DAY1-10 鈴井


 八月十七日 十七時四十分 クロックイズヘッド 屋上スタジオ 鈴井菜穂


「鈴井さん夕方の放送よろしくお願いします」


 ADの松田は午後になるとやつれているのが常だ。「野菜を食べていないからだ」と心の中で呟いた後返事をする。


「うっす。頑張っていきますか。なんかパトカーがうるさいね。嫌な予感がする。ネットニュースがみたい」


 松田は少しスマホを見て更に目の隈を深めてやつれた表情の段階を上げた。これは放送事故が起きた事後にしか見ない貴重な老人顔だ。


「鈴井さん。一旦配信を済ませましょう。何事も目の前のことをこなさないと」


「うん。まあ今日飲みあるし。さっさと片付けますか」


 松田はスマホの連絡を気にしているようだ。


「はいっ。早めに済ませましょう。鈴井さん入ります。花田さんはまだ帰ってこないのか」


「なんか言った?」


「いえ、なんでもないです」


 昼間とは違い薄い暖色に包まれたクロックイズヘッドの屋上はエアコンが効いている。基本的には夕方は少しの時間ではあるが普通のニュースも読む必要があるので空調の設定は視聴者に説明をせずに進行する。速報の台本を渡された鈴井は昼間にはないオプションのキャンプ用の椅子に座って放送開始を待つ。


「へえアメリカのドゥーグル本社でテロ事件。やばっ「呪いの映像事変」で忙しくてチェックしてないわ。え。まだ立て篭もりが続いているの。ええー」


 松田がどこかに行ってしまったことに加えて配信スタッフの半数がいないのだが。こう言った場合も配信に遅刻することはできない。パソコンの画面を見ていたスタッフが周りを見渡しているスマホを確認して驚いた表情を見せた後。慌ててカンペを取り出した。


「鈴井さん今日は今いるスタッフだけでやるのでスタンバイお願いします。天気予報は普段通りで速報を読んだら十五分早く切り上げます。視聴者にお詫びをして昼のスポンサーのサニードリンカーのパーカーに鈴井さんのサインをして急遽プレゼント企画を立ち上げてから終わりにします。サインを後でお願いします」


 少し怪しげな気配が漂っている。パトカーのサイレンが近くで止まった。私のパーカー以外にも在庫があると良いのだが。藍田と内村は大丈夫だろうか。薄らとではあるが今日の飲み会は無い予感がしている。いつもは配信に滞りがないかを確認しているモニター担当が合図をした。鈴井がホワイトボードの前に立つ。


「じゃあ鈴井さん。放送開始前十秒です……三・二・一」


 配信を確認する画面に鈴井のアニメキャラが夕方の街を歩いている様子が映し出された。


 屋上入り口のドアを松田が開けて入ってくるのが見えた奥に人影が見える。


「こんばんはー今日もみんな元気でしたか。鈴井はねー元気だよ。キワミエナジーでいい感じ。今日は時間を短縮して夕方の天気予報を配信するね。最後にプレゼントのお知らせがあるからよろしくー」


「じゃあお天気ボード。カモン!よおっと。来ましたね。はい。 今日は関東東北地域夕方から深夜にかけて雨が降るから傘を買うのは今のうちにね。関西近畿方面は晴れ。猛暑が続くので熱中症対策を忘れずにエアコンをつけて水分補給はしっかりしましょう。まあ全国どこでもそうだけどね。九州は今年三つ目の台風が近づいています奄美沖縄が強風域に入っているので離島にお住まいの方は災害に備えておきましょう。北海道は現在大きめの雨雲がかかっています。大雨で河川が氾濫する危険性があるので近づかないようにしましょう。明日は関東圏では小雨が降っているようなので朝には傘が必要になるかも。北海道、東北を除いてどこの地域も気温は三十度を超えるので頑張っていきましょう!」


