AFTER WEEK DAY3-8 鈴井
ざわめく木々と風が吹き抜ける音がする。壊れかけのエアコンの室外機のようなプロペラ音とキーボードを叩く音が続いて聞こえた。これは明らかに夢の中だ。そう察した私は夢の世界を見渡した。直感的に廃墟の中に立っていると思い込んでいたがそうではなかった。
まず目に飛び込んできたのは開け放たれた窓だった。遠くの街の明かりから推測されるのは夕方ということと都会の街だということだった。おそらく小さな高級なマンションだ。
そして辺りを伺うと部屋にはテーブルや照明は何一つなかった。さらに注意深く辺りを伺うと三十畳ほどある広いリビングの一室のように思えた。窓が普通の家よりも一回り大きいことからそう認識した。右の壁沿いにフード付きコートを被った男がいる。椅子にも座らずにキーボードを操作する後ろ姿には焦りや迷いがあるような感じがした。壁一面にある数台のディスプレイを睨みつけて横長のテーブルの前を水平に移動してから別のキーボードを打ち込む。そして男はため息をついた。私にはパソコンの画面に映っているものが何かはわからない。時刻や日付を示すカレンダー付きの時計やこの場所がどこかを示すものは何もなかった。
「ねえ、何をしているの。もしかしてあなたがウォッチングスパイダーを作った人なの?」
夢の中ではあるが、男の背中に向けて私はこう言い放った。反応のない男はフード付きのコートを着ていることからこの夢の世界は冬なのかもしれない。そう思った矢先だった。電話のベルがなった。ありふれたリンゴマークのスマートフォンの着信音が夢の世界に響いたかと思うとその音は次第に大きくなり空間を埋め尽くしていく。
ディスプレイに照らされた広い室内のフローリングには破れた黄色のビニール袋が散らばっている。黄色い何か。やはり先週に会社で神谷と城島、内村を殺めたウォッチングスパイダーが何かを見せているのだろう。自分の頭の中で作り出した勝手なイメージとも言えるその世界をもう一度注意深く観察した。後ろを振り返るべきだ。それが夢の中であってもできるはずだ。
だがどうしても後ろを振り返ることはできなかった。首に何かがのしかかったような感覚と同時に夢が覚めることがわかった。
もういちど壁の方向を見るとフードの男がすぐそばに立っている。思わず悲鳴をあげそうになって口を手で押さえた。だが男の顔はよくみえない。それにもかかわらず私がいる場所とは全く違う場所を凝視している事がわかった。
「ああ、知っているのに。なにもできない。ネットで攻撃をするのには限界がある。殺せないやつばかりだ。みんな殺してやりたい」
ハアハアとした荒い息にまじったその言葉を聞いた私は男から距離をとるために後ろにさがった。振り返ることはできないのに下がることはできた。夢の中で上手く動けたことで理不尽ななにかに打ち勝つ事ができた気がした。その時、左足のかかとが何かに引っかかった。次の瞬間に床が抜けて夢の世界の奈落に吸い込まれる浮遊感があった。その瞬間に目が覚めた。
電話が鳴っている。自分の部屋のベッドはフレームになっているので物を置くスペースはないからすぐそばのテーブルの上にスマホはおいてある。薄い掛布団をはがしてテーブルに手を伸ばした。先ほどまでいた悪夢の世界とくらべると自分の部屋がかなりせまいことがわかる。スマホの画面をみると「烏丸デカ」の名前が目に飛び込んできた。今は何時くらいだろうか振動するスマホを手に持ったまま空いた手でテーブルに置いてあるタブレット端末のカバーを開いた。深夜の三時だった。私はふうとため息をついてから渋々電話に出た。
「もしもし、鈴井です」
「どうも刑事の烏丸です。夜分遅くにすみません。警察病院に入院している山野さんとの面会を今からすることにしました。もしよろしければタクシー代をだすので同席していただきますか」
休暇をとっている私は今日の朝方に山野のお見舞いに行く予定だった。寝ぼけ眼で指で髪をくるくるとまわして欠伸をしてからどう返事をするべきかを考えた。烏丸は語り続けた。
「例のウォッチングスパイダーの件でわかったことがありまして。鈴井さんがおっしゃっていた黄色いものにイライラするという証言があったと思うのですが。あれについて話を聞きたいのです。今現在サイバー班と相談しながら病院に向かっているところです、表の玄関に警察職員を配備しているので面倒な手続きなどはありません。すぐに病院に入る事ができます。なるべく早くそちらに向かっていただけるとありがたいのですが」
手短かに説明してくれているのだろうけど深夜、寝起きざまに聞かされる電話の内容としては絶妙に多い情報量だ、付き合っている寂しがり屋の男が会いたいと一言つげるのとは訳がちがう。非常に面倒だ。
「ああ、まだ自殺している人が多いとは聞いていましたけど。電話でも話せることだと思うのですが。さすがに今から病院に行くのは嫌ですね」
「そこをなんとか、今から藍田さんと長野さんにも連絡してクロックイズヘッドのニュースで報じてほしい情報などを提供するつもりなのですが」
「警察組織が私のいるネットメディアに情報提供をするのですか?なるほどですね」
それがなんだ、と言いたいところではある。だが藍田と長野が参加するのであれば顔を合わせてもよいと思うところもあった。ドゥーグルの事件以来、勤務時間の違う二人とは話すことができていない。警察の事情聴取の後に彼らと朝飲みするのも悪くないか。そう思った鈴井はスマホをもったまま、冷蔵庫に入っている水をとりにキッチンに向かった。話すべきことを話してさっさと切り上げてしまえば休日の時間が削減されずにすむか。
「わかりました。じゃあタクシーで向かいます」
「それは助かります。ではお待ちしております」
烏丸は野太い声で返事をした。まさかネットの世界に存在する害悪プログラムのしっぽをつかんだとでもいうのだろうか。深夜とは思えないハキハキとしたトーンだった。
先ほどの悪夢は私の脳がつくった幻想だった。烏丸の連絡をうけて鈴井はそう結論を出した。わけのわからないことで悩んだり迷ったり、感傷にひたるなどもってのほかだ。
「黄色いものでイライラするか。そういえばそんなこともあったな。すっかり忘れてた」
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