第43話 特務調査官

 おれは慌てて通りを駆けた。町の人々は、不気味な角笛の音を聞いて、不安そうに城の方を見ている。


 しばらく通りを走った後、小さな路地へ入りこんだ。その突き当たりの地面に、鉄格子の蓋がついた穴がある。排水溝だ。


 おれは後ろを振り返った。二、三人の子供が、追いかけっこをしながら路地を通り過ぎていっただけで、ほかに人影はない。


 急いで鉄格子の蓋を持ち上げた。かなり重いけど、固定されているわけじゃないから、あっさりと開いた。壁の梯子をつかって中へ入ると、蓋を元どおりにした。そして、ゆっくりと排水溝へおりていく。


 排水溝のなかは暗くて、ひどい臭いだった。いまはほとんど水量がなくて、どろりとした汚水が溜まっているだけだ。ところどころ、天井に穴が空いていて、そこからわずかな明かりが差し込んできている。床はぬるぬるしていて、うっかりすると足を滑らせて転びそうだ。焦る気持ちを抑えながら、慎重に進んでいく。


(たしか、三本目の横穴へ入っていくんだよな)


 おれはさっき「神智」で確かめた逃走ルートを、頭のなかに思いうかべた。この排水溝は、城下町の外へ通じているはずだった。


 しばらくして、排水溝の出口が見えてきた。外へ出ると、そこは小さな川のふちだった。川を越えた先は、深い森になっている。振りかえると、すぐ向こうに城下町の家々が見えた。


 すでに角笛の音は止まっていた。代わりに、町を包んだ騒然とした空気が、ここまで伝わってくる。おれは急いで川を渡り、森のなかへ入っていった。


 すぐにでもビルヒニアの城館へ戻りたいところだったけど、日が暮れるまで森のなかでじっと身をひそめていた。


(……そろそろいいかな)


 辺りが暗くなったところで、そっと動き始める。


 ビルヒニアの城館はここから東にあった。歩きだと、急いでも半日はかかる距離だ。捜索隊の目を避けながら進んでいくなら、もっと時間がかかるだろう。


 森のなかを進んでいくと、ときどき馬が駆け回る音が聞こえてきた。きっと捜索隊のものだ。そのたびに、おれは地面に伏せて、馬が遠ざかっていくのを待った。


 4メル(二時間)ほど歩くうちに、森の端についた。そこから先には、身を隠すものもない草原が広がっている。ここからは、かなり危険だった。


(……よし、「神智」を使うか)


 おれは地面に座って、目を閉じた。草原に捜索隊がいないか、調べてみる。といっても、これだけ広い範囲にあるものを全て感知するのは無理だ。だから、空中に意識の目を置いて、そこから地上を眺めることにした。


 捜索隊ならあかりを持っているだろう。もし何も灯りが見えず、辺りが真っ暗なら、安全だってことだ。


 しばらく意識を集中するうちに、空から眺める草原の景色が頭にうかんできた。草原は真っ暗で、どこにも灯りは見当たらない。


(いいぞ、いまのうちだ)


 おれは目を開けて立ち上がった。一気に草原を突っ切るつもりで走り出す。


 草原のむこうには、また森が広がっている。そこまでたどり着けば安心だ。

 

 だが、そのとき異変が起きた。体に何か軽い衝撃が走り、同時に笛の音のような甲高い音が鳴り響いた。おれは思わず立ちすくむ。


(しまった、警報の魔法か)


 同時に、空中に明るい光の玉が生まれた。まわりに身を隠す場所はない。こうなったら、向こうの森まで一気に走り抜けるしかなかった。


 しかし、一歩踏み出した瞬間、足元にドスッと一本の矢が突き刺さった。


(ど、どこから飛んできたんだ?)


 慌ててまわりを見まわすと、ずっと遠くからこっちへ駆けよってくる人影が見えた。


「おい、一歩でも動いてみろ! 今度はおまえの足を射抜くぞ!」


 そう叫ぶ声が聞こえた。


(あんなに遠くから狙ったのか?)


 足すれすれの地面を狙うなんて、とんでもない腕前だ。おれは逃げるのを諦めるしかなかった。


 立ち止まって待つうちに、人影が近くまでやってきた。四人いるらしい。

 

「おー、捕まえた捕まえた。この人であってるよね?」


 そう言ったのは、ローブを着た若い娘だ。杖も手にしているから、魔術師らしい。髪は赤毛で、まだ幼さの残る顔立ちをしていて、楽しそうに目を輝かせていた。


「あってるかどうか、本人に聞いてみろよ」


 身長が20ルビ(2メートル)を越えていそうな巨漢が言った。背には巨大な剣を背負っている。


「すみません、あなたはマサキ・カーランドさんですか?」


 女魔術師が聞いてくる。おれは口をつぐんで何も答えなかった。


「もう、それくらい答えてよ」

「まあ、いいじゃねえか。城の連中に引き渡せば、むこうが判断してくれるさ」


 そう言ったのは、ひょろりとした男だった。ぼさぼさの髪を長く伸ばし、布で頭を包んでいる。手には長い弓を持っているから、さっきの矢を射たのはこの男だったんだろう。


 四人のうち、残るひとりの男は筋肉質の引き締まった体をしていた。さっきからひと言もしゃべらず、じっとおれを見つめている。


「よし、合図をしてくれ」


 巨漢が言うと、女魔術師は、


「はーい」


 と答えて、杖を頭上にかざした。


 軽やかな詠唱の後、新たな光の玉が生まれた。その玉はぐんぐん空にむかって上っていくと、花火のようにパンと弾けた。あれなら、城からでも見えただろう。


「さあ、もうすぐ城の兵士たちがやってくるはずだ。それまで大人しくしててくれよ」


 弓の男が言った。


「あんたたちは、何者なんだ?」


 おれはたずねた。


「えーっと、答えちゃっていいのかな?」


 女魔術師が仲間の顔を見まわして言う。


「べつに隠す必要もないだろ。今回の仕事ではな」


 巨漢が答えた。


「うん、そうだね」


 女魔術師はうなずくと、おれの方へ向き直った。


「あたしたちは、王都の魔術院に所属する特務調査官なんです」


(やっぱりそうか……)


 特務調査機関のなかには、破壊工作をふくめたあらゆる任務を請け負う実戦部隊が存在すると聞いていた。


 ラースは、最初からおれが逆らうことを予測して、王都からこの四人を連れてきていたんだろう。見かけとちがい、そう甘い相手じゃなかったみたいだ。


「ま、特務調査官といったって、じっさいは冒険者くずれの寄せ集めなんだけどよ」


 弓の男が自虐的な口調で言うと、女魔術師も笑って、


「そーなんですよ。あたしも去年まではただの冒険者だったんですけど、腕を見込まれてスカウトされたんですよね」


 と言った。四人がどこかゆるい雰囲気を漂わせているのは、そのせいらしい。


(だったら、付け入る隙があるかもしれない)


「あんたたち、おれと取り引きをしないか? もしおれを見逃してくれるなら、幾らでもお礼を支払うよ」

「へえ、幾らでもと言ったな」


 弓の男がにやりと笑って、


「じゃあ、ひとりにつき金貨五百枚、いや、千枚払ってもらえるのかい?」


 と言った。


 きっと意地悪な冗談のつもりで言ったんだろう。だけど、そのくらいは、城館にたくわえられた財宝のことを考えれば、払えない額じゃなかった。


「いいとも、ひとりにつき金貨千枚払うよ」

「えっ」


 四人は驚いて、お互いに顔を見あわせた。

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