第3話 2-1 新鬼ヶ島

1986年 9月

「ねぇねぇ、呪いの指輪って知ってる? 」

「それをはめるとね、頭がスッキリして、すごく気持ち良くなれるんだって!」

「しかも筋肉がモリモリになって、すごく早く走れるんだって!」

「知ってる! 知ってる! その指輪をつけたらどんな怪我も一瞬で治っちゃうんでしょ? 」

「何それ!? すげぇ! 」

「いいなぁ! そんな指輪、僕もほしいなぁ! 」

「ダメダメ! だってその指輪、一度つけたら絶対外せない呪いの指輪なんだよ」

「うわぁ! 」

「しかもつけた人は指輪の呪いでだんだん頭がおかしくなっちゃうんだって! 」

「こえぇぇ!! 」

「それってどんな形してるの? 」

「血みたいな真っ赤な目をした蛇! 」

「あっ、それ知ってる! 昨日、塾の友達から聞いたんたんだけどさぁ、北小でね、6年生の女子がさ、たまたま旧校舎のトイレに行った時に蛇の指輪を見つけたんだって。でもね! その指輪をはめたらさぁ、取れなくなっちゃって……、それから毎日、毎日、指が1本づつなくなって……、10日後に死んじゃったんだってよ! 」

「こええっ! 」

「その話知ってる! 死体の指が全部なかったんでしょ!」

「そうそう! 」

「こえぇぇ! 」

「こわいねぇぇ!! 」

「北小ってさ、そういう噂、多いよね」

「北小の七不思議!! 」

「あれ? そう言えばさぁ、確か呪いのゲームの話も北小の子じゃなかったっけ?」

「知ってる! 知ってる! カセットが真っ黒で何にも書いてないんでしょ?」

「そう! そう! そのカセットがさ、この前、ハチスケの一番隅っこにポッンと置いてあったんだって! 」

「プレイしたら死んじゃう呪いのゲーム! 」

「違うよ! 1週間以内にクリアしないとゲームの中に連れていかれちゃうんだって……」

「……」

「……」

クラスの子供達の噂話はまだ続いていたけれど、途中からほとんど彼の耳には入ってこかった。

彼は真剣な顔つきで自分の左手の中指を見つめる。そこには指輪があった。その指輪は真っ赤な目をした銀の蛇が自分の尻尾を丸呑みにして輪を作っていた。そのデザインは今しがたクラスメイト達がウワサしていた呪いの指輪とそっくりだ。

彼は反射的にその指輪を外そうとしたけれど、さっきはあんなにすんなりと指を通ったはずなのに、今はどんなに力をいれても外れない。食い込んで取れないというよりも、まるで指輪が体の一部になってしまったみたいな一体感があった。

「どうしたの川島? 」

クラスメイトの1人が彼の様子に気づくのと同時に、次の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

メガネに七三分けのクラス委員長が席につけと促している。教室にいた子供達は何かを競うように慌ただしくそれぞれの席に戻って行った。

指輪をつけていることがクラスメイトにばれなかったので、彼はホッと胸を撫で下ろす。もしも彼が呪いの指輪にそっくりなリングを持っているなんて知れたら、クラス中、いや学校中が大騒ぎになるだろう。彼は目立ったり、注目されたりするのが苦手だった。

そんな彼の名前は川島ささ。小学5年生の男子だ。平均くらいの身長で体格はやや痩せていた。髪は母親の趣味で男の子にしては長めのボブ。目が大きくまつ毛が長かったので、小さい頃はよく女の子に間違えられた。それは彼の密かなコンプレックスで、学校の友達に男女とバカにされたりもした。けれどささは走るのがとても早かったので、クラスの中で彼の男としての威厳は保たれていた。

小学生の世界においては、足が速いと言うことはかなり重要なファクターだ。足が速い子供は無条件に崇められる。彼は学年で一番勉強もできてスポーツ万能なクラス委員長の仁木祐一にさえ、この間のリレーでは逆転勝利した。それはささの密かな自慢だ。

だからスクールカーストの中でささの身分は上位に位置している。ささは脚が速い事を誇りに思っていた。自分もだんだんと男らしくなってきたと思っている。けれど実際の彼は、十分に中性的なルックス、というより美少女風の少年だった。

