山田とのデート 1

「ちょっとお、ひどい顔してるじゃん。大丈夫?」


「ええ、大丈夫です。このところ、いろいろあって……」


 康介は、どうにか言葉を返す。

 彼の前には、山田花子が座っている。いつもと同じく、Tシャツにデニムという服装だ。化粧も薄く、髪は肩までの長さだ。通行人Aスタイルなのは、前回に会った時と同じである

 もっとも、康介の格好も似たようなものだった。前回の作業着姿よりはマシ、という程度でしかない。傍から見れば、若い恋人同士が仲睦まじく会話をしているように見えているのかもしれなかった。

 ところが、実際は真逆である。その実は、二匹の凶悪な人殺しがテーブルを挟み対面しているのだ。

 その凶悪犯ふたりがいるのは、前にも待ち合わせで利用した恭子駅前のファミレスだ。客は、彼らの他に三人いる。仕事をサボりスマホを見ているサラリーマン風の男がひとりと、学生らしき若い女がふたり。

 彼らは、康介たちには目もくれない。サラリーマンはスマホに夢中のようだし、学生ふたりは何やら楽しそうに会話をしていた。実に平和な空間である。

 もっとも、康介にとってはありがたいことだった。他の人間からの視線を浴びるのは御免である。山田に指摘されるまでもなく、ひどい顔なのは自分でも分かっていた。

 覚醒剤のせいで、ほぼ二日間、寝ていないし食べていなかった。ここに来る前、鏡で自身の顔をチェックしたが……目の下に隈が出来ており、頬はこけている。肌も不健康そうだ。麻薬取締局に長年勤めているような捜査官と出くわしたなら、薬物をやっていたことを見破られるのではないだろうか。

 しかも、体のあちこちが痛い。なにせ丸一日、ずっと同じ姿勢だったのだ。常人ならは、腰や膝を痛めていてもおかしくなかっただろう。

 これもまた、覚醒剤の効果……いや、副作用と言った方が正しいだろう。ずっと同じ姿勢で、同じ行動を数時間ぶっ続けで行えてしまう。薬のせいで、本来ならあるはずの疲労や体の痛みも感じなかった。だが、長時間同じ姿勢でいれば、体に変調をきたすのは確実だ。

 そもそも関節や筋肉の痛みというのは、これ以上その動きを続けると危険だぞ、という体からのサインである。その痛みを感じないという状態は、体にとって本当に危険な状態なのだ。

 事実、覚醒剤を打った直後、おかしな体勢で丸一日座りっぱなしだったため、エコノミー症候群を引き起こして突然死、というケースも存在するのだ。

 康介は昨日、ようやく覚醒剤の効き目が切れたところだ。寝ることも食べることも、どうにか可能になった。とはいえ、体のあちこちが今も痛む。精神的な疲労感も残っている。正直いうなら、外出はしたくなかった。他の人間からの呼び出しだったら、確実に断っていただろう。

 にもかかわらず、山田花子からの呼びだしに応え、康介は出て来てしまった。なぜ、ここに来たのか……その理由は、考えたくなかった。




 そんな康介は、不思議な感覚を味わっていた。ピリピリした緊張感があるのは間違いないが、相反するような甘い期待もまた、心のどこかにある。初めて、女性と食事に行った時のような甘酸っぱい期待だ。相手が人殺しの凶悪犯であるにもかかわらず、康介の胸の裡にはそんな気持ちがあった。

 だが、そんな甘酸っぱい気分は一瞬で切り替わる。いきなり山田の口から出てきた言葉に、康介は愕然となっていた。


「わかった、シャブでしょ」


「はい?」


 なぜ知っている……その言葉が、喉元まで出かかった。だが、かろうじてこらえる。しかし、山田はお構いなしに続けた。


「あんた、シャブやったでしょ。隠さなくてもいいよ」


 康介は何も言えなかった。シャブ、言うまでもなく覚醒剤を指すスラングである。若者たちがネットで取引する際には、アイスや氷などという隠語が使われることもあるらしいが、シャブというスラングは恐らく全世代に通じるポピュラーなものだろう。

