第六章 王都魔術院の決議

第37話 村での朝食

 翌朝になると、アルテミシアも元気を取りもどし、ベッドから起き上がれるようになった。


「大変な迷惑をかけてすまなかった」


 アルテミシアは強張った顔で謝ってくる。


「どれだけ警戒しても、ゴルカに狙われたら憑依を防げないんだから、仕方ないさ」


 おれはそう慰めた。


「憑依されただけではないんだ。ゴルカは私より先に、父上に取り憑いた。そして、私は愚かにもそれに気づかず、問われるままにマサキどのたちのことや、破魔の短剣のことを話してしまったのだ」

「たしかに、うかつな話だな」

「ビルヒニア、余計なことを言うな」


 おれは叱りつけたけど、アルテミシアは自嘲の笑みをうかべて、


「いや、ビルヒニア……どのの言うとおりだ。父上の様子がおかしい、と気づいたときにはもう手遅れで、今度は私が憑依されてしまったというわけだ。今回の危機を招いたのは、すべて私のせいだというしかない」

「そう自分を責めるなよ」


 おれはそう言ってみたけど、そんな言葉でアルテミシアの気持ちが楽になるとは思えなかった。


「さあ、むずかしい話は後にして、まずはお食事にしましょう。今朝はデジレさんの奥さまがお料理をふるまってくれるそうですよ」


 クレールが明るい声で言った。


「そうだな。そうしよう」


 おれは立ち上がって、居間にむかった。


「あらまあ、お久しぶりでございます」


 デジレの妻のアンナは、大柄でよく肥えた女だった。五人の子供の母親でもある。昨夜は、おれたちに部屋を貸すため、アンナと子供たちは村の親類の家に泊まってくれていた。


 テーブルのうえには大量の料理がならんでいた。アンナが夜明け前から一生懸命作ってくれたらしい。


 おれたちはみんなでテーブルを囲んだ。食事をしないビルヒニアも、端のほうに座っている。


「さあ、遠慮なくどんどん食べてくださいな」


 アンナに給仕されて、おれたちは食事をはじめる。どの料理も美味かった。食事をするうちに、ふさぎ込んでいたアルテミシアの表情も、少しやわらいできたように見えた。


 そのとき、裏口のドアがノックされた。


「へいへい、どなたです」


 デジレがドアを開けると、意外にも、そこに立っていたのはラースだった。


「やあ、どうも。お食事中、お邪魔します」


 ラースはにこにこ笑って部屋に入ってくる。


「なんの用だ?」


 鋭い声で言ったのはビルヒニアだった。


「いえ、村のなかを散歩していましたら、お料理のとてもいい匂いがしましてね。ついつい誘われて歩いてくると、ちょうどあなた方の泊まっている家だったというわけなんです」


 ラースは穏やかな声で答える。


「朝ご飯を召し上がっていないのですか?」


 クレールがたずねた。


「はい。私が世話になっている家は、おばあさんのひとり暮らしでしてね。今朝は調子が悪いというので、無理に食事を頼んではいけないと思いまして」


「それはいけませんなあ。よかったら、おまえさまも一緒に食べていってくだせえ」


 デジレはそう言いながら、早くもラースのために椅子を用意する。


「よろしいのですか? では、お言葉に甘えて」


 ラースは嬉しそうに席に着いた。ビルヒニアの隣だけど、まるで気にしていない様子だ。


(大丈夫かな……)


 ビルヒニアはこれ以上ないほど不機嫌そうだった。ラースから顔をそむけて、壁をにらんでいる。


 アンナから皿とフォークを渡されると、ラースはさっそく食事をはじめた。


「……うん、これは美味しい」


 ひとくち食べて、ラースはうれしそうに言う。


「あらまあ、お口にあってなによりです」


 アンナは笑顔で応じた。


 ラースはしばらく夢中で料理を口にはこんでいたけど、ふと気づいたように、


「あなたは食事をしないのですか、ビルヒニア」


 とたずねた。しかし、ビルヒニアはその問いかけを無視する。テーブルは気まずい沈黙につつまれた。


「……あ、あの、ビルヒニアさま。ラースさまがお食事についておたずねですけれど」


 恐る恐るクレールが言った。


「おまえが答えてやれ」


 ビルヒニアはあくまでラースに背を向けたまま言う。


「ええと……ビルヒニアさまは食事の代わりに植物などから生気を吸い取られるんです」

「ほう、なるほど。それは興味深いですね」


 ラースは遠慮のない目つきで、じっとビルヒニアの横顔を眺める。


「クレール、ついでにやつに言ってくれ。じろじろと他人の顔を見るなとな」

「は、はい……」

「おっと、これは失礼しました。マナー違反でしたね」


 ラースはにっこり笑って謝ると、また食べはじめた。


 息の詰まるような食事の時間はしばらく続いた。六賢者のひとりとS級の魔族がならんで座っているなんて、ふつうならとても信じられない光景だろう。


 やがて、ラースはフォークを置くと、ナプキンで口元をふきながら、


「ごちそうさまでした。おかげで満腹になりましたよ」


 とデジレたちに言った。


「ご満足いただけて、なによりです」


 事情のよくわかっていないデジレとアンナは、嬉しそうに応じた。


「では、私はこれで失礼します。村を出発するときに声をかけてください」


 ラースはそう言って、家を出て行った。


 おれはひとつ溜め息をついた。


(ほんとうに腹が減ってただけなんだろうか。それとも探りを入れにきたのかな)


 おれはラースがどういう人間なのか、まだよく分からなかった。


 ともかく、おれたちも食事を終えると、出発の準備にとりかかることにした。服を着替え、荷物を馬車につみこんでから、デジレに一泊させてもらったお礼の金を渡す。


「いや、こんなにいただいてしまってはもうしわけねえです」


 金貨五枚を渡されて、デジレはどきまぎしたように言った。


「いいんだよ、受けとっておいてくれ。急な頼みで奥さんや子供たちにも迷惑をかけたからね」


 おれはそう言って、デジレにどうにか金を受けとってもらった。


 それから、おれはラースを呼びに行った。この後、ビルヒニアの城館へ戻って、アゼルの身柄を引き渡さなければならない。


 ラースは泊めてもらった家のまえで、ベンチにすわってぼんやり景色を眺めていた。おれがやってくるのに気づくと、ラースは立ち上がって迎える。


「そろそろ出発ですか?」

「はい。お支度はできていますか?」

「ええ、もう荷物はまとめてあります」


 そう言って、ラースはベンチの端に置いてあった粗末な布袋をとりあげた。布袋のなかには大した物は入っていないみたいだ。よく見れば、身につけたローブもほつれが目立つし、まるで貧乏な苦学生のような姿だ。


 魔術院の六賢者なら、その気になれば王侯貴族にも劣らない贅沢な暮らしができるだろうに、やっぱりラースはどこか変わった性格のようだ。


 ラースは家のなかに声をかけ、たったひとりの従者を呼ぶと、馬を用意するように頼んだ。その馬も、元は農耕に使われていたようで、かなり老いぼれていた。


 おれはラースを案内して、馬車のところまで戻った。クレールとビルヒニアはもう馬車に乗って待っていた。アルテミシアはハーフプレートアーマーを身につけ、白馬にまたがっていた。その後ろには八人の兵士が整列している。


「よし、行こう」


 おれは馬車の御者に声をかけて、ビルヒニアの城館に向けて出発した。

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