山田の家

 康介の目の前に、ひとりの男が座っていた。

 年齢は四十代から五十代だろうか。身長はやや高めで、細身のスマートな体つきである。髪型はリーゼントで眉毛は細く、洒落た眼鏡をかけている。全体的に、昭和のヤクザ映画に出てきそうな雰囲気を醸し出している。着ているスーツも、身につけているアクセサリーも存在感を主張しているものばかりだ。若松ほどではないにしろ、かなり値が張るだろう。

 いかにも、俺ってワイルドだろ……と全身で主張しているかのような風貌の中年男である。だが、物言わぬ死体と化した今となっては、その主張には何の意味もない。むしろ、見ていて哀れさすら感じる。

 そう、この男は既に死んでいたのだ。死体を見慣れている康介には、一目でわかった。それも、ついさっき死んだ……という雰囲気ではない。死んでから、数時間は経過しているだろう。




 山田花子と名乗る女の連絡を受け、彼女の部屋を訪れたのは午後九時である。

 ドアを開けると同時に、山田はニッコリ微笑んだ。


「また、始末して欲しい荷物が出来ちゃったんだけど」


 そう言いながら、家の中へと導く。リビングに案内すると、無言でリーゼント男を指差した。

 康介は困惑しながらも、表情には出さず室内を見回した。死体は前回と同じく、ソファーに深々と座った姿勢である。だらしなく口を開け、目をつぶっていた。また、テーブルの上にはワインのボトルとグラスが置かれていた。前回と同じく、毒殺したのだろう。


「これを始末するのですね。わかりました」


 康介は、平静な表情を作り答える。もっとも、内心は激しく動揺していた。まさか、こんな短期間に二体の死体の始末を頼まれるとは。この山田花子という女、想像の遥か上にいる。

 ひょっとして、快楽殺人鬼なのだろうか……などと思った時、山田が口を開いた。


「いやね、このオッサン本当にしつこくてさ。面倒くさいから、うちで殺しちゃった」


 あっけらかんとした表情である。SNSで、相手がしつこいからブロックした……そんな調子だ。あるいは、この女にしてみれば同じ感覚なのかもしれない。SNSでのブロックも、実際に殺害するのも大して変わりないのだろうか。

 康介は、改めて死体となった男の顔を見つめた。生前にどんな人間だったかは知らないが、おとなしいタイプの人間でないのは確かだ。自慢話が好きで自己顕示欲が強く、その場その場の感情に支配されやすい人格に思える。道路で煽り運転などやらかすのは、こういうタイプだ。前回、始末した地味な中年男とは完全に真逆の人種である。

 この手の男は、ほとんどが派手な見た目の女を好むものだ。濃い化粧と、外国人女性のような彫りの深い顔。出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいるスタイル。遠くから見ても目立つような髪型。そんな派手な見た目の女を連れ歩く。そして、すれ違う男たちからの羨望と嫉妬の眼差しを受ける……それが、彼らのアイデンティティなのだ。時には、そのためだけに大金を払ったりもする。

 一方、山田はといえば……派手、という言葉とは無縁の女だ。髪は肩までの長さて、化粧もほとんどしていない。その顔は不細工ではないが、美人とも呼べない。はっきり言って地味である。強引に例えるなら、ドラマのワンシーンに登場する印象に全く残らない女優だろうか。

 そんな山田だが、今までしでかしてきたことは、常人離れしている……いや、人間離れしていると表現しても過言ではないだろう。外見だけを見れば平凡なのに、やったことはヤクザ顔負けだ。

