第2話 魔導書の罠

 クレールとの密会をアゼルに見つかってから、数日が過ぎた。


 そのうち魔術院の幹部から呼びだされて処罰されだろう、とおれは覚悟をしていた。


 ところが、今のところは何も起きていなかった。


(アゼルめ、なにを考えているんだろう)


 アゼルはおれと顔を合わせても平然としていた。


(もしかして、クレールのために、何も見なかったことにしてくれるのか?)


 あれから、クレールとアゼルの関係について、それとなく調べてみた。


 すると、ふたりの実家はどちらも王都にある裕福な商家で、親しい付き合いをしていることがわかった。


 もしクレールが次代の聖女に選ばれなかったときは、アゼルと結婚する約束になっている、という話も聞いた。


 それが本当なら、おれたちの密会を発見して、アゼルがショックを受けて当然だろう。


 アゼルに謝ろうかと考えたこともあった。


 だけど、おれたちは決して悪いことをしたわけじゃない。

 結婚の話は親同士が勝手に決めたことで、クレールが望んだことじゃないはずだ。

 おれだって、アゼルに遠慮してクレールを諦める、なんて気持ちは全くなかった。


 とはいっても、しばらくはクレールと会わない方がよさそうだ。

 クレールも同じ気持ちらしく、この前の夜は姿をみせなかった。


 その日の夕方、研究室の同僚たちが帰り支度を始めた頃、ふいにアゼルがやってきた。


「マサキ、ちょっと話がある」


(とうとう来たか)


 おれは覚悟を決めた。


「こっちへ来てくれ」


 アゼルは扉に向かった。

 おれは素直についていく。

 研究室を出た後、アゼルは振り返りもせずに、通路をどんどん進んでいった。

 いくつも階段を下り、扉を通りぬける。


(どこまで行くつもりなんだろう)


 このあたりは、魔術院の最深部だった。

 おれが今まで一度も足を踏み入れたことのないエリアだ。


 他人に見られない場所で話し合うつもりだとしても、こんなところまで来る必要があるんだろうか。


 やがて、アゼルはやっと足をとめた。


「ここだ」


 そこには、物々しい彫刻の施された鉄の扉があった。<第三魔宝器保管庫>とプレートに書かれている。


「アゼルさん、どういうつもりです?」


 魔宝器保管庫のことは知っていたが、じっさいに目にするのは初めてだった。

 ここには、古代魔術王国時代に作られた遺物のなかでも、とくに重要なものが保管されているそうだ。


 アゼルは何も答えず、扉に手をかざした。


 扉には鍵がついていないかわりに、魔法の力で守られている。

 その魔法を解除するには、秘密の合言葉をとなえなければならなかった。


 アゼルがぼそぼそと合言葉を口にした。

 とたんに、目に見えない衝撃のようなものがバチンとはじけた。

 魔法が解除された扉を、アゼルはゆっくりと開く。


 アゼルが部屋に入っていくと、おれも恐る恐る後に続いた。


 部屋のなかは意外に狭かった。

 壁ぎわには鉄製の保存棚があって、小さな扉がいくつもならんでいる。

 こちらも魔法の力で守られているみたいだ。

 

「魔術院の導師さまから、ひとつ仕事を任された」

 

