第40話 礼儀作法

「本日、ラースさまがモンペールの城へ到着されました。つきましては、マサキさまにご報告したいことがありますので、城まで来ていただきたいとのことです」


 使者はそう告げた。


「おれが城まで行くのかい?」

「はい。この機会に、ぜひフラヴィーニ伯爵にも拝謁していただきたいそうです。もしご承知いただけるなら、明日、アルテミシアどのがお迎えにまいります」

「わかった。承知したと伝えてくれ」


 使者が帰っていくと、おれはビルヒニアの居室に向かった。そこにはビルヒニアだけじゃなく、クレールもいた。


「使者の話はどのようなものだった?」


 ビルヒニアがたずねてきた。


「ラースさまが戻ってきたらしい。魔術院での審議の結果を教えてくれるみたいだから、明日、城へ行ってくる」

「そうか」


 ビルヒニアはうなずいてから、じっとおれの顔を見つめて、


「どうした、顔色が悪いぞ。なにか悪い結果を聞かされそうなのか?」

「いや、ちがうんだ。どんな結果になったのかは、まだ何もわからない」

「それでは、どうなさったのです?」


 クレールも気がかりそうに言う。


「じつは、ラースさまに会うついでに、フラヴィーニ伯にも拝謁することになりそうなんだ」

「やつに会いたくない理由でもあるのか?」

「会いたくないというか……おれは庶民の出だから、貴族に拝謁するときの作法なんて、何も知らないんだよ」


 大勢の家臣たちが見守るなかで、作法に外れた馬鹿な真似をして失笑されたくはなかった。


「ほう、そうであったか」


 ビルヒニアは馬鹿にすることもなく、少し首をかしげて考えてから、


「では、ハコモから礼儀作法を習っておけ」

「ハコモから?」

「やつは、我の従者になるまえは、とある王族の執事をしておったのだ」


 ビルヒニアが呼ぶと、すぐにハコモがやってきた。


「お呼びでございますか?」

「明日、マサキがフラヴィーニに会うことになった。貴族に拝謁するときの礼儀とやらを教え込んでやれ」

「はい、かしこまりました」


 ハコモは一礼すると、じっと俺をみつめて、


「では、稽古にふさわしい場所へ移りましょう」


 と言った。


「あ、ああ。よろしく頼むよ」


 どんなレッスンを受けるのか、ちょっと心配になる。


 ハコモがおれを連れていったのは、最初にビルヒニアと対面した広間だった。


「伯爵に拝謁するとのことでございましたね?」

「ああ、そうなんだ」

「では、まずは正しい立ち姿を身につけるところから始めましょう」

「そんなところから?」

「もちろんでございます。立ち姿、歩き姿を正すことは、あらゆる礼儀の基礎でございますから」


 それからおれは、ハコモにびしびしと指導された。といっても、怒鳴られたり叩かれたりしたわけじゃない。うまくできるまで、何十回でもやり直しを命じられただけだ。


「だめです。もう一度」


 ハコモが無表情にそう言うたびに、おれはうんざりした。


「どうして? いまのは上手くできただろう?」

「いけません。お辞儀をするとき、右足を引く動作が遅れておりました」

「そんな細かいところまで……」

「高貴な方々が意地悪な目を向けるところこそ、そうした細かなところなのです」


 ハコモは断固とした口調で言った。こうして、伯爵に拝謁するためのレッスンは深夜までおよんだ。


「……まあ、このくらいでよろしいでしょう」


 ハコモがどうにか合格点をくれたときには、おれはへとへとになって、頭もぼんやりしていた。立っていられず、床にうずくまる。


「本日習い覚えたことを忠実に再現できれば、たとえ王に謁見したとしても、人に笑われることはないでしょう」

「そうかい、ありがとう」


 お礼の代わりになにか嫌味でも言ってやりたいところだったけど、疲れた頭だと何も思いつかなかった。


「マサキさま、大丈夫ですか?」


 ふいにクレールの声がした。振りかえると、クレールがおれの方へ小走りにやってくるところだった。


「いつからそこに?」

「もう2メル(一時間)ほども前から、あそこにおりました」

「そうなのか、全然気がつかなかったよ」

「さあ、お風呂で汗を流してから、ゆっくり休んでください。すぐにお食事も用意いたします」


 クレールは俺に手を貸して、立ち上がらせてくれた。おれはふらふらした足どりで自分の部屋まで戻り、風呂に浸かった。疲れ果てていたけど、お陰で明日の拝謁への不安がかなり薄れていた。


