第14話 6-2 弟切草
祐一には目の前で起こった事が理解できなかった。
詩織の魔法によって命を与えられた机や文房具。そしてド派手な黄色のロードローラーは、ささを取り囲み特攻した。ささを成す術なく押しつぶされたはずだった。しかしグチャグチャに潰され弾け飛んだのは詩織だった。
そしてささは、教室の隅に無傷で立っていた。ささの目はまだ青く発光している。
(「あの目……、あれはあの時の!? 」)
立ちすくむ祐一の頭に指輪の声が響く。
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
その声はビブラートのかかった不思議な声だった。男か女かも定かではない。抑揚のないお経のようなその声は、繰り返し、繰り返し頭の中で響いてくる。
祐一の手足がじんわりと熱を帯びて震えた。
(「こ、これは……!? 」)
祐一はおもむろに窓ガラスに写る自分の姿を見た。そして気がついた!
窓ガラスに写る自分の目も、ささと同じように青い炎を宿していることに。
体中からはみるみる力が溢れ出した。両手の怪我はいつのまにか痛みがなくなり、傷口はすっかり塞がっていた。そして祐一の心は暴力への衝動が溢れ出していく……。
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
『指輪ヲ奪エ! 全テヲ奪エ! 』
不気味な声が頭の中で繰り返される。
窓の外、校庭の桜の木が一気に狂い咲き、そして花びらが嵐の様に散っていく。地面の芝生が青々と茂り、すぐに枯れていく。遊具の側に植えられた欅の木が金色に色づき、そのまま枯葉が雪みたいに舞っている……。
外の景色に目を奪われていた祐一の心臓が「ドクン! 」と大きく鼓動した。
全身の血が沸騰したみたいに熱い……。
(「ああ……、ダメだ……。力が溢れてくる……。どんどん溢れてくる。この力を……、ああ、この力を振るいたい! 思いきりこの拳を使って略奪したいぃぃぃ! 」)
祐一は今ならどんな事でもできる気がした。沸き起こる欲求。祐一の心臓は早鐘のように脈打つ。心の底から湧き出してきた黒い欲望は、壊れた蛇口から吹き出す水のように一気に祐一を満たしていく。
それは指輪を手に入れたいという抗いがたい欲求だった。眠気を我慢できないように。腹が減っている時に目の前の食べ物を貪るように。もう指輪を手に入れる事以外、何も考えられない……。
それでも祐一は黒い欲求に必死で抗う。押さえ込もうとする……。そして彼は理解した。これが指輪の覚醒状態なのだと。
荻窪歩が指摘した指輪についての疑問。指輪を集めなければならない状況、ルール、強制力……。寿美代子が過去に経験したという指輪戦争。チーム戦があり得ない理由。それらが今、自分が覚醒状態になって初めて、祐一にも納得できた。今、自分を支配する指輪の欲求はあまりに強力だった。とても……、抗えない。
祐一は髪をぐしゃぐしゃと掻き毟った。綺麗な七三分けがバンドマンみたいに逆立つ。
(「抗うことなんかできやしない……。できる訳が無い……。でも……、それって……。この欲求を満たすって事は……、ささを殺す……? 俺がささを殺す!? 」)
と言うよりも、ささをその手で殺すことこそ、祐一の頭と体、全身が求めている事だった。
祐一はささを見た。ささは半壊した職員室の中心で立ち尽くし動かない。
(「ああ……。ああ……、ダメだ。とても無理だ……。無理、無理、無理! もう我慢できない!! 」)
祐一はおもむろにささに近づいていく。
するとささが口を開いた。
「時間を止めたんだ。それから止まった世界の中で、詩織を運び、攻撃のど真ん中に置いた……」
「ああ、そうか……」と祐一は言った。
祐一の目に灯った青い炎は一段と燃え上がる。
「ぼくは詩織を殺した。友達の詩織をこの手で殺した……。どうしても。どうしても。どうしても許せなかったんだ。詩織がほくを裏切ったことが……。詩織が僕を攻撃した事が。僕の目にハサミを突き立てた事が!! やっぱりぼくは……、頭がおかしいんだ。ぼくは狂っている……。あんなに好きだった詩織を……、ぼくはこの手で……。でもね……、祐一。変なんだ。詩織の顔が……、どうしても思い出せない」
祐一の瞳に燃える青い炎がわずかに弱まる。
祐一はささの瞳を見た。ささの目は金色に輝き、高速で呪いを読み込んでいた。
(「オバ校は時間を数秒遅くしただけで自分の娘に関する記憶をまるごと失っていた。では完全に時間を停止させたら……、一体どれだけの記憶を失ってしまうのだろう? おそらくは……、ささの人生の大半を奪ってしまうはずだ。ささが失われてしまう……。早く助けなきゃ……。俺が……、助けなきゃ……」)
そう思いながらも、祐一はささを殺して指輪を奪いたい衝動を抑えきれない。
(「あぁ、なんて美しい指輪なんだ……。あれが欲しい! この力を使ってあれを奪いたい! この体に溢れている力をぶちまけたい! アレが欲しい! アレを俺だけのモノにしたい!! 」)
ささは顔を上げ真っ直ぐに祐一を見つめる。祐一もまたささを見つめ返した。
ささに向けて祐一がその右手をかざそうとした時、ささは力無く笑って言った。
「ダメだ、祐一。もう……、親の顔も思い出せないや。祐一の事は……、忘れたくないな」
ささの言葉に祐一の心は震える。
その微かな震えは、僅かだが祐一を支配する欲望の炎を弱めた。
瞬間、祐一はささにかけるべき言葉を必死に探したが、気の利いたフレーズは何も思いつけなかった。だから祐一は素直に思った事を言った。
「……俺は、お前の事が好きだ」
「いつ……、から……? 」
「あの草むらで、ションベン漏らしてお前に告白した時、お前は俺を見捨てなかった。あの時から俺はお前にでかい借りがある。お前は俺から酷い目にあわされていたのに、それでも俺の友達になってくれた。お前は俺にとって初めてできた友達だ。だから例えお前が全て忘れてしまっても……。お前がどんなに変わってしまっても……。必ず俺がそばにいて、お前を守ってやる……。心配するな。お前は大丈夫だ。心配するな」
そう言って祐一は、右手をささに向けた。
「……うん。ありがと……、祐一」
ささはクシャっと笑うと目を閉じた。
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