第6話 3-2 ノーライフキング

ささ達3人が教室に入ると、室内はすでに集まった生徒達でごった返していた。

駅前にあるこの塾には色々な小学校から生徒が集まってくる。子供同士のお喋りは小学校の教室程活発ではないけれど、それでも気の合った者同士が近くに座ってみんなボソボソと何かを熱心に話していた。

塾のコミュニティは小学生にとって学校の次にウエイトが大きい場所だ。時には学校でうまくクラスに溶け込めない子供が、塾では中心的な存在に生まれ変わったりする。

また塾は数々の噂話が学区を越えて伝播される情報交換の場でもある。指輪の噂も最近、この塾で流行っている噂の1つだ。

「ねぇ、ねぇ、聞いた? 」

「呪いの指輪でしょ」

「そう、そう! それなんだけどね! 夜中の2時にさ、お風呂の湯船を覗くと……」

「あー! 知ってる! 水に映った自分が指輪を……」

教室に入るなり聞こえてきた誰かの噂話に、ささ達は思わず苦笑した。彼らは噂の指輪がまさかこの教室に3つもあるなんて思いもしないだろう。

この塾では学力ごとにクラスを編成しており、ひと月おきに行われるテストでその序列と所属は目まぐるしく変わる。祐一はいつもトップの成績で1番上のクラスにいた。ささと詩織はたまたま先月の成績が良かったので、3人は仲良く同じ教室の授業だ。しかしこれから始まる荻窪歩の算数は人気の授業で席はあらかた埋まっていた。しかたなく3人はそれぞれ空いている席に離れて座った。

ささ達が席に着くとすぐに講師の荻窪歩がやってきた。

ささは先程の話の流れからか、なんとなく荻窪歩を興味深く観察した。

彼は最近掛け出した銀縁のメガネにやたらファスナーのついた真っ赤なブルゾンという派手な出で立ちで颯爽と教室に現れた。顔は彫りが深くて整っているのだけれど、髪型がやけに前髪の揃ったおかっぱ頭でおぼっちゃん風……、というかオタクっぽい。背は高くて180センチくらいありそうだった。なるほど、バスケをやっていたと言うのは頷ける。体格はガッシリしていて筋肉質だけれど、それをアピールするかのようにおもむろに脱いだブルゾンの下は、秋なのに半袖のポロシャツだった。しかもポロシャツの襟はいつもピンと立てている。

(「うーん……、アレが元バスケ部のエース? 」)

ささには荻窪歩がスポーツマンというよりは筋肉が売りのお笑い芸人に見えた。

祐一も詩織の話が気になって荻窪歩を憎々しげに観察していた。

(「いつ見ても荻窪先生は髪型と服のセンスが致命的すぎる。今時、耳まで隠すマッシュルームカットって……、ビートルズかよ。それにあのド派手なブルゾン。なんであんなに沢山のジッパーが付いてるんだ? あんなデザインの服どこに売ってるんだよ。……って言うか、あんな奇天烈な奴の事を円香先生が好きな訳がないじゃないか! バスケなら俺だってそこそこできるんだし、ちょっとくらい算数を教えるのが上手いからって、あんなメガネのヘルメット頭に負ける気がしないし……」)

祐一はムスっとした顔で荻窪歩をジッと睨んだ。

詩織はガチョピンをペンケース横に置き、テキストを開いてすっかり勉強モードに切り替わっていた。

荻窪歩はキビキビとした動きで教壇の前に立つと教室を見回した。

その時、ふいに4人の頭の中であの女の悩ましい声が響いた。

『指輪をぉぉ、集めてぇぇ、そうすればぁぁぁ、あなたのぉぉ、願いをぉぉぉ、叶えてあげるぅぅぅ! 』

「!! 」

「!! 」

「!! 」

「!? 」

声と共に祐一、ささ、詩織。そして荻窪歩の頬を涙が伝った。

荻窪歩は流れる涙を気にも止めず、即座に教室を見回した。一番前の席に座り自分を睨んでいた祐一と目があった。

すぐさま祐一は顔を伏せたけれど、一瞬、荻窪先生と目が合ってしまった。

「チッ……」

祐一は舌打ちした。同じ授業料を支払うなら、より効果的な教壇に近い席で授業を受けるのが祐一のポリシーだったが、今日はそれが裏目に出た。

祐一と視線が絡んだ時、荻窪歩の目は確かに赤く光っていた。

(「荻窪先生も呪いの指輪を持っているんだ! まさかあの一瞬、何かの魔法を使ったのか? 」)

