第36話 ラースとの対話
おれがアルテミシアを疑ったのは、昨日、彼女がクレールと顔を合わせたときに、不自然な反応をみせたからだ。
ふつう、知り合いの少女の額に、以前はなかった紋章がうきあがっていれば、それはどうしたのかと驚いてたずねるだろう。だけど、アルテミシアは紋章について何もふれなかった。
あとでそのことに気づいたおれは、「神智」スキルでアルテミシアを調べてみた。すると、やっぱりゴルカに取り憑かれていることがわかった。ゴルカがクレールを見たのは初めてだから、額の紋章は前からあるものだと思ってしまったんだろう。
そうなってくると、ゴルカがなぜダニエリを誘い出そうしているのか、その事情も想像がつく。ダニエリはフラヴィーニ伯を狙っているんじゃなく、逆に守ろうとしているに違いない、とおれは考えた。
あらためて「神智」スキルでダニエリについて調べると、その正体がわかった。六賢者のひとりであるラースが護衛をしていたんじゃ、ゴルカも簡単にはフラヴィーニ伯に近づけなかったんだろう。そこで、ゴルカはおれたちを利用してラースを誘い出し、始末しようとしたんだ。
おれがゴルカに騙されたふりをしたのは、やつを油断させたかったからだ。
ゴルカはその気になれば、瞬時に取り憑いた肉体から離れることができる。もしアルテミシアに憑依していることがばれたと気づけば、すぐに別の体に移って逃げてしまうはずだ。
だから、ゴルカを徹底的に油断させ、その瞬間を狙って破魔の短剣で刺す、というのがおれの計画だった。
抜け目のない策略家がもっとも隙を見せるのはいつか。それは、自分の計略が見事に成功して、勝利の美酒に酔っているときだ。
おれはこれまでの経緯を、くわしくラースに説明した。冤罪で投獄されたところから話を始めたから、かなり長くなってしまう。窓の外はすっかり暗くなっていた。
ラースは熱心におれの話に聞き入り、紙に書き留めていた。説明がこみいってくると、確認のための質問をしてくる。ときどき無造作に髪をかきまわしたり、腕組みをして首を傾げたりする様子は、まるで出来の悪い学生みたいだった。
やがて、長い長い説明が終わった。
「なるほど、よくわかりました」
ラースは満足そうに言って、ペンを置く。
「それで、今後の私の扱いはどうなるんでしょう」
おれは恐る恐るたずねた。
「あなたが魔宝器を盗んだのはまったくの冤罪だったとわかったからには、当然、その罪は消えます。あなたが望むなら、もとどおり魔術院へ戻ることも可能です」
ラースがおれの説明をすべて事実として認めてくれるのは、最初に精神魔法をかけていたからだ。
魔法をかけられた人間が嘘をつけば、たちまち目に赤い光がうかぶ。そんな効果のある「
「クレールはどうなんです?」
「彼女も罪に問われることはないようにします。もとのように聖女の侍女になるのは、少し難しいかもしれませんが……」
それでも、おれたちがまた平穏な生活を取り戻せるのは間違いない。
「ところで、アゼルを地下牢に閉じこめてあるという話でしたね?」
ラースが言った。
「ええ、そうです」
「彼をわれわれに引き渡してもらえますか? 魔術院の審問会にかけて、公正な裁きをしますので」
「あいつは、どんな罰を下されるんです?」
「それは私が決めることではありませんが……そうですね、重ければ死罪、軽くても十年は牢獄へ入れられることになるでしょう」
「そうですか……」
本当にそんな裁きが下されるなら、おれの恨みも晴れる。
「ともかく、あなたは魔族の手からフラヴィーニ伯を助けた功労者でありますし、<神智>という極めて希少なスキルの持ち主でもあります。魔術院に復帰するとしても、以前のような研究員ではなく、王都の防衛を
ラースはそう言ってから、ふいに表情を引き締めて、
「ただし、そのまえに、ひとつ解決しておかなければならない問題があります」
「なんでしょうか」
「ビルヒニアの取り扱いです」
(やっぱりそうきたか)
六賢者のひとりであるラースが、S級の魔族であるビルヒニアをそのまま見過ごしてくれるとは思っていなかった。
「あいつは……ビルヒニアは、たしかに魔族ですが、もう以前のような人間にとっての恐るべき脅威ではなくなっていると思います」
おれは必死に弁護しようとした。
「ふむ……しかし、魔族の本質がそう簡単に変わるとは思えないのですが」
「もちろん、疑われるのはわかります。でも、ビルヒニアがあなたの目の前でゴルカにとどめを刺したのは見たでしょう? あいつにとって魔族の仲間というのは絶対じゃないんです。同じように、絶対に人間の敵であるとも限らないはずです」
「なるほど……」
ラースはしばらく考えてから、
「……いまのビルヒニアは、勇者ロランズに倒されたあと、わずかな肉片から再生したという話でしたね」
「はい」
「魔族といえども、精神と肉体が互いに影響を与えあうことは考えられます。ビルヒニアが過去の知識と経験をすべて受け継いでいるとしても、肉体がとても幼い状態にあるのはたしかです。幼いということは、感受性が強く、さまざまなものから影響を受けやすいということです。もしかすると、その状態であなたと強い繋がりを持ったため、人格面に大きな変化があったのかもしれません」
「それじゃあ、ビルヒニアが危険な存在ではないと、認めてくれるんですか?」
「最終的には六賢者の合議で決定することになりますが、私個人としては、ただちに処分する必要はない、と意見するつもりです。もっとも、つねに見張りをつけておくという条件つきですが」
「ありがとうございます」
おれはほっとして、礼を言った。
「では、私はモンペールの城へ戻ります。そのまえに、アゼルの身柄を渡してもらいたいのですが」
「わかりました。しかし、どのような形で引き渡せばいいでしょう」
「私がビルヒニアの城館にいきましょう。護送はアルテミシアどのの家来に頼むつもりです」
今日はもう夜も遅かったので、出発は明日にする。ラースは村人に部屋借りて泊まることになった。おれも、クレールたちが待っている家にむかう。
「やあ、これはお久しぶりですだ」
おれを迎えてくれたのはデジレだった。まえにクレールと村に滞在したとき、色々と親切にしてくれた村人だ。
「またお世話になるよ」
「どうぞどうぞ。我が家だと思ってくつろいでくだせえ」
デジレはあいかわらず愛想がよく親切だった。
奥の寝室にいくと、アルテミシアがベッドで眠っていた。ベッドの横の椅子にはクレールが座っている。意外にもビルヒニアも同じ部屋にいた。
「ラースさまとのお話はいかがでしたか?」
クレールが立ち上がって、心配そうに聞いてくる。
「ああ、無事にすんだよ。おれとクレールはいっさい罪に問われないことになった」
「ビルヒニアさまはいかがです?」
「見張りはつけられるけど、処分されるようなことはないそうだ」
「本当ですか? よかった」
クレールはほっとしたように言った。
「それはありがたいことだな」
ビルヒニアは皮肉な口調で言うと、
「あのラースという若造はともかくとして、魔術院の頭の固い老人どもが我を見過ごすとは思えぬがな」
「心配するなよ、大丈夫だって」
「だが、もし魔術院が我を引き渡せとおまえに命じてきたら、どうする?」
ビルヒニアは緋色の瞳でじっとおれを見つめる。
「断るよ。どんな条件をつけられようとな」
おれは即答した。
それはまったくの本心だった。
「……ふん、あっさり言うではないか」
その声が照れくさそうに聞こえたのは、おれの気のせいだったんだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます