田の表情が変わる。重大な秘密を語るかのような真剣な顔つきだ。

 次の瞬間、恐ろしい言葉が飛び出る──


「ところで……あんた、前に人殺したって言ってたでしょ。あれってさ、親じゃない?」


 愕然となった。心臓がドクンと跳ね上がるような衝撃を受ける。心臓の弱い人間だったら、この場で倒れていたかもしれない。

 それも当然だろう。彼女の言葉は、笑って流せるようなものではない。なぜ、あれを知っているのだ?

 これまで、誰にも話していないのに──


「な、なんで……」


 どうにか言葉は出たが、同時に冷や汗も出ている。一方の山田は、余裕の表情だ。


「やっぱりね。そうじゃないかと思った。あたしも、初めて殺したのがオヤジだったからさ」


 またしても、心臓が止まりそうなショックを受けた。この女、駅前のファミレスでとんでもない告白をしている。子供の頃に駄菓子屋で万引きして怒られた、というような調子で、親殺しを語っている。

 どういう人間だ──


「オヤジ? 父親だよな?」


 そう聞くのがやっとだった。ヤクザたちは、組長のことをオヤジと呼んだりする。だが、山田の場合は違うだろう。

 そして、返ってきた答えは予想通りのものだった。


「うん。血は繋がってないけどね。いわゆる育ての親って奴」


 となると、この山田は孤児だったのか。などと考えている間にも、彼女は一方的に喋り続けている。


「どうやって殺したか、聞きたい?」


「あ、ああ」


 すると、山田はおどけた表情で答える。


「知りたい? うーんとね……教えてあげないよ、ジャン!」


 何だと? という苛立ちの気持ちが素直に顔に出てしまったらしい。山田は、こちらの顔をまじまじと見つめたのだ。直後に、クスクス笑い出した。


「そんな顔しないでよ、冗談だから。別に隠すほどのことでもないしね。あのクソオヤジ、最初はじろじろ見てただけ。あ、見てたって、あたしの体のことね」


 そんなことは、言われなくてもわかっている。この話がどういう展開になるか、何となくわかってきた。

 いつのまにか、康介の脳内で、彼女の義理の父親が飛田と重なっていた。姉の横で、全裸で寝ていた姿を思い出し、心底不快な気分になった。すぐに、その映像を頭から追い出す。

 その間にも、山田の話は続いている。


「まあ、見るくらいなら別にいいからさ。ほっといたんだよ。そしたら、だんだん調子に乗ってきてさ。足触ったりケツ撫でてくるようになった」


 予想通りだ。康介も、そうした家庭に育った女に頼まれ義理の父親を痛め付けたことがある。その父親は、見た目は普通の中年男だった。むしろ、柔和で温厚そうなタイプだった。外面そとづらのいい人間ほど、内面ないめんではとんでもないことを考えていたりするものだ。

 そんなことを思い出しつつ、山田の語る言葉を聞いていた。


「こっちとしてもさ、引き取ってもらった挙げ句に食わしてもらってる恩があったわけ。だから、触るくらいならいいかと思ってたんだよ。もちろん、気持ち悪かったけど我慢してたんだけど。そしたら、調子に乗ってさらにエスカレートしてきて、しまいには抱き着いてきてさ。なし崩し的に、そのままヤッちゃったんだよ。無理やりだったし、痛いし、たまんないよ。あれは拷問だったね」


 あっけらかんとした口調だった。昔、飼い犬に手を噛まれて凄く痛かったよ……そんな表情で語り続けていく。


「それからが、本当にしつこくてさ。しまいには、ゴムも付けなくなってんの。さすがに面倒になってきたし、デキちゃったらヤバいから殺したよ。いい加減にしなさい! ってツッコミながら殺っちゃった」


 直後、クスクス笑い出した。その場面は、よほど彼女のツボにはまるものだったらしい。

 もっとも、聞いている康介は全く笑えなかった。今の康介は、山田に対し不思議な気持ちを抱いている。彼女が語った話は、嘘とは思えない。恐らく、本当に義理の父親を殺してしまったのだろう。

