AFTER WEEK DAY 3-16 烏丸

 八月二十八日 午前九時二十三分 


「あんな感じでよかったよな。小原、あいつらすごく意欲的だよな。ジャーナリストとも刑事とも言えないけどな。いい感じがするだろう」


「彼らは役割を果たすと思いますよ。メディアで仕事をしているからこそ怖い映像だとか変な詐欺メールを触らないとか、そういうのは日毎から徹底しているのでしょうね。暑苦しい格好の長野って男はおそらくシーイングスケアリーのリンクアドレスのあるメールを所持しているような気がしましたが」


 そんな心がけは誰でもすると思うのだが木下とは違って小原はサイバー犯罪捜査対策係の中でも浮世離れした雰囲気がある。老け顔ではあるが二十九歳のこの男は十代の時は名の知れたハッカーだったとかそうでないとか死んだ木下が語っていた。何処かは覚えのないトンネルに入ったセダンに白い光が規則正しく連続して差し込んで車内を照らし出した。


「そうだな無動明神と連絡をとっているか、あるいはスタッフとかマネージャーとのつながりがあるのかもな」


「シーイングスケアリーの危険性を認識できていれば問題ないでしょう。木下さんは捜査のためにアレを見たから死んでしまったけど長野という男は根っからのライターですね。世の中の動向は見て探すもので交わるものではない。そう言ったところでしょうか」

 

 なるほどな程よく他人行儀のスタンスで社会のニュースを書いているわけだ。鈴井というお天気お姉さんもそうなのだが、彼らにとっては余計なことには深入りしないことも大事なのだろうか。週刊誌の記者とは全く違う感覚を持っているメディア人なのだろうな。


「烏丸さんは本当に大丈夫なのですか?僕はあの映像を見ていないけど。かなりの効果があることが実証できているのですが」


 警察車両は朝方の通勤ラッシュを抜けて首都高速を走っていた。運転席には二宮。助手席では須藤がシート一杯に腰を吸い付けて気だるそうにしている。先週に引き続き無理をいって参加してもらった捜査一課の二人は現在受け持っている事件が解決したこともあり無動明神の住むお台場近郊のマンションの家宅捜索に同行することになった。上層部からすれば訳のわからない事案である「見ると死ぬ映像事件」の捜査に割ける人員はこれ以上は確保できていないのが現状だ。


「少しばかりダメージがあったが、おそらくは、サブリミナル効果の方が一切理解できなかったようだ。画面が光っているだけだったぞ」


 小原は木下とは違い冷たい態度だった。柔道も剣道もこなしていない細身の姿を横目で見る。同じようなスーツを着て警察手帳を身につけているとはいえ別の世界の人間のようだ。華奢で太々しい優男は足を組んで膝の上に手を添えてため息をついた。


「それは大体の人間がそうなのですが、烏丸さんには深層心理と言ったものが無いなのですか?実証はできているけど立証は難しい事案とはいえもう少し理解していただきたいのですが」


「なんだそれ、馬鹿にしているのか?何回俺が人柱になったと思っているんだよ。確かに犯罪者の人生だとか不運が重なった末に事件が起きたとかそういうことには興味がないな。容疑が固まり次第逮捕してムショにぶち込むのみだ」


「心強いと言いたいところですが、何度も言っている通り無動明神を逮捕しても事件を起こした犯人グループを逮捕できる可能性は低いと思います」


 心的外傷を及ぼす映像事件で動いているサイバー犯罪対策係は俺が現場で手に入れた遺留品と情報をもとにした捜査を進展させていた。いつの間にか現場より遥か先の捜査線上に辿り着いていた小原昂と合流した時点で俺は無動明神の動画配信を阻止することしか考えていなかった。


