第12話 5-2 ファイターズ ヒストリー ダイナマイト
寿校長がささにナイフを振り下ろそうとしたまさにその瞬間!
校長の背後を別の大きな刃物が襲った。
「ギャッ! 」
寿校長が悲鳴を上げた。
校長の悲鳴と同時に全員の頭に甘い女の声が響き、指輪所有者の出会いを知らせた。
『まぁだぁぁまぁだぁぁぁ、指輪をぉぉ、集めてぇぇ! 残るぅぅぅ指輪はぁぁぁ、あとふたぁつぅぅぅぅ! 』
指輪の声はかつてないほどに興奮していた。今にも狂わんばかりに感極まった女の声が4人の頭を駆け抜けと行く。
その声にその場の全員の表情が凍りつく。それぞれの指輪は燃えるように熱くなり、ドクン、ドクンと鼓動する。
寿校長は一瞬、ひどく青ざめた顔をしてから、辺りに鋭い視線を放った。
「あなたは……!? 」
(「残る指輪はあと2つ……」)
寿校長は切りつけられた肩口を抑えながら振り向く。
そこには大きな刃物をもった大人の女がいた。
寿校長を襲った刃物は、日本刀の様に反り返った長い刃を持ち、薄紫の煙の様なものが刀身から立ち上る不思議な包丁だった。
「ブブブブッ……」
包丁は豚の唸り声のような音を発していた。持ち手だけは包丁の面影を残したシンプルな円柱型で、それを握っている大人びた女は福原詩織だ。
「詩織っ!! どうしてきたんだ!? 」
祐一が叫んだ。
「もう待てない! 待ってなんていられないの! 」
詩織は指輪の出会いで濡れた瞳をこれ以上ないくらい見開いて叫んだ。
ささは呆然と目を奪われていた。涙を流して立つ詩織に。
そこには美しい大人の女がいた。肩にかかるロングの髪はダークブラウンにカラーリングされ、毛先にはゆるやかなウェーブがかかっている。その髪型はアウターのベージュのダッフルコートによく似合っていた。思慮深そうな長いまつ毛に、猫を思わせる大きな瞳と尖った唇。顔には11歳の詩織の面影がある。すらっと伸びた足は黒い厚手のストッキングに包まれ、足元はブラウンのショートブーツ。年齢はおそらく25歳くらいか、それよりも上だろう。背丈は160cmくらい。詩織はあの後も魔法を使い続けたようだ。彼女は美しく成長し、そしてさらに歳をとっていた。
ささは変わってしまった詩織をひどく遠く感じて目を細めてた。
祐一もまた詩織を見て驚いていた。成長した詩織自身もさることながら、詩織が手にしている刀の様な武器……。
(「禍々しい姿のあれは一体なんだ!? 」)
「詩織、その武器は!? 」
「うん、わたしと同じで成長したみたい。わたしの魔法、ライフは命を与える。そして与えた命は成長するの。あの金物屋さんで一緒に選んだ安い包丁が、こんなに立派に育ったのよ。ほら、見て! チャッキーも! 」
そう言って詩織が指をクルクルと回すと、詩織のリュックからはハサミのチャッキーが現れた。
「キキキィ! 」
奇声をあげたチャッキーもまた刃の部分が肥大化し、切れ味の良さそうな刀身がキラリと光っている。
見た目はすっかり変わってしまっていたけれど、話し方や仕草が以前の詩織のままだった事に、ささはひそかに安堵した。
「詩織! 助かったよ……、ありがと。でも……、大丈夫なの? 」
ささの問いに詩織はうなづいてきっぱりと言った。
「やっと……、覚悟ができた」
詩織は暗く沈んだ瞳でささを見つめる。
「……わかった。3人でやろう」とささが答える。
「やれやれ……」と祐一も渋々うなづく。
そんな3人のやり取りに寿校長は目を細めて言った。
