第47話 開戦

 夕方になって、ふいに敵陣から角笛の音が響いてきた。攻撃開始の合図だ。


 おれたちは急いで塔にのぼり、敵軍の動きを見守った。


 城館の正面に配置された部隊が、ゆっくりと近づいてくる。先頭を歩く兵士たちは、大きな木の盾をかまえていた。その盾に隠れて、攻城用の梯子をかかえた兵士たちが進む。


 やがて、敵兵たちは城館を囲む堀のまえまで辿り着いた。木の盾を地面におろして並べ、その向こう側で弓兵がかまえる。


 ここまで、城館の守備兵は一切動きを見せていなかった。


 ふたたび角笛の音が響き、敵兵が弓を射はじめた。だけど、その矢も力がなく、ほとんどは城壁に当たってはねかえされた。もちろん、塔のうえまで届くような矢は一本もない。


 無駄矢をさんざん射させた後、ビルヒニアが初めて動きをみせた。


「……よし、こちらからも射返せ」


 ビルヒニアは目を閉じると、城壁の兵たちと感覚をつなげ、指令を伝えた。たちまち守備兵たちが弓をかまえて矢を射はじめる。


 攻め手に比べれば矢の数は少ないが、一本一本の正確さと威力はまるで比べものにならなかった。敵兵の手や足がわずかでも盾からはみ出ていれば、的確に射抜いた。集中した矢に盾をくだかれて、逃げまどう兵たちもいた。


 敵兵は次々と負傷していく。射撃戦はしばらくつづいたけど、敵の損害は大きく、こちらの被害は皆無に等しかった。


 業を煮やしたように、敵の歩兵隊長らしき男が梯子をかけるよう命じた。いくつかの梯子が組み合わされて、長い梯子になる。それが前方へ運ばれて、堀を越えて城壁にかけられた。全部で五本だ。


 弓兵に援護されながら、重装備の歩兵がそろそろと梯子をのぼってくる。


「梯子を破壊しろ」


 ビルヒニアが指令した。


 守備兵たちがさっと攻城梯子にむかう。城壁の上の通路はせまかったが、守備兵たちが混雑することはなかった。指揮官の命令が兵たちに瞬時に伝わるのが、戦さにおいてどれだけ有利なのか、よくわかった。


 梯子まで辿り着いた守備兵たちは、ハンマーや斧をふるって取り壊しにかかる。敵兵が城壁に辿り着くまえに、五本すべての梯子が破壊された。堀に落下した兵士たちが、水の中で必死にもがいているのが見える。


「……ふん、話にならんな」


 ビルヒニアは薄笑いを浮かべていた。たしかに、こんな下手な攻めがどれだけ続いたところで、城壁を越えられる心配はなさそうだった。


 おれは少しほっとしてから、隣りに立っているクレールを見た。


 クレールは蒼白な顔で戦場を見つめていた。両手で窓のふちをぎゅっと握りしめている。遠くから眺めているだけとはいっても、多くの兵士たちが傷つき、血を流している光景は、クレールにとって耐えがたいものにちがいない。


 それでも、戦場から決して目をそらさないのは、現実から逃げてはいけないと自分に言い聞かせているからなのかもしれなかった。


「敵が退いていくようだ」


 アルテミシアが言った。


 敵兵たちが少しずつ後退していく。退却命令が出たというよりも、前線の兵士たちが戦意を失って勝手に逃げているようだった。


 アルテミシアからすれば、敵の軍勢とはいっても、昨日までの仲間であり部下だったはずだ。だけど、動揺する様子はなく、冷静な表情をたもっている。


「ここで精鋭の騎兵が十数騎でもいれば、追撃して壊滅させられるものを」


 ビルヒニアが悔しそうに言った。古代神殿のダンジョンで失った十二名の精鋭兵がいれば、きっとビルヒニアの言うとおりになっていたに違いない。


 ともかく、緒戦は守備側の完勝だった。敵軍は一度退いて、体勢を立て直すつもりのようだった。


「アルテミシアよ、敵の指揮官をだれと見る?」


 ビルヒニアがたずねた。


「……おそらく、あの戦いぶりからすれば、ダリウス将軍だろう」

「では、ラースはまだ指揮をしていないのだな?」

「そう思う」

「となると、次の敵の攻撃がいよいよ本番ということになるな」


(そう、敵にラースがいる限り、決して油断はできないんだ)


 おれは気持ちを引き締めた。


 敵が次の攻撃をしかけてくるまで、まだまだ時間がありそうだったので、おれたちは一度塔からおりて、ひと休みすることにした。


 ビルヒニアの居間に入り、簡単な食事を運んできてもらう。さすがに食欲はなかったけど、今後の戦いにそなえて、無理にでもパンとスープを胃に入れておいた。


 2メル(一時間)ほど経ったところで、ふたたび角笛の音が聞こえてきた。


「よし、行こう」


 おれたちは部屋を出て、また塔にのぼった。


 敵陣を見下ろすと、隊列を組み直した兵士たちがこちらへ向かってきていた。さっきと違うのは、攻城梯子の代わりに、見慣れない木造装置を運んでいることだった。


「あれはなんだろう」


 おれが指さして言うと、


「……おそらく、投石機にちがいない」


 とアルテミシアが答えた。


「やっかいなものを持ち出してきおって」


 ビルヒニアは忌々しそうに言う。


「どうするんだ? あれを使われたら、一方的に攻撃されることになるんじゃないか?」


 おれは焦って聞いた。


「いや、あの投石機ならば、そう遠くまで飛ばせまい。こちらも矢で応対できるはずだ」


 ビルヒニアは落ち着いて答える。


 その言葉どおり、投石機はかなり城館まで近づいてきた。ビルヒニアは弓兵たちを前面の城壁に集める。投石機を操作する兵士たちを狙わせるつもりのようだ。


「よし、射殺せ」


 ビルヒニアが合図すると、弓兵たちが一斉に矢を放った。投石機のまわりには盾も用意されていた。それでも、敵兵たちは次々と矢によって負傷していく。


「……妙だな」


 ビルヒニアがぼそりと言った。


「何がだ?」

「あれだけ被害を受けていながら、やつらは一向に逃げる気配がない」


 たしかに、さっきまでの敵兵なら、これだけ一方的に攻撃を浴びせられたら、とっくに逃げ腰になっていたはずだ。


 それなのに、投石機を操作する兵士たちは、まるでひるむ様子をみせていなかった。仲間が矢を受けて倒れれれば、次の者が急いで機械に取りついて操作を続ける。


「……そうか、戦歌バトルソングの魔法だ」


 おれははっと気づいた。


 ラースが味方の兵に精神魔法をかけ、戦意を高揚させているんだ。数人ならともかく、数百人の兵士たちに魔法をかけるなんて、ラースでなければできないことだろう。


「ちっ、小癪こしゃくな真似を」


 ビルヒニアが苛立ったように言ったときだった。十分に引き絞られた投石機が、不気味な音を立ててアームを振った。


 ひと抱えもある大きな石が、塔に向かって飛んでくるのが見えた。

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