 それは小原曰く「少し違う」らしい。


 これから今日一日の予定をA4用紙に書かれたワープロ文字をまばらに差し込むトンネルのライトで確認していた。これから追加の計画が発表されるとのことだ。


 小原は一週間前から心的外傷を及ぼす映像の事件を捜査している。ここ数日はほとんど寝ていないようで二言に一言、苛立ちが垣間見える。


「そんなことはわかっているさ。とりあえずだ、映像に繋がるリンクアドレスの拡散を止めるんだろ?日本にいる犯行グループの数人を叩けば被害を食い止めることができると聞いたから俺はこの車に乗っているのだが」


「犯行グループについては世界各地の警察がハッカーの滞在しているエリアを特定して確保する準備を進めているようです。アメリカだとかヨーロッパの方では理由はなんでもいいから社会からハッカー連中を隔離するつもりがあるのではないですか?日本ももっと危機感を持つべきです」


 現場を駆けずり回っている日本の捜査員は四人か…俺は腕を組んで車の前方を見た。無動明神には恐喝罪で逮捕状が出ている。捜査令状を見せて住宅に乗り込んだら一切会話をしないでいよう。関わり合いになりたくない。小原は何の意味もない舌打ちをして話しはじめた。


「次のプランについて捜査一課の皆様に説明をします。須藤さん起きてください」


 三人しかいない捜査員にアナウンスがあった。須藤があくびをしながらネクタイを締めなおした。


「ドゥーグルの事件は犯行グループが世界に対して「見ると死ぬ映像」の情報を流す行動を起こしました。それが民衆に関心や興味を惹かせる手段だったという仮説は聞きましたか?」


 ハンドルを握る二宮は追い越し車線に入ってから「はい、しっかり頭に入れましたよ。何人死んだと思っているのですか。次の段階に入れば上の方も動いてくれると思うのでしっかりやりましょう」と答えた。小原は頷くことなく無表情で話を続けた。


「皮肉なことに「心的外傷を及ぼす映像」に興味を抱いた民衆が「怖いもの見たさ」を直訳した解で「シーイングスケアリー」と名前をつけました。動画配信や噂話を行ったことで不特定多数の人間がすでに「見ると死ぬ映像」に興味を持っています。世界でも似たようなフリーのジャーナリストやライターが記事をかいていることが現状です」


「犯行グループの目的が「立証のできない無差別テロ」だと仮定した場合。次に起こす行動は」


「もう一度世界中に「見ると死ぬ映像」を同時配信することだと思われます」


「無動明神のような際どいタイプの動画配信者が世界中にいて日々生配信をしていると考えると。同日に「見ると死ぬ映像」がいわゆるゴシップ系ストリーマーを介して拡散される可能性があります」


 須藤が「マジかよ」と呟いた。

 

 机上の空論であると同時にSFじみた推測ではあるが。それが現実になるのであれば事件性が立証されない自殺や不審死が世界中で多発する可能性が高い。少なくとも日本では認知されるまでに時間がかかる。


 俺の主観で考えられる事は一つだ。


 非常に面倒なことになる。

 

 現状は「見ると死ぬ映像」を用いた殺人の方法に科学的な根拠がない。被害が起きて問題視された後、医療や政治が動き出すまでにどれだけの数の事件現場を目にすることになるのだろうか。


 寝ぼけていた須藤が胴体を起こして前のめりになりシートベルトを引っ張った。


「無動明神の生放送を止めるだけでかなりの数の被害が防げるってことじゃないですか。あの日焼けしたおしゃべりなオッサンを縛り上げましょう。やる気が出てきたぞ」


 「確かに」と呟いた二宮は少しだけアクセルを踏み込んでスピードを上げた。こいつらは俺よりかもはるかに単純思考な警察官だな。その感覚を覚えた俺も大して深く考えているわけではないのだが。この先はただただ忙しくなる、この事件の全てが解決することには期待ができない。


「もしかして渋谷とか大都市の大型ビジョンでシーイングスケアリーが流れるとか?ハッキングってそういうことができるんですよね」


 須藤の間の抜けた返事を聞いた小原はタブレット端末を取り出して画面を何度かタップした。


「広範囲から見ることができる画面からでは発せられる光が足りないので、基本的には個人の持つパソコンやスマートフォン、ネット配信が見ることのできるテレビなどが対象になると思われます」