「視聴者さんから届いた沖縄の様子を撮影した映像があります。どうぞ」

配信画面には沖縄の暴風雨で車にビニール傘が当たる映像が映し出された。


「あ、あぶない。思っている以上に風が強いみたいですね。沖縄の皆さん外を出歩くときは注意してね」


 続けて雲を使った川柳のコーナーだ。あらかじめ今日は休むと配信直前でツブキットを使って告知していたのだが。現場にいるスタッフに伝わっていなかった。


「あ。クラウド川柳の時間がきちゃいましたねえ」


 画面にクラウド川柳のタイトルが表示された。後ろのガラス窓を通して空を見た


 私にカメラマンが画角を合わせる。



「はい整いました。晴れ終わり 傘用意して 飲みに行く」



 スタッフ達が少しつまらなそうな顔をしている。ADの松田がまたいない。ゲラと拍手がないのが非常にウケなかった感を醸し出している。コメント欄は上々のようなので続ける。


「はーい。飲みに行く時に限って夕方から雨だよねー」


「ニュース速報が入っているよ。お天気ボードチェンジ!」


「はい、現在の速報はこちら。ババン。アメリカのカリフォルニア州にある誰もが

使う検索エンジンで有名なドゥーグル。その本社で立て篭もり事件が起きているようです。現在も特殊部隊と犯人との間で交渉が続いているようです。犯人はどうやらドゥーグルの社員のようで人質は数人の同僚とのことです。うん。一体何があったのでしょうか。現在死亡者などは確認されていないようですが。ここ数日間にドゥーグル社員が数人行方不明になっていることからその行方不明事件に関わっているいのではないかと市警とFBIの捜査関係者が話しているとのことです」


「続いてはアメリカで人気のディーヴァ リネアスタチュー。カーチェイスの後逮捕。薬物検査で陽性反応アリ。ロサンゼルス州、日本時間で深夜の二十三時ごろのことだったようです。ねえー流行っていましたよね。リネア。よくクロへに行く時に街で聞くのがクールフェイスだったなあ特に今年の春はどこでもかかっていましたよね。私もサブスクで聞いていましたね。びっくりです」


「さあ次は日本のニュースをピックアップ大手通信会社ノーボーダーフォンで通信障害が発生。なお障害の影響は関東近辺だけのようです。通信の不具合は夕方の五時頃から発生して復旧が進んでいるようです」


 どうりで川柳コーナーの中止が伝わっていないわけだ。ノーボーダーフォンの回線はたまにこれがあるから困る。要するに今、私のスマホはどこかでワイファイを繋ぐ必要がある。ワイファイは家でしか繋がない主義なのが災いしたわけだ。今日は完全な厄日である。コメント欄を見るとツイートがされてないとファンが言っているので返事をする。


「はーいツブキットのツブヤキやり直しておくねーごめんね」


「一人で夏のビアガーデン。コロナとの付き合いも長くなりおひとり様でリモート談話しながらお酒と美味しいお肉が食べられると話題のビアヘブン。前年度から見られていた光景ですが今年も盛況とのことです。行きたいなあビアガーデン」


 中止になるかもしれない飲み会のことが頭によぎった。


「バーベキュースタイルおひとり様用ビアガーデンから夏の終わりに半額キャンペーン予約がまだ空いているようです。是非いかがですか」


 カンペに「CM映像はさみます」と書いてある。


「では一旦CMでーす。ブラウザバックしないでねー」


 イェーイと言いながら手を振ると後ろの窓を画角に入れた位置にカメラが向けられた。それと同時に私は夕日で色づいた空を見た。


「はい鈴井さんありがとうございます。一分でCMが開けます。次のニュースはフランスの犬と猫の喧嘩と中国のトラックの事故です。あとは猫が水槽の裏で寝ていて、水中にいるみたいでカワイイです」


