第31話 額の紋章

 クレールが運ばれたのは、ゲスト用の寝室だった。豪華な天蓋つきのベッドがあり、そこへ寝かされる。


 ホルトはベッドの横に立ち、袖まくりをしてから、クレールの体に両手をかざした。


「……なんだ、この娘は。いったいどうなっているんだ?」


 さすがに街一番の治癒師といわれるだけあって、クレールの異常な状態にすぐ気づいたみたいだった。


「ほかの異常にはかまうな。どうせ、おまえの手には負えん。生命力の回復だけに専念しろ」


 ビルヒニアが言った。


 ホルトはそれを侮辱と感じる余裕もないようで、


「わかった、できるだけのことをやってみよう。だが、ここまで衰弱した患者は見たことがない。ふつうに回復させるだけでも半日はかかるだろう」

かしはせん。だが、もし失敗するようなことがあれば……わかっているだろうな?」


 ビルヒニアの脅しに、ホルトは青ざめた顔でうなずいた。


「ともかく、治癒に集中したい。あんたたちは他の部屋で待っていてくれ」

「わかった。よろしく頼むよ」


 おれはそう言って、ビルヒニアたちと部屋を出た。召使いの男が、べつのゲストルームへ案内してくれる。


「……そういえば、ビルヒニアの怪我を治してもらわなくていいのか?」


 部屋に入ってから、聞いてみた。

 ビルヒニアは兵士から降りて、椅子にすわっている。


「必要ない。もうほとんど治っておる」


 スカートに隠れて足は見えないけど、もう痛がっている様子はない。さすが魔族だ。


 ホルトの治療が終わるのを待つ間、おれはずっと落ち着かなかった。クレールはちゃんと治るんだろうか。それに、意識をとりもどしたとき、以前とおなじクレールに戻ってるんだろうか。


 戦乙女ヴァルキリーになったとき、クレールの性格は一変したように思えた。もしその状態がつづくなら、クレールは別人になったも同然だ。


 しばらくして、召使いがやってきた。


「もしよろしければ、お食事のご用意をいたしますが」


 びくびくした様子で丁重にたずねてくる。


「ありがとう。でも、食欲がないんだ」

「そうですか、では」


 召使いは一礼して、急いで部屋をでていった。


 ホルトが言っていたとおり、治療が終わるまで長い時間がかかった。日が暮れてから、やっとホルトが部屋から出てきた。


「クレールは治ったのか?」


 おれは急いでたずねた。


「うむ。一応、意識は回復した」

「会ってもいいかい?」

「いいだろう。しかし、少し混乱しているようだから、あまり強い刺激はあたえるな」

「わかった」


 おれはクレールのいる部屋にむかった。


 クレールはベッドのうえで仰向きに寝ていた。ぼんやりと天蓋を見上げている。


「……クレール、大丈夫かい?」

「あっ、マサキ様」


 クレールははっと我に返った様子で、急いで体を起こした。


「いいんだよ、横になったままで」

「いえ、わたしはもう大丈夫ですから。治癒師さまのおかげで、すっかり元気になりました」


 クレールは笑顔で言った。その表情は以前と変わらないように思える。おれはほっとしたけど、すぐにクレールの身に起きた異変に気づいた。


「クレール、それ、どうしたんだ?」


 おれはベッドのふちに腰かけて、クレールに手を伸ばした。


 クレールの前髪をかきわけてみると、額にうっすらと何かの紋章がうきでているのが確認できる。


「な、なにか、変なことになってますか?」


 クレールは慌てて自分の額を手でおさえた。


 おれは部屋のなかを見まわした。壁ぎわのドレッサーに手鏡が置いてあるのを見つけ、取ってくる。


 手鏡を渡されたクレールは、そこに映った自分の顔をおそるおそる覗き込んだ。


「……これはどうしたことなんでしょう」


 紋章を見て、クレールは驚く。


「ダンジョンのなかで、戦乙女の兜をかぶったことは覚えているかい?」

「はい。その後のことは、なにか長い夢でも見ていた感じで、はっきり思い出せないのですが」

「クレールは戦乙女になって、おれたちを守るためにワイトキングと戦い、倒してくれたんだ」

「……そうだったのですね」

「その紋章は、戦乙女になったあかしなんだと思う」

「これが……」


 クレールはまた手鏡を見ながら、指先で額にふれた。


「なにか、体の調子で変わったところはないかい?」

「いえ、今のところ、べつに……」

「そうか」


 クレールの体がどうなっているのか、「神智」スキルでも分からなかった。本来、戦乙女というのは役目を終えれば死ぬ存在で、その後も生き延びた例は一度もなかったからだ。


(まさか、人間じゃなくなった、なんてことはないよな)


「あの、マサキさま」


 ふいに、クレールが深刻な顔で言った。


「な、なんだい?」

「この額の模様ですが……ぱっと見て目立ちますか? ひとが見たら変に思うでしょうか」


 年頃の少女らしい心配に、おれは思わず微笑んだ。


「いや、大丈夫だよ。近くでよく見ないと分からないくらい薄いし、前髪をおろせば全然目立たないと思う」

「……ああ、本当ですね」


 前髪をおろしてみたクレールは、ほっとしたように言った。


 そのとき、ビルヒニアが部屋に入ってきた。もうひとりで歩いている。


「クレール、もう起きてよいのか?」

「はい。ビルヒニアさまにもご心配をおかけして、すみませんでした」

「気にするな。それよりも、ホルトが言うには、念のためクレールはここでひと晩ゆっくり休ませたほうがいいそうだ。どうする?」

「そうだな……」


 破魔の短剣を手に入れたからには、一刻もはやくモンペールへ戻って、アルテミシアと連絡をとりたかった。だけど、クレールには無理をさせたくない。


「では、今夜は泊まりだな。クレール、ゆっくり休め」


 そう言い残してビルヒニアは部屋を出て行った。


(さっさと出発するぞ、と言うかと思ったのに)


 やっぱりビルヒニアはクレールのことを気遣ってくれているみたいだ。


「マサキさま、よろしいのですか? わたしならもう大丈夫ですけれど」

「いや、ビルヒニアもああ言ってるし、今夜はゆっくり休もう」


 おれはそう言ってベッドから立ち上がり、食事を頼むために、召使いを探すことにした。

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