 アゼルはそう言って、棚に歩みよった。


 魔法の合言葉を唱え、扉のひとつを開く。

 取りだしたのは一冊の魔導書だった。

 それを、部屋の真ん中の閲覧台にのせる。


「これはなんですか?」


 おれは緊張しながら聞いた。


「先月、魔術院にもちこまれたものだ。勇者ロランズが魔族の城を攻め落としたとき、宝物庫で発見したんだそうだ」

「勇者ロランズが、魔族の城で……」


 だとすれば、凄まじい力を秘めた魔導書にちがいない。


「今のところ、どのような魔法が封じられているかわかっていない。それを分析して正体をあきらかにせよ、というのが導師様の命令だ」

「その仕事を、わたしに任せてくれるんですか?」

「なにしろこれは重大な任務だ。研究員のなかでも一番優秀な者に任せるように、とのお言葉だったからな」

「アゼルさん……」


 まさか、おれのことをそんなに高く評価してくれているなんて。


 クレールのことでどんな嫌がらせを受けるかと心配していた自分が恥ずかしかった。


「さあ、今すぐ仕事にとりかかってくれ。五日後には報告を聞きたい」

「五日後、ですか」


 魔宝器クラスの魔導書を解読するのに、五日間というのは短すぎる。


「時間が足りないのなら、自室へ持ち帰ってもいい。他の仕事もすべて免除する」

「わかりました」


 アゼルの期待にこたえるためにも、全力を尽くそうと思った。


 おれはさっそく魔導書を自分の部屋に持ち帰って、解読にとりかかった。


 古代文字を今の言葉に翻訳するだけでも大変な作業だ。

 そのうえ、魔力の作用についての難しい理論が書かれているから、ほんの数ページ訳するだけでも、ぐったりと疲れる。


 ひと晩たっても、解読はほとんど進まなかった。


 おれは食事をするのも忘れて、作業にのめりこんだ。

 他の仕事は免除してもらえるという話だったから、部屋から一歩も出なかった。


 二日目の夜になって、おれは気絶するように眠った。


 次の日、夜明けまえに目を覚ますと、まだ誰もいない厨房へ下りていって、目についたパンと果物をむさぼり食った。

 水をたっぷり飲んで、かわやで用を足した後、自室へもどって作業を再開した。


 四日目の昼になって、ようやく魔導書の正体が見えてきた。


 これは「神智しんち」の能力スキルを身につけるための書物だ。

 ふつうの魔法とは違った体系の力らしい。


 もうひと踏んばりすれば、完全解明は無理だとしても、導師たちを満足させられる結果が出せそうだ。


 そして、いよいよ五日目の夜をむかえた。


 「神智」のスキルは恐るべきものだった。

 この力を身につければ、森羅万象のあらゆる知識を得ることができるんだ。

 ただし、それだけ膨大な情報を人間の頭に収めようとすれば、凄まじい負荷がかかる。


 じっさいにこのスキルを試した古代魔術王国の魔導師は、発狂してしまったそうだ。


 だから、この力を制限して、必要な知識だけを引き出す技法も考えだされた。

 

(よし、これくらいで十分だろう)


 おれは大仕事をやり遂げたことに満足した。ひと眠りしてから、報告書を仕上げることにする。


 おれはベッドに横になった。

 しかし、うとうとしはじめたところで、ドアが乱暴にノックされる。


(誰だろう、アゼルかな?)


 心配になって様子を見にきたのかもしれない。

 おれはベッドからのそのそ起きあがり、ドアを開いた。


「お、いたぞ!」


 ドアの外で叫んだのは、鎧に身をつつんだ衛兵だった。

 ひとりだけじゃない。十数人の兵士が廊下にびっしりとならんでいた。


「捕らえよ!」


 兵長らしい男が怒鳴った。

 いくつもの腕がのびてきて、おれの体をつかんだ。

 おれは抵抗することもできず、廊下に押し倒された。


「やめてくれ! おれが何をした!」


 おれは必死に叫んだ。

 しかし、兵士たちはおれを床へ押しつけるだけで、誰も返事をしない。


「ドリュフィス師、どうぞ」


 兵長がうやうやしく呼びかける。

 それを聞いて、おれはぎくりとした。

 ドリュフィスといえば、魔術院を統治する六賢者のひとりだ。

 おれからすれば雲の上の存在で、ずっと遠くから見かけたことしかなかった。


(そのドリュフィス師がどうしてここに?)


 兵士たちが道をあけて、ドリュフィスが姿をあらわした。

 長い髪とあごひげは真っ白で、その瞳は氷のように青い。杖を手にしているが、背すじは若者のようにまっすぐ伸びている。


 ドリュフィスはおれに目を向けることもなく、部屋のなかへ入っていった。


 しばらくして、ドリュフィスが兵長になにか言うのが聞こえた。


 廊下に出てきた兵長は、冷たい目でおれを見た。


「やはりあったぞ。この男が魔導書を盗んだ犯人だ」


 それを聞いて、おれはすべてを悟った。


(アゼルめ、おれをはめたな!)


 魔導書の分析を命じられたというのは、おれを罠におとしいれるための嘘だったんだ。


 魔宝器を盗んだとなれば、おれはまちがいなく死刑になる。


 アゼルは、クレールの心を奪ったおれを決して許さず、残忍な復讐を企んでいたんだ。


「待ってくれ! おれははめられたんだ、罠にかかったんだ!」


 必死で訴えても誰も聞いてくれなかった。


「さあ、牢へつれていけ」


 兵長が命じると、衛兵たちはおれを乱暴に立たせ、牢にむかって引きずっていった。

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