AFTER WEEK DAY 3-15 長野

 八月二十八日 午前六時二十分

 

 捜査一課の烏丸によるウォッチングスパイダーの捜査情報を聞くこと一時間が経過していた。俺のスマホの中にあるシーイングスケアリーのリンクが添付されたメールは姿の見えないハンターが仕掛けた罠と見て良さそうだ。メールの送り主である仁藤卓のことを疑っているわけではないが無動明神は烏丸の語る犯人グループとの関係性が強いということは言うまでもない。恐らく警察組織は刑事が無動明神と接触したことをきっかけに事件の鍵を握る情報を掴んだに違いない。


 最悪の場合無動明神は犯人グループの一人である可能性が高い。後で花田や藍田に何かを聞かれた場合のことを考えておく必要がある。


 録音も映像もしっかり撮れている。俺の同僚三人はシーイングスケアリーのプロトタイプであるウォッチングスパイダーの実験台にされたわけだ。推測だが恐らくドゥーグルテロ事件の首謀者は犯人グループの一人で、自らの命を犠牲にして世間に情報をもたらしたのだろう。犯人グループからすれば世界に広がっている、人間を直接攻撃するサイバーテロの情報と危険性が少しばかり公開されること自体は都合がよかったのかもしれない。


 怖いもの見たさ、とはよく言ったものだ。俺も何度かシーイングスケアリーのリンクアドレスを触ろうと思ったこともある。もし触ったはずみで画面に釘付けになってしまう何かが映っていた場合、たちまちのうちに突発型後発性光過敏性症候群とやらを発症してしまうだろう。


 犯人グループの動機についてだが彼らは何を狙っているのだろうか。金銭が目的なら従来のハッキングでどうとでもなる。そいうった類の犯罪は世間で大きなニュースとして報道されることすらなく実行することができる。そして結果を出すことができるはずだ。


 ならば逆にインターネットの世界に対して何か恨みがあるとすればどうだろうか。北朝鮮やロシアのように言いようのない怒りを込めただけの破壊行為(個人の偏見)が目的というのは当然あり得る。俺がターゲットのリストに入っているのであれば犯人グループの情報を手に入れる可能性がある人間であることとネットでのコミュニケーションを年中無休で続ける生活を送っているということくらいしか殺される理由が思い浮かばないから回答は出てこない。


 無動明神はインターネットで動画を配信することで財を築いた男だ。むしろ世間からゴシップや都市伝説などの怪しげなネタが生み出され続けていた方が安泰であるし、恨みがあるのは非ネット型エンターテイメントの世界や政治家のはずだ。


 これ以上のことは警察組織も語ってはくれないだろうな。


 烏丸は仕切りに腕時計に目をやり、しまいにはスマホの通知を確認している。そして我に帰ったように会議室の奥の壁を見た。睡眠時間が足りていないことや栄養が不足しているのは目に見えている。しかもこの男はシーイングスケアリーが見せる映像を体感しているのだ。


「鈴井さんは黄色いものにイライラするとおっしゃっていましたよね」


 そういえば鈴井はそんなことを言っていたな。それがなんだというのだろうか。


「ああ、すいません。私も烏丸さんと同じように映画とかドラマの字幕を追うのが苦手で、基本的には吹き替えで映像作品を見るタイプなのですよ。まあ要するにネットゲームだとか、オープンワールドだとかホラーとかあるじゃないですか。あとダークウェブみたいな。そういう好奇心を誘う要素が強いものに興味がないというか、好奇心そのものがあまりないのですよね。ハラハラドキドキだとかワクワクするといったような知的好奇心ではなくて社会の産業としてドラマを見たりするので。見守る蜘蛛、まあウォッチングスパイダーですよね。人に危害を加えるという点では仕事の範囲内で世間に情報発信をするつもりはあるのですが。そうでなければ関わり合いになりたくないです」


「こんな人間性だからあまり頭に入ってこなかったのだと思います。抽象的すぎてダメージが少なかったのかな」


 烏丸は胸のポケットからマイクレコーダーを取り出した。全くの無関係とは言えないがこれ程シーイングスケアリーとの距離を保つことができるのか。メディアで仕事をするためには興味がないことにはとことん興味がないということも武器になる。どうりで別の仕事以外で動画配信を休んだことがないわけだ。お天気お姉さんなのに本物のジャーナリスト並みに頭が冷えてやがる。


「なるほど、鈴井さんは視力はいい方ですか?」


 鈴井は少しばつの悪そうな表情を浮かべて手を組んで伸ばした。


「悪いです。実は最初に神谷くんのパソコンに映った映像はほとんど見ていないです。次に見たときはコンタクトレンズをつけ忘れていたのですよ」


「視界に入ってくる情報が少なければ効果は半減するか。当然といえば当然だな。黄色いものにイライラする症状は我々の調べでは浮上していないものなのですが」


 鈴井は「うーん」とぼやいてからテーブルを見た。


「まあイライラしたとしか言いようがないですよ。特に人生の中で黄色い化け物を見たこともないし。やましいことも特にないのですが」


 想像の斜め上をいくサバサバとした返事はまるで回答にはなっていない。烏丸はマイクレコーダーを持った手を何度か揺らした後に頭に手を当てた。


「そうですね神谷さんのハードディスクに入っていたウォッチングスパイダーの映像は破損してしまったからな。特に健康状態に問題がないのか」


 鈴井にもう一度、クロックイズヘッドのデスクのパソコンに入り込んだ映像を再度見せることができないのであれば、検証は不可能だ。


「あ、そうだ。なんか夢を見ましたね。そのドゥーグルテロ事件の犯人の手記の続きみたいなシーンで、パーカーを着た男が広い部屋でパソコンと睨めっこしてブツブツ何かを言っている、って感じの」


「その男は格好をつけて『すべての人間を殺すことはできない』って言っているのですが」


 悪夢?そんなものは何の情報提供にもならない。すべての人間を殺すことはできない、というセリフは夢を構成している鈴井本人が無意識下で考えた言葉に違いない。烏丸は鈴井の事情聴取は早い段階で切り上げることにしたようだ。


「わかりました。鈴井さんはかなり症状が軽いようなので数日後に詳しい話を聞かせてください。今回は皆様に少し協力していただきたいことがあります。今日の夕方の配信があるはずなのですがそのスケジュールの枠で特別に報道してほしいことがあるのです」




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