第10話 魔族の<真名>
「……どうぞ」
おれが返事をすると、ドアが開いて、執事の格好をした男が入ってきた。背が高く、銀髪をていねいに撫でつけた初老の男。その肌の色は真っ白で、やはり目に光がない。
「ご主人さまが、おふたりをお呼びです」
いよいよビルヒニアと対面か。おれは不安と緊張でぶるっと体をふるわせた。
執事に案内されて、おれたちはまた長い廊下を歩かされた。そして、着いたところは大広間だった。
広間の奥は一段高くなっていて、見事な彫刻がほどこされた椅子が置かれている。ここが「謁見の間」らしい。
左右の壁ぎわには、フルプレートアーマーをまとった兵士たちがならんでいた。全員がフェイスガードをおろしていて、まったく動かない。その異様な静まりかたは、死者の軍団にふさわしかった。
魔術院の分析によれば、
魔族たちは、魔界の深淵に鎮座する魔王によって
ビルヒニアも、数百年前に地上にあらわれて以来、魔界から干渉されることもなく、死者の王国に君臨していた。
ちなみに、勇者ロランズがビルヒニアを討伐したとき、パーティーに加わっていた魔術院の賢者がその姿を目撃している。報告書によると、ビルヒニアは朽ち木のような肉体をもった老婆で、『死が生を
「まもなくご主人さまがお出ましになられます。ひざまずいて頭を下げ、お迎えください」
執事が命じてきた。
「嫌だと言ったら?」
「ご主人さまは下々の無礼をことのほか嫌っておられます。もし拒むのであれば、力ずくでも敬意を示してもらうことになるでしょう」
執事がそう言うと、両側にいた兵士がひとりずつ前にでた。どうしても逆らうなら、兵士たちが床にねじ伏せるつもりらしい。
おれはしかたなく、ひざまずいて頭を下げた。クレールも同じようにする。
しばらく待つうちに、後ろのほうで扉の開く音がした。靴音を響かせながら、ビルヒニアが広間へ入ってくる。
おれは緊張しすぎて息苦しくなった。
靴音はおれたちの横をとおりすぎていき、広間の上段へあがった。ビルヒニアが椅子に座る気配がする。
「顔をあげよ」
ビルヒニアが命じてきた。
その声を聞いて、おれは戸惑った。まるで幼女のような声だったからだ。あわてて顔をあげると、まさに五、六歳にしか見えない女の子と目があった。
「おまえが、ビルヒニア……?」
思わずそう言った瞬間、執事がさっと近づいてきた。ばちんと頬を叩かれ、おれはぐらっと体をゆらした。床に手をつく。
「ご主人さまは無礼を嫌っておられると、申しあげたはずです」
執事は感情のない目でおれを見下ろして言った。
「わかったよ、悪かった」
おれは叩かれた頬をおさえながら、もう一度ひざまずいた。
(それにしても、いったいどうなってるんだ?)
おれは改めてビルヒニアを見つめた。ぱっちりとした大きな目と、可愛らしくふくらんだ頬。どこかの姫君のような気品。おれが想像していた、朽ち木のような老婆とはまったくちがう。
ただし、瞳がルビーのように赤いところだけは、話に聞いていたとおりだった。その瞳には、とても幼い子供とは思えない
「きさま、我の名を知っておるのか」
ビルヒニアは椅子の肘かけによりかかり、頬杖をついて言った。
「……あなたは、
おれはできるだけ丁寧に言った。
「そうだ。きさまの名はなんという?」
「マサキ・カーランドと申します」
「きさまは魔術院から追われているそうだな。いったい何をしでかしたのだ?」
「わたしは……」
どう答えるか迷った。だけど、相手の狙いがわからない以上、駆け引きのしようもない。おれは正直に答えることにした。
「魔術院の上司に陥れられて、魔宝器を盗んだ罪を着せられたのです。そして、弁明する機会もないまま死刑を宣告されたので、牢をやぶって逃げました」
「では、本当は魔宝器を盗んだわけではないのだな?」
「はい」
「その上司とやらは、なぜきさまを陥れたのだ」
「それは……ある女性との関係をめぐって、わたしに恨みをもっていたからです」
「ふん、痴情のもつれというやつか……いかにも人間らしい、くだらん理由だ」
ビルヒニアは急に興味をうしなったような顔になる。
「事情によっては、きさまを利用してやろうと思っていたが、どうやらそんな価値もないようだな」
そう言って、ビルヒニアはぱちんと指を鳴らした。壁ぎわにならんでいた兵士たちのうち、何人かがまえに進みでた。
「そのふたりを殺せ。死体はひき肉にして兵士どもに食わせろ」
ビルヒニアが命じると、兵士たちが一斉に襲いかかってきた。
おれはとっさに逃げようとしたけど、兵士たちの動きは速かった。髪をつかまれ、両腕をねじあげられる。
「きゃあ!」
捕まったクレールが悲鳴をあげる。
(まずい、このままじゃ殺される)
どうやれば助かるのか、おれは必死で考えた。兵士のひとりが目のまえに立って、剣を抜く。ビルヒニアは退屈そうにおれたちを眺めていた。
(……そうだ、「神智」のスキルだ)
ここから逆転する方法がひらめいた。
「ビルヒニア! 最後にひとつだけ教えてくれ!」
おれは叫んだ。
「きさま、またそのような無礼なことを」
執事がおれに迫ってくる。
「よい。最後に何を言うか、聞いてやろうではないか。ただし、くだらぬ命乞いであれば、その舌を切り落としてやるぞ」
ビルヒニアが言った。
「……S級の魔族ともなれば、<
おれの声は緊張でふるえていた。ここで一歩間違えれば、おれもクレールもすぐに殺されるんだ。
「ほう、なかなか物知りのようだな。魔術院で習ったか」
ビルヒニアは薄笑いをうかべた。
「その<真名>を唱えられときは、相手に絶対服従しないといけないそうだな」
「だからどうした。魔王ですら我の<真名>を知らぬのだからな」
「もしおれが知っているとしたら、どうする?」
おれの言葉を聞いて、ビルヒニアは一瞬目を見ひらいた。そして、すぐに大きな声で笑いはじめる。
「面白い、では我の<真名>を言ってみよ。もし間違っておれば、そこにいる女を切り刻んで、その肉をきさまに食わしてやる」
おれは無言で目を閉じた。雑念をはらって、意識を集中させる。いまこそ「神智」のスキルをつかうときだ。
しばらくして、頭のなかで光が弾けた。同時に、ひとつの名前がうかびあがってくる。
おれは目を開けて、ビルヒニアを見つめた。
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