 風呂から出て、服を着替えて表の部屋に戻ると、クレールがテーブルに軽い食事をならべてくれていた。ほかのメイドたちはおらず、クレールとふたりきりだ。


「さあ、どうぞ召し上がってください」

「ありがとう」


 まずは新鮮なフルーツをしぼって作ったジュースを、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。それから、食事をはじめる。


「それにしても、六賢者さまの裁定はどのようなものになったのでしょう」


 給仕をしてくれていたクレールが、心配そうに言った。


「まあ、ラースさまがいるんだし、大丈夫だと思うよ」

「はい」


 クレールがアゼルの審問についてもなにか聞いてくるんじゃないかと思った。だけど、クレールがその話題に触れることはなかった。アゼルへの興味を失ったとは思えない。余計なことを言って、おれの気持ちを乱したくないっていう気遣いだったんだろう。


 翌日の昼過ぎに、アルテミシアが城館へやってきた。いつもと違って、騎士の礼装を身につけている。城からの公式な迎えだからだろう。従者たちの他に、豪華な馬車もひきつれていた。


「それでは、城までご案内いたします」


 挨拶の言葉も、いつもより丁重だった。


「マサキさま、どうぞお気を付けて」


 城門のところで見送ってくれたクレールは、少し不安そうな顔をしていた。ほんとうは今回もおれについていきたいんだろうけど、伯爵からの公式な招きということで、クレールは遠慮していた。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 おれは笑顔でクレールの頭を撫でてから、馬車に乗りこんだ。


 城館を出発してしばらくすると、アルテミシアが馬を寄せて話しかけてきた。


「順番が前後するようだが、城に着いた後は、まずはフラヴィーニ伯に拝謁してもらうことになった。ラースどのから報告を聞くのは、その後でということになる」


 アルテミスはいつもの口調に戻って言った。


 おれはまた緊張してきた。ハコモと礼儀作を教えてもらったけど、にわか仕込みなのはまちがいない。大勢のまえで間違えずに済むか自信はなかった。


「伯爵のまえに出るときは、私がずっと付き添っている。困ったことがあれば何でも言ってくれ」

「本当かい?」


 アルテミシアが側にいてくれるなら心強い。何か失敗をしそうになれば、すぐにフォローしてくれるだろう。おれは少し安心した。


 やがて、馬車は城下町に着いた。門にいた衛兵たちが最敬礼で迎えてくれる。どうやらおれは、フラヴィーニ伯の命を救った功労者として扱われているらしい。


 城下町の通りには民衆がならんで、ざわめいていた。手を振って歓声にこたえる、なんて真似はおれにはできないから、馬車の戸を閉めきって大人しくしていた。


 アルテミシアに先導されながら、やがて馬車は跳ね橋を渡ってモンペール城に入った。城の正門前で馬車を降りると、アルテミシアに案内されてなかへ進んでいく。通路を歩く間、城のひとびとの視線を感じた。


 控えの間に着いて、アルテミシアと二人きりになると、ほっとする。


「そう緊張しなくてもいい。伯爵はお優しい方だ」


 アルテミシアはグラスを手に取り、水差しから水を注いでから、


「さあ、これを飲んで気を楽にしてくれ」


 と渡してくれた。


「ああ。ありがとう」


 冷たい水を飲み、目を閉じて何度か深呼吸をした。


「どうだ、少しは落ち着いたか?」


 アルテミシアの声はいつもより優しかった。おれへの気遣いが伝わってくる。


「こんなことなら、先にラースさまに会って心を麻痺させる魔法でもかけてもらえばよかったよ」


 目を開けて言うと、アルテミシアはくすっと笑った。


「冗談を言う余裕が出てきたなら、大丈夫だ」

「わりと本気なんだけどな」


 そのとき、従者のひとりが部屋へやってきた。


「お支度はよろしいでしょうか? 伯爵さまがお待ちです」

「わかった」


 アルテミシアがうなずき、おれを見た。


「さあ、いこう」

「うん」


 おれはぎくしゃくと歩きだした。

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