 まだ小原は俺に明かしていない情報を持っている。


「じゃあクロックイズヘッドの連中がシーイングスケアリーと呼ばれている「見ると死ぬ映像」の危険性を報道する意味があるのか?「怖い」のではなくて「ただの害悪」で「迷惑」なものだと強調して説明させる手筈だったよな」


 小原はタブレット端末を俺に手渡した。俺はしかめっ面で手にとって画面に手が触れないように膝の上に置いた。画面にはビルの屋上に設置されたスタジオのようなものが映っていた。


「一部の動画配信者やネット配信をするメディアのその他多くの場所にある電子端末に簡易的なネットウイルスが入り込んでいることが確認できています。犯行グループはおそらく拡散のスピードを上げるために「ウォッチングスパイダー」の段階で多くのメディアや一般人の電子端末にウイルスを仕込んだようです。クロックイズヘッドで被害に遭った社員のパソコンからも似たようなものが見つかっています。おそらくより多くの人間に対して映像の拡散が円滑に行えるように準備をしていたのだと思います」


「残念なことですが日本の警察、その中のサイバー犯罪対策係だけでは全ての人を守ることはできません。ネット配信を見ていない多くの人間もパソコンとスマホの画面を見ていれば被害に遭う可能性があるということです」


 タブレット画面に映るハッキングされたパソコンの先の光景を初めて俺は背筋がゾッとした。誰もいないスタジオにあるカメラやパソコンが一人でに動き出してお昼前のスカイツリーを見つめている。


「ということはクロックイズヘッドの電子端末は今サイバー班が保護しているのか?あいつらの動画を見る連中ってどのくらいいるんだよ。その価値があるのか?」


 クロックイズヘッドの配信だけは「見ると死ぬ映像」に汚染されていないということになる。小原を鼻を啜ってから腕を組んで俯いた。


「特番を組んでもらって全力で宣伝してもらうことになっています。急遽出演が決まった「ユーはレイちゃん」という動画配信者とクロへの看板娘「鈴井菜穂」の共演で数字を伸ばしてもらえれば「見ると死ぬ映像の健康被害」の話をより多くの人間に聞いてもらえるはずです。ドゥーグルテロ事件で「見ると死ぬ映像」に興味を持った人々の多くがクロックイズヘッドの視聴をしているようですし、ユーはレイちゃんを推しているネットユーザーは多いので期待値は高いです」


 俺はタブレット端末を小原に渡した。疑問が次々に湧いてくる。クロへってクロックイズヘッドの略称なのか?ユーはレイちゃんって誰だよ。「あなたは霊」ならお前の名前は何なんだ?期待値ってパチンコ用語だよな。推しているとは。


「少なくとも俺たちよりは、犯行グループへの対抗手段を講じることができるということは理解できるのだが。すごく、くだらないな」


 須藤がスマホを取り出した。運転している二宮はこっそりと須藤にスマホを渡した。二台のスマホを持った須藤が落ち着きのない様子でスマホをいじり始めた。


「よっしゃ俺たちはクロックイズヘッドの配信視聴予約をして待機しておけばいい訳ですね」


 俺はフンと鼻息を鳴らしてから車外を眺めてから反対側にいる小原に語りかけた。


「犯行グループは「見ると死ぬ映像」を次の段階まで進化させているはずだ。それは誰でも殺すことができる仕様になっているはずだよな。もちろん拡散を防ぎつつ確認用に録画することは忘れていないよな」


 小原は無表情でタブレット端末をバシンと叩いた。この男は少しオタクっ気があるようなのだが親しみは一切湧いてこない。


「海外のいくつかの警察職員と連絡をとっています。国際的な連携や捜査協力ではなく一般の友人として連携をとっています。確実にどこかで死亡者は出てしまう、だけどそれ以上の被害者の増加を食い止めるつもりです」

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