祐一はメガネに指を添えながら唇を噛んだ。

生徒達がざわつく中、ささと詩織はとっさに下を向いて涙を隠した。

「みなさん、すいません。目にゴミが入ってしまったようだ」

そう言って荻窪歩は赤いブルゾンに沢山付いているジッパーを1つ開けると、目の覚めるような赤い刺繍が入った紫色のハンカチを取り出して涙をぬぐい、ゆっくりとした動作でメガネも拭いた。

3人は時が止まったみたいに荻窪歩の動作を見つめていた。

彼は何事もなかったように笑顔で教室を見回すと授業を始めた。荻窪歩の左手小指にはヘビの形をした銀の指輪が光っていた。

(「荻窪先生も指輪を持っている! 」)

(「やっぱり奴もリングホルダーか」)

(「何っ!? あのハンカチの色……」)

それから60分の授業の間、ささ、祐一、詩織の3人は気もそぞろに荻窪歩の様子を伺った。

荻窪歩はいつもと変わらない様子で講義を進めていく。

彼の教える算数はユーモアを交えた解説と、重要な箇所、暗記の必要な部分などを声のトーンと板書を駆使してメリハリをつけて伝えるので、とてもわかりやすく生徒に人気だった。その分、給料も他の講師よりずっと高いようで、この塾で1人だけ外国産の真っ赤なスポーツカーに乗っていた。

彼はまるで指輪の声など聞こえなかったかのようにスムーズに、そしていつも通り訴求力のある講義を進めて行った。生徒達は授業始めに見せた荻窪歩の涙などすぐに忘れて、彼の授業に引き込まれていった。指輪を持つ3人の小学生を除いて……。

祐一は必死に考える。

(「俺が指輪を持っている事は……、バレた。こうなったら荻窪先生とは戦うしかない。けれどあのおかっぱは頭の切れる大人だ。しかもバスケでインターハイにでるくらいだからきっと運動神経もよいのだろう。結構筋肉質だし、あの体格の大人と腕力で勝負しても勝ち目がなさそうだ。そしてなによりあのヘルメット頭が持つ指輪の魔法がわからない……。俺のバインド。ささのチャーム。そして福原のライフ。どれも能力にまるで一貫性がない。奴はバスケが得意らしいからボール型の光の球を投げつける能力とか……? いや、そんなに単純なはずがない。幾ら本人の資質に合った魔法を持っていると分かっていても、荻窪先生の基本的な情報が少なすぎる。知っている3つの魔法から奴の能力を推測するのも不可能だ。それこそ空が飛べるかも知れないし、指先からカミナリを出すかも知れない。もし奴の魔法が俺のバインドみたいに初見殺しの魔法だったら一瞬でやられてしまう……。やっぱり俺1人では分が悪い。かといってささの魔法はさっきみたいに効かないかも知れない。けれど……、福原の魔法なら……。いや……、そもそも福原は俺達に協力してくれるのか? 授業が終われば荻窪先生は俺を狙って動くはず。なんとかこの授業の間に作戦を立てて2人と連携しないとヤバい……」)

その頃、詩織も必死に思いを巡らせていた。

(「荻窪先生はわたしの涙に気が付いたかな? わたしの席は後ろから2番目。多分……、気付いていない。わたしだけならこっそり逃げられるかも知れない。でもそうしたら川島君と仁木君はどうなるだろう……? 荻窪先生は大人だ。川島君や仁木君のように仲良くできる相手とは思えない。それに多分、仁木君が指輪を持っている事にも気が付いている。きっと先生は仁木君を殺してでも指輪を奪うはずだ……」)

大人は欲しいモノの為には、平気でルールを破る事があると詩織は思っていた。それは自分の父親があまり家に帰らず、新しい恋人の元に通っていることを最近知ったからかも知れない。

