第53話 新たな目的地
おれはしばらく迷った。
エルザがおれたちを油断させておいて、あとで裏切る可能性は当然かんがえられる。ただ、本当に味方になってくれるのなら、エルザの強力な攻撃呪文は頼りになるだろう。
「なにを悩んでおる。<神智>を使えば、やつの胸のうちなどすぐ分かるであろうが」
背負っていたビルヒニアが、耳元で言った。
「あ、そうか」
おれは目を閉じて、エルザの心のなかへ意識を向けた。
「……うん、大丈夫だ。彼女の心に嘘はない」
「えっ、わたしの心を覗いたんですか? こわっ」
エルザが怯えた目で俺を見る。
「とにかく、君の申し出を受けることにするよ。いまから君はおれたちの仲間だ。一緒に力をあわせていこう」
「は、はい。よろしくお願いします」
エルザはほっとしたように言った。
「倉庫にいる三人はどうするつもりだ?」
アルテミシアがエルザに聞いた。
「あの人たちは、そのままにしておいてください」
「いいのか?」
「敵に降伏しただけなら、さすがに罪には問われませんから。後で味方に見つけてもらって解放されたほうが、あのひとたちにとってはいいと思うんです」
エルザの言葉には、もとの仲間たちへの思いやりが込められていた。
「そうか」
アルテミシアは納得したようにうなずいた。
「それじゃあ、みんな自分の部屋にもどって少し休もうか。エルザは適当に空いてる部屋をつかってくれ」
おれはそう言って、まずはビルヒニアを居室へ送りとどけることにした。
「……マサキ、さっきは馬鹿げたことを言っていたな」
廊下の途中で、ビルヒニアがぼそりと言った。
「何か言ったっけ?」
「我のことを仲間などと言っておったではないか」
「ああ、そうだったな」
「おまえは<真名>の誓約で我を従わせているだけだということを忘れたのか」
それを聞いて、おれは思わず笑ってしまった。
「なにがおかしい?」
「いや、ごめん。本当に忘れてたんだよ、<真名>の誓約のことを。おまえからしたら、仲間扱いされるのは嫌かもしれないけど、あれがおれの本心だったんだ」
「ふん、馬鹿馬鹿しいことを」
「そう怒るなよ」
「怒ってなどおらぬわ」
「じゃあ、なんだっていうんだよ」
「……まあ、仲間と思いたいのなら、好きにしろ」
そう言ったきり、ビルヒニアは黙り込んだ。
(ビルヒニアもおれを仲間と認めてくれた、って思っていいのかな)
だとしたら、嬉しいんだけど。
居室に着くと、待っていたハコモとメイドたちにビルヒニアを預けた。
「おれはクレールのところにいるから、なにかあったら呼んでくれ」
そう言い残して、クレールを寝かせている部屋にむかった。途中、食堂に寄って水差しに水をくんでいく。
部屋に入ってベッドのふちに腰をかけると、クレールがうっすらと目をあけた。
「気分はどうだい?」
「はい、かなり楽になりました」
「よかった」
「でも、まだ体に力が入らなくて……」
「いいんだよ、もっとゆっくり寝ていて。どうせ朝までは敵も動かないだろうから」
「すみません」
今回はクレールが命を落とす心配もなさそうで、ほっとした。
おれは水差しからグラスへ水を注ぐと、クレールの上体を起こしてやった。
「さあ、飲んで」
「ありがとうございます」
クレールはグラスに唇をつけて、美味しそうに水を飲んだ。
水を飲み終えると、クレールの体をもとどおりに寝かす。おれはクレールの頭を優しく撫でた。クレールは安心したようにまた眠りはじめる。
おれはそっとベッドから立ち上がって、窓の外を眺めた。こちら側は城の裏手になるから、敵軍の篝火は見えない。夜の闇がどこまでも広がっているだけだ。
(これから、どうしようか)
夜が明ければ、敵は総攻撃をかけてくるだろう。城の守備兵力からすれば、それを防ぎきれるとは思えなかった。
(城館を捨てて逃げるか)
だが、その後、どこに向かえばいいんだろう。王国の領土を出たとしても、魔術院はどこまでもしつこく追ってくるはずだ。おれたちが安住できる場所なんてあるんだろうか。
(……あ、そうか)
今こそ「神智」のスキルを使うべきだってことに気づいた。
これまでなら、「安全な場所を探す」なんていうのはあまりに対象が広すぎる問題で、おれは負荷に耐えられなかったにちがいない。でも、十分にスキルの扱いに慣れた今なら、いけるような気がする。
おれは床の絨毯のうえに腰をおろすと、目を閉じて意識を集中した。
(この世界で、おれたちが安心して暮らせる場所を教えてくれ)
しばらくして、頭のなかに大量のイメージが流れこんできた。都市、荒れ地、森林、山脈、湖。さまざまな土地の景色だ。見覚えのある場所もあれば、初めて目にする風景もある。
王都の周辺から意識はどんどん拡張されていき、北方の大平原から南方の海洋まで、広大な範囲を調べていく。
以前なら、とても耐えきれなかった膨大な情報も、いまならどうにか頭のなかに収めることができた。
そして、目まぐるしく変化していた景色が、ある一点で止まった。
(……こんな場所があったなんて)
そこは、おれの想像をはるかに超えた場所だった。
おれは目を開けると、クレールを起こさないよう、そっと部屋を出た。それから、ビルヒニアの居室にむかって走る。
「おい、ビルヒニア!」
バタンとドアを開け、部屋に飛びこむ。
「なんだというのだ、やかましい」
ビルヒニアは眉をしかめて言った。椅子に座り、メイドに足の傷の包帯を外させている。
「……もう傷が治っているのか」
おれはビルヒニアの足の甲をのぞきこんで言った。アルノーの矢に貫かれたはずなのに、もう傷口がふさがっていた。
「時間がかかりすぎたくらいだ。それより、何か我に用か?」
「あ、そうだ。大事な話があるんだよ。」
「言ってみよ」
「そのまえに、アルテミシアとエルザも呼んでくれないか」
「ふん、いいだろう」
ビルヒニアは部屋にいた従者たちに、ふたりを呼んでくるよう命じた。
「それで、何の話をするつもりだ?」
「おれたちが、これから向かうべき場所の話だよ」
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