 予備知識のない人に、山田花子という人間の外見を説明するのは非常に難しい。顔に、特筆すべき特徴がないからだ。そんな女に、派手好きな男がのめり込んだりするだろうか。   

 なぜ、あんな女に? そんなことを思った時だった。不意に、山田が顔を近づけてきた。直後、そっと口を開く。


「なぜ、あんな女に?」


 確かに、そう言った。まるで、康介の考えていることを読んだかのように──

 ドキリとして、彼女の顔を見る。


「なぜ、あんな女に男がひっかかるんだ? 今、そう思ったでしょ」


 山田は、はっきりとした口調で言った。当たりです、よくわかりましたね……などと返す余裕は、あるはずもなかった。彼女の表情は、先ほどと全く変わっていない。にもかかわらず、先ほどまでとは違う異様なものを感じていた。思わず後ずさり、距離を取る。

 すると、彼女はクスリと笑った。


「ちょっと、逃げることないじゃん。あんたのこと殺そうなんて思ってないから。今、あんたに死なれると、こっちも困るんだからさ」


 言った後、挑発するような目で康介を見上げた。


「ひょっとして、あたしのことが怖いの? そんな図体して、実はビビりなの?」


「ええ、怖いです。ビビりかもしれないですね」


 康介は即答した。その目は、油断なく彼女の全身を捉えている。怖い、という言葉は冗談でも大袈裟でもない。この女、何をしてくるか全く読めないのだ。

 もし、向こうが何か妙な動きをしたら、すぐに対応する。場合によっては、ここで殺す……彼の全身は、戦闘態勢に入っていた。

 それを察したのか、山田の顔つきも変わる。同時に、醸し出している空気にも変化が生じた。彼女の体から放たれる何かが、周囲の大気にすら影響を及ぼしつつある。

 死体の転がっているリビングは、ほんの一瞬の間に、視界すら歪ませてしまいそうな異様な空間へと変わっていた。まさに一触即発だ。一発の火花が、一帯を灰にしてしまう粉塵爆破を起こすかもしれない……そんな錯覚すら覚える中で、康介はじっと山田を睨みつけていた。


 だが、緊張状態はすぐに終わる。山田の戦闘体勢が、一瞬で解かれたのだ。体そのものは全く動いていないが、その体勢が変わったのは一目でわかった。


「やっぱり、あんた面白いね。あんたみたいなタイプ、初めて見るよ」


 そう言うと、ニッコリ微笑む。彼女から放たれていた殺気は、綺麗に消え去っていた。一秒もしないうちに、いつもの平凡な顔へと戻っている。今の山田は、何の特徴もない顔だ。

 康介は、ようやくわかってきた。この顔は擬態なのだ。平凡な女の仮面の下には、想像を絶する恐ろしい素顔がある。何より恐ろしいのは、この女の思考が全く読めないことだ。裏社会の人間は、基本的に利で動く。しかし、山田は違う。もっと別の何かが、彼女を突き動かしている。


「もうちょっと、じっくり話したいところだけどさ、今はこいつの始末を優先して欲しいんだよね」


 言った直後、山田は死体をちらりと見た。

 次の瞬間、彼女は動く。いきなり、鋭い回し蹴りを放ったのだ。足先は、見事に顔面に入る。すると、死体の体勢は崩れる。さらに、蹴りが当たったはずみで、顔から眼鏡が飛んでいった。

 すると、山田はプッと吹き出した。


「こいつ堅気の解体屋なんだけど、さんざんフイてたんだよ。銀座で士想会の組長さんと飲んだとか、元チーマーの半グレの大物と知り合いだとか、ほんとバカ」


 そういうバカは、世の中に少なからず存在する。四十歳を過ぎているのに、喧嘩自慢や裏社会の友達自慢などを触れ回る。康介もまた、そんな人物を何人も見てきた。もっとも、その大半が嘘つきだった。

 そんなことを思った瞬間、山田がそっと近づいてきた。


「今度、ゆっくり話がしたいな。あんた、本当に面白いから」


 言った後、あっと声を出す。何かを思い出したかのような表情で、パッと向きを変える。こちらに背中を向け、ソファーの上にある何かを拾いあげた。

 その瞬間、康介はドキリとなる。今の山田の動きが、とても可愛らしく見えたのだ。映画などに登場する、おっちょこちょいな女子そのものの仕草。かと思うと、今は無防備に背中を向けている。その後ろ姿は、とても華奢に見えた。抱きしめたら、折れてしまいそうなほどに。

 先ほどは、ヤクザなど比較にならない異様な殺気を放っていた山田。気を抜いたら、一瞬で殺されそうな気配を感じた。では、今の姿は何なのだろう。どちらが、本当の彼女? それとも計算?

