第5話 3-1 ノーライフキング

「やっぱり指輪を全部集めたら、どんな願いでもかなうのかな? 」

福原詩織は川島ささと仁木祐一、2人の顔を交互に見て言った。

3人は塾のエレベーターホールでお互いの指輪を確認すると早速、自習室で情報交換をすることにした。

「指輪の数が全部で何個あるのかはわからないけどさ」と祐一がメガネに指を添えながら言う。

「噂だと8個じゃなかったっけ」とささが曖昧な表情で口を尖らせる。

「まあ、噂なんてあてにならないけどな。ただ、この指輪には確かに魔法みたいな不思議な力がある」

祐一の言葉に詩織は頷いて言った。

「うん、わたしも知ってる。ほら、これを見て」

そう言った詩織はリュックからぬいぐるみ型のキーホルダーを取り出した。それは子供向けのテレビ番組に登場する緑色をした怪獣型のぬいぐるみ、……の偽物だった。

「ガチョピン、ダンス」

詩織の言葉でガチョピンと呼ばれたぬいぐるみがひとりでに動きはじめる。

10cmくらいのぬいぐるみは片足をちょこちょことあげてリズムを取る。それから机の上でくるくる回り、飛び跳ねてからささと祐一にうやうやしく一礼した。

「すごい! 何これ、どんな魔法? 」

ささはびっくりして詩織に聞いた。

「物に命を吹き込む魔法なの。わたしが口をつけながら頭の中で願うとね、どんな物でも命を持つんだよ。不思議でしょ? 」

「すごいね! 」

ささは目を丸くしてガチョピンを手に取った。するとガチョピンはなんだか気に入らない様子で首を横に振る。それからもぞもぞとささの手を抜け出すと詩織の肩にちょこんと座った。

「この子、わたしの言うことしか聞かないの」

ぬいぐるみを肩に乗せた詩織は少し得意そうに言った。

「へぇ、福原だけの召使いみたいなものか。確かにすごいな。こいつに言葉は通じるの? 」と興味深そうに祐一が尋ねる。

「うん、話しかければちゃんと反応するよ。でも喋ることはできないみたい」

「なるほどね。ささの魔法に似ているな。物に命を与えて操る魔法か。それなら名前は……、ライフかな」

「ライフ……、うん、いいね! 」

詩織は少し考えてからニッコリと笑った。辺りがパッと明るくなったみたいな笑顔だった。

(「うわぁ……、かわいい」)

ささと祐一は詩織の笑顔にすっかりやられてしまった。

「うん? どうしたの? 」

呆けたような表情の男子2人に詩織は首を傾げた。

「い、いや、びっくりしちゃってさ。なっ、祐一? 」とささが取り繕う。

「お、おう! とにかく福原が指輪の魔法を知っているなら話は早い。俺たちもまだわからない事だらけでさ、色々調べてるところなんだ。福原はどこでこの指輪を見つけたの? 」

「わたしはみそら小の花壇だよ。飼育委員だからこの間の土曜日の朝、お花の水やりにいったら花壇のレンガの上に落ちてたの。キラキラ光ってて、なんだか目が離せなくなっちゃった。そうしたらね、いつの間にか指にはめてたの。でも一度はめたらとれなくなっちゃって……」

ささと祐一は顔を見合わせて笑った。

「みんな同じだね」

「身につけたら外せないのは噂通りだ」

祐一がそう言ったので、ささは自分の左手中指に光る銀色の指輪を抜こうと力を込めてみた。けれど、やっぱり指輪は外せれない。その指輪は、まるで体の一部のように自然にそこにあった。祐一は左手の中指を。詩織は右手の人差し指にある指輪を見つめる。3人の指輪は鈍く煌めいている。

「俺たち3人は全員、みそら小の中で指輪を見つけている。俺が発見したのが先週で、福原は一昨日。ささは今日か。指輪はここ最近、同じ場所で、しかも短期間に連続して見つかっているんだな。何か理由があるのか……」