(「荻窪先生はパパと同じ感じする……」)詩織は直感的に荻窪歩を敵と判断した。

(「せっかく仲良くなった仁木君を放ってはおけない! 多分、川島君も同じ気持ちだ……。それにわたしのライフならうまくやれば荻窪先生をやっつけられるかも知れない……」)

詩織には作戦があった。

(「この授業が終わるまでに川島君と仁木君にわたしの考えを伝えられれば……」)

詩織はノートの切れ端にシャーペンを走らせた。

その頃、ささは迷っていた。

(「荻窪先生は多分、僕らの指輪を奪いに来る……。でも誰が指輪を持っているのか気づいていないはず……。もしかしたら祐一はバレたかも知れないけど、まさか他にも指輪があるなんて思わないだろう。ぼくと福原さんはきっとバレていない……。だとしたらチャンスだ。先にぼくの魔法で先生を操れば……。でも先生にチャームが効くかな? 祐一には通用しなかったのに福原さんには魔法が掛かった。この2人の違いは一体何だろう? 男だから? 福原さんが自分の魔法を使っていなかったから? それとも? ……ダメだ! 理由がわからない以上、無闇に魔法を使っても、赤く光る目でぼくが指輪を持っているのがバレてしまう。迂闊にチャームは使えない。それなら祐一と福原さんと協力すれば……? でも福原さんはぼく達に力を貸してくれるのかな? 」)

その時、ささの机の上に小さな緑色のぬいぐるみが這い上がってきた。

「ガチョピン!? 」

ガチョピンはささに小さな紙切れを渡すとスルスルと机の脚をつたってどこかへ行ってしまった。ささはすぐに理解した。

(「福原さんからの手紙! よかった……、福原さんは僕らの味方だ。それに手紙なら周りに気付かれずにコミュニケーションがとれる! 」)

ささは女子がよくやる複雑に折りたたまれた手紙を手間取りながらなんとか開いた。

(「授業が終わったら、わたしは急いで駐車場に行く。そして荻窪先生の赤い車に罠を仕掛ける。川島君は荻窪先生をできるだけ教室に足止めして仁木くんを逃して! 」)

手紙には意外に角ばった字でそう書かれていた。

(「赤い車…….、あっ、最近、荻窪先生が買った自慢のスポーツカーの事か。福原さんは先生の車にライフを掛けるつもりだ! ぼくは荻窪先生に質問でもして時間を稼ぐ。その間に指輪を持っている事がバレている祐一を逃す。うん、なるほど! それならイケるかも……」)とささは思った。

するとささの様子をどこからか伺っていたガチョピンがタイミングよく戻ってきた。ささは素早く手紙に「オッケー! 」と書いてガチョピンに渡した。

ガチョピンはささに一礼すると、また机の脚をスルスルとつたって地面に降りた。今度は祐一の席へ向かったようだ。

祐一の席は最前列なので、ささはガチョピンが誰かに見つかってしまうのではないかとハラハラしながら様子を見守った。

ガチョピンはまるでスパイが敵の秘密基地に侵入する時のように素早く、時には慎重に行動していた。ある時は机の中に身を隠し、ある時は椅子の座面裏に張り付きながら、ガチョピンはゆっくりと、しかし着実に祐一の元へ近づいていった。その動きはコミカルでささは思わず笑顔になった。

(「本当に生きているヌイグルミ……。物に命を与えて操るライフの魔法はやっぱり福原さんのイメージにピッタリだ」)とささは思った。

ガチョピンはすでに祐一の席のすぐ近くに来ていた。しかし教室の1番前の席に座る祐一に、荻窪歩の目を盗んで手紙を渡すのはかなり難しい。ガチョピンは荻窪歩の隙を伺っていたが、なかなか祐一の机に登る事ができずにいる。

「ガシャン! 」

突然、大きな音がした。祐一がペンケースを落としたのだ。

ガチャピンに気づいた祐一がわざと落としたようだ。

ペンケースは蓋が開いていたので教室の床にシャーペンや消しゴムが散乱した。

「おっと、大丈夫かい」

荻窪歩は授業を中断すると、屈んで祐一の筆記用具を拾いだした。

「すいません」

祐一は席を立つと荻窪歩と一緒に床に散らばった筆記用具を拾う。その隙にガチョピンが祐一の机に忍び込んだ。

(「よし! 」)