また彼はどちらかと言えば内向的な性格で、大勢で行動するのが苦手だった。複数の友達と一緒に遊ぶより、誰か1人と親密に接する事を好んだ。

そんなささにはつい先週まで小学校に入って以来ずっと仲良くしている親友がいたのだけれど、その友達は両親の都合で大阪に引っ越してしまった。小学生のささには自分が住む千葉から大阪までの距離は、殆ど地の果てに思えた。

ついこの間まで毎日遊んでいたというのに、この先、あの友達と顔を合わせる事はたぶん、もう、ないだろう。当たり前にあるものだって、ある日、突然、なくなる。

ささは小学校5年生にして、人生にはそう言う事もあるんだと知った。

彼は人当たりがよく誰とでも気楽に笑い合える人柄だったけれど、誰かと腹を割って本音で話すのは苦手だった。誰かの言葉に何かを思っても、口には出さず、ただニコニコ笑っていた。

1人っ子のささには兄弟はいないし、両親は2人とも仕事が忙しかったので、家では殆どの時間を誰とも話さず1人で過ごしていた。唯一の親友が遠くに引っ越してしまった今、ささには心を開いて話せる友達は1人も居なくなってしまった。せいぜいガチャガチャの消しゴムを交換したり、ファミコンのカセットを貸し借りする程度のクラスメイトが数人いるだけだ。

(「僕には友達がいない……」)

ささは憂鬱な気分でため息をつくと再び左手の指輪に目を落とした。

彼が物思いにふけっている間も、社会の授業は淡々と進み、誰かが教科書を読んでいる声が聞こえた。しかし彼はぼんやりと教科書を開き、右手の指の間で鉛筆をクルクルまわしながら左手の指輪を眺め続けた。

不思議な指輪だった。

シンプルな銀のリングは赤い瞳の蛇が自身の尻尾を飲み込んで円を作っている。それを見つめていると、不思議と彼の心をざわつかせる不安や不満の波が収まっていった。ささの心に浮かぶさまざまな葛藤は、シワシワのシャツにアイロンをかけるみたいに指輪が吸い取っていった。

この蛇のリングを眺めていると心が空っぽになる……、と夢見心地にささは思った。

彼がその不思議な指輪を見つけたのは、ほんの1時間程前の事だった。

ささの通うみそら小学校では給食の後、狂乱の昼休みが終わると、全校生徒による掃除の時間がやってくる。

ささの班は校庭のアスレチック周辺が担当だった。5年生の彼には下級生の子供達の面倒を見る必要があった。一人っ子の彼は誰かに指示を出したり、場を仕切るのは苦手だったので、憂鬱な気分で全校清掃の時間を迎えるのが常だ。

今日もささはホウキでチャンバラをはじめる3、4年生を苦労して持ち場につかせた。それから彼自身は校内で『がんばりタワー』と呼ばれる大きなアスレチックの掃除に取り掛かる。

『がんばりタワー』は丸太を複雑に組み合わせたビル状のアスレチックで、階段のように配置された踊り場とロープで作られた巨大な梯子がついていた。さらにタワーの中腹には20メートル程のロープウェイを備えていた。なかなか遊び応えのある遊具だ。

アスレチック周辺の草取りをあらかた終えたささは『がんばりタワー』を一番上まで登った。別にタワーの上からの景色が見たかった訳ではない。夜になると高校生やそれより年上の大人達がよく学校に忍び込んでは、アスレチックで遊んでタバコの吸い殻や空き缶などのゴミを残して行く事を知っていただけだ。だからささはゴミ袋を持ってタワーのてっぺんまで登った。案の定、大きな階段状になっている踊り場には、吸い殻やお菓子の袋が捨てられていた。

「やっぱりね」

ささは少し得意げに呟いて、散らかっているゴミを大きなビニール袋に放り込んでいった。このアスレチックのてっぺんからは校庭が一望できる。そこからは校舎のベランダを掃除している生徒や校庭の草取りをしている子どもたちが見えた。その中に福原詩織がいた。彼女はささの密かな憧れの人だ。同学年の小学5年生でクラスは別だった。クリッとした大きな瞳が可愛らしい子だ。ささの通っている駅前の塾でもたまに見かけることがあるけれど、話したことは一度もなかった。

