第1話 詐欺師、またしても出会ってしまう

 遡ること数週間前のこと—— 


 午後12時の鐘の音が王宮から微かに聞こえてきた。


 くっそ、なんだって俺はわざわざ危険を冒してまで王都まで来てしまったのか。

 ……いや、そんなことはわかりきっている。


 最近、付きまとわれているあの厄介な存在――聖女様のせいだ。

 聖女ドーレ・ジブス。

 絶世の美女の一人と言われるほどの美しいエルフの女。


 マリアリア教会の最高位に位置する聖女。

 そして何よりも腹黒い女だ。

 

 自分の立場を利用して俺のようなしがない詐欺師を脅して従わせているのだから、とんだ悪党だ。


 今回、その腹黒聖女様はどうやら現在グリーズ王国の王都で流行っているものをご所望のようだった。


 トロピカルンジュースという甘い飲み物。

 赤くて甘い飲み物。


 そう、俺はこのジュースを購入するためだけにわざわざナンタンタンから王都へと訪れていた。


 王宮から追われている身にもかかわらず危険まで犯して、飲み物一つのためだけにこうしてのこのことやって来てしまった。


 ……っち、あの聖女様のやつ何が『私、どうしても飲んでみたいのですっ!』だ。


 ふざけやがって。

 表向きは聖女として勝手な行動はできないと言っておきながら、裏では面倒ごとに首を突っ込んで行くくせに。


 かれこれ数時間前。

 あの腹黒聖女はいつものように俺の画廊へと押し入って来た。

 

 初めは無視して、奥の工房で画廊の修復をしていた。

 しかし、聖女様はウロウロと俺の前でわざと工房内に置かれているものを手に取った。


『おいっ!勝手に道具に触るな』

『ふふ、やっと私のことを見てくれましたね』


 エルフ特有の長い耳をピクピクと動かして、涼しい笑みを浮かべた。

 そして先ほどの言葉。


『私、どうしても飲んでみたいのですっ!』

『は?』

『で・す・か・ら!ここ最近、王都で流行っているジュースのことです!』

『だからなんだよ?』

『買って来てくださいませんか?さもないと――熱心にお探しになっている第二王女様にジョン様、いえ、ブール様の居場所について口を滑らせてしまうかもしれませんよ?ふふふ』

『……』


 というような脅しを喰らって、俺は渋々と空間魔法を使って二度と訪れたくもなかった王都へと戻ってきていた。


 くっそ、こんなことで空間魔法を使うだなんて……ほんとグリーズ魔術学院に通っていた頃じゃ考えられない。


 そんなやり場のない思いを抱いて、薄暗い路地裏を歩いている時だった。


 死角から急に飛び出してくる人影が視界に入ってきた。


「――っ!?」

「っち」


 なんとか身体を捻って、衝突は避けることができた。

 と思ったのだが――左手に持った袋の存在を忘れていた。


 勢いよく身体を捩ったため、袋を手放してしまったことに気がついた時には遅かった。


 宙に舞った袋から、飲み物が飛び出していた。


 バシャン、という虚しい音がしてローブを深く被った人にかかった。


「何するのよっ!汚れちゃったじゃない」

「いやいや、あんたのほうこそ何してくれてんだよ?何時間並んで買ったと思っているんだ?」

「知らないわよっ!もー甘い匂いがするじゃないっ」

「そんなこと知るか。弁償してくれ」

「はあ?あんたからぶつかって来たんでしょ!?」

「……」


 えー、なんか逆ギレされたんですけど。

 てか薄暗い路地裏で急足で飛び出して来たのはあんたのはずだろ。

 

 まあ、そんなことで言い争ったところでどうせ不毛な会話となることは目に見えている。


 ローブを深く被っている得体の知れない女と言い争っている場合ではない。

 こちとら王都になんか1秒たりともいたくもないのだ。


 ……くっそ、とっとと買いに戻るか。


「はいはい、俺が悪かったよ。これでいいか?」

「……何よ、急に」

「とっとと王都から離れたいんでね」

「そ、そうだったわ!私も行かなきゃ――」


『おい、見つかったか?』

『いやこっちにはいない』


 物々しい二人の男の声が微かに聞こえて来た。

 その声に反応するように、目の前のローブの女はピクッと身体がこわばった。


 追われていると言ったところか。

 明らかに関わったら面倒ごとになるだろう。


 うん、ここは何も気がつかなったことにしよう。


「じゃあ、俺はこれで」

「――ちょっと待ちなさい!」

「……あの、袖を離してくれないかな?」 


 ひきつる頬をなんとか動かして、俺は振り返った。

 ローブの奥から何かを懇願するような視線を感じる。


「その……一緒にその飲み物、買い直しに付き合ってあげるわ」

「いえ、結構です」

「いいから、付き合ってあげるわ!」

「……」


 えーなんか先ほどよりも圧を感じるんですけど。

 

 そんなことを思っている時だった。

 

 バタバタと足音が近づいてくる気配を感じた。


 ローブの女は一瞬、何かを迷ったようだった。

 しかしすぐに透き通るような声で言った。


「――もう、これしかないっ!」

「おい、俺は面倒ごとは――」


 気がついた時には遅かった。

 ローブの女に押し倒されるようにして狭い壁に押し付けられた。

 背中が無機質なレンガにぶつかって、肺から空気が押し出された。


「っぐ」

「ごめんなさいね」


 ローブの奥から端正な顔がわずかに見えた。

 薄い緑の長い髪、エメラルドグリーンの大きな瞳、そして桜色の唇が近づいてきた。


「――ん」

「――!?」


 こいつ、痴女だったのか!?

 いやそんなことよりも早く離れなければ!

 

 何か魔法でもかけられたらたまったものじゃない。

 

 強引に引き剥がそうとしたが、抵抗するように女の方は俺に手を回して来やがった。

 まるで離れたくないかのように。


 強くしがみついてくるから豊満な胸が押し付けられた。


 ああ……ダメだ。

 この女が何を考えているのか知らんが今だけは付き合ってやる。


 強引に舌をねじ込んで、女の口内を蹂躙する。

 ぐちゃぐちゃと唾液が混ざり合い――


「――あっ、ん」


 わずかに漏れた喘ぎ声が路地裏に響いた。


 微かに人の気配が近づいてきた。


「――っち、こんなところで盛るなよ」

「いいから行くぞ」

「へい、兄貴」


 バタバタと足音が遠ざかって行く。

 

 ……とりあえず、これでいいだろ。

 俺はこちらになだれてくる女の身体を引き剥がす。


 乱れた呼吸を整えるように女は言った。


「ん……助かったわ。ありがと」

「ああ、じゃあな」

「――ちょっと」


 俺は女の声を遮って歩き始めた。


 くっそ、ほんとこんなところで盛っている場合ではない。

 王宮の奴等に見つかったらマジで洒落にならない。


 それに絶対に関わったらヤバそうな女だったしな。

 

 とっとと買い直して、ナンタンタンに戻らせてもらう。


 薄暗い路地裏から先ほどまで人でごった返していたデパート『ハクウレ商会』へと向かうことにした。

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