「なるほど。もう1人仲間がいましたか。まさか3人もの人間が協力して指輪集めをするなんて、前の指輪戦争を知っている私には、にわかに信じられない。これは盲点でした。それに残りの指輪はあと2つ。この場に6つも指輪が集まってしまうなんて。とても危険な状態です。そしてあなたが3つの指輪を持っているのですね……。おや……? あなたは……、ああ、なるほど。あなたは5年2組の福原詩織さんですか。見違えましたよ。すっかり大人になってしまって……。その様子では『与命』の魔法を随分使ってしまったようですね。すっかり指輪に侵食されている。あなたも川島君と同様にもう戻れない」
寿校長は冷静に肩口の傷を確認しながら言った。出血はそれほど多くない。寿校長は痛みを感じている素ぶりも見せず、頬を伝う涙さえ拭おうともしなかった。
祐一は寿校長をジッと見つめた。
(「何かが引っかかる……。何だ……!? 何かがおかしい……」)
祐一は寿校長の傷口を見た。
校長の着ているジャケットは肩がパックリと裂けて、中に着ている白いブラウスに血が滲んでいた。
(「あの傷……、思ったより浅いな……」)
詩織の攻撃は容赦なく寿校長の肩から背中にかけて深々と切りつけたように見えた。少なくとも角度的には確実に致命傷を与えたはずだ。実際、ジャケットの肩口はパックリと裂けていた。しかし校長は祐一の予測よりはるかに軽傷だった。祐一はメガネに指を添えて考える。
(「あの切り口なら体が真っ二つになってもおかしくないぐらいの角度で体に刃が触れたはず……。でもオバ校の背中はかすり傷程度しかダメージがん。ん、無い!? 肩口の衣服の損傷や切り傷は、背中を進むに従って軽傷になっている……。すごい速さで回復した? いや傷自体が……、徐々に浅くなっている! つまり刃が体に触れてから刃を避けた? そんな反応……、人間にできるのか? 」)
そして祐一は寿美代子の魔法を理解した。
「わかったぞ! オバ校の魔法は時を操るんだ。おそらく自分以外の時間の流れを遅くできる。時を止められる訳じゃない。もし時間を完全にストップできるなら、俺たちは一瞬で殺されているはずだ。多分……、オバ校の体感時間で数秒程度、時の進みを遅くでき魔法……。そうだ、ゆっくりと流れる時間の中で、オバ校だけが自由に動けるんだ。だからオバ校は詩織の斬撃が肩に触れた瞬間に魔法を発動して攻撃をかわせた。オバ校は俺たちより遥かに早く思考し、そして遥かに早く行動できるんだ。しかしそれは同時に人より多くの時間を生きる事になる。校長は今までの人生で、何度となく時の流れを遅くしてきたんだ。だからオバ校の体感時間では、人の何倍もの時間を生きているはずだ。そんなに老け込んだのは魔法を使う事で、より多くの時間を生きてきたからだろう? 」
「……驚きましたね。指輪は戦争状態に突入していないのに、この段階で私の『時流』の効果に気付くなんて……。仁木君、あなたはなかなかに優秀ですね。戦いの才能があります。あなたがもし覚醒したら素晴らしい能力を得られるでしょう、私は教師として優秀な教え子を持ち嬉しく思いますよ。そして残念です。これで確実にあなた達を始末しなければいけなくなりましたから」
寿校長は薄笑いを浮かべながら言った。
(「全然、残念そうじゃない……」)と3人は思った。
祐一に能力を見抜かれたはずなのに、寿校長に焦りは見られなかった。それどころか寿美代子は、言葉とは裏腹にニコニコしていた。
「この人、頭がおかしい……」と詩織が呟いた。
「おやおや。私はあなたほど指輪に侵されてはいませんよ」
冷たい寿校長の言葉に詩織はムッとした。
すると祐一が寿校長を睨み付けて言った。
「オバ校には余裕があるんだよ。たとえ仕掛けがわかったとしても、対処できない魔法だ。『時流』って言ったか……、その魔法。まさか時間の流れを遅くできるなんて! 裏技もいいところだ。確かに圧倒的な能力……。名付けるなら、まさにスローだな。全てがスローモーションの世界で、こいつだけが自在に動けるなんて……」
痛みに耐えながら祐一が唸るように言った。
「私の能力は8つの指輪の中で最強です。これは全ての指輪の魔法を知るからこそ言える事。さすがに指輪が解放されていない今の状態で時の流れを自在に操る事はできませんが、それでもあなた方3人を殺すくらい造作も無い事ですよ」
そう言って寿美代子は「ほほほっ」と笑った。
寿美代子は重要な記憶を失う事で、心のバランスが壊れてきている。或いは記憶を失うたびにこの人は子供に戻っているのかも知れない……、とささは思った。
ささ達は寿校長から得体の知れない気味の悪さを感じて無意識に後ずさる。
しかし一方の寿美代子は冷静に思考していた。
(「私の魔法は体感時間で数秒、時の歩みを遅くするだけで記憶を失う可能性がある。そして呪いはいつ発動するのかわからない。もし指輪が覚醒して戦争状態になりさらに私の能力が向上したとしても……、魔法を使い過ぎれば致命的な記憶喪失になることは前回の指輪戦争で身に染みています。恐らく次に失うのは両親か兄弟など残っている家族の記憶。或いは人生の大半を費やした仕事の記憶か。どちらにしろ私の人生は致命的に失われてしまう……。いや、すでに……」)
祐一は痛みに堪えながら必死に考える。
(「オバ校の魔法はスロー。時間を止められる訳では無い……。素早く動けるだけ……。だったら……、遠距離からあちらが反撃できないほどの手数で攻め続ければどうだろう? 攻撃し続ければ、いつかやつは呪いが発動して、さつきみたいに動きが止まるはずだ。その隙にバインドで動きを封じる。捕らえてさえしまえば、いくら時間の流れを遅くしたところで意味は無い」)
「ささ、祐一、端っこにふせて!! 」
突然、詩織が叫んだ。見れば詩織は両手を胸の前に突き出して何かの指示を出していた。
不穏な空気を察したささは、祐一の肩をつかむととっさに部屋の隅に飛んだ。
ささと祐一が部屋の隅に飛んだのほぼ同時に、詩織の動作に呼応して黄色い大きなものが校長室の窓を突き破ってきた。
「ロ、ロードローラー!? 」
「ここ、2階だぞぉぉ!? 」
「ドドドドッ! ガガシャァァン!! 」
爆音と共に校庭にあった黄色い重機が、隕石またいな勢いで飛び込み校長室をグシャグシャに破壊した。
一瞬、部屋の中心に立っている真顔の寿校長が見えた。
ささと祐一は窓際左の壁にうずくまり、詩織は反対側の隅に避難したが、寿校長の位置に逃げ場は無かった。
あたりは衝撃で巻き起こった白いモヤに包まれている。
「ズドドドドッ……」
激しい衝突の余波で校長室は地震のように揺れている。
「くっ……、ささ! 詩織! 無事か!? 」
「だ、大大丈夫……」
「わたしは平気。祐一は無事なの? 」
「ああ、傷口が少し開いたけど……、なんとか……。それにしても詩織、いつのまにこんなものを? 」
祐一が痛みにうずくまりながら言った。
「さっき校庭を通った時に見かけて、この子は使えるかもって! 」
詩織は少し得意げだった。
「確かにこの大きさなら、どんなに早く動いてもかわせないね! 」とささが同意する。
「ああ、そうだな。あのタイミングなら完璧だ。でもあれほど魔法は使うなって……」と言いかけた祐一の動きが止まる。
祐一の視線の先には、校長室へ入る扉があった。隣の職員室へと続くその扉は開いていた。ささと祐一がこの部屋へ入った時、確かに扉は閉めたはず……。
ロードローラーは窓を破って部屋の奥へ突っ込んでいる。校長室の広さを考えれば、部屋の中央にいた寿校長には逃げ場はない。確実に壁とロードローラーに挟まれてペシャンコになったはずだった。
(「けれど……、もしもオバ校がスローの魔法を使ってロードローラーの突進よりも早く移動できたら……? 部屋の一番奥、左手の扉を開けて隣の職員室へ避難することも出来なくはない。まさか……、今の攻撃をかわした!? マズい……、ここで逃すと厄介な事になる! 」)
祐一は慌てて駆け出そうしたが「ううっ! 」と呻いて倒れる。傷の痛みでうずくまってしまった。
「祐一! 」
ささは祐一に駆け寄り傷口を確認した。祐一の両手に巻いたハンカチは真っ赤にそまり、ポタポタと血が滴り落ちている。
(「マズい! この傷、あんまり治ってない……。指輪の回復力を超えた大怪我なんだ……」)
ささは祐一の傷口を抑えて必死に止血しようとした。
詩織は素早く状況を把握すると、指先の動きで何かの指示をチャッキーに伝えた。
「キィィィ! 」
大きなハサミはすぐさま隣の職員室へ飛び去っていく。そして詩織自身もその後を追う。
「し……、おり……、1人じゃ……」
祐一がうずくまったまま詩織の背中に叫んだが、詩織は構わず職員室へ走っていってしまった。
詩織が職員室に入ると寿美代子は机が整然と並ぶ部屋の真ん中に立っていた。
校長は俯いて動かない。棒立ちだ。
(「あの攻撃をかわすためには相当、魔法の力が必要だったはず……。もしかしたら……、校長先生は、今、まさに呪いが発動している!? 」)
「今なら! 」
チャッキーは職員室を壁沿いにぐるっ迂回するように飛行すると、寿校長の背後から襲いかかった。詩織はチャッキーと挟み撃ちにする形で、校長の正面から包丁を振りかぶる。
「ジョッッキン!! 」
致命的な切断音が職員室に響いた。
「ギャァァッ!! 」
……。
ささが詩織を追って職員室へ入った時、そこには勝ち誇ったように寿校長が立っていた。足元には呻き声を上げてうずくまる詩織がいる。
「うわぁぁぁぁ……」
悲鳴をあげる詩織のすぐそばにはベージュのダッフルコートの袖が落ちていた。
袖……?
いや、それは詩織の左腕だった。
うずくまる詩織の肩からは噴水の様に血が吹き出している。
「キッププキッ!? 」
恐らく詩織の腕を切断したであろうハサミのチャッキーは、奇声を上げてオロオロと詩織の周りを旋回していた。
「その化け物のようなハサミが私を切断しようとした瞬間に、福原さんと私の位置を入れ替えました。バカな子ですね。私を挟み撃ちにしようと近づいてくるなんて」
詩織は憎しみのこもった眼差しで寿校長を睨む。
それから詩織は震える右手で切断されて床に転がっている自分の左手を掴んだ。
「フゥッ……、フゥ……、フゥ……フッ、フッ」
荒い息づかいと脂汗。肩口からは蛇口を捻ったように血が溢れ出していた。詩織はガクガクと震えながら、切断された自分の左腕を右手で拾い上げると唇をつけた。詩織の目が真っ赤に燃える。詩織の唇から紫の炎が立ち昇る。
すると切断された左腕からも紫色の煙が溢れてブルブルと震えだした。
それから……。まるで合体するロボットのように腕はひとりでに飛び上がり、詩織の傷口へと自分から張り付いた。
腕が接合した一瞬、詩織の目は青い炎を宿した。
「ああっ! あっ! あっ! はぁぁぁ……、ん」
詩織は悩ましい声で呻く。
「あなた……! まさか!? 」
寿校長は驚きの声を上げた。
(「覚醒した!? 強制的に!? ありえない! そんな事できるはずが…… 」)
詩織の体から煙のように青い光が溢れ出した。
そんな詩織の姿に寿美代子は目を見開いた。
(「この子……、いやこの女は危険だ! この女には尋常ではない覚悟がある! どんな犠牲を払っても指輪を手に入れるという断固たる覚悟が……」)
詩織は震えながら繋がった左肩を抱いて言った。
「左手に……、はぁ、はぁ……。命を……、与えた……。はぁ……、はぁ……、わ、わたしの……、ライフをなめないで! 」
詩織は必死の形相だが、確かに切断された左腕は接合され、動かすこともできるようだった。詩織の目の色は赤い瞳に戻っていた。
寿校長は目を細めて詩織を見ていた。
「驚いた……。大した根性ですね。『与命』の魔法にそんか使い方があるなんて。正直、驚きましたよ。あなたは危険です。とても正気とは思えない……」
「それはお互い様……」
詩織は吐き捨てるように言った。そんな詩織の姿を見て寿校長は思う。
(「確かに……、『与命』の魔法には得体の知れないものがある……。早めに始末しなければ……、あっ? え、え、えっ!? ……これは!? 」)
「グゥゥガガッ! 」
寿校長が突然呻いた。体が何かに締め付けられている感覚が寿美代子の全身を襲っていた。
(「これは!? ……『拘束』の魔法! しかし仁木君はまだ校長室に……。はっ! まさか……、壁の向こうから!? 」)
祐一は隣の校長室から、壁越しにバインドの魔法を放っていた。祐一は訓練を重ねてバインドの射程距離を伸ばしていたのだ。そして祐一の肩にはガチョピンがちょこんと乗っている。ガチョピンが祐一に隣の部屋にいる寿美代子の場所を伝えていた。
「グゥ……、ゥゥゥ……」
祐一は痛みに顔を歪ませ、それでも掌に魔力を込める。掌の傷は魔法の使用とともに一気に血が吹き出してくる、そして吹き出した血は赤い道筋となって、目に見えないはずのバインドの本体を徐々に浮かび上がらせた。
それは……、透明の大きなヘビだった。人の体ほどもある太いヘビが、壁をすり抜けて一直線に寿美代子の体に巻き付いていた。
「長くは持たない!! 」
祐一が隣の校長室から叫んだ。
職員室に駆けつけたささは、部屋の隅に転がっている詩織の包丁へ向かってダッシュした。
「クソがぁぁぁぁ!!! 」
寿美代子がこれまで聞いたことのない激昂した雄叫びをあげた。その叫びはささ達に最大のチャンスが来たことを告げていた。
寿美代子は即座に魔法を使うと時間の流れを極限まで遅くした。ほぼ全てが静止した世界で、寿美代子はいつものように頭をフル回転させ、この状況の打開策を思案する。
(「クソッ! クソッ! クソッ! 早く『拘束』を解除させなくてはぁぁ!! 私の魔法は時の流れを遅くできる。しかし時の進みを遅くすればするほどに、私自身の体の動きに時間が生み出す抵抗が生まれてしまう。それはまるで水中にいるような不思議な感覚。現状は最も時の流れを抑えているので、この状態のままでは、抵抗が強すぎて私自身もあまり動く事ができない! しかも魔力を最大にしている状態が続けば、指輪の呪いがいつ発動したとしてもおかしくない!! 早く! 早く! 早く対処しなければ……! 幸い川島君は……、職員室の端に転がっている包丁を取りに走っている。バカな子だ。私のサングラスを外して『魅了』をかければよいものを….…。とりあえず、川島君はしばらく放置して問題ない。最も危険な福原詩織は……、よし! まだ私の直ぐそばでうずくまったままだ。この女のハサミも私とはかなり距離がある。直ぐには攻撃できない。やはりまずはこの忌々しい拘束を解くことが最優先だ。