ふと、福原さんに視線を向けている男子がささ以外にもいる事に気づいた。その子は校舎の2階から校庭にいる福原さんを見ていた。

あれは……、同じクラスの学級委員長、仁木祐一だ。彼は小学生のくせに髪型をキッチリ七三に分け、さらに黒縁のメガネをかけているまるでサラリーマンみたいな風貌のヤツだ。勉強も運動もすごくできるけれど、滅多に笑わないし、そもそも誰かと仲良くしているのを見たことがない変わり者だった。

ささは、まさかアイツも福原さんの事が気になるのかな……、と一瞬思ったけれど、すぐにそんな訳がないと打ち消す。

だってアイツは別の子に告白したばかりだ。

そう、それは突然の凶行だった。一昨日の体育の時間、クラス全員でドッチボールをしていた時、運動神経に自信のある委員長は、いつものように難しいボールを鮮やかにキャッチした。それからなぜかそのままの姿勢で、唐突にボールを投げた女の子をマジマジと見つめるて告白したのだ。クラス全員が事態を飲み込めず凍りついた。まさに時が止まった。

仁木祐一は用事がない限りクラスメイトに自分から話しかけたりしないし、ましてや誰か好きな子がいるなんて誰も思っていなかった。しかもその相手はジャイ子と呼ばれているガサツでぽっちゃりとした女子だ。大柄で力が強くてよく男子を泣かせていた。決して人気のあるタイプではないし、何よりなんで体育の授業中に公衆の面前でそんな子に告白をするのか、ささにはその行動の全てが理解できなかった。正気の沙汰ではない。完全に頭がおかしい。そもそも髪型からして様子がおかしい。ささはあの七三分けが乱れているのを一度も見た事がなかった。くわえて祐一は話す時にメガネに手を添えるクセがあった。ささはそれが鼻につく感じで嫌だった。仁木祐一はあのメガネの奥に狂気を隠してる……、とささは思った。

(「そういえばヤツも同じ塾に通っていたな。あんなヤバいやつとはなるべく関わらないようにしないと….… 」)

そんな事を考えながら、あらかたゴミを拾ったささは、ふと、自分の手に何か小さくて硬いものが握られていることに気がついた。

「あれ……? 」

開いたその掌には銀色の指輪があった。

彼はそんなものを見つけた記憶も拾った憶えも無かった。そ!なのにいつのまにか指輪を拾って握りこんでいたみたいだ。

ささは手の中の指輪をしばらく見つめた。

それは蛇を模した指輪だった。瞳は燃えるように赤い。銀色の指輪は午後の日差しを受けてキラキラと輝いていた。

ささの心が指輪に吸い寄せられていく。辺りの音が急激に遠ざかる。

指輪はささを誘うように煌めいていた。両親が左手に指輪をはめていたのを思い出して、ささはなんとなく左手の中指にその指輪をはめてみた。指輪は子供の指にピッタリのサイズだった。

ささがアクセサリーを身につけたのはそれが生まれて初めての経験だったけれど、いざつけてみると違和感は全然無かった。というよりも、指輪は自分の体の一部になったみたいにとてもよく馴染んでいる。まるでずっと昔から身につけていたみたいだ。

……。……。……。

……。……。

……ふと気がつくと、授業はいつの間にか終わっていた。時間が消えたみたいに教室では下校前の帰りの会が始まっていた。

クラス委員長が明日の持ち物をみんなに告げていた。

ささはびっくりして、そっと辺りを見回してみる。自分がそんなに長い間、指輪を眺めていたなんて、にわかには信じられなかった。

クラスメイト達は委員長の話なんてろくに聞かず、ランドセルに教科書をしまったり、周りの席の子にちょっかいを出したりしていた。それを担任の先生に注意されている子……。いつも通りの教室の風景だ。幸いにもささの様子を訝っている生徒はいないようだった。ささはホッとするとまたため息をついた。

そうして何事もなく帰りの会か終わった。下校時刻だ。クラスメイト達は数名のグループに分かれて教室を出て行く。

誰にも声を掛けられなかったささは、1人で教室を出ると下駄箱で靴を履き替えた。一緒に帰る友達が1人も居ないなんて、なんだか仲間外れにされているみたいな気分になる。ささは今日何度目かわからないため息をついた。

その時、事件は起こった。

なんの前触れもなくささの頬を涙が伝った。涙を流したのなんて本当に久しぶりだったのでささは動揺した。涙を流す理由が全くわからなかった。

(「えっ!? ぼく泣いてる?? 」)

上履きを下駄箱にしまい掛けたまま、ささの動きはピタリと止まっていた。涙はまるで水が流れるみたいに静かに、しかし止めどなく、そしてなんの感慨もなく彼の頬を伝った。ささには泣いていると言う実感がまるでなかった。体の機能が壊れてしまって、涙の蛇口が開きっぱなしになってしまったみたいだ。

(「あっ!? 」)

ふと横を見れば学級委員長の二木祐一が、下駄箱に上履きをしまいかけたまま、ささと同じ体勢で固まっていた。そして2人の目が合う。

「えっ!? 」

ささはギョッとした。仁木祐一も自分と同じ様に涙を流していた!

