康介の過去・煉獄の始まり
それは、異様な光景だった。
二見家のリビングで、太った中年男がソファーに深々と座っていた。全裸で、弛んだ下腹を隠そうともしていない。座っているため正確な背丈は不明だが、高身長というカテゴリーに入らないのは間違いないだろう。髪は薄く、口ヒゲを生やしている。目はぎょろりとしており、いかにも押し出しの強そうな顔つきだ。ガウンを着て葉巻でも咥えていれば、B級アクション映画の金持ちの悪役に見えるだろう。
その隣には、沙織が座っていた。彼女もまた全裸であり、中年男が片手を彼女の肩に伸ばして引き寄せ、もう片方の手で彼女の体を
絵面だけ見れば、アダルト動画の撮影現場のようだ。しかし、この場にカメラはない。撮影している人間もいない。沙織の夫であるはずの幸平は、ふたりの姿を虚ろな目でじっと見ていた。召し使いのように、彼はリビングの隅に立ち尽くしていた。
窓から見える空は、まだ明るい。時計を見れば、午後四時になったばかりである。そんな時間だというのに、二見家のリビングは狂気と背徳感とに支配されていた──
その時、康介は既に学校から帰っていた。
彼は自分の部屋に閉じこもり、ドアは閉めきっている。虚ろな表情でテレビを観ていた。
下のリビングで、何が行われているかはわかっている。それが何を意味するかもわかっている。だからこそ、何も見たくなかったし、聞きたくない。そのため、ヘッドフォンを付けた状態で内容もわからないテレビの画面を見つめている。ただただ、時間が過ぎるのをじっと待っていたのだ。
この悪夢が、一秒でも早く終わって欲しい……心の中で、そう祈っていた。
それが、いつ頃から始まったのか、よく覚えていない。
気がつくと、飛田は二見家に入り込むようになっていた。のみならず、沙織の肉体を欲望のおもむくままに扱うようになっていたのだ。
しかも五十二歳という年齢にもかかわらず、彼の性欲は尋常ではなかった。他人の家庭を、己の欲望のままにしているという異様な状況が、彼の雄の部分を蘇らせてしまったのかも知れない。
今では、昼間だろうが平気でずかずか家の中に入って来て、夫や子供の見ている前で沙織の肉体を貪ったのだ。まともな神経を持つ人間には、ありえない所業である。
どんな業界であれ、トップクラスに君臨するような人間の中には、まともな人間性を捨て去ってしまったような者がいる。「破天荒」「トップの非情な決断」などという言葉で言い変えることも可能な部分だ。品行方正で淡泊な善人には、一代で財を成すことなど出来ないのかもしれない。
さらに、男としての自分に衰えを感じていた飛田にとって、若い頃のような雄々しさを蘇らせることが出来るのが楽しくて仕方なかったのか。
もっとも康介にとって、飛田という男の考えなどどうでもいいことだった。
多感な少年時代に、金と権力を持った異常性格者の作り出した環境の中で、姉の冴子と共に育っていったのだ。あまりにも惨めである。嫌で嫌で仕方ない。なのに、それでも飛田を受け入れざるを得なかった。そうでなければ、自分たちは今の生活を維持できないのだ。
本音を言うなら、こんな狂った生活をするくらいなら、貧乏になった方がよっぽどマシだった。しかし、母の沙織は貧乏になることを許容できないのだ。事あるごとに「あなたたちのためだから」と言い訳がましく言っていた母。自分のためだろう、と言い返したい気持ちをぐっと堪えていたのだ。
壊れてしまった父、生活レベルを落とせない母、平和だった家庭を欲望のままに蹂躙する飛田。それは、康介の人格に大きな影響をもたらす。ゆっくりと、しかし確実に彼の人間性を壊していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます