第13話 6-1 弟切草

走り出したささが、後少しで詩織の包丁を拾える位置に差し掛かった時、背後から「グジュッ! 」という不気味で不快な音が聞こえた。

ささが驚いて振り向くと、そこには上半身が雑巾のようにねじれた寿美代子が転がっていた。美代子は口から肉の塊のような赤黒い物体を大量に吐き出し事切れていた。

すぐ側には膝をついて肩で息をしている詩織が見える。

(「詩織がオバ校をヤッた? いつのまに?? それにしても……、詩織は相変わらず容赦無いな……」)

詩織は激しく肩を揺らせて荒い呼吸を繰り返していたが、震える指先で辛うじて原形を留めている美代子の右手薬指から銀の指輪を抜き取った。そして指輪をダッフルコートのポケットにしまった。

「詩織……」

しおりに駆け寄ったささは、なんと声を掛けたら良いか分からず名前を呼んだ。詩織はうつむいたまま頷いて、「大丈夫……」と小声で言った。

ささは幾分呆然として、寿校長のねじれた体に目を落とす。それはついさっきまで人間だったとは思えない程に壊れていた。

詩織のライフで命を与えた校長のジャケットがオバ校の上半身をすり潰し、さらに祐一のバインドが彼女の体を雑巾みたいに捻って、ツイストドーナッツみたいに体全体が捻れていた。

ささの心になんとも言えない嫌な影が差していく。それが何なのか分からないけれど胸がムカムカした。見ていられない。

ささは校長のねじれて潰れた体から視線を逸らし、逃げるように詩織を眺めた。

詩織の大きな瞳は戦いの緊張から解放されて暗く沈んでいた。一度切断された左腕は肩から下がむき出しになっている。傷口はすっかり回復していた。その透き通るように白い肌が眩しくて、ささは目を細めた。詩織の胸は荒い呼吸で上下している。その胸はささが知っていた時よりもずっと膨らんでいた。ささの視線は自然とその柔らかそうな乳房の膨らみに吸い寄せられる。

ささの視線に気づいた詩織は、ドキッとするような大人びた表情でささを見つめ返した。

それから詩織はおもむろに人差し指を空中でクルクルと回した。

(「あれ……? どうして魔法を使っているんだろう? 戦いはもう終わったのに……」)

「ささぁぁぁ!! 」

突然、背後から祐一が叫んだその瞬間!

チャッキーがその2つの刃を猛烈なスピードでささの両目につきたてようと迫った。

「キィィンンン! 」

「モギィィィ! 」

衝突の衝撃で激しく空気が震え、チャッキーは奇声を上げる。

間一髪、祐一の魔法が詩織のハサミを空中で止めていた。チャッキーの禍々しく肥大した刃先は、バインドの魔法に激突してゴムボールが壁に衝突したようにひん曲がっている。

ささは自分の眼球スレスレでひしゃげて静止するハサミを見て、ただただびっくりして硬直していた。

(「な、なんで!? どうして?? チャッキーがぼくを……!? 」)

ささは激しく混乱した。

「詩織!! 何やってる!? 何なんだ!? どうしたっていうんだぁぁぁ!? 」

職員室の入り口で右手をかざした祐一は、絶叫に近いトーンで叫んだ。

詩織は苛立ちと憎しみのこもった声で叫んだ。

「もう耐えられないのよ! こんなの我慢できない! 耐えられない!! 耐えられない!! 耐えられないぃぃぃ、!! 祐一だって今のわたしを見ればわかるでしょう? この姿……、幾つにみえる? 22歳? 25歳? ……ホントのわたしはね、11歳なのよ!!! 」

「し、詩織……」

「わたしの10代はなくなっちゃった! もうわたしは中学生にも高校生にもなれない! なれっこないわよ! だってこんな体なんだもの!! ……わたしの未来は指輪に奪われてしまった。どんなに勉強したって、もうあの中学に入学することはない。それどころかあと何回か魔法を使えば20代も終わってしまう。大人になんてちっともなりたくなかったのに! 少しでも長く今のままでいたかったのに! このままじゃ……。このままじゃ! わたしはあっという間にシワシワのおばあちゃんになっちゃう!! そんなの絶対に耐えられない!! 今のわたしには指輪を集めるしかない!!! 」

詩織は泣きながら叫んだ。詩織の頭の中でアリスの言葉が呪いの様にこだましていた。

「落ち着け詩織! 俺達と一緒に指輪を集めよう。残りの指輪はたった2つだ! 俺達なら……」と諭すように祐一が言ったが、遮るように詩織が叫ぶ。

「わたしは落ち着いているわ、祐一ぃぃ! あと2つだからこそよ! もう少しで指輪が揃う今だからこそ……、わたしはこうするしかないの! ……大体、祐一ぃぃ! 8つ全ての指輪が揃ったら、誰がその指輪をはめるの!? その時、ささと祐一、2人の指にはまっている指輪はどうするつもりなの?? 」

「それは……」

祐一は返答に詰まって弱々しい視線を床に落とす。

(「確かに……、詩織の言う通りだ。指輪を集めて願いを叶えるためには、おそらく8個全ての指輪を1人の人間がはめなければいけない。そうでなければ指輪の声が相手の指輪を奪えと指示するはずがない。指を切ってまで相手から指輪を外すのは全ての指輪を1人の人間が手にするためのルールだ。無傷で願いが叶うなら、指輪を持った8人がただ集まるだけ……。しかしそんな方法で、何の犠牲も払わずに、法外な願いが叶うはずなんてない……」)と祐一も思う。

