AFTER WEEK DAY3-7 烏丸
眠ってしまったのだろうか。それとも気絶していたのだろうか。目を開けるとまだ路地は暗い。新聞配達のバイクや朝焼けの気配はまるでない。そのことから二時間かあるいはほんの数分程しか過ぎていないのかもしれない。握りしめていたスマホを見ると先ほどの点滅はなく通常の画面に切り替わっていた。時刻は午前二時。一時間弱過ぎている。
「烏丸さん!まだ車があると思ったらそんなところにいたのですか?大丈夫ですかミョウジンに暴力を振られたのですか?」
いやあの男はシーイングスケアリーだとか言われているものが俺には効果がないことがわかっていたはずだ。それは視点を変えればじっと堪えればどうとでもなる人間も存在するという証明になる。やつが逃走直前に見せた不快感を丸出しにした態度から察するに「あんなものは大したことはない」などと言った類の噂が出て新鮮味がなくなる前にネットで視聴者に向けて語る予定でもあるのだろう。悪いがその話題で楽しむ隙を与えるつもりはない。
「いや、大丈夫だ。それで家に何かめぼしいものはあったのか?」
街灯に照らされた桑畑は顔面蒼白な様子だ。その顔は蹲っていた俺を見てそうなったのか、それとも後藤のパソコンの中から何かを見つけたのか。そう考えるうちに思考が急速に回転してきた。日付が変わって今日の朝に山野が話すウォッチングスパイダーの実体験と俺が体験した光と音の要素が一致すれば事件が進展する。刑事の勘とも言える、そんな気配がした。
「それがガイシャのパソコンが急にシャットダウンして。あとで怒られるなと思いつつハードディスクを取り外してUSBメモリなんかを保全しました」
「ご苦労様。俺はミョウジンだっけ?あいつにいい情報を提供してもらった。本当なら公務執行妨害で事情聴取したいところだったのだが。まあいい、気にするな」
「まさか例の映像か何かを見たのですか?」
「お前は興味があるか?」
「いえ今日のお昼に彼女とデートがあるので絶対に見ません。好奇心で探したりもしないです」
立ち上がった烏丸はスーツの襟を正して深呼吸をした。
「デートか。ネット監視だとか呪いの映像よりも遥かに大事なことだな。まあカップルで下世話な類のネットを見る連中も大勢いるだろうけどな。最初に会った時お前は遺体を見てゲロを吐いたけどそれはごく普通のことだ。やっぱりお前みたいな普通の人間が一番まともに思える。お前の彼女がミョウジンとかいうやつを好きなら別のことに時間を使えと言っておけ」
急に上司の顔になった烏丸の顔を見た桑畑の目が少し潤んだ。
「だから世の中で人気ってだけですよ。有名人は嫌でも目につくのですよ。俺と彼女はキャンプ動画と料理動画しか見ないですよ。烏丸さん、運転できますか?大丈夫そうではありますが」
柄にもなく「フフ」と呟いてから烏丸は桑畑を見た。そういえばミョウジンに突き飛ばされた男がいた。さらに思考を巡らせる。先ほどのようなダウンロード画面など世の中にいくらでもある。彼らに怪しい画面を絶対に触るなよと諭すべきではないのだろうか。中学生のネットリテラシーの授業でも言われるような、そんなありきたりなことを言うとかえって悪影響を与えてしまうのではないのだろうか。
「玄関にいたやつは大丈夫か。怪我はしていないよな。もちろん俺は少し先の病院に向かう。まだ時間はあるが今からクロックイズヘッドの連中を呼び出す」
「え!鈴井菜穂ですか?いいなあ、新谷さんは怪我はないですよ。少しイライラしてましたけどね」
「それはよかった」
「何言っているんだ。例の映像で死にかけたやつと話をするんだよ。言い方は悪いけど鈴井って女はすごく普通の感じだったぞ」
「いやいやまた」と相槌を打った桑畑は仕事終わりということも相まって楽しそうだ。
「ところでミョウジンとやらが動画配信でシーイングスケアリーと呼ばれている何かのことを語っているはずなのだが知っている範囲で教えてもらえないか?」
有名人とこれから会う上司に対して視線で尊敬の念を送っていた桑畑は首を傾げた。少し考えてから腕を組んでビルの光で白けた夜空を仰いだ後に「うーん」と呟いてから返事をした。街灯に照らされた桑畑の顔は教師の質問に真面目に答えようとしている純粋無垢な学生のように見えた。
「シーイングスケアリーってなんですか?調べましょうか?」
まだ世の中には出ていない話題なのかそれともごく一部で人気のあるマニアックなものかは見当がつかない。認知度が低いのかあるいは未だ門外不出のネタなのか。
「いや待て上司の命令だ。お前は彼女との付き合いと仕事に専念しろ。今言ったシーイングスケアリーのことは検索するな。わかったか」
「あ、はいありがとうございます。ミョウジンは芸能人の噂がメインですからね。他にオカルト関係の動画で近いキーワードを目にした気がするけど。わかりました絶対に調べません」
なぜだか不安になる返事ではあるが。桑畑を信じることにした烏丸は若い鑑識の肩をポンと叩いてから歩き始めた。
「オカルト関係か。コンテンツってやつだな。他にどれだけそういうのがあるんだろうな。わかった」
「あとで捜査一課に連絡してくれ。今度、いつか飲みにいくぞ」
「コンテンツ、そうですね」と呟いた桑畑はニコニコとした表情で笑った。
「いや連絡先を今交換すればいいじゃないですか。捜一に直で連絡するのはすごく怖いのですが」
隣にいる若者の連絡先を汚染された自分のスマホを繋げたくない。
「とりあえず、俺を出せといえばいい。そういえば〇〇〇〇メールって使っているか?」
「ああフリーメールですか。はい。アカウントを三つくらい持っています」
「わかった。デスクのパソコンからメールする。アドレスをメモ帳に書いて渡してくれ」
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