 その時、またしても飛田のことを思い出していた。もちろん、奴を父親などと思ったことはない。だが、飛田の金で生活していた時期があったのは間違いなかった。

 あの男は頭がおかしい、康介はそう思っていた。二見家の家族の前で、平気で母を犯していたのだ。その上、姉にまで手を出している。とうてい正常とはいえない。

 しかし、今になって思うことがある。飛田は、本当に頭がおかしかったのだろうか……と。あの男を狂わせたのは、自分たち家族なのかもしれない。

 飛田は、清廉潔白とは程遠い人間であるのは間違いない。だが、その秘められていた狂気を引き出してしまったのは二見家なのではないか。あの家に憑いていた狂気が、飛田にまで伝染してしまったのかもしれない。

 もし、自分が飛田を殺さなかったら……奴は、どうなっていたのだろう。

 二見家は今、どうなっていたのだろう──


 そんな考えが頭を掠めた時、山田がニヤリと笑う。


「どう? ビビった? ドン引きした?」


 からかうような表情である。だが、康介はかぶりを振った。


「いいや。正直いうと、俺が殺したのも父親さ。しかも、実の父親だよ。世間的には、あんたよりも酷いだろうな」


「どうして?」


 興味津々、という様子で聞いてくる山田に、康介は神妙な顔つきで答える。


「あんたは、父親に無理やり犯されていた。義理の娘に、そんなことをする奴は殺されて当然だよ。誰だって、そう思うだろうさ。俺のケースとは違う」


 これは、偽らざる本音だった。山田の告白は、常人が聞いたら確実に衝撃を受けていただろう。いや、衝撃などという言葉よりも、遥かに大きな何かを感じていたはずだ。

 男の中には、自身の犯罪歴を自慢げに語る者がいる。だが、たいていは喧嘩やバイクの暴走といった程度のものだ。そんなつまらないことを、女性たちの前で誇らしげに吹聴する。

 だが、どんなバカでも人殺しを自慢げに語ることはしない。ほとんどの人間にとって、人殺しだけは別格なのだ。殺人の前科がある者を、仲間として迎え入れるような人間はいない。

 康介は、その「ほとんどの人間」の部類には入らない。なぜなら、彼も人殺しだからだ。それも実の父親と姉を、この手で殺した──

 山田は、じっとこちらを見つめた。少しの間を置き、口を開く。


「ありがと。やっぱり、あんたは違うんだね」


 その瞬間、山田の顔から仮面が剥がれ落ちた……ように見え、康介はドキリとなった。今、山田の素顔が垣間見えたような気がしたのだ。

 だが、それは一瞬であった。すぐに、元の顔に戻り聞いてくる。


「あんたのオヤジって、どんな奴だった?」


「たぶん、もともとは普通の男だったんだと思う。ただ、殺される直前には頭がおかしくなっていた。いや、あの時は家族みんなが狂っていた」


「狂っていた?」


「ああ。父さんも、母さんも、姉さんも、あいつも、俺も……」


 そう、みんな狂っていた。しかも、当時の康介は全てを他人のせいにしていた。あいつを殺せば、何もかも終わる……はずだった。

 しかし、何も終わっていない。死んだはずの家族は、今も現れる。


「本当のことを言うと、誰が悪かったのか未だにわからない。俺の家族みんなが加害者だった、そんな気がする。でも、家族みんなが被害者だった、そんな気もするんだよ」


「その両方なんじゃないかな」


 ボソッと呟いた山田。その顔には、不思議な感情が浮かんでいた。憐れみでも同情でもない何か。先ほどまで、父親殺しを楽しそうに語っていた女と同一人物だとは思えない。

 いったい、どちらが本当の山田なのだ? 

 それ以前に──


「な、なあ……山田花子って名前は、本名じゃないよな?」


 気がつくと、以前より頭の片隅にこびりついていた疑問を口にしていた。


「さあ、どうだろうね。想像に任せるよ」


 そこで、山田の顔がまたしても変化した。問いかけるような表情になる。


「本名って、そんなに大切なもの? あんたにとって、あたしは商売相手で父親殺しの山田花子……それで充分じゃないの? あたしの本名が違っていたからって、何かが変わるの?」


「いや、何も変わらない」





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