第4話 屋敷への侵入

 夜が明けるころ、おれたちは王都を後にして、街道を西にむかって進んでいた。

 

どこへ行くというあてもない。


 とにかく、できるだけ王都からはなれて、隠れられる場所を探さなければ。

 追っ手たちが城の外を調べはじめるのも時間の問題だろう。


「……マサキ様、少し休ませていただいても、よろしいですか?」


 クレールが苦しそうに言った。


「ああ、すまない」


 おれは立ち止まった。


 王城の裏門をでてからここまで、ずっと足を止めずに急いできた。

 ふだん聖堂のなかで静かにくらしているクレールからすれば、ひどく苦しい道のりだっただろう。


 おれたちは街道を外れると、近くの森の中に入っていった。

 人目につかない場所に腰をおろして、しばらく休息する。


「クレール、大丈夫かい?」

「はい」


 クレールはうなずいたけど、その足は無惨なことになっていた。

 聖堂をこっそり抜けだしてきたから、クレールは薄い布の室内履きのままだった。

 それで石がごろごろ転がっている道を歩いてきたんだ。足が無事ですむはずがない。

 履き物はすでにぼろぼろになって、血がにじんでいた。


 足元だけじゃない。身につけたローブのような衣装も、あちこち破れてしまっている。


「クレール、すまない。こんな目にあわせてしまって」

「いけません、謝らないでください。これはわたしが望んだことなのですから」


 クレールの表情には、後悔も迷いもなかった。


「……わかった」


 もうクレールに謝るのはよそう。

 そのかわり、何があってもクレールを守って、安全な場所まで逃げのびるんだ。


(よし、落ち着いて考えよう)


 このまま、やみくもに逃げていただけじゃ、すぐに追っ手につかまってしまう。

 なにしろ、クレールは聖女につかえる侍女の衣装だし、おれは囚人服だ。

 こんな組み合わせのふたりが歩いていたんじゃ、目立ってしかたがない。

 まずは、どうにかして衣装を変えないと。


 といっても、もちろんおれは銅貨一枚もっていないし、クレールも牢番を買収するために有り金をぜんぶつかっていた。


(よし、最初に逃走資金を手に入れるんだ)


 こうなれば手段を選ぶつもりはなかった。

 たとえ盗みだってやってやる。

 ただし、人を傷つけることと、貧しい人間のものに手をだすことだけは、決してしないつもりだ。

 もしそんな真似をすれば、たとえ大金が手に入ったとしてもクレールが悲しむだろう。


 しばらく考えてから、おれは次の目的地を決めた。


「クレール、出発しよう。歩けるかい?」

「はい」


 おれたちは街道に戻り、また歩き始めた。

 2メル(一時間)ほども経つと、太陽が高くのぼって、あたりはすっかり明るくなってしまう。

 追っ手に見つからないよう森のなかへ入って、苦労しながら進んでいった。


 昼まえになって、やっと目的地が見えた。

 広々とした平原のなかに、石壁に囲まれた大きな屋敷が建っている。

 そのまわりには馬小屋や使用人たちの家がならんでいた。

 あれは、ダンビエール侯爵の別荘だ。


 おれは魔術院で働いていたときに、あの屋敷まで使いを命じられたことがあった。

 だから、中がどういう間取りになっているのか大体わかっていた。

 金庫の置かれた部屋も知っている。


(ダンビエール侯爵なら、たとえ金貨を千枚盗まれても、大した損害にならないだろう)


 おれは倒れた木を見つけると、そこにクレールを座らせた。


「いいかい、ここでじっと待ってるんだ」

「マサキさまはどちらへ行かれるのですか?」

「あそこの屋敷へ行って、ひとつ用事をすませてくる」

「用事というのは、どのような?」

「いいから、おれに任せておいてくれ。今夜のうちに必ず戻ってくる。だから、ここから動くんじゃないぞ」

「……わかりました」


 クレールは少し不安そうだったけど、おれを信じることにしたみたいだった。


 おれはあたりを見まわしながら、そっと森を抜けて、屋敷へ近づいていった。

 とにかく誰かに姿を見られたら終わりだ。

 麦畑のなかに潜りこんだり、草むらのなかを這ったりしながら、慎重に進んでいった。

 幸い、たまに牛をつれた農民が通りかかるくらいで、ほとんど通行人もいなかった。


 夕暮れが近づいたころに、ようやく屋敷の石壁までたどり着いた。

 壁に張りつくようにして身をひそめて、夜になるのを待つ。


 あたりが真っ暗になったところで、いよいよ屋敷へ侵入することにした。


 このへんは王都から近くて治安がいいから、警備はかなり甘いみたいだ。

 かんたんに石壁をのりこえたあと、屋敷の裏口に忍びよった。

 警備の兵がいる気配はなかった。きっと下男がたまに見回りをするくらいだろう。


 裏口のドアには錠がついていた。

 だけど、石ころを拾い上げて何度かたたきつけると、あっさりと錠はこわれた。

 物音を聞きつけて誰かがやってくる様子もない。


 裏口のなかへ入ると、そこは厨房になっていた。とっくに火は落とされて静まり返っている。

 足元に気をつけながら、ゆっくりと厨房を通りぬけた。


 それから、前に訪問したときの記憶をたよりに、屋敷のなかを進んでいった。


 もちろん、人の家に盗みに入るなんて初めてのことだから、心臓はどきどきして破裂しそうだった。全身にびっしょりと冷や汗をかいている。


 廊下を何度か曲がり、階段をつかって三階まで上がった。

 ときどき使用人たちの声が聞こえてきて、おれはぎくりとした。

 だけど、みんなもう寝仕度をしたあとなのか、廊下にでてくる者はいなかった。


 ダンビエール候の書斎は、三階の南東の角にあった。

 書斎のなかに入り込んで、ほっとする。


(よし、もうひと息だ)


 重厚な机の向こう側に、目的の金庫が置かれていた。

 腰くらいまでの高さの、鉄で作られた頑丈な金庫だ。とても力ずくでこじ開けられるようなものじゃない。

 だけど、おれはその扉のダイヤル錠の開け方を知っていた。

 まえにこの屋敷へ使いをしたとき、ダンビエール侯は不用心にもおれの目のまえで金庫の扉を開けてみせたからだ。

 しかも、その数字の組み合わせは極めてかんたんで、一目で覚えてしまった。

 そのときは、まさかじぶんが夜中に忍び込んで金庫を開けることになるなんて、夢にも思っていなかったけど。


 金庫の前に屈みこみ、扉のダイヤルを回す。

 右に10……左に20……右に10。

 カチャ、と鍵が外れた感触があった。


(やったぞ)


 おれは期待に胸をふくらませて扉を開く。

 ところが、中に入っていたのは、まったく期待外れのものだった。

 手紙が数通と、なにかの証書らしい紙が十数枚。

 それでぜんぶだ。


(そんなばかな……!)


 たしかに、あのとき金庫のなかまで覗いたわけじゃない。

 だけど、手元に金をぜんぜん用意してないなんてことがあるんだろうか。


 そのとき、建物の外で人の声がした。

 慌てて窓に近よって見下ろすと、裏口のあたりにランタンを手にした男が何人か集まっていた。身なりからすると屋敷の使用人たちだろう。

 どうやら、ドアの錠が壊されているのを見つけたらしい。

 いくらのんきな連中でも、盗賊が侵入したことに気づいたはずだ。


 男たちのうち、ふたりが屋敷に入ってきた。他のやつらは、仲間を呼びにいくみたいだ。


 このままじゃまずい。今すぐ逃げないと。


(でも、手ぶらで逃げて、そのあとはどうするんだ?)


 金がなければ、服も買えないし、宿にも泊まれない。

 森の奥にじっと隠れているだけじゃ、そのうち飢えて衰弱し、動けなくなったところを捕まるだけだ。

 せめて銀貨の一枚でもいい、金を見つけて持ち帰らないと。


(金はどこにある、どこに隠してあるんだ)


 おれは必死になって室内を見まわした。

 そのときだった。

 頭のなかで光りが弾けるような感覚があった。

 そして、ひとつのイメージが浮かび上がってくる。


 それは、壁にかけられた一枚の風景画だった。

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