ささと詩織が目配せした。

……。

……、……。

それからしばらくして、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

ささは深呼吸をして覚悟を決める。

(「福原さんの考えた作戦はぼくがカギだ。ちゃんと荻窪先生の注意を引いて祐一を逃さなきゃ……」)

ささの心臓が緊張でバクバクと高鳴る。

荻窪歩はいつも通り、時間ぴったりに講義を終えた。

ささは荻窪歩を足止めするために、あらかじめ決めておいた質問を持って教壇に向かおうと立ち上がる。

しかし荻窪歩がにこやかに言い放った。

「仁木君と川島君、それに福原さんは教室に残って下さい。僕から伝える事がありますので 」

3人の表情が凍りつく。

(「えっ!? なんでこの3人? まさか指輪を持っていることがバレている!? でもどうして? 」)

荻窪歩は笑顔で3人を見つめていた。授業を受けていた40人程の生徒達が三々五々、退室していく中、指輪を持つ4人は時間が止まったように動かなかった。荻窪先生は相変わらず笑顔のままだ。

ささ、祐一、詩織はなぜ自分達が声をかけられたのか、その理由を必死に考えた。

(「あるいはたまたま、この3人に何か話があっただけかも知れない……」)

しかし祐一はすぐにその考えを否定した。

(「そんな偶然……、ある筈がない。やっぱり目ざとくささと福原の涙に気付いたのか……。それともヤツの魔法で……? 手段はわからないけれど、とにかく荻窪先生は俺達が指輪の所有者だと知っている! 」)

祐一はそう確信すると覚悟を決める。最後の生徒が教室を出た瞬間、祐一は右手に意識を集中した。

「!! 」

しかし荻窪先生はびっくりするほど素早く祐一に近づくと、祐一の掌の上に自分の掌を重ねて机に押し付けた。その素早さもさることながら、荻窪歩の手つきがなんだか艶かしくて、祐一は全身に鳥肌が立った。

「仁木君、両手を机の上に置いたまま動かないように。もし机から掌が離れたら敵意有りとみなしてこちらも攻撃する」

「!? 」

祐一は目を見開いて荻窪歩の顔を見た。 笑顔を浮かべた荻窪歩の瞳が赤く揺らめいていた。祐一の右手に重ねられている荻窪歩の左手にぐっと力が入る。痛みに祐一の顔が歪んだ。

(「素早いし、なんだかキモい! それになんて馬鹿力なんだ!! 手が……、鉛の重りでも乗せられているみたいにビクともしない。いや……、そんなことよりもヤツの動きだ! 荻窪先生は俺のバインドを知っている!? そうでなければ掌を机につけたままなんて命令はしないはず。でも……、どうして!? 」)

追い詰められた祐一はチラッとささに目線を送った。

ささはうなづいて覚悟を決めると、荻窪歩にチャームの魔法を掛けようと近づく。

「無駄だよ」と言った荻窪歩の瞳を真っ直ぐに見つめて、ささの瞳が燃えるように輝き出す。しかし荻窪歩は笑顔を崩さなかった。

「川島君、君のチャームは僕には効かない。ここには目ぼしい動物もいない。だから君の魔法は無力だな」

「!! 」

ささは一瞬ひるんだが、それでも荻窪歩の目を覗きこみ続ける。ささの瞳は赤く揺らめいている。

しかしチャームの魔法はいっこうに発動しなかった。

「だから無駄だと言ったんだよ。僕は無駄な事が嫌いだ。意味が無い事に貴重な魔法を使うのはやめろ。やれやれ、解説が必要かい? 川島君のチャームは福原さんには効果があったが仁木君には通じなかった。その理由は、このメガネ、だ。お互いの瞳との間に遮蔽物があるとチャームの魔法は効果を得られない」

ささは驚きを隠せなかった。

(「チャームはメガネを掛けた相手に効かない!? だから祐一には効かず、福原さんには魔法が掛かったのか! 確かに荻窪先生もメガネを掛けている。でも……、でもなぜそれを荻窪先生が知っているんだろう? それになんだか授業の時と雰囲気が違う……」)

荻窪歩は淀みなくスラスラとまるで講義の続きでもしているみたいに話していた。しかしその口調にはこれまでささ達と接してきた際の配慮や敬意が感じられない。その事にささ達は威圧感と底の知れない不気味さ感じた。

「次に……」

そう言って荻窪歩は初めから知っていたという顔で、祐一の机の中に隠れていたガチョピンをおもむろに手に取った。ガチョピンはジタバタと暴れたけれど、その手からは逃げられなかった。

荻窪歩は不意にガチョピンの顔をペロリと舐めた。

「えっ!!? 」と詩織が呻いた。

瞬間、荻窪歩の目が赤く輝く。ほんの一瞬だけ彼の表情が歪んだ。

ガチョピンは慌てて荻窪歩の手から逃げ出した。

「何するんですか!! 」

ガチョピンは詩織の肩に逃げ飛んでいった。

ビックリして椅子から立ち上がった詩織は少し涙ぐむ。

荻窪歩は何かを思案するみたいに少し俯いてから口を開いた。

「いや、……失礼。そんなつもりは無かったんだが、せっかく初恋の彼氏に貰った思い出のキーホルダーを汚してしまったようだ。悪かったね。それにしても……、福原さんは毎晩、このぬいぐるみに話しかけているのか。随分大切にしているんだな。この目で見るまではにわかに信じられなかったが、物に命を吹き込む魔法、ライフか。素晴らしい能力だ」

ふいにプライベートを暴露された詩織は、信じられないという表情で震えている。しかし荻窪歩は詩織の様子を気にするでもなく続けた。

「それで福原さん。君はその鞄に入ったハサミにも命を与えているね。危ないからそのハサミは取り出さないように」

「!! 」

詩織は涙の溜まった瞳を見開く。

(「ど、どうしてハサミの事まで!? 」)

彼の言う通り、詩織が命を与えたのは怪獣のキーホルダーだけではなかった。家庭科で使う刃の大きなハサミもまた詩織の従僕だ。ハサミの存在は詩織の奥の手で、まだ誰にも話していない。詩織は半泣きで荻窪歩を睨みつけた。

チャームが効かなかったささは、ただ呆然と荻窪先生と詩織のやり取りを見ていた。

祐一は押さえつけられいる手とは反対の掌でバインドを発動させようとしたが、それも荻窪歩の素早い動きに阻止されている。

(「コイツ……、やっぱり俺たちの魔法を全て知っている!」)と祐一は歯噛みした。

荻窪歩はそれぞれの様子を満足げに見渡すと、にこやかに言った。

「もちろん仁木君と川島君のプライベートも把握しているからな。これ以上秘密をバラされたくなければ、3人とも僕の指示に従え。君らの考えていることは全てお見通しだ。つまらない小細工はやめておけよ」

それから荻窪歩は前から4列目の席を指差した。

3人はうなだれて荻窪歩が指差す席にそれぞれ座った。その席は丁度、祐一のバインドが届かない距離にあった。

3人が席につくと、荻窪歩は教壇に戻った。それから彼は赤いブルゾンに沢山ついたポケットの1つから、どぎつい金色に黒い薔薇の刺繍が入ったメガネ拭きを取り出して、ゆっくりとした動きでメガネを磨いた。

(「うわっ、今度は金色……」)

(「……趣味悪っ! 」)

(「えっ……、ハンカチ、何枚もってるの? 」)

思わず顔をしかめた3人の小学生の顔をマジマジと見てから荻窪歩は口を開いた。

「まずはこの指輪について知っている事を出来るだけ正確に教えなさい」

そう言って自分の左手小指にはめている銀の指輪を見せた。

「ほとんど何も知らない! 俺達はさっき拾ったばかりなんだ……」

「僕達、この指輪をつけたら外れなくなっちゃって困ってるんです」

祐一とささが口を開いたが、それを制止するように荻窪歩は言った。

「嘘はいけない。僕に嘘は通用しない。無駄なんだよ。無駄は嫌いだと言ったろう。無駄、無駄。まず仁木君。君は先週、その指輪を手に入れた。指輪の魔法は金縛りのバインド。戦闘向きの魔法だ。しかし射程距離が2メートルで、発動には相手に掌をかざす必要がある。これはいけない。ネタバレしている相手には充分対策を取られてしまう」

