0090 メディシナーの現状
「私の母は10年ほど前に亡くなりましたが、7年前に今の義母がボイド侯爵家から嫁いで来ました」
「ボイド侯爵家?帝国の有力貴族の一つですね?」
「はい、義母は医療知識も経営能力もないのですが、父と結婚して、すぐにメディシナーの運営に口を出してきました」
「なぜですか?」
「義理の娘の私の口から言うのも憚りますが、義母は強欲で名誉欲と物欲、特に金銭欲の塊のような人間なのです」
「そのような人物と、なぜあなたの御父様は再婚されたのですか?」
「間を仲介する人がいたからです。
父は魔法治療士としては優秀ですが、元来気が弱く、その婚姻を断れなかったのです。
義母は父と結婚して以来、ここメディシナーでやりたい放題です」
「誰もそれを止めなかったのですか?」
「父は先ほど言った通り、気が弱く、祖父はすでに事故で亡くなっておりました。
曽祖父がかなり止めてはいたのですが、5年ほど前から最高評議員のプラトス、クリトンの両名を味方につけて以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで、誰も義母の暴走を止める事が出来なくなった状態です」
「その二人はなぜ、あなたの義母につくようになったのですか?」
「どうも何らかの弱みを握られたようです。
お二人とも元来はメディシナー精神の溢れる立派な魔法治療士ですから」
「なるほど」
「幸いといっては何ですが、父と義母の間に、子供はおりません。
しかし義母は自分の甥を養子に迎えて、このメディシナーを我が物にしようとたくらんでおります。
その手始めとして市民の意見を代弁すると言って「監督者」という役職を作り、自らがその役職につきました。
そして市民の代表である監督者は、最高評議会に参加するべきであるとして、最高評議会に参加できるように工作しました。
私はそれに強行に反対したので、義母の意向により、メディシナー運営の中心からは、はずされた格好です。
本来でしたら中央治療院にいた私やドロシー達が、この無料診療所にいたのも、そういった理由からです。
曽祖父はもう年ですし、万一の事があれば、評議員の票が義母に傾き、メディシナーはどうなるかわかりません。
現状を簡単に話せばこういった状況で、次の最高評議会が山場と目されています」
「なるほど、そういう事だったのですね?」
「はい」
「では次の最高評議会が勝負所と言う訳ですね?」
「そうなると思います。
義母は何か秘策を考えている様子です」
「次の最高評議会は?」
「あと1ヶ月少々、約40日後です」
「現在評議員の数は5名でしたね?」
「はい、曽祖父、父、アイザックのガレノイド、プラトス、クリトンの五名です」
「その現在義母派の御二人の動向は?」
「弱みを握られて、完全に義母の傀儡(くぐつ)になっています」
「反対派は?」
「曽祖父と、ガレノイドのみです」
「あなたのお父様は?」
「状況により、義母についたり、曽祖父についたり、大抵はどちらにもつかず棄権していますね。
しかし最近は義母につく事が多くなりました」
それを聞いたエレノアは、しばし考えると再び話し始める。
「・・・なるほど、では次の議会は圧倒的多数で議決する事にしましょう」
「圧倒的多数?」
「ええ、3票ほど、票を増やしましょう。
現状では、それが最も正攻法で、安全策のようです」
「3票も?あなた様はわかりますが、あとの2票は?」
「あなたと私の御主人様、シノブ様です」
「え?ではシノブさんはPTMを使えるのですか?」
「いいえ、あなた同様使えません」
「ではどうして?」
「これから1ヶ月かけて、私があなたと御主人様を特訓してPTMを教えます」
そのエレノアの言葉にレオニーさんが愕然として尋ねる。
「わずか1ヶ月でですか?」
「そうです」
あっさりと言い放つエレノアにレオニーさんが激しく首を横に振り、否定する。
「無理!無理です!
教えていただけるのには感謝いたしますが、あんな大呪文を、たったの1ヶ月で会得するなんて不可能です!
曽祖父様ですら半年近くかかったと聞いています!」
「大丈夫です。
あなたと御主人様なら可能です」
「しかし・・・」
なおも渋るレオニーさんに、俺はかつての自分を重ねる。
エレノアの無茶な特訓ぶりは、散々付き合った俺もよく知っている。
ああ、レオニーさん・・・それはかつて私が通った道・・・
「あなたは「PTM許可士」の資格を持っているのでしょう?
