回想③〜白草四葉の場合その2〜陸

 わたしの一言に、司サンも、


「もちろん、私も付き添いとして、テレビ局まで着いて行って、見学させてもらうから……」


と、言葉を添える。

 少し悔しいけれど、わたしの言葉よりも、お母さんの一言が、クロの背中を押したのだろう――――――。


「わかった……シロが一緒なら、オレも出る……」


 彼は、静かに返答した。


「じゃあ、決まりね! 早速、連絡しておくわ。二人とも、歌う曲目を決めておいてちょうだい!」


 クロの言葉に表情が明るくなった司サンは、いそいそとカラオケ・ルームを後にする。

 どうやら、テレビ局の関係者に連絡するため、スマホを取りに行ったようだ。

 司サンが部屋を離れ、再び二人きりになったことで、あらためて、クロにたずねる。


「良かったの? 大丈夫?」


 ボーカル教室でレッスンを受けていることに加えて、クロのおかげで人前で歌を披露する楽しさを感じ始めていたわたしと違い、彼は、単純にカラオケで歌うことが好きなだけなのかも知れない……。


 趣味の範囲でしかないものをテレビ放送で披露することに、戸惑いや躊躇はないのだろうか……?

 そんなことが気になって、彼が、本心ではどう考えているのか、知りたかった。

 すると、クロは、人差し指をこめかみのあたりにあてて、少し考えるようすで、語りだす。


「う〜ん、テレビで放送されるほど、歌に自信があるワケじゃないけど、シロが一緒に出てくれるなら、心強いしな……母ちゃんも、オレたちに出演してほしそうだったし……それに、テレビ局がどんな感じなのか、ちょっと、見てみたいって気持ちもあるしな!」


 最後は、クロらしいさわやかな笑顔で、そう答えた。

 

 そうか――――――。

 

 母親の仕事の関係で、小さい頃から何度かテレビ局やスタジオに出入りしたことのある自分と違って、同年代の子どもにとって、放送局は未知の場所だ。


 クロの旺盛な好奇心が、カラオケ大会出演のモチベーションになっているなら、良いことだ、と思った。


 彼の言葉に、うんうん、とうなずくと、


「じゃあ、母ちゃんも言ってたし、なんの曲を歌うか、決めるか?」


「そうだね!」


 二人でうなずきあったあと、せっかくだから、カラオケを歌いながら、司サンも交えた三人で歌う曲を決めていこう、と合意した。


 お互いに候補になりそうな曲を選んで、予約登録をしながら、司サンが戻ってくるのを待つ。


 クロとあれこれ話しながら、曲を検索し、予約の作業を続けていると、


「お待たせ〜! ちょっと早いけど、アップルパイを食べない?紅茶も用意したから」


 上機嫌でカラオケ・ルームに帰ってきた司サンが、声を掛けてきた。

 スマホで時間を確認すると、午後二時前で、黒田家にお邪魔してから、まだ一時間も経過していなかった。


「なんだよ……これから、歌う歌を決めようと思ってたのに……」


 クロは、そう言いつつも、わたしに向かって、「どうする?」と、たずねてきた。


「お母さんが用意してくれているみたいだし、食べに行こうか? 歌は、あとでも決められるし……」


 わたしが答えると、「それも、そうだな……」とクロは答えて、わたしたちは、司サンと一緒にリビングに移動する。

 一階のフロアに移動すると、一時間ほど前に訪問した時と同じように、芳しいアップルパイの香りが漂っていた。


「今日の紅茶は、アップルティーにしてみたの」


という司サンの言葉のとおり、前日とは別のフレーバー・ティーの甘い香りも感じられる。

 ダイニング・テーブルに置かれている黄色の茶缶を目にしたわたしは、


「昨日とは、別のお茶なんですね?」


と、司サンにたずねると、


「そう! ここのお茶は、アップルティーが有名なの。最近、日本でもペットボトル入りの紅茶を売り出したから、知ってる人も多いと思うけどね」


と、説明してくれた。

 そして、前日と同じようにダイニングチェアの席に着いたわたしたちに、司サンが、アップルパイを切り分け、ティーカップにアップルティーを注ぐと、リビングに入った時よりも、さらに豊かな香りが漂った。