「もしもわたしの体を元に戻してと願ったら、ささはどうするの? ささの体は諦めるの? 」

「……!! 」

祐一はうなだれた。

(「叶う願いは1つ……、けれど解除したい呪いは2つ……。本当は……、気付いていた。そんな事、お前に言われるまでもなく分かってた……。俺は現実から….…、ただ目を背けていた……」)

祐一はどうにもならない現実を詩織に突きつけられた。あんなに仲が良かったささを詩織は迷わず攻撃した。おそらくは恋心を抱いていたはずのささを、自分のその手で殺そうとした。そこにある詩織の気持ち……。詩織の葛藤とそれを凌ぐ程の憎悪が、祐一を激しく攻め立てる。

何も言えない祐一を見て、詩織はコートのポケットから黒い縁のメガネを取り出して掛けた。それは間違い無くささのチャーム対策だった。その姿を見てささは思う。

(「……そうか。そうなんだ……、詩織。ぼくを殺すつもりなんだな……。ぼくや祐一の気持ちを……、リンコレを裏切って……、ぼくの目にそのハサミを突き立てたんだなぁぁぁ! 」)

詩織がメガネをかけた時、ささが口を開いた。

「オマエヲユルサナイ。オマエヲユルサナイ。オマエヲユルサナイ……」

ささの瞳は真っ赤に燃えている。

(「ヤバイ! ささがキレた! 」)

「ささぁぁ、落ち着け!! 頼むから落ちついてくれ!! 」

祐一が目に涙を溜めて必死にささを静止する。

しかし、ブチ切れたささは一瞬、虚無の瞳で祐一を見てから、何やらぶつぶつと独り言を呟くだけだった。

「ささ! あなたの指輪はわたしが! 」

詩織は泣きながら笑っていた。

それから詩織は、万歳をするみたいに両手を突き上げた。すると隣の部屋から爆音とともに壁を突き破りロードローラーが現れた。ロードローラーはわずかに床から浮き上がっていた。そしてその動きに呼応するように職員室の机が一斉にフワッと浮き上がった。

「詩織……、おまえは!? 」

祐一は驚愕した。

詩織は職員室に10個以上ある机の全てにライフの魔法をかけていた。それだけではない。コンパスやハサミ。その他、職員室にあった文房具などの尖ったもの。凶器になりそうなものの全てが詩織の支配下にあった。それらが一斉に浮き上がるとささを取り囲んだ。

祐一が何より恐れたのは、詩織が初めからささと祐一を殺すつもりでここに来ていたという事だった。そうでなければこれだけの仕込みをしていながら、寿校長への攻撃に使わなかった理由がない!

ささの周りを机や刃物、文房具がぐるりと取り囲んだ。背後からはロードローラーが唸りを上げている。

「ささ、ホントに好きだったの……。でも今のわたしにはもう……、こうするしかないのよぉぉぉ!! 」

「オマエヲユルサナイ。おまえをゆるさない! お前を許さない!! 」

ささは俯いたまま機械のように同じフレーズを繰り返す。それはまるで指輪の声みたいだった。

そしてささは顔を上げた。不敵に笑っていた。その目は金色に輝いている。

驚いた詩織が呟く。

「チャームの呪い? でも魔法は使っていないのに…… 」

ささの髪が肩にかかるまで伸びる。胸はさらに膨らみ、顔や体つきがふくよかに、より女らしく変化していった。ささの体中を駆け巡る不思議な感覚。頬は桜色にそまり、ささは甘いため息を漏らした。そして言った。

「ちゃんと……、使ったよ。……こいつにね! 」

そう言ったささの肩にキーホルダーのぬいぐるみが姿を見せた。

「ガチョピン!? 」

「こいつは詩織が命を与えた別の生き物。生物ならぼくにも操る事が出来る」

そう言うとささは薄く笑ったまま、ガチョピンから銀色の指輪を受け取った。

詩織は慌ててコートのポケットを探った。

そこには指輪が2つ……。

(「1つ足りない! ガチョピンに盗まれた!? でも……、どの指輪を? 」)

「指輪はどれも見た目が同じ。僕らにはどの指輪に何の能力があるのか、つけてみるまでわからない。でもチャームの魔法をかけた相手に、スローの指輪を持ってくるように命令したら? 」

「まさか……!? まさか、そんな!!! 」

詩織は震えて目を見開いた。

ささは右手の薬指に指輪をはめた。

その瞬間、ささの目は青い炎を宿した。ささを中心にして発生した青い炎が、津波のように辺りを飲み込んでいった。

「さぁぁさぁぁぁ!!! 」

詩織は突き出した両手のひらを握り、全ての命に攻撃命令を出した。ささを360度ぐるりと囲んだ机やハサミ。ナイフやコンパス。三角定規からロードローラーまで、空中に浮かんでいた全ての物がささに突撃した。

「キィィィィィ! 」

詩織がチャッキーのような奇声を上げる。

(「このタイミングなら! どんなに素早く動いたってぇぇぇ!! 」)

詩織がそう確信した瞬間、彼女の目の前の景色がグルンと一変した。

気がつくと詩織は攻撃の中心にいた。

詩織を取り囲む机やロードローラーが、一斉に自分へ向かって物凄いスピードで突進してきてた。

(「そ、そんな……!? 」)

「イイヤァァァァァ!! 」

「ドガガガッッンンン!!! 」

激しい衝突音と共に詩織の体はバラバラに弾け飛んだ。彼女の胴体はペシャンコになり、壊れた人形みたいに弾け飛んだ首や腕、足がバラバラになって宙を舞う。

「詩織ぃぃぃ!!! 」

祐一の絶叫が職員室に響いた。

「花火、……やりたかったな」

宙を舞う詩織の首は最後にそう呟いた。

ささと祐一は確かにその声を聞いた。

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