第39話 クレールたちの隠し事

 何事もないまま数日が過ぎた。


 平和になって気がゆるむと、これまでの疲れが一気に出た。体がだるくて、ベッドから起き上がるのもやっとだ。食堂まで降りて、クレールと一緒に食事をして、それからまたベッドに戻って眠るのくり返しだった。ひどいときは、食事と風呂トイレのとき以外はずっと寝ていたこともある。


 そんなおれに比べて、クレールはとても元気だった。毎日ちゃんと食事を作ってくれるし、おれの衣類を洗濯したり、部屋を掃除したりしてくれる。


「クレールもゆっくり休んでていいんだぞ」


 そう言っても、


「いえ、わたしは平気ですから」


 と元気に答えるだけだ。


 近ごろは、城館のメイドたちに料理を教えているらしい。もちろん彼女たちは舌で料理の味を感じることはできないけど、分量や手順さえ教えれば、それを正確に再現することはできる。


「メイドに料理を教えてどうするんだ?」


 おれがそうたずねてみると、


「アルテミシアさまのようなゲストが来られたとき、わたしひとりだけでは料理の手が足りなくなってしまいますから」


 という答えだった。


 料理を教えるほかにも、クレールはおれに隠れてなにかやっているらしかった。ときどき、ビルヒニアに呼びだされ、しばらく戻ってこなくなる。


「なあ、ビルヒニアと何をしてたんだ?」


 もどってきたクレールに聞いてみても、


「もうしわけありません、ビルヒニアさまに口止めをされていまして……」


 と言ってクレールは教えてくれなかった。


もちろん「神智」スキルをつかえば、簡単に秘密の正体がわかるだろう。だけど、それは乙女の秘密の日記を盗み読みするようなものだ。おれとしては、あんまりそういう真似はしなくない。


 それに、クレールが嫌々ビルヒニアの言いなりになっているわけでもなさそうだったので、好きにさせておくことにした。


 ある朝、いつもより強いノックの音で目を覚ました。


「マサキさま、お目覚めでしょうか」


 声をかけてきたのはハコモだ。珍しい。いつもクレールがおれを起こしてくれるのに。


「ああ、起きたよ」


 ベッドの上で体を起こして返事をすると、ハコモがドアを開けて入ってきた。


「おはようございます。朝早くもうしわけございません」

「何かあったのか?」

「ご主人さまがお呼びです。お部屋まで来ていただけますでしょうか」

「ビルヒニアが?」


(なんだろう)


 首をひねりながら、おれは服を着替えて部屋を出た。

 

「ビルヒニアはおれに何の用があるんだ?」


 廊下を歩きながら聞いてみたけど、


「申しわけございません。お答えできないことになっております」


 とハコモは無表情に答えた。

 

 案内された先はビルヒニアの居室だった。この部屋に入るのはおれも初めてだ。室内はひときわ贅沢で優美に飾られている。


 ビルヒニアは窓際に置かれた大きな椅子に、気怠そうに座っていた。


「ビルヒニア、なんの用だ?」

「おまえに見せたいものがあってな」

「見せたいもの?」


 ビルヒニアは薄く笑うと、奥のドアにむかって呼びかける。


「もう支度はできたか?」

「……はい」


 返事をしたのはクレールだった。


 しばらくして、ドアが開いた。そろそろと出てきたクレールを見て、おれは驚いた。


「その格好、どうしたんだ?」


 クレールは白銀色に輝く鎧を身につけていた。ほとんど全身を覆う鎧なのに無骨さはなく、洗練された美術品のような美しさだった。


「思ったとおり、よく似合っているではないか」


 ビルヒニアが満足そうに言った。


「この鎧はどうしたんだ?」

「城の倉庫に眠っていたのだ。この前、ワイトとの戦いに備えて銀の剣を探していたときに発見してな」

「もしかして、ミスリル製か?」

「そうだ」


 ミスリルといえば、羽毛より軽く鋼より強靱だといわれる金属だ。たしかに、全身鎧を身につけているのに、クレールはちっとも重たそうにしていない。


「ちょうどクレールと寸法が合いそうだったので、革のベルトや裏当てを新しく作らせたのだ。どうだ、ぴったりであろう」

「ぴったりだけど……どうしてクレールに鎧なんか着させるんだよ」

「どうして、だと? おまえはクレールに鎧もあたえず戦場へ立たせるつもりなのか?」

「いや、そもそもおれは、クレールに戦ってもらいたくなんかないんだ。クレールにこんなものを押しつけないでくれ」

「ちがうんです、マサキさま」


 クレールが慌てて言って、


「ビルヒニアさまは、わたしにこの鎧を見せ、必要かどうか聞いてくださいました。それで、わたしはぜひ使わせてほしいとお願いしたんです」

「マサキよ、おまえもつくづく変わった男だな。千人の兵士にも匹敵する力を持った娘が、おまえのために戦いたいというのが、そんなに気にくわないのか?」

「気にくわないわけじゃない。おれを守るためにクレールが犠牲になったりしたら困るっていうか……」

「では、おまえたちが敵に囲まれ、クレールが戦わなければふたり揃って死ぬという状況になったらどうする。それでもおまえは、クレールに守ってもらうのは嫌だというのか?」

「そ、それは……」

「いつまでもクレールが守られるべき存在だと決めつけているのは、おまえの傲慢なのではないか?」

「…………」


 おれは反論できなかった。

 やり込められたのは悔しいけど、ビルヒニアの言い分が正しいのはまちがいない。


「マサキさま、こそこそと勝手な真似をしてすみませんでした」


 クレールが謝ってきた。


「いや、クレールは何も悪くないよ。悪いのは、自分の価値観を押しつけようとしていたおれの方さ」

「マサキさま……」

「だけど、ひとつだけどうしても心配なことがあるんだ」

「なんでしょう?」

「クレールが戦乙女ヴァルキリーとしての力を発揮したら、この前と同じように、生命力を使い果たして死にかけるんじゃないかってことだよ。おれを守ろうとしてくれる気持ちは嬉しいけど、そのためにクレールが命を落としたんじゃ、何の意味もない。この気持ちはわかってくれるね?」

「……はい」

「その力をつかうのは、他にどうしようもないほど追い詰められたときだけにして欲しいんだ」

「分かりました」


 クレールはこくりとうなずいた。


「どうやら話はついたようだな」


 ビルヒニアはそう言って椅子から立ち上がると、


「鎧の管理についてはハコモに命じてある。脱いだらやつに声をかけておけ」


 と言い残し、部屋を出て行った。


 ふたりきりになると、おれはあらためてクレールの鎧姿を眺めた。


「……こんな格好、わたしには似合いませんよね」


 クレールが恥ずかしそうに言う。


「いや、凛々しくて、とてもよく似合ってるよ」


 おれは正直に言った。もしクレールがその姿で戦場に立つようなことがあれば、全軍の注目を浴びることになるだろう。


「本当ですか?」


 クレールは嬉しそうに微笑んだ。


 ついにモンペール城から使者がやってきたのは、その日の夕方のことだった。

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