「うーん。でも呪いの指輪の噂って結構前からあったよね」

ささの発言に詩織も頷いた。

「うん、わたしも指輪の噂は結構、前から聞いてたよ」

「ああ、確かにそうなんだよな。俺も何年か前に上級生から呪いの指輪の話は聞いた事があったしな。きっとこの指輪はずっと前から存在していると思って間違いなさそうだ」

指輪を見つめていたささがボソッと呟く。

「なんだかさ……。指輪の魔法って見つけた人の性格に合ってるよね」

「見つけた人の性格かぁ……」と頷いた詩織は、ガチョピンのお腹を指先でポンポンと撫でた。ガチョピンは嬉しそうに詩織の指にまとわりつく。

「ぼくのチャームに祐一のバインド。福原さんのライフ……」

「うん、ささの言う通りそれぞれの性格に合わせてあつらえたみたいな魔法だよな。指輪はその能力に見合った人間の前に現れるのか……。それとも発見者の資質にあった魔法が後付けで発生するのか……」

「うーん、僕は何となくだけど……、指輪に選ばれてるような気がするな」

ささは指輪を見つけた時の事を思い出す。

がんばりタワーは人気の遊具だ。あそこには多くの子供が集まるし、夜になれば大人だってこっそり侵入している場所だった。それなのに指輪は他の誰でもなくささの前に現れた。

「わたしもそんな気がする……」と詩織が頷く。

詩織は花壇のレンガの上でキラキラと輝いていた指輪を思い出していた。あの日、飼育委員は詩織のほかにも何人かいたのに指輪を見つけたのは……、というより指輪を見ることができたのは詩織だけだった。はめた指輪をみんなに見せても、みな不思議な顔するばかりで指輪の存在に気付けなかった。

「指輪に選ばれるか……」

祐一が難しい顔をして無意識にメガネの端に指を添える。

「うーん、俺達が指輪に出会った学校の図書館も花壇やアスレチック。確かに誰だって見つけらそうな場所ばかりだものな。にもかかわらず俺達だけがこの指輪を見つけてるって事は単なる偶然じゃなく必然……」

「あっ! そういえば……、さっきエレベーターホールで変な声が聞こえたんだけど、あれって川島君と仁木君にも聞いた? 」

福原詩織は少し首を傾げながら先程、祐一とささに出会った時、頭に響いた声について聞いた。

「ああ、頭の中に直接響いたあれね……」

「あれは多分、指輪自身の声だと思う。僕と祐一が出会った時にも、やっぱり同じ声を一緒に聞いたんだ」

「ああ、そうだな。やっぱり指輪はそれぞれ個別ではなくて、全部で一つの意思を持っているんだろう。そして俺たちにアドバイスを与えながら、指輪を集めさせようとしている」

「それにしてはなんだかエッチな女の人の声だったけど……」

詩織が頬を赤くして言いづらそうに小さな声で呟いた。

(「うわぁ……、すごくかわいい」)

頬を赤らめモジモジした様子の詩織を間近で見て、ささと祐一はすっかりメロメロになってしまった。詩織の黒目がちなキラキラした大きな瞳。美形の猫のような愛らしい顔立ち。少し尖った唇。肩にかかるサラサラの髪。それに彼女の近くにいるとなんだかいい匂いがする……。

男子2人がそっくりの表情で揃ってニヤニヤしている様子を、詩織は不思議そうに眺めていた。

(「知らなかったな。この2人、タイプは全然違うけど、随分気が合うみたい」)

「川島君と仁木君ってそんなに仲良かったっけ? 」

「うん? 」

詩織の質問にすっかり表情が緩んでいた2人は、我に返って互いに顔を見合わせた。

「あっ、違うの……。川島君と仁木君って学校ではそんなに話してるところを見たことなかったから。でも今、下の名前で呼びあってるし……、実は仲よかったんだなって……」

「あっ……、まぁ、さっきさ……、ちょっとあって……」

祐一はなんだか照れ臭さそうに早口で言った。すぐにささがフォローするように話を続ける。

「祐一とはついさっき指輪を奪い合って戦ったんだ。結構激しくやり合ったんだけどね、でも途中でなんか仲良くなっちゃってさ、友達になったんだ。で、結局、これから2人で指輪集めをすることしたんだよね」

「まあな」と祐一が少し赤くなってうなづいた。

(「友達になったなんて簡単に言うなよ、恥ずかしい……。でも……、友達か。俺にそんな相手ができるなんて……」)と祐一は指輪を見つめながら思った。

「えっ……、奪い合ったって……、指輪の魔法を使ったの? ……あっ! だから川島君の顔、ちょっと腫れてるんだね。さっきから気になってたんだけど聞きづらくて……。大丈夫? 」

心配そうに詩織がささの顔を覗き込んだ。

「僕は大丈夫! 指輪のお陰でもう全然痛くないし」と照れながらささが言った。

「それより祐一に怪我させちゃって……」

「お互い様さ、元はと言えば俺が悪いんだ。気にしなくていいよ。俺の方も指輪の力で怪我はすっかり治ってるしさ」

「ふーん、やっぱり指輪を身につけると怪我が早く治ったりするんだね。そう言えばわたしも最近、なんか体の調子いい気がする……」

「たぶんさ、運動神経も良くなってると思うよ」

「ああ、そうだな。でもさ、そんな事よりお互いの指輪の魔法について話そうぜ」

「うん、そうだね。そこから何かわかるかも知れないし」

「よし、それじゃあまず俺の魔法ね。俺のは手のひらを向けると触れずに物の動きを止める事ができるんだ。相手を縛って動けなくできるからバインドって呼んでる。さっき実際に使ってみてわかったんだけど、動きを止めるだけじゃなくって、その気になれば縛ってる相手を万力みたいに締め上げる事もできるんだぜ」

そう言った祐一が右手を上げてホワイトボードに立てかけられたマーカーにバインドを発動しかけた。が、すかさずささが止めに入った。

「祐一! こんなところで呪いが発動したら厄介だよ! 」

「あっ、それもそうか……」と祐一は慌てて右手を下ろした。

「呪い? 」

詩織が怪訝な表情を浮かべた。

「うん、魔法を使うとその後に厄介な呪いを受けるんだよ」

「指輪の魔法を使うと目の色が赤くなる。そして呪いが発動した時は目の色が金になりその体に呪いを受ける……」

祐一は先程、自分に発動した呪いを思い返して渋い顔だ。

「うーん、それならわたしも何回か指輪の魔法を使ったから、呪いを受けているのかな……? でも特に変わったところはないけど……」

「僕もそうなんだ。さっき指輪の魔法を使って目も金色になったのに、特に何の変化もない……」

「ふーん、よくわからないね……。それじゃあ、川島君の魔法はどういうの? 」

「僕のはチャームっていう動物を操る力。さっき初めて使ったんだけれど、犬やカラスを思い通りに操れたんだ」

「すごい! それって人間にも効く? 」

「それは駄目みたい。祐一に試したけど効かなかったから……」

「いや、それさ、さっきから気になっていたんだけど、ささの魔法が俺に効かないのはおかしいよ」

「どうして? 」という表情でささは祐一を見た。

「だって俺のバインドはお前に使えたからさ。だったらお前のチャームだって俺に効くのが道理だろう。一方的な効果って指輪を集めるために戦うんだとしたら不公平だろう? 」

「うん……、確かに。でもさっき祐一にチャームをかけようとした時はダメだったよ」

「うーん……」と祐一が唸ると、にっこり笑って詩織が言った。

「ねぇ、ちょっとわたしで試してみたら? 」

「えっ……、いいの? 」

「うん、その方が手っ取り早いよ。ちょっと面白そうだし! 」

「そうだな。福原に魔法がかかれば指輪を持った人間にも使えると証明できる」

「うん、わかった。やってみよう! じゃあ、僕の目を見て……」

「はい」と言って詩織はささの目を見つめた。すぐにささの目が赤く光り出す。

「すごい! ホントに目が赤く光ってる……」

詩織はささの瞳から目が離せなくなる。

「そのまま動かないで」

ささは詩織の目を深く覗き込んだ。さっき能力を使った時を思い出し、相手の目の奥、頭の中へ侵入するイメージを思い描く。

ささの指輪が緩やかに熱を持ち、すぐにささの意識は詩織の眼球から神経を伝い脳へとたどり着く。それは初めて魔法を使った時と同じ様に、暗く細長いチューブの中を疾走するような感覚だった。そしてそれは犬や鳥にチャームを使った時よりずっとスムーズだった。

(「さっきより簡単にできる……」)

ささは使えば使うほど魔法は強力になる事にその時、気が付いた。

ささの眼前には詩織の乳白色の脳みそがはっきりと見えた。

(「ああっ……、なんで美味しいそうなんだ……」)

そうなるとささはどうにも抑えが効かなくなり、あっという間に詩織の脳みそを丸呑みにしてしまった。ささの口の中には豆腐を食べた時のような食感と、普通の食べ物とは明らかに違った味覚広がる。詩織の脳は先程食べた動物達のそれとは全くの別モノだった。

(「この脳みそ……、すごく……、うまい!! 」)

口の中で詩織の味を噛み締めていると、ささの頭の中でカチンと何かが繋がる音がした。

気がつくと詩織はトロンとした目つきでささを見つめていた。詩織の瞳は仄かに赤く輝いていた。

「掛かったと思う……」

「本当に? じゃあ何か命令してみろよ」

祐一の言葉を受けて、ささは頭の中で詩織への指示を思い浮かべた。

すると詩織はスッと立ち上がり、ささの膝の上にちょこんと座った。

うわ……、福原さんがこんな近くに……と、ささは内心ドキドキする。

「おおっ! すごいな! 声に出さなくても指示できるのか」

「そうみたいだね。しかもさ、福原さんにはさっきよりずっと簡単に魔法を掛けられたんだ。たぶん指輪の魔法は使えば使うほど強力になるんだよ! RPGのレベルが上がるみたいにさ」と後ろめたい気持ちを誤魔化すように早口でささは言った。

「なるほど、なるほど、面白いな! よし! それじゃあ、次はスカートをめくってもらおうか! 」

「いや、祐一……。それはダメでしょ……」

ささは鼻息を荒くした祐一を冷たく一瞥した。

「そ、そうか……。案外、真面目な奴だな」

祐一はかなりがっかりした様子だった。

「祐一こそ、意外にエロいね。ちょっとひいたよ……」

「ま、まあな……、でも男なら普通だろ。じゃあさ、福原を元に戻してみろよ」

祐一はつまらなそうに言った。

「うん、わかった」

ささは少し考える。チャームをかけるときは脳を飲み込んだから、解くときは吐き出すイメージ……。

「ほいっ!」

ささの合図で詩織の瞳は赤い輝きを失い正気に戻った。

「えっ!?」

自分がささの膝に座っていることに気づき、詩織はびっくりして飛び退いた。

「福原? 今、ささに操られている間の事は覚えている?」と祐一が詩織に聞いた。

詩織は首を振って答える。

「川島君の目が赤くなったのは覚えてるの。でもその後……、なんだか幸せな気持ちになって……、スーッと意識が遠くなってきて……、気がついたら川島君の上に座ってた……。わ、わたし、重くなかった? 」

真っ赤になって詩織が言った。

「全然大丈夫、軽かったよ!」

「もう! 変なことさせないでよね!」

詩織は大げさに膨れた顔をして言った。

「ごめん、ごめん!」

祐一は2人の話を聞くともなく聴きながら、無意識に人差し指をメガネに添えた。

(「やはりささのチャームは人間にも使えるんだ。なんて羨ましい能力! どんな女子も思いのままかぁ……。しかもチャームは指輪の所有者へも有効だ。だとすると俺に効果が無かったのは別の理由だな。俺が男だから? 或いはこちらの魔法が発動していたから? それとも…… 」)

祐一が考え込んでいると、今度はささの目が金色に輝きだした。

「ああ、これが呪いの発動ね」

祐一がささの状態を詩織に説明した。

「キレイな色……」

詩織はささの目に見とれた。ささの長い睫毛の奥の瞳は、普段黒目の部分が金色に明滅し、まるで黄金色の車輪が回の様に回転していた。

「ささ、俺の声は聞こえるか? 」

「うん、聞こえてる……。なんだかぼんやりするけど、別に体はなんともないみたい……」

それからすぐにささの目の色は元へ戻った。「なるほど……、少しわかった」

祐一がメガネの端に手を添えたまま言った。

「うん? 何が? 」とささと詩織が声を揃える。

「呪いの発動時間だよ。魔法を使った分だけ呪いを受けるんだ。さっき俺は10分くらい魔法を使用して、呪いも同じくらいの間、発動していた。そして今、ささは20秒くらい魔法を使い、呪いも20秒くらいの間、発動している。つまり魔法を使った時間に応じて、それと同じだけの呪いを受けるんだ」

「おおっ! 祐一、頭いいじゃん!」

「うん、仁木君、すごい!」

2人は祐一の観察力と分析に感嘆して声を上げた。祐一は照れ臭さそうに下を向いたが、まんざらでもなさそうだった。

「でも呪いって言うけど、僕の体には何も起こってないよ? 」

すると祐一は突然真顔になって、ささと詩織に言った。

「いや、これは気をつけた方がいいぜ。俺のバインドの呪いとは違って、すぐに判別できるようなものではないのかもしれない。でも指輪の力は本物だし、魔法を使えば、それと釣り合う呪いを受けるのは当然だと思う。この世界にタダで何かを得られる事なんて無いんだ。何かを得ていれば、同時にそれに見合う何かを失っている。今は分からなくても、呪いは必ずその取り分を持っていくはずだ。だからあまり安易に魔法を使わない方がいい」

「う、うん」

「そうだね、確かにそうかも。仁木君ってなんだか大人だね……」

急に祐一が真剣なトーンに切り替わったので2人は少し面喰らった。そしてささと詩織はこの時、少しだけ祐一の事がわかった気がした。

けれど2人は肝心な事に気づけなかった。指輪は祐一の言う通り、2人から取り返しのつかないものを奪っていくことを。

それからしばらくの間、3人は自習室で話し込んでいると、ふいにパーテーションをノックする音が聞こえた。

塾の自習室は4つの椅子と大きめの机1つをワンセットにしてパーテーションで区切られた5つの部屋で構成されている。主に自習や個別指導に利用されているが、こうして生徒同士が遊んでいる場合も多い。そんな時は気付いた講師が注意にやってくる。

3人がハッとして振り向くと、そこには寿円香が立っていた。寿円香は20代の女性で国語講師。綺麗というよりはかわいらしい顔立ちをしている。小柄でくりっとした瞳とふわっとしたボブの髪型は小動物を連想させた。いつもニコニコしていて誰にでも分け隔て無く接するので、生徒からは友達のように慕われている。

「はい、はい、おしゃべりはおしまい。そろそろ荻窪先生の授業がはじまる時間ですよ」と寿円香は感じの良い笑顔を浮かべて言った。

「円香先生!」

珍しく祐一のテンションが高い。

「優秀な仁木君が自習室でお喋りなんてめずらしいわね。友達ができたのはよかったけれど、ここは勉強するところですよ」

「す、すいませんでした……」としょげた様子で祐一が言った。

(「あれ? 祐一にしては珍しく素直にだな……」)とささは思った。祐一は学校で先生に何か指摘された時、必ず何かしら反論するのが常だった。

(「大人の言う事は素直に聞かないタイプなのに……」)

「円香先生、そのカーディガンかわいいですね! おニュー? 」と詩織が目を輝かせて言った。

円香先生は白のブラウスに薄いピンクのカーディガン。スカートはややタイトなグレーの膝丈だった。地味で定番なコーディネートだけれど、円香先生が着ると清楚な中に可愛らしさがあってなかなかいいな……、と詩織は思った。

「ありがとう、福原さん。これは先週、お母さんと津田沼で買ったの。教室の中って冷房で寒いから、カーディガンが1枚あると調節しやすくていいのよね」

「いいなぁ、あたしも欲しいな」

「今の時期は秋物が沢山でてるもんね。福原さんなら明るめのピンクとか似合いそう。何なら今度買ってきてあげようか? 」

「えっー! ホントですか! 」

「うん、それとも一緒に買いに……って、あっ、そんなことより3人とも、自習室では静かにして下さいね! 」

柔らかい笑顔で言うと、寿円香はカツカツとヒールの音を響かせて自習室を去っていった。

祐一は口を半開きにして円香先生の後ろ姿を見送る。興奮したのかメガネが若干曇っていた。

不審に思ったささが声をかけた。

「祐一? 」

「あぁ、……やっぱり円香先生っていいよな!」

「えっ? そうかな」とささが興味無さそうに返すと祐一は得意げに言った。

「お前にはまだわかんないかなー、あの良さが」

「へぇー、仁木君はああいうタイプが好みなんだ? 」

茶化すように詩織が言ったが、祐一はむしろそれに乗っかるように続けた。

「おう! 円香先生は頭が良くて綺麗だし、品があって優しくてホント完璧だよ。好きな人とかいるのかな? 」

(「なるほど……。祐一は年上が好みなんだ。それなら福原さんは対象外っと……」)

ささはこっそりほくそ笑む。

「円香先生の家ってすごく厳しいらしくて彼氏はいないみたいだよ。お母さんはわたし達みそら小の校長だし」

詩織は口に指を立てて内緒話のアピールをしながら言った。

「ああ、知ってる。オバ校でしょ。でもオバ校はお母さんって言うかおばあちゃんだけどさ」とささが言ったので、ほかの2人がクスクス笑って頷いた。

寿円香の母は、3人の通うみそら小学校の校長だった。校長先生は顔中皺だらけで髪も真っ白だったので、影ではオバ校と呼ばれていた。いつも背筋をピンと伸ばしてキビキビと動いているので、実際にはみんなが思っているよりも若いのかも知れない。

「円香先生のお父さんって、先生が小さい時に死んじゃってるんだって。だからずっと校長先生が女手一つで円香先生を育てたんだよ。でも校長先生はすごく厳しい人だから、夜遊びとかできなくて、大人なのに未だに門限があるらしいよ」

「へぇ、箱入り娘なんだぁ」と嬉しそうに祐一が言った。

「うん、でも清楚系で可愛いから狙ってる人は多いんだよ。算数の荻窪先生もその1人。円香先生はすごくモテるんだから」となぜか詩織が得意げに言った。

「えっ!? そうなの? 」とささはビックリして聞き返した。

「そんなの見てればわかるよ。荻窪先生はわかりやすいから。でもあんなおかっぱ頭でメガネの運動音痴じゃ円香先生と釣り合わないけどさ! 」と祐一が吐き捨てるように言った。

「あっ、そうでもないんだよ。荻窪先生って高校の時はスポーツで有名だったんだって。噂だけどバスケでインターハイに出たことあるみたい」と詩織が言った。

「えっ……、そうなんだ? そんな風には見えないけどな」と祐一は不満そうだ。

「なんだか荻窪先生、最近になって急に目が悪くなって、それでスポーツもやめちゃったんだって。その時に大学時代から付き合ってた彼女とも別れちゃったらしいよ」

詩織が女子らしい鋭敏な情報網から得た荻窪先生のプライベートネタを披露した。

「よく知ってるね! 」とささが目を丸くする。

「女子の間では有名な話。荻窪先生って見た目は変だけど授業が面白いから、アレで割と女子には結構人気があるんだから」

「へぇ、アレがね……。でも円香先生と荻窪先生じゃ年齢が離れすぎじゃない? 」

なんとかカップル成立を阻止しようと祐一が反論した。

「そうでもないよ。円香先生、ああ見えて29歳でしょ。荻窪先生は逆に見た目より若くて31歳だから丁度ぴったりだよ。円香先生も高校時代はバスケ部だって言ってたし。同じ頃に高校生だった筈だから、もしかしたら荻窪先生の事知ってて憧れてたかもよ」

「えっ!? 円香先生、29歳なの? 24歳くらいかと思ってた……」と祐一がびっくりして言った。

「パッと見はわからないけど、肌の感じとかでバレるよ。それに女で29歳ならかなり結婚を意識する年頃だし……。30歳前に結婚したいってみんなよく言ってるもの」

11歳の詩織が自信満々で言ったので、ささはクスッと笑ったけれど、祐一はすっかり意気消沈していた。

「でもさ、荻窪先生ってちょっと気持ち悪くない? 」とささが祐一に助け船を出す。

「あの髪型とか? 」と詩織が聞く。

「いや、それもあるんだけどさ。この間、ノートの端で指先を切っちゃった時にね、荻窪先生が……、その……、ぼくの指を舐めたんだよね……」

「えっ、川島君の指を直接? 」

「うん……、なんか舐めてからしばらく傷口を塞ぐように強く抑えると治りが早いって……」

「うわ、何それ!? 気持ち悪いな。それってささの事好きなんじゃないの? もしかして荻窪先生ってホモ? 」

「あっ!それ、わたしも今、思った! 」

するとささはあからさまに顔をしかめて言った。

「や、やめてよ、気持ち悪っ! それにホモって言うならさっきの……」とささが祐一を睨んで言った。

「うわっ! ささ! それは男同士の秘密だろ。本当に悪かったと思ってるから! 」

祐一が必死にささを止める。

「えっ、何々!? 男同士の秘密って何? 」

詩織が目を輝かせて2人を問い詰めようとしたところで3人は教室に到着した。

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