「こんな風にね」というそぶりで荻窪歩と祐一の現在の距離を身振りで示した。

「福原さんのライフの指輪は先週、学校の花壇で発見した。指輪の魔法を使って命を与えているのは、キーホルダーのぬいぐるみとハサミの2つだけだ。川島君に至っては指輪を今日見つけたばかりで魔法も覚えたて。まだまだ能力を使いこなせていない。今の君達ではどう足掻いても僕を倒せやしないよ。だからこれ以上無駄な嘘はつくな。次は無いからな。それで、君達は指輪は全部で何個持っているんだ? 」

「……教えるわけないだろう」

吐き捨てるように祐一は言った。それと同時に荻窪歩の目が赤く光った。

「なるほど、それぞれ1個ずつか。では3種類の魔法に警戒していれば良い訳だ。それにしても福原さんのライフで僕の大切な車にイタズラされる前に君たちは止められて本当によかった。君達にはわからないだろうが、あの車はとっても高いんだよ。子供が触って良いものじゃない」

「!! 」

(「わたしの作戦までバレてる! 」)

詩織が驚いて顔を上げた時、ハッとした表情の祐一が口を開いた。

「わかったぞ! こいつの能力! 荻窪先生は相手の思考を読む魔法を使っている。人が頭に思い描いた事がわかるんだ」

「ほう! なぜそう思う? 」

荻窪歩はなぜか少し嬉しそうな表情を浮かべている。

祐一はメガネの端を押さえながら言った。

「俺たちの魔法の名前だよ。バインドやチャーム。そしてライフはついさっき俺が名付けたばかりだ」

「ふん。それはどこかで君達の話を盗み聞きしていたのかも知れない」

「いや、そんな筈は無い。福原の魔法に名前をつけたのはついさっきだ。そしてあの時間、先生は別の授業をしていたから盗み聞きは出来ない」

「ふんふん、なるほど」

「先生が俺達の魔法の名前を知るには俺達の思考を読むしかない。授業開始から60分間、俺達は先生を倒す方法を必死で考えていた。だから先生は俺達の思考を読んで能力について事前に知ることができた。それに人の思考を読む魔法でもなければ、福原のキーホルダーのエピソードなんて分かるはずがない。恐らくは対象を舐める事で発動する能力。しかも1度でも舐めた相手の情報はいつでも引き出せる」

「あっ……」

思わずささが声を上げた。

「この間、僕の指を舐めたから……」

「ああ、そうだよ。川島君もやっと理解したね。もちろんあの時は単に親切心からの応急処置だったのだけれど、川島君のおかげであの時にぼくは指輪の魔法を知ったのさ」

「親切心……」

ささは複雑な表情で荻窪歩を睨む。

(「親切で人の指を舐めるかな? 魔法の発動条件と関係なく自分の意思でそんな事をしたなら、それはそれで荻窪先生はかなりヤバイ人だ……」)

そんなささの怪訝な視線を無視して荻窪歩は話し続けた。

「さらに付け加えるならその人間の持ち物を通しても思考を読むことができる。物には魂が宿ると言われているが、実際に持ち主の思考とリンクしているんだ。先程、仁木君が授業中にワザとペンケースを落とした時に君の消しゴムを舐めさせて貰ったよ。悪くない味だった。仄かなしょっぱさとつるりとした表面の苦味が良かった」

(「床に落ちた消しゴムを舐めたんだ……」)

(「……ってゆうか舐めるのは趣味じゃん!完全に変態……」)

(「うぇぇ、俺、さっき触っちゃったよ……」)

ゲンナリした顔の3人を見ても荻窪歩は平然と話し続けた。

「僕は何故だか子供の頃から何でもかんでも舐めたくなる性分でね。僕の指輪の魔法はまるで僕みたいな人間にはピッタリの能力だ。便利な魔法だよ。仁木君のセンスならリーディングの魔法といったところか。しかし君たちも知っての通り指輪の魔法を使うと呪いを受けてしまう。僕の魔法の呪いは視力低下。使えば使うほど視力を失うんだ。おかげで最近はメガネが手放せない。だからあまり多用したくないんだよ。皮肉なもんだ。人の心が見える代わりに自分の視力を失うなんてな。まあ、そんな訳で君達3人の思考を読み、指輪の魔法や君たちの作戦を事前に把握できた訳だ。大体、仁木君の推察通りだ。だから君達が敵意を持てば僕にはすぐにわかる。つまらない事を考えたら、その瞬間、すぐにブチのめすからな。こう見えて現役の頃はラフプレイが得意だったんだ。暴力には自信があるぜっ。甘く見ない方がいい。これで君たちが僕に敵わないことがよくわかっただろう? 」

