第35話 破魔の短剣

「ビルヒニア!」


 おれは叫んだ。


 だが、ゴルカがおれに指先を向けてなにかを唱えると、それ以上声が出なくなった。沈黙の魔法だ。


「ゴルカといいましたね。あなたには、他人に乗り移れる力があるわけですか」


 ダニエリが言った。


「そうだとも」

「魔族の気配は感じるのに、姿が一向に見えてこなかったのはそのせいですか」

「わはは、さぞや悔しいだろうな。きさまが魔術院から派遣されて、フラヴィーニの警護をしていたことは知っている。きさまの使う精神魔術は、おれにとっては天敵のようなものだ。だが、こうして封じた以上は、もはや恐れるものは何もない」


 ゴルカはそう言うと、ダニエリにむかって腕をつきだし、手でぎゅっと掴むような仕草をした。黒い煙でできたような輪があらわれ、ダニエリの体を締めつける。


 ダニエリはもう諦めきったように、なにも抵抗しなかった。


無様ぶざまなものだな。おのれの無力を恥じながら死ね」


 ゴルカは腰の剣を抜き、ダニエリに近づいていく。そのとき、廊下を走ってくる音がした。


「何があったのだ!」


 ドアが開いて飛びこんできたのはビルヒニアだった。その後ろには兵士とクレールの姿もある。


「むっ……おまえはゴルカか」


 一目見た瞬間、ビルヒニアにはわかったようだった。


「ははは。ビルヒニアよ、やっと気づいたか。肉体だけでなく中身まで劣化したのではあるまいな」


 ゴルカは馬鹿にしたように笑う。ビルヒニアは冷ややかな目でゴルカを見つめるだけだった。


「きさまが人間ごときに従わされる姿は、惨めでとても見られたものではなかったぞ。だが、安心しろ。きさまの主人もすぐに殺してやる。それでおまえは自由の身だ」


 ゴルカがそう言っても、ビルヒニアは無言のままだ。


「さて、それではまず、ダニエリから始末させてもらおう」


 ゴルカはあらためてダニエリのほうへ向き直った。剣をかまえ、その切っ先をダニエリの胸に突き立てようとする。


(今だ!)


 おれは椅子からさっと立ち上がった。そして、懐から本物の破魔の短剣を取りだすと、机を乗りこえて、ゴルカの背中に飛びかかった。


「なに!?」


 ゴルカが振り返った。その胸に、破魔の短剣の見えない刃が突き刺さる。


「ぎゃああああ!!!」


 ゴルカが絶叫して、床に倒れた。


「なぜだ、なぜきさまが破魔の短剣をもっている!?」


 沈黙の魔法のせいで、ゴルカに教えてやれないのが残念だった。


 あの偽物の短剣は、城館から出発するまえに、急いでビルヒニアに用意してもらったものだ。倉庫から似たような形の短剣を探し出し、刃を折ったんだ。


「おのれ、よくも!」


 ゴルカはのたうち回った。破魔の短剣が突き刺さったところから、黒い煙のようなものが洩れだしていた。


 最後の力をふりしぼるように、ゴルカは床をった。向かう先にはビルヒニアが立っている。


「おい、ビルヒニア、この短剣を抜け。おまえの主人の声は封じてある。いまならおまえは自由に動けるのだ」


 ゴルカがそう言うのを聞いて、おれはぎくりとした。たしかに、いまのおれはビルヒニアに命令を出すことができない。


(しまった、この状況は考えてなかった)


 ビルヒニアはにやりと笑った。ゴルカのところへ歩みよる。


(よせ、ビルヒニア!)


 おれはとっさに駆けよろうとしたけど、もう間にあわない。ビルヒニアはしゃがみこみ、短剣の柄をつかんだ。


 しかし、ビルヒニアは短剣を抜くどころか、逆にもっと深く押しこんだ。


「ぎゃあああ! ビルヒニア、何を考えている! ここでおれを助ければ、おまえの主人を殺して、誓約から解き放ってやれるのだぞ!」

「うるさいやつだ」


 ビルヒニアは立ち上がってゴルカを見下ろすと、


「たしかに、人間ごときに服従させられるのは我慢ならん。だが、それ以上に我慢ならないのはきさまの存在だ。きさまごときに助けられ、恩を着せられるくらいなら、あいつの従者でいたほうがまだマシというものだ」

「ば、馬鹿な……」

「きさまは散々馬鹿にしていた人間に裏をかかれ、罠に落ちたのだ。己の愚かさを恥じて死ね」

「うおぉぉぉ!」


 ゴルカは断末魔の声をあげた。体から、さらに濃くなった黒い煙がたちのぼる。


 そして、ゴルカの死を示すように、おれたちにかけられた魔法がとけた。


「アルテミシア、大丈夫か!?」


 おれはアルテミシアの体をだきおこした。


「……私はいったいどうしたのだろう」


 アルテミシアはぼんやりと目を開け、つぶやいた。どうやら、ゴルカに憑依されていた間の記憶がないみたいだ。


「立てるか?」

「ああ、大丈夫だ」


 アルテミシアは立ち上がろうとしたけど、足がふらついている。おれは肩を貸してやって、一緒に部屋を出た。


「あ、アルテミシアさま!」


 広間にいた家臣が声をあげた。


「どこかの家でベッドを借りて、彼女を寝かせてやってくれ」

「わ、わかりました!」


 アルテミシアを家臣にあずけて、おれは控え室に戻った。


「一体、なにがどうなっているのでしょう。驚くことばかりですよ」


 ダニエリはおれの顔を見るなり言った。


「ダニエリどの……いや、ラース・オルバスさま、とお呼びしましょう」


 おれが言うと、ダニエリは一瞬言葉を失った。それから、苦笑いをうかべる。


「……まさか私の正体まで見抜かれていたとは」


 そう言いながら、ローブのフードをおろす。あらわれたのは、まだ二十代としか見えない若々しい顔だった。ちょっと目の垂れた、頼りなさそうな優しい青年、という印象だ。


 この人物こそが、魔術院を統治する六賢者のひとりだと聞いても、だれも信じないかも知れない。


「もしかして、マサキどのが魔術院にいた頃に、お目にかかったことがありましたか?」

「いえ、わたしは研究員のなかでも下っ端でしたから、ラースさまにお会いする機会などありませんでしたよ」


 おれは苦笑いして答える。ダニエリの正体がラースであることがわかったのは、もちろん「神智」のお陰だ。

 

「マサキどの、あなたには色々と聞きたいことばかりなのですが、話してくれますか?」

「ええ、そのつもりです」


 おれはうなずいた。

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