2『その手を』

(あ、不味いこれ)


 いやそもそも、なんでこの距離になるまで気が付かなかったんだ。


『哲哉は、集中すると周り見えなくなるからなー気をつけろよー』


 いつかの忠告がフラッシュバックする。


(駄目だ。

 思考が回らない、身体が動かない)


 軽トラがこのままだと、自分に高確率で突っ込んでくるのは分かるが、そこで頭の回転が止まる。

 そもそも、世界がスローモーションに見えているだけで……


 ああ、そうだ、この距離は……


 そもそもが間に合わない。


 ガッッッという誇張なしで、人生で1度も経験した事の無いような衝撃が身体を襲い、身体が宙に浮く。

 そのガラス越しに、運転手のおっちゃんと目があった気がした。

 ほんのり赤かった顔は、視線が合うと段々と青くなり白くなっていっていた。


「なんだ、これ」


 後ろに街頭、前に白い軽トラ

 下半身が熱い、寒い、ヌメヌメする。

 隙間から動かせる方の手を目線の前に持ってくれば、街頭という悲しいことに光源がある場所だったために、一面赤の掌があった。


 血だ、血だ、血だ……血?なんで血がこんなにも?


 人間というものは、認証すると駄目な生命体である。


 靄がかかった頭が段々冴えてくる。

 停止していた思考が回りだす。


 その神経が最初に寄越したのは、死への恐怖でもなく、絶望感でもない。


 そう、痛みだ。


「ア、アア……アア!!!!」


 下半身が痛い。

 おなかが痛い。

 衝撃をその一身で受けた、背骨が痛い。


 一度痛いと認識しては、もう駄目だ。

 痛い、痛い、身体中が痛いという事を認識してしまう。


 だめだ、しぬ。

 しんでしまう。


 ぶぅぅぅぅんと軽トラが動き出す。


「ウグッ」


 人を轢いたという事実から逃げ出したいのか、酒に酔ってやってしまったという事実から逃げ出したいのか。

 軽トラのクソ野郎は、外に出てこちらの安否を確認することも無く、誰かに助けを呼ぶわけでも無く。

 いけると思ったのだろう。

 元より人通りは少ない場所である。

 自分が人間1人轢いたことなんて、バレないと思ったのだろう。

 後ろに下がり、片脚をオーバーキルで轢きながら軽トラは逃げ帰っていった。


 白い、白い、暗闇に朧気に浮かぶ白い肌に侵食の色。

 その壁には、赤い血がベットリと。

 逃げ切れる訳がない。

 ここからは逃げれても、人通りの多い場所を通らなければここは何処にも行けやしない。


 ずるっと身体が落ちる、力が入らない。


 事故の衝撃で、内部の何処かをやったのであろうパチパチと1つだけ点滅を繰り返す街頭に照らされる人影がぽつり。


 視界の下の方から、赤い靄が侵食している。

 留まることを知らない、自分の一部が離れていく。


 思考にノイズが走る。

 血が足りない、回すものが無い、痛くない。


 痛くないなら良いかもしれない、痛くないなら良いかも。

 瞼が落ちる。

 耳も怪しいが、呼吸も落ち着いてきた。


 そうか、そうか、こんな最後なのか。


 ……そっか、こんな……終わり方かぁ……情けないなぁ。


「生きたいか?」


 バシッと水をぶっかけられて起こされるような、耳元でシンバルを鳴らされるような…強力な力で閉じかけの思考と視界と命が起きる、起こされる。


「生きたいか?どんな姿でも?惨めでも?」


 目の前にいる?のは、揺れる陽炎。


 違う、これは、陽炎ではない。


「お前は……」

「生きたいか?どんな結末を迎えても?」


 それは変わらず話を続ける。


「深く考えるな、時間がない。

 生きたいか?

 契約をしてでも、罪…あー…法律を破ってでも生きたいか?

 罪人になってでも?」


 思考が回らない、言っている言葉を理解するので精一杯だ。


「ふむ、血を出しすぎてるな…。

 おい、知的生命体」


 陽炎は揺れる。

 輪郭も、体臭もなにもないソレは、でも確かに僕の事を見下ろしていた。


「生きたいか?死にたいか?」


 御託もなく、飾りもなく。

 ただ、生きたいのか死にたいのかを問われた。


「生き…たい。

 生きた…い、こんな終わりい…やだ」


 陽炎が笑った気がした。


「いい感情だ。

 それでこそ、知的生命体人間というものだ」


 バチバチと音が大きくなる。

 また、瞼が重くなる、眠たい。


 これがすべての始まり。

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