荻窪歩は今まで見せた事のない鋭い視線でささ達を射抜いた。そこには威圧感と容赦の無い決意が感じられた。

「……何が目的だ」

祐一は絞り出すように言った。

「君達の指輪が欲しい。僕には指輪を集めて叶えたい願いが2つほどあってね。とは言ってもさすがに人殺しをするのは気が引ける。そこまでして叶えるような願いじゃあないからな。しかし幸いにも指を切断すれば指輪は外せるんだろう? それも君達の思考から読み取らせて貰った。まぁ、ちょっと痛いが命を奪われるよりはずっとマシさ。それに指は綺麗に切断した後、すぐに病院へいけば意外とくっつくそうだぜっ」

荻窪歩はキメ顔で言った。3人は絶望的な気持ちになった。

「そういう訳だから3人とも掌を机の上に……」

その時、突然、教室の扉が開いた。

そこには寿円香が立っていた。

「荻窪先生、本部の部長からカリキュラムの件でお電話ですよ」

寿円香は感じの良い笑顔で荻窪歩に伝えた。

「ああっ!? こ、こ、寿先生!! 」

荻窪歩は突然の寿円香登場に激しく動揺していた。

「あら、生徒達とお話中ですか? 」

「は、はい! す、す、すいません! えっと……、ち、ちょっと折り返しにして貰えますか? 」

荻窪歩はメガネを曇らせて、ひどくどもりながら答えた。

「わかりました。そう伝えますね! 」

寿円香はニッコリ笑って返事をすると、背を向けて教室を出て行こうとしたが……、ふと思いついたように立ち止まる。

それからおもむろに振り返ると、荻窪歩を見つめた。

「こ、寿先生? 」

寿円香は荻窪歩の問いには答えず、突然ブラウスのボタンを外す。そして胸をはだけると、男子3人の予想より大きな胸を露わにした。薄いピンクレースのブラジャーと白い大きな胸が弾むように飛び出した。

「おおぅ! 」と祐一が唸った。

ささはごくりと唾を飲み込む。

荻窪歩はバカみたいにポカンと口を開けて硬直していた。

そんな様子の男子3人を気に留めるでもなく、寿円香は頬を染め、赤く煌めく瞳で荻窪歩を熱く見つめる。そして言った。

「ずっと前から……、好きでした! 歩さん! 」

「うひぃぃぃ!! 」

謎の絶叫をあげた荻窪歩は、寿円香の顔と大きな胸を交互に見つめ、膝から崩れ落ちた。

「今だ、祐一! 」とささがドヤ顔で言った。

「うぉぉ! ナイス、ささ! ナイス!! 」

ハイテンションで答えた祐一は、すぐさま荻窪歩に走り寄り右手をかざした。祐一の右手周辺の空気が震える。荻窪歩は膝からくずれ落ちたまま、あっさりとバインドに拘束された。

「川島君、やりすぎ!!! 」

詩織はささの魔法の使い方と祐一の反応に若干キレながらも、素早く自分のリュックの蓋を開けた。するとまるでトンボのように飛行するハサミが飛び出してきた。ハサミはそのまま空中に静止する。

「ギギギギィィ」

2本の刃をよじるようにして不思議な唸り声をあげるハサミ。

詩織の瞳は赤く輝き、右手の人差し指をくるくる回す。ハサミはそれに呼応するように旋回。そして詩織が右手で何かを切るようなハンドサインをすると、ハサミは一直線に荻窪歩の元へ飛んでいった。

「ギギッ! 」とハサミが鳴く。

「ジョキンン! 」

あっという間に荻窪歩の左手小指を根本から切断された。

「……えっ!? 」

荻窪歩の小指がぽとりと床に落ちた。それから「カラン……」と乾いた音を立てて銀の指輪が床に転がった。

「福原……、おまえこそ、やりすぎだよ」

祐一が引きつった顔でボソッと言った。

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