祐一はおよそ人前で涙を見せるタイプじゃない。彼は感情を表に出さない。クラスメイト達は事あるごとに笑ったり、叫んだり、時には泣いたりしていたが、祐一はあまり笑わないし、取り乱したりしなかった。その髪型と同じようにテンションがいつも一定で崩れる事はない。みんなと群れず、11歳なのにどこか達観した雰囲気を漂わせていた。誰とでも気さくに話せるささにとって、あえて壁を作って他人を寄せ付けない仁木祐一は理解ができない存在だった。そして昨日の告白事件。相手の女子はよりよってあのジャイ子。正気じゃない。こいつはとにかくヤバすぎる。

ささが思いを巡らせている間、祐一もまた川島ささを見ていた。

彼にとっても、川島ささは不可解で苦手な相手だった。

女みたいな顔をしていて、そのくせ走るのが早く、この間のリレーでは逆転負けした。スポーツで誰かに負けたのは祐一にとって初めての事だった。それにささは、いつも窓の外を見ていて授業なんてろくに聞いていない不真面目な態度で、そのくせ成績は悪くなかった。いやむしろ優秀な方だ。努力すればもっと良い成績をとれそうなのに、そんな事には全く執着していないささの素振りが祐一の気に障った。クラスでは全員とそれなりに仲良くしており、付かず離れずのらりくらりとした優柔不断なその態度も、祐一は気にいらなかった。全く気に入らなかった。

2人がお互いに怪訝な表情で見つめ合っていると、どこからともなく声が聞こえてくる。

『指輪をぉぉ、集めてぇぇ、そうすればぁぁぁ、あなたのぉぉ、願いをぉぉぉ、叶えてあげるぅぅぅ! 』

甘い子供の声だった。同時に指輪がドクンと脈打つ。

小学生2人は目を見開いて硬直した。あんなに溢れてきた涙はいつのまにか止まっていた。見ればそれぞれの指には指輪が光っている。ささは左手の中指。祐一は右手の中指に赤い瞳のヘビを模したシルバーリングがある!

「今のおまえか!? 」

祐一がささを睨みつけて言った。

ささはびっくりして言葉が出てこなかった。

『早くぅぅ、その指輪をぉぉ、奪ってぇぇぇ。そうすればぁぁぁ、あなたのぉぉ、願いをぉぉぉ、叶えてあげるぅぅぅ! 』

すかさず悩ましい(おそらくは少女の)声が再び響く。その声は2人の頭の中から直接聞こえてくる。

「何なんだよ、この声は!? 」

唸るように呟いた祐一は、突然、指輪をはめている右の掌をささへと向けた。

呆気にとられたささはただ祐一を見つめ返している。間を置かず祐一の目が赤く発光し、かざしている掌を包む空気が揺らいだ。

その瞬間、ささの全身に鳥肌が立った。ささの指輪がまたドクンと脈打った。

(「何かヤバい!? 」)

直感的に恐怖を感じたささは弾かれたようにその場を逃げ出した。

走り出したささのすぐ後ろで「シュルル! 」と何かが擦れるような音がした。

「おい!? くそッ、間に合わない……、まだ上手く使えない! 」

祐一は吐き捨てるように言うとささを追って駆け出す。

矢のようにスタートしたささはそのまま一気にトップスピードで駆け抜けていく。ささの瞬発力は爆発的だった。

校舎を飛び出し低い植え込みをハードル走の様に飛び越えると、最短コースで校門を駆け抜ける。

周りの景色がビュンビュン遠ざかっていく。地面を力強く蹴り上げてスピードがグングン上がっていく。脚には自信があったけれど、今日はいつにも増して体が軽かった。背中のランドセルがガチャガチャと派手に揺れている。