クソッ! クソッ! ビクともしない! 忌まわしい『拘束』の魔法めッ!またしてもこの私を追い詰めやがってぇ! 指輪が覚醒さえすれば、同一世界線の中で時間を逆流させる事もできるが……、ダメだ……、そうすると今度は犬神の奴が……、いけない! まずは目の前の事象に集中しなくては……。それにしても福原詩織! この女の常軌を逸した行動とあの目の色! あの一瞬、福原詩織は確かに指輪の力を解放した。それも私が知らない方法で……。危なかった。危うくまた指輪戦争が始まってしまうところだった。あら、いやだ……、今は余計な事を考えている時じゃないじゃないぃぃ! 」)
美代子はいつでも自在に時間の流れを遅くできる。彼女は人生の色々な場面で、まるで呼吸する様にスローの魔法を使ってきた。そのせいでどんなに切迫した状況に対しても、彼女の心には余裕があった。しかし美代子はその事に慣れすぎていた。ついつい自分の思考に沈み込んでしまうのは、悪い癖だと自分を戒める。それにしても祐一のバインドは強力だった。時の流れを極限まで遅くしているにもかかわらず、寿美代子の体を締め付ける力は徐々に増していた。
(「徐々に、……増す!? いや、いや、いや、そんなはずはない! 1度魔法が発動すれば私以外の全てが、その速度を失うはずなのに!? 」)
美代子が異変に気付くと同時に「ミシッ! バキバキ! 」と自分の上半身の骨が砕ける音がして、全身に激痛が走る。
「うがぁぁぁ!! な、な、何ぃぃぃぃ!? 」
寿美代子が呻く間にも、上半身を締め上げる力はさらに増していった。それはまるで自分を包む空気が突然水に変化して、激しい水圧で押しつぶそうとしているようだった。
(「時の流れを遅くし過ぎたのか!? その力に私の体か耐えられない? いやそんなはずはない! たとえ時間を逆流させたとしても私の体には直接ダメージは無かったはず……。ん? ……おや!? 」)
ふと寿美代子の視線が自身の着ているジャケットに移る。
そこには自分のジャケットの左手袖口に口づけをしている福原詩織がいた。詩織の唇から紫の炎が吹き出している…….。
「こ、こ、この女!! ま、まさかぁぁ!?」
(「この女の魔法『与命』は無生物に命を与える能力だ。そして仁木祐一の『拘束』は私の全身に巻きついているのに、体に掛かっている負荷は上半身だけ!! つまりぃぃ、身につけているこのジャケットがぁぁぁ! 私を締め付けているぅぅぅ!! この女ぁぁぁ! 私の衣服に『与命』を掛けたのかぁぁ!!? 何もかもがゆっくりと歩むこの魔法の世界で、私だけが! この私だけが唯一ぅぅぅ、動くことができる存在。だがしかしぃぃ!! それは今、この瞬間、私が身につけている服も同じぃぃぃ!! くうぅそぉぉがぁぁぁぁ!!! 」)
寿美代子が全てを理解した時、「ブッッン! 」と自分の中で何かが切れる音がした。寿美代子は大事な何かが切断される音を確かに聞いた,
そしてその音とともに記憶の濁流が美代子を襲った。夫と初めて出会った日、結婚式の衣装、彼とのセックス、出産の苦痛、円香が小さい頃に大怪我を負った時の光景、円香が学校に入学した日、遠い昔の家族3人の食卓、一緒に見た夕焼け……。狂ったようなオレンジ色に包まれた世界……。それら全てが一気に美代子の頭に流れ込み、そして全てが一瞬にして暗闇に呑まれた。その刹那、美代子は確かに見た。魔法の指輪を持つ夫が、美代子の指を切断する瞬間の映像を……。
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