 この女、何者だ? なぜわかった? いったい何を考えている? 様々な疑問が頭の中を駆け巡る。思考が混乱し、とっさに言葉が出て来ない。

 すると、山田はクスリと笑った。


「だからぁ、隠さないでいいって言ってるでしょ。今時、シャブくらい教会の神父だってやってるよ」


 教会の神父? いったい何のことを言っているのだ……などと思う間もなく、次の言葉が飛び出てくる。


「まあ、いいや。そんなことよりさ、サイコパステストやってみない?」


「はあ? 何を言ってるんだ?」


 どうにか言い返したものの、康介の頭はさらに混乱してきた。いきなり何を言い出すのだろうか。シャブに続いて、サイコパステストときた。一体なんなんだ……などと思っている間にも、山田はマイペースで話し続ける。


「ある男が、人を殺すことにしました。男がナイフを買いに店にいくと、一万円の凄く切れ味のいいナイフと、千円の切れ味がイマイチなナイフがあります。予算は一万円ちょうど。コーちゃんなら、どっちを買う?」


 いつのまにか、コーちゃんと呼ばれるような関係になっている。確か、前回も同じ名で呼ばれた。

 いや、そんなことより……この質問は何なのだろう。実際に人を殺した経験のある者からすれば、あまりにもバカバカしい問いである。そんなテストで、何がわかるというのだ。

 山田はというと、上目遣いでこちらを見つめている。何かに期待しているようだ。その目を見た途端、言葉が口から勝手に漏れ出していた。


「どっちか選ばなきゃならないなら、千円の方だよ」


「へえ、そうですか。なぜ、千円の方を選んだのですか? 理由を述べてください」


 まるで教師のような口調だが、口元にはいたずらっぽい笑みを浮かべている。十代の少女のようにも見える。

 対する康介はというと、セクシーな女教師に翻弄されつつも、必死で強がる男子生徒のような表情で答えていた。


「一万円のナイフを買うとなると、否応なしに目立つ。店員の印象にも残りやすい。遺体にも、特徴のある傷が残るかもしれない。そうなると、凶器を特定される可能性が高くなる。一方、千円のありふれたナイフなら、店員の記憶にも残りにくい。遺体の傷を調べても、ありふれたナイフによる犯行で終わりだ」


 ぶっきらぼうな口調で、どうにか言い終えた。すると、山田はくすりと笑う。


「なるほどねえ、さすがはプロ。言うことが違うね」


 感心したような表情で言った。もっとも、本気なのか演技なのかはわからない。ひょっとしたらバカにされているのかもしれない。

 だが、山田のその言葉と、こちらに向ける表情が康介の心の中にある何かを刺激する。考えるより先に、口が動いていた。


「それだけじゃない。人殺しで一番の大きな問題は、死体の処理なんだよ。特に刺殺は大変だ。室内に残る血痕を消し去り、死体を運び出して始末しなきゃならない。洗剤で血痕を消し、遺体を箱に詰めて運び出す。そちらの方に金をかけたい。使える経費が一万円しかないなら、その大半を処理の方に回す必要がある。一万のナイフなんて買ってられないよ」


 気がつくと、言葉がどんどん出て来ていた。

 本来、康介は雄弁なタイプではない。むしろ無口な方だ。にもかかわらず、今日は舌が異様によく回る。言葉も、普段よりスムーズに出ていく。この状態に、康介自身も戸惑いを覚えていた。

 実は、これも覚醒剤によるものなのだ。彼の体内には、覚醒剤が依然として残っている。僅かとはいえ、効果を発揮しているのだ。もっとも、たいていの人間はそれに気付かない。

 康介は学歴や教養はないが、裏の世界で十年近く生きている。そのため、異変に気付く能力は常人よりも上だ。今も、自身が異様な状態にあることは気付いていた。だが、それが覚醒剤の影響だとはわかっていない。

 そんな康介に、山田はウンウンと頷く。


「プロの意見だね。ちなみに、テストの正解も千円のナイフなんだよ。切れ味の悪いナイフで、苦しめて殺すのがサイコパスなんだってさ」


 聞いた瞬間、思わず苦笑していた。おかしかったわけではない。むしろ呆れていたのだ。


「バカバカしい話だ。生きた人間を殺すのは、ドラマみたいに簡単じゃない。切れ味のいいナイフを使ったところで、一撃で殺すのは難しいんだよ。まして素人じゃ、絶対に無理だ。全身二十ヶ所を刺されながらも、生きて病院に駆け込んだ男もいたらしい。いざとなると、人間は簡単には死なないもんだ」


 語る康介の脳裏に、あの日の記憶が蘇る──

 飛田を殺した時、いったい何度刺したのだろう。正確に数えていたわけではないが、確実に十回以上は刺したはずだ。にもかかわらず、奴は死ななかった。生きて、自分の前で命乞いの土下座をしたのだ。

 最後には、あちこち刺され大量の血を流しながらも、必死でもがいて逃げようとしていたのだ。ひたすら包丁を振り回し続けて、どうにか殺した。

 今ならわかるが、あの男の直接の死因は、出血多量によるショック症状だろう。

 映画やドラマでは、人は腹を一回刺されただけで、数秒後にはバタリと倒れる。そしてドラマチックな死に様を晒す。だが実際には、それほど簡単には死んでくれない。危機が迫ると、人間は驚くほどの力を発揮するのだ。刃で内臓を傷つけ、病院で治療を受けなれば、数時間後には確実に死ぬだろう。だが逆に言うと、死が訪れるまでの数時間は生きているということになる。その数時間の間に病院に駆け込めば、九死に一生を得るケースもあるのだ。

 かといって、心臓や延髄などの急所を正確に刺したとしても、すぐには死なないこともある。すぐに死ななければ、その後に何をやらかすかわからない。これらは、実際に体験した人間でないと、絶対にわからないことではある。

 そんなことを思いつつ、康介は話を続けた。


「それ以前に、俺ならナイフは使わない。刺殺は面倒だし、血も大量に出る。凶器を特定される可能性もあるし、返り血を浴びることも珍しくない。どうしても刺殺以外の手段がない場合にしか、やらない選択肢だよ。個人的には、刺殺より絞殺を選ぶね」


「絞殺? もしかして、首絞めんの?」


「そうだよ。後ろからバックチョークで絞めるんだ。ガッチリ極まれば、ものの十秒もあれば気絶させられる。気絶させれば、後は簡単だ。そのまま絞め続ければ死ぬ。殺した後に、首を吊らせて自殺したように見せかけることも出来る。気絶させた後、別の場所に運ぶことも可能だ。あの菅田も、そうやって運んだ」


 菅田裕貴──

 そもそも、山田花子と出会うきっかけになったのが、この男の件だ。菅田をさらい、山田に引き渡す……それで終わり、のはずだった。

 ところが、そこで終わりではなかった。気がつくと、こんなことになっている。いつのまにか、山田という得体の知れない女と駅前のファミレスで会うようになっていた。

 なぜ、こうなったのだろう……などという思いが頭を掠めた時、山田が口を開いた。


「菅田か。あいつは、本当どうしようもないよ」


 言った後、クスリと笑う。だが、その目には異様な光が宿っていた。

 山田は、不気味な表情で語り続ける。


「あいつはさ、本当に顔だけ。話してても面白くもなんともない。とにかくバカ過ぎてさ。ホストにしろキャバ嬢にしろ、売れっ子になるようなのはみんな地頭がいいんだけど、あいつは本物のバカだよ。口を開けば、俺スゲー俺カッケーばっかり。話してると本当に疲れる。まあ、ああいうバカが好きってが一定数いるのも確かだけどね」


 そう言うと、山田は顔を近づけて来た。


「ねえ、あいつが今どうしてるか、知りたい?」



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