第32話 帰路

 おれは久しぶりにゆっくりと一晩を過ごした。クレールと一緒に美味い料理を食べ、いろいろなことを語り合った。それから、風呂に入って長い旅の汚れを落としたあと、ベッドでぐっすり眠った。


 翌朝早く、おれは勝手に部屋へ入ってきたビルヒニアに叩き起こされた。


「起きろ! いつまで寝ているつもりだ!」

「……なんだよ、まだ真っ暗じゃないか」

「昨日のうちに城館へ連絡にやっていた兵が戻ってきた。アルテミシアからの手紙も届いておったぞ」

「本当か?」


 おれはベッドから飛び起きた。


 兵士の報告では、今のところモンペールの城に異変は起きていないらしい。アルテミシアからの手紙には、ゴルカが憑依ひょういしている人物に見当がついたので、戻ってきたらすぐに連絡をしてくれ、と書いてあった。


(よし、いよいよゴルカと対決だな)


 おれは急いで出発の準備をすることにした。

 

 馬車へ荷物を積み終わり、あとはみんなで乗りこむだけになったとき、


「ホルトを呼べ」


 とビルヒニアが召使いに命じた。


 ホルトはできるだけおれたちに関わりたくないのか、昨夜から一度も顔を見せていなかった。まあ、その気持ちはわかる。


 しばらくして、ホルトは不安そうな顔でやってきた。


「まだ何か私に用か?」

「おまえの性格は下劣だが、治癒の腕は大したものだった。褒めてやろう」

「それは、どうも……」


 ホルトは複雑な顔をしている。


「これは報酬だ。受け取れ」


 ビルヒニアが言うと、兵士が馬にくくりつけてあった革袋をはこんできた。全部で四袋あり、どれもずっしりと重そうだ。


「開けてみろ」


 ビルヒニアが言うと、ホルトは気が進まない顔で、袋のひとつを開けた。


「……こ、これは」


 ホルトの顔色が変わった。袋のなかに金貨がぎっしりと詰まっていたからだ。


「ぜんぶで五百枚ほどある。治癒の報酬として足りるか?」

「そ、それはもう、過分なほどで……」


 思いがけない大金に圧倒されたのか、ホルトからいつもの傲慢ごうまんさが消えていた。


「ではな」


 ビルヒニアはそう言って、馬車に乗りこんだ。おれとクレールもその後につづく。


 御者台に兵士が座り、馬を進めた。ホルトと召使いたちは、ぼんやりした顔でおれたちを見送っていた。


「……なあ、さっきの金貨はどうやって手に入れたんだ?」


 さっきから気になっていたことを聞いてみた。


「べつにどうでも構わぬではないか」

「まさか、近くの村や町を襲って奪ったんじゃないだろうな?」

「そんな面倒な真似をする必要はない」

「じゃあ、どうやって?」

「十年に一度くらいは、本気で我を討伐しようと考える愚かな将軍や貴族があらわれる。そやつらの軍勢を追い散らしてやれば、本陣には財宝が山と残っておるのだ。いつか使う機会もあろうかと、それを蓄えておいただけのことだ」

「なるほど……」

「もし必要ならおまえも好きにつかえ」


 ビルヒニアは、どうでもよさそうな口ぶりで言った。


 メーヌの街を出ると、おれたちはふたたび街道を西に進んだ。ビルヒニアの城館まで、兵士が馬で飛ばせば一日とかからない距離だけど、馬車だとまだ二日はかかりそうだった。


 クレールはすっかり元気になっていて、野営をしたときは、いそいそと立ち働いて食事を作ってくれた。

 前髪をおろして額の紋章を隠してしまえば、クレールは以前とまるで変わらないように見える。だけど、ときどき戦乙女ヴァルキリーの気配を感じることもあった。


 夕食の後、おれとクレールはテントに入った。そして、おれが横になってランプの灯を消そうとしたとき、


「お待ちください」


 とクレールが鋭い声をあげた。


「どうしたんだ?」

「なにか、気配を感じるんです」


 クレールは寝床から起きあがり、テントからでていった。おれも急いで外にでる。


「どうしたのだ」


 焚き火の横にいたビルヒニアが怪訝けげんそうに言った。


「敵の気配を感じるんです」

「敵だと?」


 ビルヒニアも、見張りをしていたふたりの兵士も、何も感じていないみたいだった。


「よし、見てこい」


 ビルヒニアが命じると、兵士のひとりが焚き火のそばを離れて、夜の闇のなかへ消えていった。


 しばらくして、遠くで動物の吠える声が聞こえた。


(あれは、黒狼こくろうか……?)


 おれははっとして身がまえた。この前の襲撃のときは、兵士が十四人いたけど、いまはたったの二人だ。


「ビルヒニアさま、剣をお借りしてよろしいですか?」


 クレールが言った。黒狼に怯える様子はまったくない。それどころか、闘いに慣れた戦士のような落ち着きを見せていた。


「渡してやれ」


 ビルヒニアが兵士に命じた。兵士は馬車に積んだ荷物のなかから、長剣を一本とりだして、クレールに渡した。おれはそれを止めることもできなかった。


 しばらくして、ふたたび黒狼が吠えるのが聞こえた。さっきよりも遠くなったようだ。


「……どうやら去ったようだな」


 ビルヒニアが言った。クレールが小さく息を吐いて、肩の力を抜いた。剣を兵士に返す。


 しばらくして、偵察に行っていた兵士がもどってくると、おれとクレールはテントに入ることにした。


「クレール、黒狼たちが近くにいるって、どうしてわかったんだい?」


 おれは寝床に入ってから聞いてみた。


「……わかりません。なんとなく、肌で感じたんです」


 クレール自身も戸惑っているように見えた。しつこく聞いてもクレールを混乱させるだけだと思って、おれはそのまま眠ることにした。


 翌日もおれたちは旅を続け、日暮れ前にやっと城館へ帰りついた。


「さて、これからどうするつもりだ」


 ビルヒニアは馬車をおりると、そうたずねてきた。


「アルテミシアへ使いを出してもらえないか。今後の相談をしたいから、明日、ここまで来てくれって」

「いいだろう」


 ビルヒニアはうなずいた。


 旅の疲れで体は重かったけど、ゆっくり休んでいる暇はない。破魔の短剣という切り札を、どうやってゴルカに使うか。おれはそのことを考え続けた。

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