振り返ると、だいぶ遅れて校舎から祐一が出てくるのが見える。

(「やっばりぼくの方が速い! 」)

ささは校門を飛び出すと、碁盤の目の様に区切られている戸建ての住宅街をジグザグに駆け抜けていった。その方が祐一を振り切れるとは思った。

ささの頬を風が吹き抜け、長めの前髪がブワッと舞い上がる。

(「気持ちいい! 」)

走るのが心地よかった。体中の筋肉が喜びに震えているのがわかった。

(「何だかやけに調子がいい! 」)

さらに力強く地面を蹴れば、レースゲームでターボボタンを押した時みたいにグンっと加速がついた。自分でも怖いくらいのスピードが出ている。その気になれば空だって飛べそうだ。そう言えば、指輪をつけると早く走れるって言ってたけ……、とささは頭の片隅で思った。

……。

「くそッ! なんて速さだ……」

あっという間に小さくなるささの背中を見て祐一は舌打ちした。先日のリレーの記憶が蘇る。運動で誰かに負けた事が無かった祐一にとって、なよなよしたささに走りで負けたのはかなりショックだった。

(「あんな奴に負けるなんて!……でも、見てろよ、川島。今度こそ思い知らせてやる! 」)

祐一も全速力で校門を飛び出すとささの背中を追った。

しかし祐一とささの距離はすでに50メートル以上離れていた。どんどん遠ざかるささの背中を祐一は苦々しく見つめるしかなかった。

……。

ささは一戸建てが整然と立ち並ぶ住宅街を駆け抜けながら同時に考えを巡らせる。

(「逃げるルートはこの先の空き地から草むらに飛び込んで、ボロ屋の低いフェンスをこっそり乗り越えれば……、いつもの駄菓子屋に出る。それだけ離れれば多分、祐一を撒けるはず。もし逃げきれなくても……、あの駄菓子屋なら必ず誰か知り合いがいる。でも抜け道の向かいの家に大きなハスキー犬が繋がれていたっけ。あの犬に吠えられたらちょっとやっかいだな。いや、それより気がかりなのはあの声だ。頭に直接響いたアレ……。アレはたぶん、指輪の声だ。あの女の人……、 普通じゃなかった。やっばり噂は本当だったんだ! ぼくは今、呪いの指輪を持ってる! 」)

ささの心臓はバクンバクンと激しく脈打っていた。全身から汗が吹き出す。それでもささの足は相変わらず力強く地面を蹴っている。信じられないくらいにスピードがてていてるけれど、ささは恐怖を感じなかった。

これから何が起こるのか全く分からなかったけれど、ささの心は不思議と軽い。走りながら頭がどんどんクリアになっていく。体も軽い。すごく軽い! さっきまでのボンヤリとした憂鬱な気分はすっかりどこかに吹き飛んでいた。退屈な日常から急に目覚め、ワクワクするような冒険が始まる予感がした。

そうしてささの視界には、目指す空き地が見えてきた。

チラッと背後を振り向いてみたけれど、祐一の姿は見当たらなかった。

空き地に差し掛かったささはスピードを落とす。横目に大きなハスキー犬のいる家の庭を確認したけれど、犬はぼんやりとした顔でそっぽを向いていた。

「いける! 」

ささは道路から空き地へ向かって勢いよくジャンプした。体が羽みたいに宙を舞う。

「ドン!! 」

「うわっ! 」

突然、ささの身体に衝撃が走る。

(「な、な、何ッ!? 」)

一瞬、ささは道を間違えてしまい自分からコンクリートの壁に突っ込んだのかと思った。それほどの激しい衝撃だった。

けれどもささの視界には開けた空き地の草むらが広がっており、壁なんて存在しない。……というより、ささの目の前には何もない。

「川島ぁぁ……! はぁ、はぁ、はぁ、おまえは……、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、ここを……、通ると……、はぁ、はぁ……、思った……」

ささの目の前には息を切らせた仁木祐一が立ちはだかっていた。祐一はまるで超能力でも使うみたいに右の掌を自分に向けている。

(「祐一!? 」)

それからささは、ようやく自分の体が飛び上がった姿勢のまま、空中に浮いていることに気が付いた。

「えっ……!? ええっ!! ちょ、ちょっと! な、何っ、これ!? 」

驚いたささは、痛みも忘れて正面に現れた仁木祐一を見つめた。

彼の瞳は赤く煌めいていた。

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