第2話 1-3 狂った果実
気がついた時、わたしは病院のベットにいた。
ベットのすぐ脇には大人の男の人が2人。1人は白衣。もう一人は赤いネクタイに紺色のジャケット姿だった。
白衣の方がわたしの右手首を取り、左右の目にペンライトのようなものを当てて何かを確認した。おそらくお医者さんだろう。
彼はわたしに幾つか質問をした。
わたしはぼんやりとした頭で質問に答える。頭の中に白いガスが広がっているみたいに感覚が虚ろだった。
やがてお医者さんは赤いネクタイの男に小声で何かをささやくと足早に立ち去った。
すぐ近くにいるのに、彼らの会話がうまく聞き取れなかった。
そして沈黙。
「……」
「……」
「……」
「……」
お医者さんが出て行ってからたっぶりと間を置いて、赤いネクタイの男が口を開いた。
「調子はどうかな、話はできるかい? 」
のっぺりとした平坦な声で言った。
わたしの頭は相変わらずぼんやりとしていたけれど、とりあえず頷いた。
「私は警察官だ。今日の午後、君が公園で見たものについて調べている。君は公園で気を失い、そこから一番近い総合病院に搬送されたんだ」
そこまで話すと、赤いネクタイの男は確認するように顔を近づけてわたしを見た。
わたしは無言で頷く。
「さて、これからいくつか質問をするけれど答えられるかい?」
またわたしは頷いた。だんだん頭がスッキリとしてきた。頷きながらあたりを見回してみる。
ここは広い病室だった。部屋には6つのベットがあるけれど、わたしが寝ているベット以外全て空だ。この部屋にはわたしと赤いネクタイの男しかいない。
男はわたしの様子を無表情で観察してから「うん」と頷いて質問を始めた。
「君の名前はいおなさんだね? 」
自分の名前を呼ばれた瞬間、さっき見たパパの死体が脳裏にフラッシュバックした。
無人の公園に響く遠い太鼓。季節外れに咲く桜。捻れた赤黒い塊。不気味な塊りから聴こえてくるくぐもった音……、よく知っている携帯の着信音!
わたしは思わず飛び起きて聞いた。
「パパは無事なんですか!? 」
男は表情を変えずにただ首を振った。
「今、それを調べているんだ。まずは僕の質問に答えてほしい。君は11歳で谷津小に通う小学5年生だね。学校から帰宅途中、自宅まえの谷津公園でアレを発見した」
素早くうなづいて話を即した。赤いネクタイの男がやけに顔を近づけて話掛けてくるのが気に障った。
わたしは少し体をズラして赤いネクタイの男と距離を取った。
「君が公園を通った時、周りに人はいたかい? 」
「いえ、誰もいませんでした」
「1人も? 谷津公園は駅に近いからな、あの時間帯はそれなりに人が居るはずなんだが……」
「いいえ、誰も居なかったと思います」
「本当に間違いないかい? 」
そう言った男はわたしの肩に手を置いた。
「……はい」
わたしは顔をしかめて、体に触れられるのが嫌だという事が相手にわかるように身を引いた。けれど男は強い力でわたしの肩を掴んだまま質問を続けた。
「それで君は公園で見たアレに見覚えはあるかい? 」
「いいえ……」
わたしは男の手を肩から退けながら言った。
あんなものに見覚えがある訳がない。それに出会ったばかりで気安く体に触れてくる人には嫌な思い出しかないので、わたしは俯いて身を硬くした。
それからしばらく沈黙が続いた。
「……」
「……」
「……」
俯いたおでこの辺りに男の強い視線を感じる。長い沈黙が気不味かった。それにこの男がワザと息苦しい間を作って、わたしに喋らせようとしている事も何となくわかった。この人はわたしを疑っている。
「……。……」
「……。……」
それでも……、沈黙に耐えきれず、わたしは口を開いた。
「……パパに会いたいです」
赤いネクタイの男は眉間にシワを寄せてしばらく何かを迷っていたが、緩んでいたネクタイの結び目をキュっと締めた。それが何かの合図のように男の表情が変わった。
「君が公園で見たアレは人の死体だ。今、警察でアレが誰なのかを詳しく調べている。検査結果が出るまではアレが君のお父さんとは断定できないが、アレの中から君のお父さんの携帯電話が見つかっている。状況からアレが君のお父さんである可能性はかなり高いだろう。しかし問題なのは……」
