第42話 城からの逃亡
「そ、そんな」
おれはさっと血の気が引くのを感じた。
「この前と、話が違うじゃありませんか!」
「おっしゃるとおりです。お詫びの言葉もありません」
とラースは頭を下げて、
「これはまったく私の力不足のせいです。六賢者の合議で、今のビルヒニアに危険はない、と私はくりかえし主張したのですが、ほかの五名の認識をくつがえすことはできませんでした。魔族はあくまでも魔族であり、自由にさせるなどあり得ないということでした」
「では、王都に送られたあと、ビルヒニアはどうなるんです?」
「それは……」
ラースは口籠もった。
「答えられないというなら、かまいません」
おれは怒りをぶつけるように言って、目を閉じた。そして、「神智」のスキルを発動させる。すぐに、ラースの頭に浮かんだ光景が俺の心の目に映った。
魔術院の奥にある、不気味な器具が並んだ研究室で、ビルヒニアを素材としてさまざまな実験がおこなわれている。それは動物実験と変わらない光景だった。あらゆる薬物が注入され、焼かれ、切り刻まれる。しかも、動物たちなら死によって苦痛から逃れることができるが、ビルヒニアはその強い再生能力のせいで、果てのない責め苦に耐え続けなければならないのだ。
以前、ビルヒニアが口にした、ときとして人間は魔族でさえおよびもつかぬ残忍さをみせる、という言葉が頭に蘇った。
おれが目を開けると、気まずそうな顔をしたラースと目が合った。
「<神智>で私の頭のなかを覗いたようですね」
「ええ、見させてもらいました。吐き気がしそうな光景でしたよ」
「そのお気持ちはわかります。ですが、私たちも、なにも楽しんで残酷な仕打ちをするつもりはないんです」
ラースは懸命な表情で言うと、
「彼女のようなS級の魔族を捕獲するのは、魔術院の長い歴史のなかでも初めてのことになるでしょう。今後、魔族への対抗手段を研究するうえで、かけがえのないサンプルとなるはずです。すべては、人間を魔族の脅威から守るためのことなんです」
「…………」
「あなたの彼女に対する気持ちはよくわかります。ですが、どれだけ多くの人間が魔族の手によって殺されてきたか、そのことをよく考えてみてください」
「……しかし、ビルヒニアを捕らえるといっても、どうやるつもりです? あいつだって、捕らえられて実験材料にされるとわかれば、死に物狂いで抵抗しますよ」
「そこで、マサキどののお力を借りたいんです」
「わたしに何をさせるつもりですか?」
「彼女の<真名>を私に教えてください。それによって、彼女と新たな誓約を結び、抵抗を禁じます」
「そんな……もし、断ったらどうします?」
おれが言うと、ラースは寂しげに首を振って、
「そのときは、精神魔法をつかって無理にでも聞き出すことになるでしょう。本当は、あなたにそんな真似はしたくないのですが」
と答えた。
(選択の余地はないってわけか……)
おれはしばらく考えてから、返事をした。
「……わかりました。協力しましょう」
「本当ですか? 感謝します」
ラースはほっとした様子だった。
「ただし、ひとつだけ条件があります」
「なんでしょう」
「念のため、六賢者の裁定が本当だということを示すものを見せてください。もしかしたら、あなたはビルヒニアの存在を魔術院に隠したまま、あいつを手に入れようとしているのかもしれない。あなたの魔法と、ビルヒニアの魔力が合わされば、王国を支配できるだけの力を手に入れられるでしょうからね」
「なるほど、それは考えていませんでした」
ラースは苦笑してから、
「フラヴィーニ伯へ宛てた六賢者からの公文書があります。それを借りてきて、お見せしましょう」
と言って、さっそく席を立った。
「それでは、すぐに戻りますので、少々おまちください」
ラースは部屋を出て行く。
ドアが閉まってしばらくすると、おれもそっと椅子から立ち上がった。もちろん、ラースに協力するなんて大嘘だった。魔術院がどんなに立派な理念で活動していようと、ビルヒニアを差し出すつもりなんてない。
ドアを開けて、廊下を覗く。すぐそこに衛兵がひとり立っていた。
「おや、なにかご用ですか?」
衛兵はおれに気づくと、丁寧にたずねてきた。
「あの……ちょっとトイレを借りたいんだけど」
「でしたら、ご案内いたしましょう」
そう言って衛兵は廊下を進みだす。おれを警戒する様子はまったくなかった。ビルヒニアを巡る事情については何も知らされてないらしい。おれは衛兵の後につづいた。
しばらく歩いて、トイレのまえに着いた。
「こちらになります」
「ありがとう。先に戻ってていいよ」
「わかりました」
衛兵が廊下を引き返していく。
おれは急いでドアの中に入った。賓客用のトイレなので、入ってすぐのところは広い化粧室になっている。おれは鏡のまえの丸椅子に座った。それから、目を閉じて「神智」のスキルをつかう。
城の衛兵たちの目に止まらないよう、脱出できるルートを探した。通路や階段の位置を調べるのは簡単だったけど、衛兵たちの動きまで把握するのは大変だった。頭を絞り上げられるような強い負荷を感じながら、じわじわと意識を城全体へ広げていく。
しばらくして、安全な逃走ルートが頭に浮かびあがった。同時に、脳への負荷が限界を超えて、強い吐き気がこみあげてくる。
おれは目を開けると、口元を抑えてじっと耐えた。ゆっくり深呼吸をするうちに、少し気分がよくなってくる。
(よし、行くか)
ラースが戻ってくるまで、そんなに時間はないはずだ。もし部屋からおれがいなくなっていることに気づけば、ラースはすぐに緊急事態が起きたことを衛兵に伝え、おれを捕らえさせようとするだろう。
おれは椅子から立ち上がって、トイレの奥の小窓に向かった。窓を開けると、そこは裏庭になっている。おれは窓枠をまたぎ越し、裏庭へ降り立った。
庭の向こうには城壁がそびえていて、右手のほうに小さな扉が見えた。その扉は、本来は鍵が閉められているはずだった。だけど、今朝方、庭師がうっかりして鍵を開けたままにしてあった。
おれは小走りに庭を通りぬけて、扉を開けて城壁の中に入った。そこから、複雑に入り組んだ廊下を駆けぬけ、いくつかの階段を上り下りした。誰にも見られずに、どうにか城の裏門へたどり着く。
建物の角からそっと覗き込むと、裏門の前に衛兵が二人いるのが見えた。特に警戒している様子はなく、退屈そうに立っている。
おれは深呼吸して息を整えた。そして、できるだけさり気ない態度で、裏門の方へ近づいていった。
衛兵たちは、すぐにおれに気づいた。
「あなたは……マサキ・カーランドさまでしたな?」
ひとりがたずねてくる。
「うん、そうだ」
「どちらへ行かれるのです?」
「伯爵から今夜の晩餐会にご招待いただいたんだけど、それまで何もすることがなくてね。暇つぶしに城下町を散歩してこようと思うんだけど、いいかな?」
「ああ、なるほど。どうぞお通りください」
衛兵たちはまるで疑う様子もなく、おれを通してくれた。おれは二人に軽く一礼してから、跳ね橋を渡る。
(よし、あと少しだ……)
走り出したくなるのを懸命に我慢しながら、ゆっくりと跳ね橋を渡っていった。
やがて橋を渡りきった。おれはちらりと後ろを振り返って、こちらを見ていた衛兵たちに軽く手を振り、町の通りに入っていった。
そのときだった。城の尖塔から、緊急事態を告げる角笛の音が鳴り響いた。
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