第9話 死霊術使いビルヒニア

「そこにいらっしゃるのは、マサキさまですかい?」


 男が呼びかけてきた。農夫のようなしゃべり方だ。おれは、おそるおそる木の陰から出た。


「そういうあなたは、だれなんだ?」

「わしはデジレの友人でしてな。おめえさんたちを安全な場所まで運んでやってくれと、頼まれたんですわい」

「デジレさんの?」


 信じられない話だった。だけど、城からの追っ手がこんな手のこんだ芝居をするとも思えない。


「さあ、そのままじゃ風邪をひきますだよ。はやく馬車にのって、体を温めなせえ」


 男はいかにも親切そうに言う。


 どうすればいいのか、おれはなかなか決められなかった。この誘いは、いくらなんでも怪しすぎる。かといって、馬車を断って歩いていけば、雨のなかでクレールが倒れてしまいそうだ。


(……しかたない)


「わかった、乗せてもらうよ」


 おれはふらつくクレールの体を支えながら、馬車に向かった。


 男は乗り物の扉を開けてから、


「さあ、マントをあずかりましょう」


 と手を差しだしてきた。

 おれたちはびしょ濡れのマントを脱いで、男にあずけた。


 馬車に乗りこむと、おれはほっとした。カバンからタオルを取りだして、まずはクレールの髪を拭いてやった。それから、自分の濡れた体も拭く。


 馬車はなかの造りも立派だった。壁や椅子が彫刻で飾られている。


(やっぱりおかしいぞ)


 これは農夫が乗るような馬車じゃない。

 そのとき、馬車が走りだした。

 おれは小窓を覗いて、御者台に座っている男を見た。


「これからどこへいくんだい?」


 そうたずねても、男は振りかえろうともしなかった。


 嫌な予感がする。おれはそっと扉に手を伸ばした。


(……開かない!)


 いつの間にか鍵がかけられていた。あわてて扉を蹴ってみたけど、頑丈な造りで、びくともしなかった。


(やっぱりこれは罠だったのか?)


 おれはまた小窓を覗きこみ、そこで信じられないものを目にした。男の首すじに、奇妙な印がある。それは魔族の従者であることをしめす刻印だった。


 魔術院では魔族についてもくわしく教えられる。やつらは人間にとっておそるべき存在で、最大の脅威だからだ。魔族に正面から立ち向かって打ちやぶれるのは、勇者ロランズとその仲間たちだけだろう。


 その魔族がどうしてここにあらわれたんだ。かつてモンペール領には、魔族が住みついたエリアがあったことは知っている。だけど、そいつらは勇者ロランズによって討伐されたはずだった。


 おれは恐怖でふるえた。魔族は楽しむために人間を殺すという。しかも、とびきり残虐な方法でだ。


 この先、どこへ連れていかれるのかわからないが、きっとそこには恐ろしい拷問器具がそろっているにちがいない。


「マサキさま、大丈夫ですか?」


 クレールがおれの隣りに座って、手をにぎってくれた。まだ魔族には気づいてないみたいだけど、おれが怯えているのはわかったんだろう。


「……ああ、大丈夫だ。ありがとう」


 おれは少し落ち着きをとりもどした。そうだ、クレールを守ってやれるのはおれしかいないんだ。怯えている場合じゃない。


 そのとき、馬車につたわってくる地面の感触が変わった。土から石畳になったみたいだ。


 小窓から外を見ると、前方に思いがけないものが見えた。大きな城館だ。いくつも尖塔がならび、跳ね橋の城門もある。


(こんなところに城が?)


 そう思ってから、すぐにその正体に気づいた。勇者ロランズのパーティーは、モンペール領にはびこる魔族を撃滅するため、本拠地の城に乗りこんでいったという。それがあの城館なんだ。


(ってことは、まさか城館の主が復活したのか?)


 死霊術使いネクロマンシーのビルヒニア。それが城館の主だった。馬車の御者台に座った男は、ビルヒニアにあやつられた生ける屍なのかもしれない。


 やがて、馬車は跳ね橋をわたり、城門のなかへ入っていった。すぐに跳ね橋がひきあげられる音が聞こえる。


 馬車は城館の正面玄関のまえで停まった。男が御者台からおりて、扉の鍵をはずした。


「さあ、下りろ」


 男が扉を開けて言った。


 おれはクレールの手をとって、おそるおそる馬車からおりた。


 正面玄関の扉は開いてていて、メイド服を着た女が立っていた。


「お部屋までご案内いたします」


 女は丁寧に言った。ぱっと見た感じでは、ふつうの人間みたいだ。でも肌の色は真っ白だし、目には光がない。やっぱりこの女もビルヒニアがあやつっている死人なんだろう。


 女はおれたちの返事を待たずに、さきに玄関へ入っていった。


 おれは後ろを振り返ってみる。庭のあちこちに鎧をつけた衛兵が立っていた。しかも、跳ね橋はあげられているし、逃げだすのはとても無理だ。


(しかたない、ついていくか)


 おれはクレールの手をひいて、女の後につづいた。


 城館のなかは、どこも豪華で贅沢に飾られていた。床には深紅の絨毯がしかれている。王侯貴族の館だってこうはいかないだろう。


 長い廊下を歩き、いくつもの階段をのぼってから、女はある一室のまえで足を止めた。


「こちらで、しばらくお休みください」


 女はおれたちを部屋に通すと、深々と一礼して去っていった。


「……すてきなお部屋ですね」


 クレールは部屋を見まわしながら言った。カーテンも家具も装飾品も、すべて深紅を基調とした優美なデザインに統一されている。その徹底的な美意識に、おれも圧倒される思いだった。


 ベッドの上には衣装が用意されていた。おれとクレールのふたり分だ。これに着替えろということらしい。部屋には控え室と浴室もついていた。おれたちは順番に風呂に入って、服を着替えることにした。


(それにしても、ビルヒニアの目的は何なんだろう)


 今のところ、おれたちはゲスト扱いされているみたいだ。だけど、相手は魔族なんだ。どんな恐ろしいことを企んでいるかわからない。


 おれが先に着替えて待っていると、クレールが控え室からでてきた。


「あの、変じゃないでしょうか……」


 クレールが身につけていたのは、白く美しいドレスだった。


「……いや、よく似合ってるよ」


 おれは思わず見とれてしまった。ドレスの繊細な刺繍が、クレールの美貌をよりきわだたせていた。


 そのとき、ふいにドアがノックされた。まるでおれたちの支度ができるのを見はからっていたみたいだった。

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