私が見た限り、あなたには十分PTMを会得する技量があります。
大丈夫、自分を信じなさい」
「はあ・・・」
「それよりも、ここ1ヶ月、治療士としての我々3人がいなくとも、ここは大丈夫ですか?」
エレノアの質問にレオニーさんが首を横に振って答える。
「それは無理です。
さすがに1ヶ月もの間、3人も治療士がいなければ、あちこちから苦情が来るでしょう」
「では、我々の代わりに石化解除は出来なくとも、5級程度の治療能力のあるジャベックが3体いれば?」
治療魔法5級といえば魔道士級だ。
中程度の治療や、麻痺、毒の解除などは可能だ。
「それならば何とかなると思います。
御存知の通り、ここでは石化解除はめったな事ではありませんし、いざとなれば副所長の二人が出来ますから」
「それと所長であるあなたが1ヶ月いなくても周囲に悟られませんか?」
「多少は悟られますが、ドロシーがいれば何とかうまくやってくれるでしょう。
疑いをかけられるほどにはならないはずです」
レオニーさんの言葉にドロシーさんもうなずく。
「はい、お任せください」
「もう一人の副所長は?」
「オーベル副所長は、ドロシー同様、私の腹心です。
中央治療院に勤めていたのに、私を支えるためにわざわざこの無料診療所へ一緒に赴任してきたくらいですから。
私が頼めば、1ヶ月くらいは、私がいない事をドロシーと一緒に隠してくれるでしょう。
いえ、むしろ彼の方がそういった事は得意なはずです」
「ええ・・・そうですね・・・」
ドロシーさんは、レオニーさんの言葉に賛同するが、どこか嫌そうだ。
もっとも俺は結構オーベル副所長が気に入っているのだが、ドロシー副所長が、あの人の事を嫌がっているのは知っている。
面白い人なのだが、勤勉で真面目なドロシーさんとは、気が合わないのかも知れない。
「わかりました。
では私は3日以内に5級の治療魔法が可能なジャベックを3体作り上げます。
それが終わり次第、あなたがたの特訓に入りましょう。
どこか誰にも邪魔されず、3人で魔法の訓練が出来る場所はありますか?」
「近くの町にメディシナー家の別荘があります。
あそこなら滅多に使いませんから、誰の邪魔も入らないでしょう」
「メディシナーがらみでは今の状況では危険ですね・・・それではいっその事、少々遠いですが、我々の家に参りましょう」
「オフィーリアさんの家へ?」
「御主人様の家です。
そこならまず、邪魔は入りません。
構いませんね?御主人様?」
「うん、もちろんいいよ」
エレノアの問いに俺はうなずいて答える。
この一連の件の間は俺はエレノアの言う事を聞く約束になっている。
もっともそうでなくても、俺はエレノアの忠犬だけどな!ワフ!
「わかりました。お願いいたします。
ところで私からも一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「出きれば、もう一人、PTMの修行をする者を増やしていただけないでしょうか?」
そのレオニーさんの言葉に、ドロシーさんも納得するようにうなずく。
「それは誰ですか?」
「私の弟、レオンハルト・メディシナーです」
「あなたの弟?
その方はPTMを覚えられるほどの技量を持っているのですか?」
「はい、弟は私よりもはるかに治療魔法の才能を持っております。
5年前にマジェストンの魔法高等学校を卒業したのですが、義母とは私以上に反りが合わず、そんな義母にはっきりと物が言えない父にも愛想を尽かし、自分の力でPTMを覚えてくると言って家を出てしまったのです。
ここ3年はあちこちで激しい修行をして、レベルも200以上になっていて、治療魔法もPTM以外は全て習得しております。
またそれ以外の魔法も、全て1級か2級を取得しております。
家出したといっても、私に連絡する者がいて、一応居場所は知っておりますし、私とは仲が良いので、私が呼べばやってくるでしょう」
「なるほど、それならば大丈夫でしょう。
その方は私の事を御存知なのですか?」
「ええ、もちろん、私と同じパラケルス・メディシナーの曾孫ですし、あなたのお顔をみればすぐに正体は割れますが、私は修行が終わるまでは、あなたの正体を隠しておいた方が良いと思います」
「なぜですか?」
「実は弟はあなたの大ファンなのです。
それはもう熱狂的と言っても良いくらいです。
昔からあなたの肖像画を見ては、いつかこの人に弟子入りすると言っておりました。
家を出てPTMを自分で覚えると言ったのも、どこかにいるあなたを探して、出会ったら、教えを乞うつもりだったのです」
「それでしたら尚更私の正体を弟さんには明かした方が良いのではないですか?」
「いえ、弟はとにかくあまりにもあなたのファンなので、もしあなたが奴隷になっていて、自分より年下のシノブさんの所有となっているのを知ったら、激しい衝撃を受けて、色々と面倒な事になるかも知れません。
それでしたら、PTMを覚えて最後の日に教えた方が良いと思います。
そうすれば納得はするでしょうから
そういう性格なのです」
レオニーさんの説明にドロシーさんもうなずく。
「そうですね、レオンハルト様にはその方が良いでしょう」
どうやらその弟やらとは、ドロシーさんも旧知の仲らしい。
「なるほど、ではそういう事にいたしましょう。
それでは、もう一人の副所長を呼んできてください。
彼も加えて、今後の計画を考えましょう」
「彼は確か今仮眠中だったはずです。
少々お待ちください」
エレノアに言われて、ドロシーさんが部屋から飛び出すように出て行くと、もう一人の副所長であるオーベルさんを呼びに行く。
しばらくすると、部屋の外から二人の声が聞こえてくる。
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