そこで男は言葉を区切ると強い眼差しでわたしを見つめてから口を開いた。
「どうして人があんな風になってしまったのかだ。人間の体が雑巾みたいに捻れるなんて普通じゃない。極めて普通ではない。だから私は人間がどうしてあの様な姿になったのか詳しく調べなければいけないんだ。そのために君が知っている事を全て話して欲しい。そうする事がお父さんの為にもなるはずだよ。だから君は知っている事を全て話したほうがいい。公園で見たアレについて、君は本当に何も知らないのかい? 」
わたしは繰り返し首を振った。そして特にはっきりとした理由もなく、この男は信用できないと判断した。
小さい頃からわたしの感はよく当たる。この男の仕草、視線、口にした言葉……。それらが作り出すこの場の空気が、わたしにこの男は警戒した方がよいと促している。
「それでは君のお母さんは今どこに?」と男が聞いた。
「わたしが生まれてすぐに亡くなりました」
「そうか。悪いことを聞いてしまったね。すまなかった。では親戚はいるかい?」
「いえ、パパしかいません」
この男はお母さんが死んでいることも、わたし達親子には親戚付き合いがないことも、予め調べ上げて全て知っている……。
それが赤いネクタイの男の反応から見て取れた。
その時、不意にわたしの左手薬指がフワッと暖かくなる。
指輪が……、薬指の指輪が発熱してる……。
「誰かお父さんの友達には会ったことがないかい? 」
「いいえ、1人も会ったことありません」
平静を装って男の質問に答えていると、左手の指輪がドクンと脈打った。呼応するようにわたしの心臓もドクン、ドクンと大きく脈打った。その事がバレないように、わたしはジッと男の顔を見つめた。
赤いネクタイの警察官は少し怯んだように「うーん……」と唸って黙った。
この男、年齢は30歳前後だろうか。パパより少し若く見える。警察官でスーツ姿ということは刑事なのだろう。ジャケットに赤いネクタイなんてアニメのキャラクターみたいだ。
そんな事を考えながら刑事を観察していると、何故だかわたしは男の瞳に吸い寄せられていった。
スーツの男は取り立て気をひく顔立ちではないし、ほかに気になる特徴がある訳でもなかった。それなのにわたしは男から目が離せなくなる。
そしてまた指輪がドクンと脈打った。
(「何かが……、始まる!? 」)
「おや? 君……、目の色が……」
赤いネクタイの男はまだ何かを話していたけれど、音楽プレイヤーの音量が下がるように急激に声が遠ざかっていった。
そしてわたしは、初めて指輪の魔法を使った。
……。
……。
……。……。
……。……。……。
わたしは泣きながら病院を飛び出した。
指輪の力を使ったわたしは刑事から幾つかの情報を引き出した。それはまるで魔法みたいだった。わたしは指輪の魔法をまるで自分の手足を動かすみたいに、すごく当たり前に使った。いつも通り指の中でペンを回すみたいに。解けた靴紐を結び直すみたいに。それは自然だった。だからわたしは指輪に魔法の能力がある事をすんなり受け入れた。
これは初めから決まっていた事。あらかじめわたしに備わっていた才能で、今まで魔法を使わなかった事の方が不自然だったんだ。そう思った。そう思ったけれど……。
それでもわたしはガタガタと震えていた。膝に力が入らない。
震えているのは不思議な力を使ったからじゃない。今知った事があまりにショックだったからだ。
パパは昔、11歳で家を飛び出したまま一度も両親の元に帰っていないらしい。いわゆる行方不明者だ。そしてパパは今まで誰とも結婚していなかった。少なくとも戸籍上は……。
あの刑事が、大人が事前に調べた事なのだから間違いはないのだろう。
でも……、それって……、どういうこと!? 部屋に飾ってあるあの写真の女はわたしのママじゃないの?
それって……、わたしはパパの本当の子供じゃないかもしれないってこと……?
そんな訳ない! パパがわたしのパパじゃないなんて有り得ない!!
