第46話 クレールの思い

 敵の軍勢は、城館から百キール(二百メートル)ほど離れた場所に着くと、一度集合した。塔から見ていたかぎりでは、敵兵の動きは鈍くて、戦意も低そうだった。


「あれくらいなら、簡単に追い返せそうだな」


 おれが言うと、アルテミシアは複雑な顔で、


「もう長らく実戦から遠ざかっているからな。しかも、これは魔術院に強いられた戦いだ。騎士たちはともかく、兵士や農兵たちのやる気のないのも当然だろう」


 と答えた。


 寄り集まった敵軍は、そこでまた幾つかの部隊に別れて、移動を始めた。この城館を包囲するつもりらしい。


 敵の最終的な目標は、城館を攻め落とすことじゃなく、ビルヒニアを捕らえることだ。戦いのどさくさにまぎれて逃げられては困るから、脱出できそうな場所をふさいでおきたいんだろう。


 敵の動きにあわせて、城の守備兵たちも移動をはじめた。


「ビルヒニアはどこで指揮をとってるんだろう」


 おれが聞くと、クレールが、


「そういえば、先ほどビルヒニア様の居室に大きなテーブルが運び込まれていましたが」

「居室に? よし、行ってみよう」


 おれたちは塔を降りて、ビルヒニアの居室に向かった。


「ビルヒニア、入るぞ」


 声をかけてなかに入ると、部屋の真ん中に大きなテーブルが置かれていた。そのうえには、城館と周辺の大きな地図がのっている。そして、地図には敵兵と守備兵の位置を示すコマがならべられていた。


 ビルヒニアはテーブル横に置かれた椅子に座り、険しい顔で目を閉じている。


「ビルヒニア、なにをしてるんだ?」

「守備兵を配置しているのだ。邪魔をするな」


 どうやら城壁に立たせた兵士と感覚をつなげて、その視界をとおして敵軍の動きを確かめているみたいだ。おれたちも椅子に座って待つことにした。


 しばらくして、ビルヒニアが目を開けた。


「よし、兵の配置は終わった。あとは、敵が攻め寄せてくるのを待つだけだ」


 ビルヒニアはいつもと変わらない落ち着いた声で言う。


「私にも武器と鎧を貸してもらえれば、城壁の守りに参加するが」


 アルテミシアが言った。


「余計なことはしなくていい。異物が混じれば、かえって我が兵士どもの統率が乱れるだけだ」

「そうか……」

「おまえはマサキとクレールの側にいて、ふたりを守ってやれ。そのために必要であれば、武器でも鎧でも好きに使うがいい」

「わかった」


 召使いのひとりが呼ばれると、アルテミシアを武器庫へ案内していった。


「おれたちはどうすればいい?」


 おれは聞いてみた。


「どうあってもクレールを戦わせる気はないのだな?」

「ああ、悪いけど」

「だったら、どこでも好きな部屋に籠もっているがいい」


 ビルヒニアは投げやりな口調で言ったけど、もう怒ってはいないみたいだ。


「なにか用があれば、声をかけてくれよ」


 おれはそう言い残して、クレールと部屋を出た。


 自分の部屋まで上がると、


「マサキさま、少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」


 とクレールが言った。


「ああ、いいよ」


 おれはクレールを自室に招き入れた。


 ふたりで向かい合って座っても、しばらくは会話がなかった。静かに耳を澄ましていると、城外の敵兵のざわめきが微かに伝わってくる。じっと座っているだけでも、不安と緊張が高まってきた。いや、何もすることがないからこそ、余計に落ち着かないのかもしれない。


「……あの、マサキさま」


 ふいにクレールが口を開いた。


「なんだい?」

「今度の戦いで、本当にこのお城を守りきれるのでしょうか」

「それは……」


 大丈夫だ、と口先だけで言うのは簡単だった。だけど、それでクレールが安心するとは思えなかった。


「わからない。敵がモンペール城の兵士だけなら、きっと大丈夫だと思う。だけど、あのラースを相手にするとなると……」

「ええ、そうですね」


 クレールは硬い表情でうなずいた。おれはかける言葉も見つからず、黙ってクレールの手をにぎった。


「……あの、ひとつだけお願いがあるんです」


 しばらくして、クレールが思いきったように言った。


「どんなお願いだい?」

「こんなことをいえば、不吉なことをと叱られるかもしれませんが……」


 クレールは碧の瞳でじっとおれを見つめ、


「もしこの城が攻め落とされたときは、マサキさまが必ずわたしの側にいてくださると、約束して欲しいんです」

「クレール……」


 おれもクレールを見つめ返した。


(死ぬときは一緒、か……)


 こんな不吉なことは考えるべきじゃないのかもしれない。だけど、いざというとき、クレールがすぐ側にいてくれたら、おれもそれほど死を恐れずに済むかもしれない。


「……わかった。かならず一緒にいるって約束するよ」

「ありがとうございます」


 クレールはほっとしたように微笑んだ。おれの胸にクレールへの愛おしさがあふれてきた。おもわずクレールの手を引き、その細い身体を抱きしめた。


 クレールは一瞬、体を硬くした。だけど、すぐに肩の力を抜いて、おれに身をあずけてくる。


 おれはクレールの少女らしい甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。そして、クレールの細い顎に手をかけて、上を向かせた。クレールは目を閉じ、長いまつげを震わせている。


 おれはそっと顔を近づけて、唇を重ねた。その柔らかな感触に、うっとりとした気持ちになる。


 そこで、突然ドアがノックされた。おれたちはびくっと震えて、急いで体を離した。


「だ、誰だ?」


 おれはうわずった声でたずねた。


「私だ。入ってもよいか?」


 アルテミシアの声がした。


 クレールはベッドから立ち上がり、そっと窓ぎわに移動する。


「ああ、どうぞ」


 おれが返事をすると、ドアが開いてアルテミシアが入ってきた。武器庫で選んだらしいハーフプレートメイルを身につけている。


 アルテミシアはおれたちを見ると、何か違和感をおぼえたように、一瞬足をとめた。だけど、すぐに気のせいだと思ったらしく、おれの側までやってくると、


「マサキどのも、今後の戦いに備えて鎧を選んでおいた方がいいのではないか」


 と言った。


「ああ、そうだな」

「では、これから武器庫まで一緒に行こう」

「わかった」


 おれはベッドから立ち上がると、クレールの方を振り向いた。


「それじゃあ、クレール。また後で」

「はい」


 おれと目が合うと、クレールは顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。

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