 そして、自分は何を考えている?


「これ、ボーナス代わりに取っといてよ」


 言いながら、彼女が差し出してきたのは腕時計と財布だった。


「えっ? あ、はい」


 中学生のようなリアクションで、出されたものを受けとる。時計はロレックス、財布はヴィトンか。こうした物に興味のない康介ですら、知っているブランドだ。それなりの額で売れるだろう……本物であれば、の話だが。


「それ、本物だから大丈夫だよ」


 またしても、こちらの心を見透かしたような言葉。それに対し、康介はあやふやな表情で頷いた。


 死体を袋に詰めた後、大きなケースに入れた。生きている人間に比べると、死体は重い。同じ六十キロの人間でも、死体になると異様に運びにくくなる。ひょっとすると、人体最後の抵抗なのかもしれない。

 さらに、ケースを台車に乗せて部屋を出る。慎重に進んでいき、軽トラを停めた場所まで運んでいく。

 死体を荷台に乗せ、車を発進させた。


 やがて、作業場に到着した。ここには人目がない。したがって、気を遣う必要もない。康介は、死体を力任せに荷台から下ろした。半ば引きずるようにして歩き、中に持っていく。

 必要な道具を揃え、作業を開始した。




 数時間後、作業は完了した。いつもとは違い、異常な疲労感を覚える。そもそも、死体の始末というのは楽な作業ではない。それなりに手間と時間はかかる。

 それに加え、今回は山田との接触があった。あの女から感じる違和感は、未だ消えない。死体となった男と山田との関係は何なのだろうか。

 あの女は、快楽殺人犯なのだろうか。


 裏の世界の住人と快楽殺人犯とは、似て非なる存在だ。康介が人を殺すとしたら、あくまで仕事の一環である。依頼があるから命を奪う、それだけである。殺したくて殺すのではない。

 快楽殺人犯は違う。奴らは、人を殺す時の感覚が快楽になってしまった人間だ。

 ヤク中と同じく、いずれ自分をコントロールできなくなる。殺しがもたらす快感が忘れられず、次の獲物を求める。この負のサイクルは、本人が逮捕されるか死ぬまで終わらない。ごく稀に、体力気力が年とともに衰え、殺人への欲望も薄れ手を引くケースもあるらしいが、大半はその前に破滅する。

 山田が快楽殺人犯なのかは、まだわからない。しかし、何のためらいもなく人を殺せるタイプであるのは間違いない。わかっているだけでも、ふたり殺しているのだ。

 では、その動機は何なのだろう。あの部屋で見た印象ではあるが、死んだ者たちに強い恨みを抱いていた……とは思えない。金目当てに殺した、という可能性もなくはないが、その場合はデメリットの方が大きいだろう。その程度のこと、山田がわからないはずがないのだ。

 ただ、はっきりわかっていることがひとつある。今の康介は、山田という人間に引き寄せられていた。得体の知れない人殺しであるにもかかわらず、彼女からの連絡を待ち望んでいる。これ以上、あの女とかかわるのは危険だ……と、理性は告げている。にもかかわらず、もう一度メッセージが来てほしいと願う自分がいる。さらに言えば、いつのまにか思考を山田に支配されている。あの女のことばかり考えているのだ。

 このままでは、マズいことになる。他のことを考えよう……そう思った康介の脳裏に、あの時の記憶が蘇ってしまった。

 思い出したくもない記憶が──




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