「いい香りだね!」


 アップルティーとパイの香りを楽しみながら、隣の席に問い掛けると、わたしの声に応える間もなく、クロは、


「いただきます!」


と言って、アップルパイにフォークを刺す。


「これだから、男の子は……」


と、苦笑した司サンが、


「ゴメンね、シロちゃん。香りも味わってくれて嬉しいわ」


と代わりに答えてくれた。

 笑顔で「大丈夫です」と、首を横に振ったわたしは、クロに続いて、フォークでパイを切り取り、口に運ぶ。

 微かな酸味とリンゴの香りが口に広がり、次にサクサクとしたパイの食感とシッカリした歯応えのリンゴの甘みが感じられた。


「美味しい!!」


 思わず声をあげたわたしに、司サンの表情はほころび、二口目のパイを口に運んでいたクロも嬉しそうに微笑んでいた。


「お口に合ったようで良かった! 紅玉っていう酸味の強いリンゴを使うのがポイントなのよ。これは、漫画の『美味しんぼ』にも描いてあるから……って今のコは、『美味しんぼ』を知らないか……」


 そう言って、司サンは苦笑する。


「そう言うことは、壮馬に話してやると良いよ! あいつ、古い漫画とかアニメが好きだから」


 アップルティーに口をつけながら、クロが言う。


 和気あいあいとした雰囲気で、少し早めのティータイムを楽しんだわたしたちは、温め直した二切れ目のアップルパイに、バニラアイスを添えたモノを堪能するクロを待って、再びカラオケ・ルームに移動した。


 その後、事前に予約登録していた曲を披露したわたしたちは、司サンの意見を聞きながら、カラオケ大会出場のための曲目の選定に入る。


 お気に入りのアニソンや洋楽アーティストの楽曲を歌わせてもらったわたしは、


「曲の知名度とシロちゃんの歌声を活かせるのは、この曲ね!」


という司サンのアドバイスを参考に、わたしの母が、「お気に入りの一曲だ」と常に言っているセリーヌ・ディオンの『To Love You More』を出場曲に決めた。


 一方、曲の選考が難航したのは、クロの方だ。


 前日も聞かせてもらったように、クロは、アニメの主題歌にもなっている邦楽アーティストの楽曲なら、そつなく歌いこなしていた。


 少し練習すれば、それなりに格好の付く内容になるだろう。


 ただ――――――。


 彼は、


「オレは、この歌で出演してみたい!」


と、『Twist and Shout』を歌うことに固執していた。


 思い入れのある曲(この場合、映画という方が正しいかも知れないが)だということを聞いていたわたしとしては、気持ちを理解できる部分もあったが、英語の歌詞を歌い慣れていないクロにとって、ハードルが高いことは明らかだった。


「他の曲は上手に歌えてるじゃない……別の曲にしたら?」


という言葉にも、頑なに応じない息子をみて、司サンも根負けしてしまったようで、


「シロちゃん、竜司の歌は、なんとかなると思う?」


と、こまったような表情でたずねてきた。


「本番までに、しっかり練習すれば――――――」


 確実な答えなど出すことはできないので、言葉を濁しながら返答するが、それでも、わたしには、


(レッスンさえつめば、クロなら、なんとか出来るんじゃないか――――――?)


という予感めいたモノがあった。


「わたしも、一緒にさせてもらうから、練習してみる?」


 クロにたずねると、彼は、小さくコクリとうなずいた。


 本番にあたる収録日は、六日後の4月4日だという。


 翌日から、『Twist and Shout』を歌いこなすためのボーカル・レッスンが始まった。

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