第八章 新たな旅路
第55話 城との別れ
東の空が、ほんのりと白くなってきている。おれは最後にもう一度、城館の塔にのぼった。そこから敵陣を見下ろす。
敵の兵士たちは城攻めまえの腹ごしらえをしているのか、炊事の煙がたくさん立ちのぼっているのが見えた。
じっと目をこらすうちに、おれははっと息をのんだ。
(ラースだ)
敵の本陣のあたりに、馬に乗った男の姿がある。ここからだと顔までは見えないけど、そのローブを着たシルエットには見覚えがあった。ラースは周りの将軍たちにあれこれと指示を出しているみたいだ。
「あの様子だと、夜が明けきってから城攻めを再開するようだな」
隣りに立っていたアルテミシアはそう言って、
「脱出するなら今しかない」
とおれを見た。その目には不安も恐れもなく、強い決意だけが感じられた。
「ああ、そうだな」
おれはうなずくと、アルテミシアと一緒に塔をおりた。
他のみんなはもう中庭に集まっていた。クレール、ビルヒニア、エルザ、それに古代神殿のダンジョンへも同行した精鋭兵のふたり。
全員馬に乗るけど、おれとクレールとビルヒニアは馬をあやつれなかった。そこで、クレールはアルテミシアの後ろに乗せてもらい、ビルヒニアは兵士と一緒の馬に乗ることになった。おれが乗るのはエルザの馬だ。
いよいよ出発するまえに、ビルヒニアは城の召し使いたちを全員呼びあつめた。ハコモを先頭に、メイドや下男たち十数人がならぶ。
「おまえたち、今日までよく我に仕えてくれた。できることならば全員を同行させたいところだが、そうはいかぬようだ」
ビルヒニアはそう語りかけた。ハコモたちは、いつもと同じように無表情のまま、話に聞き入っている。
「ハコモ、おまえはこれまで我に仕えてきた執事たちのなかでも、もっとも優秀だった。これまでよく働いてくれたことに、改めて礼を言うぞ」
「もったいなきお言葉にございます」
ハコモは深々と頭を下げる。死人の従者たちに、感情はないはずだった。だけど、こうしてビルヒニアとやりとりする姿を見ていると、従者たちが主人との別れを惜しんでいるように思えた。
「ここに残していく兵士たちは、最後まで戦い、己が役目を果たすであろう。だが、おまえたちはすでに使命を果たし終えた。この後、敵兵たちの手によって蹂躙されるくらいなら、我の手で永遠の安らぎの世界へ解き放ってやろう」
ビルヒニアが言うと、従者たちは深々とお辞儀をした。
片手を高く掲げたビルヒニアは、何かの呪文を詠唱しはじめた。その声は、どこか悲しげに響いた。
やがて詠唱が終わると、従者たちは一斉に地面にたおれた。もはやただの死体にもどった従者たちは、ぴくりとも動かなかった。
「さあ、ゆくぞ」
ビルヒニアは従者たちに背を向けて言った。
城館の裏手の森にひそんだ敵兵の位置は、「神智」スキルで探ってあった。三十数名ほどで、横に広く散開している。そのなかでも、一番手薄な箇所を突破していく計画だ。
数人の屍兵たちが長い板を運んできた。それを、裏の城壁が崩れたところから外へ伸ばして、堀を渡る橋にする。
橋が設置されると、まずはひとりで馬に乗った精鋭兵が渡りはじめた。
この兵士は、先頭を駆けて敵に斬り込み、大暴れすることになっている。そして、敵が混乱した隙に、おれたちが突破する計画だ。
完全に捨て駒となる役目だけど、もちろん屍兵が不満をもつことはない。
板の橋を渡りきった兵士は、すらりと剣を抜いて、馬の腹を蹴った。馬はいなないて竿立ちになると、猛然と駆けだした。あっという間に兵士の姿は森のなかに消えていく。
「よし、私たちも行こう」
アルテミシアはそう言って、馬を進ませた。アルテミシアは後ろに従う荷馬の手綱もつかんでいる。鞍の後ろに乗ったクレールは、ぎゅっとアルテミシアの腰にしがみついていた。
その次に兵士とビルヒニアの馬が続く。
最後が、おれとエルザの馬だった。
おれたちが堀を渡りおわったころ、森のなかから戦いの音が聞こえはじめた。兵士が敵の伏兵に斬り込んだらしい。
おれたちは、その物音が聞こえてくる場所を避けながら森へ入っていった。
最初、四頭の馬は縦一列にならんで駆けていた。だけど、少しずつおれたちの馬が遅れはじめた。
「なにしてるんだ、このままじゃ置いていかれるぞ」
おれが声をかけると、エルザは必死に手綱をあやつりながら、
「だって、スピードを出したら木にぶつかっちゃいますよ!」
と言い返してくる。
「それくらい避けてくれよ」
「さっきも言ったじゃないですか。一応、馬には乗れるけど、自信はないって」
たしかに言っていたけど、ここまで下手だとは思わなかった。といっても、おれ自身はまったく馬に乗れないわけだから、文句を言える立場じゃない。
アルテミシアたちはどんどん先を進み、ついに姿が見えなくなってしまった。
さらに、敵兵が追ってくる気配もする。
「きゃっ!」
いきなりエルザが頭を下げた。一瞬おくれて、矢が飛んできておれの頭をかすめた。
「うわっ!」
おれは落馬しそうになって、エルザの腰にしがみついた。
「やだ! どこ触ってるんですか!」
「馬鹿! こっちは死にかけたんだぞ!」
おれたちが罵り合っていると、また矢が飛んでくる。敵はすぐそこまで迫ってきているみたいだ。
「このままじゃ追いつかれる! 木にぶつかってもいいから全力で走ってくれ!」
おれは怒鳴った。
「わ、わかりました!」
エルザは顔をふせると、馬の腹を踵でおもいきり蹴った。馬はひと声いななくと、猛然と走りはじめる。
おれは振り落とされないよう、必死でエルザにしがみつく。視界が激しく上下にゆれて、いまどこをどう走っているのかもわからなくなった。
しばらくして、馬は開けた場所に飛びでた。目の前いっぱいに草原がひろがっている。
「お、おい、そろそろ馬を停めてくれ!」
このままじゃ、本当に馬から振り落とされそうだ。
「は、はい!」
エルザは思い切り手綱を引いた。とたんに、馬はいなないて竿立ちになる。おれたちはそろって鞍から転がり落ちた。
馬は鞍が空になると、そのままどこかへ走り去ってしまった。
「痛ててて……おい、大丈夫か?」
「はい、なんとか生きてるみたいです……」
おれたちはふらふらと立ち上がった。
体中のあちこちが痛むけど、骨は折れてないみたいだ。だけど、仲間からははぐれ、馬を失ってしまった。
「これからどうするんですか?」
エルザが泣きそうな顔で聞いてくる。
「とりあえず、森から離れよう」
おれはそう答えて、歩きだした。
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