第8話 謎の馬車

 おれたちが山間の村ラゾロに来てから、今日で五日目になる。


 ラゾロは貧しく小さな村で、宿さえなかった。だけど、空いている山小屋があったから、そこを借りていた。


 山小屋は粗末な建物で、風呂はないしかわやは外にある。それでも、おれはクレールと一緒に暮らせるだけで満足だった。


「マサキさま、野兎のシチューをつくってまいりました」


 クレールが元気な声でおれを呼ぶ。

 毎朝、暗いうちからクレールは村へおりていき、食材を仕入れていた。

 ときには、村人のおかみさんに料理を教わって作り、持って帰ることもあった。


「ああ、おいしそうな匂いだな」


 おれは居間へ行って、クレールとテーブルを囲んだ。

 さっそくシチューをぱくりと一口食べる。

 ……うん、これはうまい。


「すごいな、どんどん料理の腕があがってるじゃないか」

「そうでしょうか?」


 クレールは照れたように言った。

 これまでクレールはほとんど料理をした経験がなかったらしい。

 そのかわり、昔からお祖母さんと一緒によくお菓子をつくっていたから、調理のコツを飲みこんでいたんだろう。


 おれがあっという間に皿を空にすると、


「まだまだたくさんありますよ。遠慮なくお代わりしてくださいね」


 とクレールがシチューを入れてくれる。


「ありがとう」


 おれは二皿目も一気に食べた。

 さすがにお腹が苦しくなってくる。


「……あら、気づかなくてすみません。すぐにお代わりを注ぎますね」

「あ、いや、クレール。おれはもう……」

「もう?」

「……いや、いただきます」


 いつも控えめなクレールだけど、お代わりへの圧だけはすごかった。


 食事というのは他の生き物たちの大切な命をいただく行為だ、というのが聖女の教えだ。だから、決して食べ残してはいけないと考えているらしい。


 クレール自身もがんばって食べてはいるんだけど、もともと体が細くて胃が小さいせいか、ほとんど減っていない。


 おれは必死に四杯目も食べ、それでやっと鍋は空になった。

 ……うぅ、吐きそうだ。


「まあ、ぜんぶ食べてくださったんですね。ありがとうございます!」


 クレールは目を輝かせて喜ぶ。


「ごちそうさま……ちょっと食べすぎたみたいだ。部屋で休んでくる」

「す、すみません。無理にお勧めして」

「いや、あんまりおいしいから、おれがつい調子にのったんだよ」


 おれは部屋に戻ってベッドに横になった。


 小鳥のさえずりを聞きながら、1メル(30分)ほどじっとしているうちに、気分も良くなってくる。


 ベッドに起き上がったおれは、そのまま「神智」スキルを使いこなす練習をすることにした。この山小屋に来てから、おれはひまさえあればこの練習をしている。


 山のふもとからこの村へあがってくる道の途中に、おれは木彫りのフクロウ像を置いていた。村の猟師が暇つぶしに作ったものを、おれが買いとったんだ。


 おれは目を閉じると、そのフクロウにじっと意識をむけた。


 しばらくして、頭のなかにぼんやりとした光を感じた。光のなかに山道の景色がうかびあがる。これはフクロウ像が眺めている景色なんだ。


 「神智」のスキルは、こうやって感知する対象を制限することで、うまくコントロールすることができた。


 はじめのうちは、景色がぼんやりしていたり、逆に多くのものが見えすぎて頭が痛くなったりしたけど、今はまるで自分の目で眺めているように感じられる。


(よし、いい感じだ。べつの場所に、もうひとつ他の像を置いてみようかな)


 猟師はほかにもウサギやタヌキの木彫り人形を作っていた。あれを買ってこよう。


 おれはフクロウ像から意識を外そうとした。


 そのときだった。


 山道のむこうから、こちらへ登ってくる人影が見えた。


(あれは……?)


 あわててフクロウ像に意識を戻す。


(……くそっ、とうとう来たか)


 それは、一列にならんだ兵士たちだった。おれたちを探しにやってきたにちがいない。


 鎧からすると、王都の兵じゃないみたいだ。きっとモンペール城から派遣されてきたんだろう。


 おれはフクロウから意識を外すと、急いでベッドをおりた。


「クレール! どこにいる!?」


 大声で呼びかけると、すぐにクレールがやってきた。


「マサキさま、どうかなさったのですか?」

「とうとう追っ手がきたみたいだ。急いでこの村を離れるぞ」

「……はい」


 クレールは青ざめた顔でうなずいた。

 もともと、この村に長くいるつもりはなかった。追っ手があらわれたらすぐに逃げられるよう、荷物はまとめてある。


 おれたちはそれぞれカバンをかつぎ、旅支度をすると、山小屋をでた。


「せめてデジレさんのご一家に、お別れのごあいさつをしたかったのですが」


 クレールがさみしそうに言った。

 デジレというのは、おれたちに山小屋を貸してくれた村人で、ほかにもあれこれと親切にしてくれていた。


 だけど、村まで降りていったら、それだけ逃げるのが遅れてしまう。


「残念だけど、あきらめよう。さあ、急ぐぞ」


 おれはクレールの手をにぎって、村とは反対の方向へ歩きはじめた。


 村から逃げだすルートはまえから調べてあった。峠まで登ったところに、山の反対側へおりていく道があるんだ。

 ふだんは村の猟師しか使わない道だから、追っ手の兵士たちが見つけるのに時間がかかるだろう。


 おれたちは懸命に峠をめざして進んだ。


 峠まで登り、道を下っていくうちに天気が崩れてきた。空は灰色の雲におおわれて、日が暮れたように暗くなる。


 おれたちは急いで歩いたけど、ふもとまであと少しというところで、ぽつぽつと雨が降ってきた。


 そして、雨はすぐに土砂降りにかわった。


 まわりには雨やどりできるような場所もなく、おれたちは全身ずぶ濡れになりながら歩くはめになった。


(まずいな、このままじゃクレールが風邪をひきそうだ)


 せきやクシャミが出るくらいならいいけど、もし高熱がでて寝こむようなことになれば、すぐに兵士たちに追いつかれてしまうだろう。


 しばらくして、やっと雨やどりできそうな大木を見つけた。


 おれたちは急いで大木の下に駆けこんだ。

 これでどうにか雨はしのげたけど、ぐっしょり濡れた衣服だけはどうにもならない。

 クレールは体がすっかり冷えてしまったらしい。顔が真っ青になって震えている。


(どうしよう)


 おれは迷った。

 もう山はほとんど降りきったから、少し歩けば街道に出られるだろう。

 雨に濡れながらでも宿を探した方がいいのか。それとも雨がやむまではここで待った方がいいのか。


 そのとき、森のむこうから何かが近づいてくる音がした。

 どうやら馬車がやってくるみたいだ。


(追っ手に先まわりされたのか?)


 おれはクレールの手をひいて木の裏側に隠れた。


 しばらくして、馬車があらわれた。馬は二頭だてで、乗り物は貴族が使うような立派なものだった。


(追っ手の兵士じゃなさそうだな)


 それでも油断はできない。

 おれは木に隠れたまま、じっと様子をうかがった。


 馬車はすぐ目のまえまでやってきて停まった。まるでおれたちが隠れていることを知っているみたいだ。


 御者台には、マントのフードをすっぽりかぶった男が座っている。

 男はひらりと地面にとびおりて、おれたちの方へ向かってきた。

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