第6話 授かりし力

 もし「神智」のスキルで、魔術院の内部が見えたり、追っ手の居場所がわかったりすれば、この先の逃亡はかなり楽になるはずだ。


 おれは神経を集中して、できるだけ多くの情報を得ようとした。


 これまでと違って、反応が起きるまで時間がかかる。


 しばらくして、頭の奥にちりちりとした妙な感覚がうまれた。


 そして、いきなりそれが起きた。


 すさまじい光の大爆発。


「うわあああ!!」


 おれは思わず叫んだ。

 まるで頭がバラバラに飛び散ったように感じた。直後に、膨大な量のイメージが流れこんでくる。


 王都、魔術院、聖堂、城下町のあらゆる風景。さまざまな概念、歴史、記号、理論。


(まずい、これはまずいぞ)


 暴走する意識のなかで、おれは恐怖した。


 おれのちっぽけな器のなかに、その何百倍もの量の知識がつめこまれていくようだ。

 このままじゃ、器の方が壊れてしまう。


「マサキさま、どうなさったのです! マサキさま!」


 クレールの必死な呼びかけが聞こえた。

 すると、急に流れこんでくるイメージがとまった。


 ぐにゃぐにゃに歪んでいた意識が、少しずつ元の形を取りもどしていく。


 それから、肉体の感覚も戻ってきた。


 気づいたときには、おれは床の上に倒れていた。クレールがおれの胸にしがみついている。


 おれは激しく転がりまわったらしく、イスやテーブルが散乱していた。


「……クレール、助かったよ」

「マサキさま、もう大丈夫なのですか?」

「ああ」


 おれは起き上がろうとした。

 しかし、すぐに猛烈な吐き気に襲われる。


「……いや、もうちょっとこのまま横になってるよ。悪いけど、下へ行ってなにか飲み物をもらってきてくれないか」

「わかりました」


 クレールは立ち上がると、心配そうにおれを見てから、部屋をでていった。


(そうか、これが「神智」の本当の力か)


 恐ろしいスキルだ。

 もう少しでおれも、古代魔術王国の魔導師とおなじように発狂するところだった。


 これまでおれがスキルの力で手に入れたのは、門の合言葉や、金の隠し場所などの、一点に絞りこんだ情報だった。

 だから、無理なくスキルを発動できたんだろう。


 でも、今回はあまりに広い範囲の情報を得ようとしてしまった。

 そして、「神智」のスキルはそれに答えようとして、凄まじい負荷をかけてきた。


 使い方を間違えれば、たちまち命を落とす。

 それが「神智」というスキルらしい。


「マサキさま、お待たせいたしました」


 クレールが戻ってきた。

 おれはクレールの手を借りて、どうにかベッドに横たわった。

 食堂から持ってきてくれたのは冷やしたリンゴ酒だった。

 それをちびちび飲むうちに、やっと吐き気もおさまってくる。


「ご気分はいかがですか?」

「うん、かなり良くなってきた。ありがとう」


 死に直面した恐怖も、だいぶ薄れてきた。

 たしかに「神智」は使い方によっては我が身を滅ぼす恐ろしい力だ。

 だけど、うまく使いこなすことができれば、何よりも強い武器になってくれるだろう。


 おれは初めて、この逃避行の先に希望を見つけた気分だった。


 4メル(二時間)ほど休んだあと、おれたちは村から出発することにした。

 こうしている間にも城からの追っ手が迫っているかもしれないんだ。あまりゆっくりはしていられない。


 クレールの足が痛むみたいだったから、馬車を雇うことにした。


「街道を西に進んでもらえるかな」


 御者にそう頼むと、


「モンペール領まで行かれるんで?」


 と聞かれた。


 ここから半日も進むと、フラヴィーニ伯が統治するモンペール領に入ることになる。

 王の領地から出た方が、追っ手から逃げやすくなるかもしれない。


「そうだな、モンペール領までたのむよ」

「わかりやした」


 御者が手綱をつかむと、馬が歩き始めた。


 駄馬に引かれる馬車は、街道をのろのろと西へ進んだ。

 おれはときどき荷台から身をのりだして、後方の様子をうかがった。

 今にも追っ手があらわれるんじゃないかと心配だったけど、なにごとも起きないまま、ごくのんびりと馬車の旅はつづいた。


 日が暮れかけたころに、馬車はモンペール領に入った。

 やがて、次の村の明かりが見えてくる。


「よし、あの村で降ろしてもらおうかな」

「へい」


 この村にも宿屋があり、その前で馬車を停めてもらった。代金を支払って馬車からおりる。


「クレール、今夜はここに泊まっていこう」

「はい」


 おれたちは宿屋に入った。

 とにかく長い旅で疲れきっていたから、食事はかんたんに済ませて、すぐに客室へあがることにした。


 一番高級な部屋をえらぶと、風呂がついていた。さっそく女中に頼んで湯を用意してもらう。


「クレール、先に入っていいよ」

「いえ、マサキさまこそお先にどうぞ」

「いいから、遠慮しないで」


 おれは強引にクレールを浴室へ入らせた。


 それから、ベッドに座ってしばらくぼんやりしていたけど、浴室からお湯の音が聞こえてくると、急にどきどきしてきた。


(そ、そういえば、今夜はクレールと同じ部屋に泊まるんだよな)


 そう思うと、ますます落ち着かなくなってくる。考えてみれば、この部屋にはベッドがひとつしかない。


 ということは……。


(バカ、変なことを想像するんじゃない)


 おれは自分をしかりつけた。部屋には背もたれつきの長椅子もあるから、おれはそっちで寝ることにすればいい。


 この大変なときに、クレールに下心をもつなんて、おれはなんてバカなやつなんだ。クレールの純真さを汚すような真似は、ぜったいにしちゃいけない。


 深呼吸をくりかえして、心をしずめるうちに、クレールが浴室からでてきた。


「すみません。お先に入らせていただきました」


 クレールは肌着のうえに薄いガウンを着ただけだった。湯上がりの肌は、薔薇のように色づいていて、なまめかしく感じられる。


(バカバカ! いやらしい目をクレールにむけるな!)


 おれはまた自分を叱って、鋼の意志の力で目をそらした。


「マサキさま、どうかされましたか?」

「い、いや、なんでもないんだ。おれも風呂に入るから、ゆっくりしててくれ」


 おれは急いで浴室に入った。

 さっと服を脱いで湯船につかろうとする。

 だけど、そのお湯に、ついさっきまでクレールが入っていたことに気づくと、またおかしな気持ちになってくる。


(いかん、無心だ、無心になるんだ)


 おれはできるだけ何も考えないようにして湯船につかり、ざっと体を洗って、すぐに出た。


「まあ、お早いんですね」


 おれが浴室からでてくると、クレールが驚いたように言った。


「いつもこんな感じなんだ」


 おれはそう言うと、ベッドから毛布を一枚とって、長椅子に敷いた。


「どうなさるのです?」

「おれはこっちで寝るよ」

「そんな、マサキさまはベッドをおつかいください。わたしがそちらで寝ます」

「いいんだ」


 おれはさっさと横になると、目を閉じた。

 そして、あっという間に眠ってしまったふりをする。


「マサキさま、お疲れだったのですね」


 クレールがすぐそばまでやってきて、おれの顔を覗きこむのがわかった。


「……たとえ地の果てまで逃げることになっても、わたしは決してあなたのお側を離れません。わたしたちに聖女さまのご加護があることを祈りましょう」


 クレールはささやくように言って、おれの頬にそっと手をそえた。

 そして、立ち上がってランタンの灯りを消すと、ベッドに入った。

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