でも……、指輪の魔法は本物だ。
魔法には確かな手応えがあったし、あの力を使わなければ刑事から情報を引き出す事や、こうして逃げ出すなんて小学生のわたしには出来っこない。だから魔法は本物であの刑事は嘘をついていない。あの男が言った事は真実。それはつまり……、パパは本当のパパじゃないかも知れないと言う事だ。
瞬間、地面がグランと揺れた。
わたしを支えていたものが揺らぐ。世界の揺れはどんどん激しくなって立っていられなくなる。地面にしがみつくみたいに膝をつく。
震えが……、止まらない……。
わたしは……、1人だ。
この世界にひとりぼっち……。
怖い。怖い。怖い。怖い……。
わたしはゆれる地面を必死に掴む左手を見た。左手の薬指には指輪が光っている。
「大丈夫……。わたしは大丈夫……。大丈夫……」
指輪はいつも通り鈍く揺らめいている。
急激に周りの音が遠ざかって行く……。
少しずつ不安が消えていった。指輪がわたしの感情を吸い取っていく。
「怖い……、怖い……、大丈夫……、きっと大丈夫……」
いつものように指輪がわたしを落ち着かせてくれる。
「…….、……大丈夫」
わたしは立ち上がると膝の砂を叩いて落とした。いつのまにか頬を伝っていた涙を拭った。ランドセルにつけているキーホルダーに指先を這わせてその感触を確かめた。
「わたしは大丈夫だ」
キーホルダーをキュッと握って顔を上げた。燃えるような夕陽がわたしを照らしていた。
世界中が敵になった気がした。今までだってこの世界にはちっとも馴染んでいなかったけれど、パパが本当のパパじゃないとしたら……、この世にわたしの味方は1人もいないことになってしまう。
あたりは夕暮れの日差しで狂ったようなオレンジ色と黒い影に覆われていた。
薬指の指輪がドクンと脈打った。
「行かなきゃ……」
そう、分かっている。わたしが次にすることは決まっていた。
パパは自分の身に何かあったら、それを探せと言っていた。何かが起こった時、助けになるからと。それはパパが通っていた小学校に隠してある。それがなんなのかはわからないけれど、なんとしてもわたしはそれを見つけなければならない。今のわたしにはそうする他なかった。
覚悟を決めたわたしは、隣町にあるみそら小学校へ向かった。みそら小はわたしの住む町から電車で30分程離れたところにある小学校だ。パパは昔、みそら小の生徒だったらしい。
電車を乗り継ぎ、知らない街の駅から慣れない夜道に迷いながら、なんとかみそら小にたどり着いたのは随分夜遅なってからだった。
校舎の時計は22時を指していた。こんなに遅い時間まで外にいるのは初めてだ。
夜の学校はがらんとした静けさに包まれていた。校舎に明かりはなく、黒い窓が冷たく夜を反射していた。広い校庭には、まばらに設置された白いライトが頼りなく遊具や体育館を浮かび上がらせていた。
知らない学校へこんな夜中に忍び込むなんて、なんだか自分が不良になったみたい。
音を立てないように校門を乗り越えると、わたしは早足に校庭を横切って『がんばりタワー』というアスレチックに向かった。そこがパパの指定した場所だ。
『がんばりタワー』は広い校庭の体育館前にある3階建てくらいのビルの骨組みの様な作りをした大きなアスレチックだった。ロープでできた斜面の反対側、てっぺんから階段状に配置された踊り場の下に、人目につかないちょっとした空き地のような空間があった。
わたしは隣の体育倉庫に立てかけてあったスコップを使って、その地面を掘り起こす。
「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ」
夜の校庭に土を掘る音が響く。音がやけに大きく響くから、わたしはドキドキしてしまう。いけない事をしてるみたいだった。
探し物はすぐに見つかった。それは思っていたより浅いところに埋められていた。掘り出したそれはビニール袋に包まれていた。袋を開けると中から黒くて薄いプラスチックの板が出てきた。大きさはわたしの掌くらい。それは正方形に近い形ですごく軽かった。板の一部にある金属はスライドする事が出来る。中には黒い円盤が見えた。何かの記録メディアのようだったけれど、それはわたしの知らない種類だった。他には何も無かった。
わたしはそのプラスチックの板をハンカチでくるんでランドセルにしまうと掘り起こした穴を埋めた。
それからわたしはあれこれと苦労の末、それがプロッピーディスクという記録メディアだと言う事を突き止め、中身をモニターに映し出した。
そこには1986年にパパの周りで起きた指輪をめぐる物語が記されていた。
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