「了解です。何かあったの?」


「ああ後で報告します。僕もいまいちよくわかっていないので」


「了解です」


 私はこのやりとりの間にCMで流れている自分で焼くスタイルのスペアリブを見ていた。


「じゃあCM開けます ……三・二・一」


「はい。スペアリブって自分で焼けるのですね。美味しそう」


「では次のニュース猫パンチバーサス犬パンチ?フランスの犬と猫は情熱的?映像が届いています。」


 率直に想像より可愛くないなと思う。強そうな犬と猫がどちらもおそらく血統書付きの黒と白の斑がついている。新宿の派手なホストとシックな服装のセカンドバッグを持ったスーツの男が両者威嚇をしておでこを擦り付けている様子を彷彿とさせるのだがこれをコメントするのは視聴者だ。私の直感が導き出す例えは非常にわかりづらいので控える。


「おおーフランスのマッチョって感じの猫ちゃんとワンちゃんですね。うわっ」

そしてものすごい勢いで殴り合いを始めた瞬間、慌てた飼い主がスマホを投げて画面がソファーの隅に落ちた。


「これには飼い主さんもビックリ。ちょっとレベルの違うペット同士の喧嘩でした」


「こちらは中国北京の高層マンションが立ち並ぶセレブな街にある監視カメラ。前方にバイクが走っていますね」


 この監視カメラは中央に道路を移していて奥からトラックが走ってくる。ぶつかるのだろうなと思った。


「対向車線の奥からトラックが走ってきます。ああ嫌な予感がします」


 バイクの運転手はスマホをポケットから取り出して無理やりヘルメットの中に入れている。城島が女性オーエルに背中を掴まれているシーンを思い出した時。横にそれたバイクがトラックに衝突しそうになったが歩道に滑って転がっていった。


「おおっとどうやらバイクの運転手は無事だったようです」


 奥のバイクの運転手は慌てた様子でヘルメットを外そうとしている。本当に無事だったのだろうか。いや勘違いだ。城島の件で少し神経が触れているだけだ。画面が切り替わった。


「え?もしかしてこの猫ちゃん水の中で寝ているのかな?そんなわけがなかったですね」


 まあ最後の映像が一番くだらないのはいつもの事だった。その時にADの松田が奥から入ってきた普段は見ないスーツの男が二人ついてきている。近づいてきた松田が黒のパーカーと白のペンを画面に見切らないように渡した。


「はい、ではプレゼント企画に移ります」


 パーカーにサインを書いた後画面にズームする。おそらくこういった企画をするのは五回目くらいだ。最初に適当にサインを書いてカメラに近づける演出なのだが。テニス選手が勝った時にレンズにサインする時のようだというユーザーのコメント欄が盛り上がったことから。このやり方にしている。


「はい勝ち!この後番組のツイットにいいねとリツイットしてくれた方々限定一

名様にー私鈴井菜穂のサイン付き黒パーカーをプレゼント。では土曜日まで頑張っていこうねみんな。木曜日の夕方八月十七日の配信終わりですバイバーイ」


「お疲れ様です鈴井さん。あの大変申し上げづらいのですが」


「内村さんがお亡くなりになりました。」


「う、うんやっぱりあの映像やばすぎ。あれ刑事さん。だよね」


「ええ?映像ってなんですか。あ。神谷さんも城島さんもそれってこと」


「三人も一日で死んだら警察も動き出すわけよ。明らかに酷いよ」


「げええ呪いのビデオ的なやつですか。いや嘘でしょ。病死ですよね神谷さん。あとは城島さんは自殺。内村さんも自殺。三人は多いか」


「内村さんが自殺?あり得ない。シーイングとかいう広告媒体を流したやつを絶対に許さない」


「シーイングってなんですか」


「後で説明する。で桜庭って人は」


「ああそういえばあの刑事さんたちも桜庭を午前中見かけなかったか聞いてきましたよ。」


 この瞬間、頼みの綱が切れた。


「なんか疲れてきた」

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